頼れる騎士は頼れない 作:北村 進
「……」
この技は、あの
やることは簡単。『気』を放出しながら殴る。
それだけで、たとえ離れていても空気を介して衝撃が敵に伝わり、拳打が届くのだという。
飛斬とは似て非なるこの技だが、ダインは一度も成功させたことがなかった。
「最後通告だ。私と共に来い。貴殿のように適性のある貴重な人材を殺したくない」
だが、液体に満たされたこの空間なら。
空気よりも、衝撃を伝達させやすいだろう。
「恭順の意思があるのなら止まれ。両手を挙げろ。まずは門が開くまでその手と足を拘束する」
水の抵抗に足を引っ張られながらも、悠々と歩き続ける。
死に瀕したことで、集中力が一気に引き上げられていた。雑音はもう聞こえない。
「……残念だ」
突然足が止まる。いや、止められた。
脚の周囲の水が硬くなったのだ。今度は固体に状態を変化させたのだろう。
だが、もういい。己の『気』は大体掴んだ。
「そのまま固められて死ね」
鋭い目でこちらを観察しているダングルを見据える。
彼はダインが死んだと確信するまで気を抜くことはない。
だが、全身に魔力の縄が絡みつき、今も足から上半身へ向けてだんだんと固体の魔力に固められていくダインは、もう抵抗できないように見えるだろう。
だから、間違いなく心のどこかに慢心が生まれている。
それは、心を持って生まれた人間にとってどうしようもない、余裕から生まれた僅かな浅慮だった。
彼は油断せず、何が起きても対応できるように自分すらも液体の中に巻き込んだ。
それは決して間違いではない。だが、その後に一定の距離しかとろうとしなかった。
おそらくダインが逃げようとしても対処できるようにするためだ。
随分と攻めっ気の強い姿勢だ。悪くない。だが足元が疎かになっていないか?
「——ぐぅ!?」
ダインは事前の構えも無しに、ただ腕を前に振った。
それだけでダングルの体は何かに腹を殴られたかのように大きく曲がり、その足が浮く。
動揺で拘束が緩んだ。
その瞬間を逃さずに足を揺らし、『気』も併用して周囲の魔力を砕く。
「何、を——」
全力で、命を奪うつもりで
声を発したダングルに向かってさらに拳を振るう。反撃の余裕は与えない。
「壁を貫通して——!?」
その言葉から察するに、やはり魔力の壁はしっかり貼られていたようだ。
しかし『気』は、最初に流された物体と同質なものは素通りし、異質なものにぶつかったときに威力を発揮する。
液体と固体の魔力が同質として判定されるかは賭けだったが、どうやら今回は上手くいったようだ。
「そう、か」
三発追加で打ち込んだところで周囲の液体が消えた。
気体に戻されたらしい。もう少しで仕留められたはずだったが、先にこちらの攻撃のカラクリがバレてしまったようだ。
だが彼のダメージは深刻だった。
「まだ――」
「終わりだよ」
周囲を駆け回り全方向から乱打する。死んでもおかしくないダメージを与えたのだ。
その直後に彼がダインの全力の速度に反応できるとは考えられない。
実際、ダインの猛攻を阻むものは魔力の壁だけで、遅れて放たれ始めた攻撃はまったく見当はずれな場所に飛んでいく。
そして、ついには壁も砕かれた。
「くっ――」
やけくそのように全方位に放たれた透明な刃を一振りでかき消し、がら空きの老人の首に手刀を一閃。
それだけで、あがき続けた老人は意識を失い、あっけなく地面に―ー
「っ――ダメだ、ライラ!」
――倒れず、何やら叫びながら手をついて持ちこたえた。
まだ耐えるか、とトドメを刺しに近づくダインだったが、突然背後から爆発音が聞こえた。
「騎士殿!今すぐ塔へ――いや、間に合わんっ」
ダングルの視線を追い、背後の空を見上げる。
遥か上空。
裂け目から漏れ出た緑の霧が大きく渦巻き、突如として地上へと下り始める。
何だアレ、と目を見開くダインの傍で、ダングルは一人、声を震わせた。
「ライラが、禁忌領域への扉を開きおった……!」
