こんにちは、イナブです。

今日見た夢をそのまま書き留めました。

時々、現実の時間と夢の景色が結びつくのを経験するってことがありますよね。

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帰りし日の陽炎

 

 陽が真上を過ぎ、空の青はまるで白く焼け落ちたかのように淡く色褪せている。

 砂漠の空気は地平線の彼方まで揺らめき、まるで存在しない水面のように光を揺らす。

 

 淡く金色を帯びた砂粒は風に吹かれるたびに舞い上がり、視界の端からひらりと消えていった。

 

 ーー前の世界(・・・・)で目にしたことのある記憶から蘇る何の変哲もない砂漠の中の記録。

 

 人影はない。

 

 やっぱりここはキヴォトスでも、最も静かな場所だと砂狼(すなおおかみ)シロコはそう思った。

 この沈黙には言葉にできない重みがあり、遠くで唸る風と砂が足元で擦れ合う音しか聞こえない。

 

 空気は夏の不快さを感じさせる熱を含み、口の中はすぐに乾いた。

 踏みしめるたびに足跡は熱に溶けて消え去る。

 まるで自分の存在もまた、この熱に溶けて跡形もなく消えてしまいそうな気がした。

 

 それほどまで足元の砂は冷たさを拒み、ただひたすらに乾ききっていた。

 

「うっへぇ…」

 

 それでも、この無人のはずの砂漠の中に一本の木があった。

 葉は少なく枝もまばら…だが根を深く張って、砂に飲まれずに立ち続けている。

 

 奇跡のようにそこにある木陰に、少女がひとり腰を下ろしていた。

 

 ーー小鳥遊(たかなし)ホシノ。

 

 ピンク色の長髪に左右で色の違うオッドアイ。

 小柄な体格ながらもその強さは本物で、何度もでシロコは彼女に助けられたこともある…力で分からされたこともある。

 

 そんな彼女は現在、影に隠れるように背を木に預け、足をだらしなく伸ばしている。

 片手を後ろについて、もう片手で欠伸が出かけている口に手を当てながら、間延びした声を漏らした。

 

「『あっつぃねぇ〜……なんで、こんなところにいるんだろうね〜…』」

 

 その声は、シロコには以前と同じように聞こえた。

 ありし日の過去の記憶が、熱にさらされて顔を出したと言うべきか。

 やっぱり飄々として、緩く力が抜けていて……なぜか人を安心させる響き。

 

 でも、そこにいるはずの温もりは、砂の上に置き忘れられた影のように…

 人を寄せ付けないもののようにどこか遠く感じられるものだった。

 

「…………」

 

 だが、木陰に腰を下ろすホシノの背中を見つめながら、シロコの心はざわめいていた。

 彼女の存在は確かにここにあるのに、まるで遠い幻のようで触れられそうで触れられない。

 

 記憶の中の優しさと、今目の前にある空虚さの間でシロコは揺れる。

 だからこそ声をかけるようなことはしない…ただ、その背中を見守る。

 

 ……それが今は正しいようにシロコには思えた。

 

 呼吸音が聞こえるはずなのに、どこか遠くから響くようで、耳元で囁く声はまるで砂嵐の中に紛れ込んだ幻聴のようだった。

 

 『今日の日』を思えば、自分から話を向けるのにも気が引けた。

 

「(……やっぱり、私がここにいていいのかな…)」

 

 声にならない疑問が胸に渦巻く。

 あの日、何もできず、見送ることすらできなかった無力な自分。

 捻れた世界を交差させ、そうして辿りついたこの世界。

 

 足元の砂が音を立てて沈む。

 さらに増した熱気は空気をゆらし、視線以外の表情が溶けて見えるようなホシノの輪郭がかすかに滲む。

 

 遠くの地平を眺めていた…その視線の先に何があるのかは、シロコにはわからなかった。

 

「『……ホシノちゃん。』」

 

 そのとき、ふわりとシロコの視界が大きく揺れ、座り込んでいたホシノの隣にもうひとつの影が現れる。

 

 そうして小さく呟くような声が、こだますように辺りに響いた。

 しかし熱を帯びた風がすぐにその声をさらっていき、砂の上に淡く立ち上がったその人影は、すぐに形を帯びる。

 