□□□
「……今度は、避けれた」
数分前。
エーレは、突如起きた爆発を石畳の下に体をねじ込むことで回避していた。
顔を上げ、周囲を探る。
「これは……」
『ひどいですね……』
塔は完全に姿を消し、周囲の建物も軒並み崩壊している。
反応できなければ一瞬で命を落としていただろう。そう思わせるほどに爆発地点は荒涼としており、それを視認したエーレとライラは思わず息を呑んだ。
それにしても、あれほどの爆発を経てなお魔法陣は傷一つついていなさそうなのは理不尽ではないだろうか。
今のエーレでは、あの爆発以上の衝撃を与えることはできないだろう。
つまり、敵の防御を貫いて小石一つ動かすこともできないのだ。
「ライラ、解析は——」
『完了しました。光の壁も不可視な壁も、魔法ではなく魔力を固形化することで形成された防護です。驚異的な硬度と自在な柔軟性により爆破による破壊は不可能ですが、一点に攻撃を集中させることで比較的容易に破れます』
先ほどのダインさんの攻撃がいい例ですね、と続けるライラの言葉にハッとなる。
確かに先刻のダインの
ただ力押ししたからだと思っていたが、攻撃方法も大きく影響していたらしい。
なら、まだエーレにも可能性はある。
「じゃあ、突きを試してみましょうか」
『分かりました。援護します』
エーレの周囲で風が渦巻き、すぐに収まる。
同時に、周囲の気配をまったく感じることができなくなってしまった。
『同じような壁を全方位に展開しました。直進してください』
「りょ、了解」
慎重に走り始める。すぐにドドドドと正面から何かが何かにぶつかる音が聞こえるが、エーレは空気の揺らぎ一つも感じない。
音からして、かなり威力のある攻撃を受けていると思うのだが……
傍らに浮かぶエーレにチラッと視線を向けると、それに気づいた少女は笑みを浮かべた。
『魔力の弾丸が連射されています。問題ありません』
「ふ、ふーん」
サラッと告げられる。まあ問題ないなら大丈夫か。
そうこうしている内に魔法陣までたどり着いてしまった。
そういえば、ライラにとっては自分自身が相手なのだ。
知識差があるとしても、相手から知識を読み取れば対処は可能なのかもしれない。
それでも経験の差もあるはずなのだが……正面から戦うわけでもなく、ただ人を一人護るだけなら余裕だったようだ。
「苦戦しそうな雰囲気は何だったのよ……?」
『苦戦するかはこれから分かりますよ。ほら、突いてください』
それはそうだ、と剣を構える。
一連の流れから察するに、ライラ同士の戦いでは互いに相手の守りを破れない。
だからその千日手の状況を打開するために、エーレがいるのだ。
「えーっと、さっきの技を応用して……」
ダインから見て学んだ、『気合を手の先に込めて衝撃を与えると中まで通りやすくなる技』の感覚を思い返す。
あれを剣技に合わせることができれば、その威力はかなりのものだろう。
体外の物質に気合を込める、というのは違和感が凄いが――
「うん、大丈夫そうね」
良い感じに気合がのった剣を見て頷き、両手で逆手に握る。
そして、まずは試しにゆっくりと魔法陣に向けて突き出した。
『———お見事です』
「え?」
『え?』
急に褒められた。まだ手ごたえも何も感じていないのだが、何か見事なことをしたらしい。
困惑するエーレにライラも戸惑いの声をあげる。
「見事って、何が?」
『いや、魔力の壁を破壊したじゃないですか』
「えっ――じゃない!」
さらに困惑——する前に体を動かし、跳躍。
魔法陣を飛び越えながら体の上下を反転させ、白い石に剣先を伸ばす。
あとは魔法陣に触れないように注意しながら、石を弾き飛ばせば――
『魔力の壁が復活しました』
「っ――」
剣が石に触れる直前で止められる。
復活が早すぎる。これでは再度突きを放つために剣を引き戻している間に、さらに大きな壁を貼られてしまうだろう。
それでも再度突きを放つべきか、それともこのまま力で押し切ってみるか逡巡する。
すると突然傍に浮いていたライラが姿を消し、ライラの球が入っているポケットから強い光が漏れだした。
『破壊し続けてください。隙が生まれれば周辺の魔力の制御権を奪い取ります』
その言葉に背を押され、剣を引き戻す。
そして空中で身を捻って止められた勢いを取り戻し、魔法陣の反対側に着地すると、今度は勢いよく剣を突き出した。
『破壊確認』
今度は強い抵抗を感じた。
あやうく剣が折れそうだったが、その前に壁が消失してくれたようだ。
『壁が復活しました』
また跳躍しようとした瞬間にライラの報告に阻まれる。
分かっていたが、壁の再生速度が上がった。先ほどは破壊されることを想定していなかったからあそこまで近づけたのだろう。
相手も破壊されることを前提に動きはじめたら、そう簡単には近づけない。
「でも、私は破壊するだけでいい」
剣を突き刺す。また硬い。載せる気合の量を増やしてみたのだが、ほとんど手ごたえが変わらなかった。
『破壊確——復活』
また再生速度が上がった。もっと早く壊し続けなければ。
しかしどうしても気合を載せて突きの動作に入るまでに少し時間がかかってしまう。
もっと効率化しなければならない。
破壊、復活。
最初、何の手ごたえもなく壁を破壊できたのは何故なのだろう。
気合は纏わせていた。踏み込みも同じで、突き方も同じ――
「あ、そっか」
さらにもう一度破壊したときに思い出した。
速度だ。最初は突きの速度が違ったのだ。
また復活したらしいので、今度は気持ち遅めに、探りながら突きを放つ。
『破壊——復活しました』
やはりより簡単に破ることができた。
仮説の確証と、ついでにとある確信を得たエーレは一度剣を引き戻し、ゆっくりと魔力の壁に歩み寄る。
「ライラ、報告はもう大丈夫」
剣を片手で、逆手に持つ。
壁が再生するのは突いた剣の先が勢いを失った地点。
一度の突きで気合を使い切った刃ではその壁を貫けない。
だが、突きに速度は必要ないことが分かった。
なら話は早い。
「一気に行くわ。集中して」
気合を載せることに全ての神経を注ぎながら、剣をゆっくりと押し出していく。
手ごたえはない。しかし何かに阻まれる感覚も無かった。
『——魔力を確保、足場を作りました。そのまま歩き続けてください』
一歩、魔法陣の上に踏み出すと、透明な床が足に触れた。
そのままその床に乗り、ゆっくりと前進する。
順調だ。ライラの様子からも、周囲の魔力の制御権とやらも奪えているらしい。
このペースなら、すぐにあの石にたどり着ける。
そう考え、目標の小さな白い石を見据えたときだった。
『全ての壁が消失しました』
「え?」
『これは——』
不穏な報告が入る。
全ての壁が消えた?いや、解除されたのだ。
今のエーレの前では壁は意味をなさないせいだろう。何か別の方法で攻めるつもりに違いない。
その予想に
「ライラ!魔法陣も護って!」
『はい!』
風の流れが変わり、エーレの足場も消える。
紋様の線を踏まないように器用に着地したエーレは魔法陣の上から飛び退くと、伏せて両腕で頭を固定した。
さっき向こうのライラは完璧に爆発を防いでいた。
ならこちらのライラにも防ぐことができるはずだが、問題なのはライラがまだ魔力の壁を使い始めたばかりだということ。
もし習熟度が足りていなければ、破られる可能性がある。
「でも、流石に大丈夫よね……?」
ライラの壁が破れれば、吹き飛ばされるのはエーレだけではないのだ。
今回は魔法陣もこちらで守っている以上、本気でこちらの壁を壊しに来るとは考えにくい。
彼らも、魔法陣を破壊することだけは避けたがっていた―ー
『——私は、生き返りたい』
その時、“ライラ”の声が響いた。
声は同じだが、その声が発された場所は前方の、ちょうど小石がある地点。
敵のライラだ。
『生き返るためには、あの門を開けなければならない。開けなければ私は死んだまま。動くことも、食べることも、世界を全身で感じることもできない』