 ーーまるで陽炎のように、ユラユラと。

 

「『……ユメ先輩…』」

 

 …梔子(くちなし)ユメ――ホシノがかつて慕っていた先輩。

 

 優しく警戒心がまるでないような淡い瞳、一本に束ねたホシノとほとんど同じ長い髪。

 『先輩と後輩』の形がそのままになったような2人のやり取りを聞いていたシロコには、思い出される記憶があった。

 

「『……私は…』」

 

 白い世界に震えていたあの日。

 初めてホシノと出会ったその時のことを思い出したためか、シロコは崩れるように小さく口元を緩ませる。

 

 穏やかな立ち姿は、前に見せられた写真や話でしか知らなかったはずなのに、シロコにとってはなぜか懐かしさを感じさせた。

 

 その懐かしさは、失ったからこそ分かる空虚なものか、あるいはーー

 

「………」

 

 火照った肌をなでる風は、まるで遠い誰かの声を連れてくるかのように、シロコの耳元で囁く。

 

 動くことができない…言葉にならない響きは、彼女の胸の奥で揺れる思い出をそっと震わせていた。

 

 立ち上がったホシノが振り返って微笑み、ユメの口が確かに動いた。

 だがその声は、風の中に消えてシロコには届かない。

 

 それでも…口の形は「久しぶりだね。」と言ったように見えた。

 

 ーーそうしてしばらくは、2人の時間が流れていた。

 

 まるで過去に思いを馳せるように、ユメか現実かを隔てるものが暑さに溶けて消え去ったようなこの場所で。

 

 強く照りつける夏の太陽の光が、砂粒一つ一つをまばゆく輝かせる。

 

「………あ…」

 

 さらに、しばらくしてからのことだった。

 砂を舞い上げた強い風が吹いた次の瞬間には、ユメの輪郭がふっと揺らぎ、灰色の空に混ざるように消えた。

 

 ……そして、ホシノの笑顔は消えていた。

 その代わりに、瞳には底の見えない喪失が宿っていた。

 

 ーーあの時、シロコの腕の中で見たものと同じように。

 

「(……っ…)」

 

 歩み寄ろうとしたシロコの視界が、わずかに揺らいだ。

 ホシノの影がかすかに二重に見え、熱気が微かなざわめきとなって耳に届く。

 

 ここにいるはずのない気配を感じて、彼女は思わず身を震わせた。

 

 日差しが照りつける砂を踏むたびに、さらに存在を主張するように熱が靴底を通る。

 

 ホシノは、近づくシロコに気づいているはずなのに、何も言わない。

 

 距離が縮まるにつれて、ホシノの輪郭は再び揺れ始めた。

 

 そして…伸ばした手が、熱い空気の膜に触れる。

 

「『……シロコちゃん。』」

 

 その瞬間、ホシノがシロコを見てわずかに笑った。

 それは、以前と同じ微笑み…

 

 ……けれども、別れの笑みでもあった。

 

 光が砕けるようにその姿は砂にほどけ、風にさらわれて、そして消えた。

 

「ーーー待っ」

 

 視界は正常なものに戻り、いつの間にか木に寄りかかっていたホシノの姿も消えていた。

 地面から立ち上る熱気が肌をじりじりと焼き、息をするたびに熱風が喉を刺すように感じられる。

 

 残されたのは小さな墓標…粗削りの石を立てただけの簡素なものだけ。

 日差しを浴び、その表面は白く乾いていた。

 

 何の名前も刻まれていない…けれど、シロコは知っていた。

 

 ここが、■■■がーーーを葬った場所だと言うことを。

 

「…………」

 

 シロコは膝を折り曲げて、そっと墓標に触れる。

 最初はひんやりとした感触は、すぐあとにはじんわりと手のひらを焼くような熱に変わった。

 

 乾いた風が吹き抜け、砂の香りと焦げた草の匂いが混じり合う。

 

 涙が頬を伝うと錯覚し、その瞬間砂粒がひとつひとつ舞い上がり、涙のように儚く消えてゆく。

 

 それもすぐに吸い込まれて跡形もなくなり、溢れかけていたものもすぐに乾いて引いた。

 

 ――もう、何も残っていない。

 

 その事実と虚しさは、砂漠の乾いた空気にすぐ溶けめ、どこからかかすれた声が耳に届いた。

 

 ……それが自分のものだと気づくまで、少し時間がかかったようだった。

 

「………」

 

 近くの木の下に咲いていた、一つの大輪を咲かせた白い花には目を向けず…

 

 舞い上がった砂の揺らぎが、砂漠の熱気に揺らめきながら、シロコは自分の影と消えたはずのホシノの影を交差させる。

 

 そして、揺れる影の中で別の影がひとつまたひとつと重なり合い、やがてそれは不確かな輪郭となって、誰のものともつかない影絵になった。

 

 残せるものも、遺骸もない。

 ただ、消えてしまうけど形だけでも――そう思っても何もない。

 

 聞こえる音は小さく、それでも昼の砂漠で確かに息づいている。

 風が吹くたびに炎は揺れ、その度に黒い人形が踊った。

 

 シロコは何も言わず、ただそれを見ていた。

 

 風が吹くたびに影は揺れ、その向こうでシロコの無音と取れる息や遠くの砂が舞う音がかすかに重なるのを繰り返す。

 

 まるで、この世界が生きているかのように。

 

 やがて砂に混じり、そして……ふわりと溶けるように消えた。

 

 こだます声は、もうどこにもない。

 

 ただ静かに、灰のようになって消えていった時間をシロコはしばらく眺め続けていた。

 

「『……そろそろ帰ろっか、シロコちゃん?』」

 

「……!!」

 

 不意に背後から何度も聞いた覚えのある声が聞こえ、振り返るとそこにはホシノが立っていた。

 項垂れていたシロコを覗く瞳は穏やかで、やはり長く伸びた髪を一本に束ね、背中まで垂らしている。

 

「ホシノ……先輩…?」

 

「いやぁ〜…まさか、シロコちゃんがここに来るなんてねぇ〜?おじさん、シロコちゃんが私のことをじっと見てたのに気づいて、凄いびっくりさせられたよ〜。」

 

 シロコは息を呑んで、じっとその表情を見つめている。

 すぐ目の前で、消えたはずの『先輩』。

 その世界で生きていた本物なのか、また暑さが作り出した幻なのか――答えは明確なはずなのに、分からずにいた。

 

 ーーいや、もしかすると…

 

「『この日』だけだから……帰ってこれるのは…もしかして、シロコちゃんも同じだった?」

 

「……ん。」

 

 シロコに近づいたホシノは緩やかな雰囲気を引っ込め、墓標に静かな目線を送りながらそう呟く。

 それに呼応するようにシロコもぼんやりとしながら口を開いた。

 

 視線の先には、いつの間にか置かれていた3つの花束。

 すぐに枯れるかもしれないのに、それらは色とりどりの色をこの延々と続いていた砂漠の中に色づかせていた。

 

「私が、さ……シロコちゃんとね〜…」

 

「今日だったら、会える気がしたから…」

 

 シロコが夏が連れ出してきたであろう景色を、ホシノに話していた時だった。

 ふとホシノの遥か遠くから、近づいてくる1つの影があるのをシロコは捉えた。

 シロコだけでなく、ホシノもそれには気付いていたようだったが、その目は『すぐにこの場所から離れたい』という思いが互いに滲んでいた。

 

「……そろそろ行こっか、シロコちゃん。」

 

「ん……そうだね。」

 

 歩き出した2つの影が、過去を飲み込む砂の上に並んで伸びている。

 

 そこに映るのは、縛って纏められた長い一本の髪の影。

 その輪郭は揺らいで不確かで、まるで誰かの記憶の断片を辿っているようだった。

 

 それが、誰のものなのかはーー夏を遮るような厚い雲に覆われたため誰にもには分からない。

 

 誰のものか、知る者は誰もいない。

 

 それでも確かに、そこにあったかのように影は長く、蝉の鳴き声の中で夏の記憶を引きずるように、静かに揺れた。

 


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