まさか、と身を起こす。
不思議だったのだ。
エーレは直接聞いたわけではないが、ライラは生き返ることを諦め、疑似的に生きる方法を探すと宣言したという。
しかし、エーレからすればそんな事は耐えられない。
己の体を自由に動かせず、何にも触れられず、何も食べられない状態で生き続けるなんて心が病んでしまいそうだ。
それを育ち盛りだったろう少女が受け入れたとは、とても信じられなかった。
まるで欲がほとんど抜け落ち、恐怖や悲しみを感じなくなった年配の修道士のようじゃないか、と。
『私は、門を開くことができたらそれでいい』
「——そういうことね」
その答えがここにあった。
『言っておくけど、これから起きることは全部、貴方達が邪魔したせいだから』
『貴女、まさか――』
「ライラ。穴を開ける。すぐにふさいで」
『っ――はい!』
遅れて気づいたらしい手元の少女に指示を出しながら、エーレは駆けた。
相手のライラはすべてを巻き込む勢いで爆発するだろう。
そして勘だが、今のライラではあのライラの攻撃を防げない。
だからその前に石を魔法陣から取り外す。
全身全霊を込めて突きを放ち、周囲を囲んでいた魔力の壁を突き破る。
そして煌々と白く輝く小石を剣先ですくい上げ、上空へと投げ飛ばし――
『さようなら。貴方達を糧に、私は生きる』
咄嗟にライラが入っているポケットを手で押さえる。
その瞬間、視界が、世界が白く塗りつぶされ——押し寄せた衝撃にエーレは打ちのめされ、吹き飛ばされた。
□□□
「準備が完了する前に魔法陣が破壊されてしまった。こちらのライラが爆破魔法を放つ際に、魔法陣を護らなかったようだ」
「……暴発するんだね?具体的に何が起きる?」
「異界の災いどもが彷徨う場所——禁忌領域に門が開く。そして、
淡々と語るダングルには目を向けずに、空を注視する。
空の亀裂が広がり、綺麗な円を形作ろうとしていた。
そしてそこからあふれ出す緑の霧は、あの速さだとすぐに地面に到達するだろう。
「すまない、騎士殿。視界が定まらない。間もなく私は意識を失うだろう」
さらに空から人型の肉塊が落ちてくる。その見た目は、まるで空想上の亡者のようだ。
緑色に爛れた肌と腐った肉、そして理性を感じさせない顔を持つ奴らは、グシャリと嫌な音を立てながらダイン達の周囲に着地すると、ゆっくりと立ち上がった。
「先に知っている限りを話しておく。あれはおそらく伝承上の『
顔に手を当てて蹲りながらも捲し立てるダングルの言葉を、一言一句忘れぬように頭へ叩き込む。
「霧への対処法は、風を操るか風力で吹き飛ばすこと。腐食に対抗する
「止める方法は?」
「私と同程度の、魔法使いがあと三人は——必要だ。つまり今は、止められない。逃げろ……」
「他に話すことは?」
「……私はいい。貴殿の部下と、今すぐ、離脱しろ」
「そうはいかないけど、分かった」
首謀者を置いていくわけにはいかない。
周囲に落ちてきた全ての
しかしその隙を狙ったかのように、驚異的な速度で塔の方向から緑色の霧の波が押し寄せた。
「マジか」
想定以上に動きが速い。だがまだ対応できる範疇だ。ダングルを抱えたまま跳んで――
「やらせない」
その時、遥か前方、霧の向こう側から飛来した銀の影がダインの目の前に着地した。
同時に、そこから放たれた風圧で押し寄せてきていた霧が吹き飛ばされる。
風薙ぎ。剣の腹で周辺の空気を薙ぎ払う技。煙攻めをされたときの対処法であり、騎士なら誰でも使える基本の技だ。
しかし今の技の範囲はあまりにも規格外だった。
この周辺でこんなことができるのは、ダインの知る限り一人だけ。
「あ、先輩。大丈——」
「大丈夫、そうね。よかった」
霧を吹き飛ばし、目の前に降り立ったのは整った顔立ちを持つ女性。
エーレだ。間違いない。
しかしその顔の肌は、大部分が既に緑に変色してしまっていた。