月城柳エーテル浸蝕連載「Recording you」   作:あまき.

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【4】録音:浅羽悠真

 

 真夏の深夜0時過ぎ。悠真はニムルドホロウの土を踏みしめた。湿った空気が肌にじっとりと吸い付く。周囲はうっすらと霧がかかっていた。

 ふぁあ、とあくびをすると喉の奥まで湿っぽい空気が入ってくる。エーテルを含んだ空気だと思えば口の中が妙に粘っこくなる。緊急招集のコールサインに叩き起こされたせいで下瞼が重怠く、慌てて着たワイシャツが胸当てに押さえつけられて着心地が悪い。整えるまではいかなくとも、せめて収まりよくならないかと肩を交互に回してみたがどうにもならない。早々に諦めて、悠真はインカムを軽く指で押さえた。

「副課長どの〜。こんな視界じゃ、斥候として役に立ちませんよ」

 もう帰っちゃってもいいですか、いいですよね、と畳み掛ける。耳元から返事の代わりに嘆息が聞こえた。長刀を手にした彼女が、自分と同じくインカムを指で抑えて柳眉を逆立てている様子がありありと目に浮かぶ。

『悠長なことを言っている場合ではありませんよ。課長はすでに貴方よりずっと前にいます』

「え、もしかして僕このまま追いかけるんですか?」

『当然です』

「マジかぁ……はーあ、了解しました〜」

 とりつく島もない柳の言葉に悠真は肩を落とした。

『これ以上霧が濃くなっても速やかに撤退できるよう、私たちはキャロットで退路を確認しながら追いかけます。もし課長が先に目標と会敵するようなら、可能な限りの援護と情報共有をお願いします』

「はいはい。分かってます。あーあ、早く帰って寝たいなぁ」

 柳の指示にゆるりと応えてから、悠真は駆け出した。都合よく今は周囲にエーテリアスの気配がない。とはいえ警戒を怠ることはない。時折り物陰に身を潜めながら進む。

 ホロウに血縁関係があるとするなら、ニムルドはプルセナスにとって子であり、メリノエにとっては兄妹だ。内部の性質は親から受け継がれている。加えて、他の共生ホロウと比べてもニムルドはメリノエの性質に酷似していた。かつて人々の活気と共に彩られていたであろう市街の建物は褪色し、灰白色へと変容している。人の気配という血肉が朽ち果て、骨のみが残された異界は、黒いベールを透過し降り立つ月光に反射している。その眩しさは無機物が発光していると錯覚するほど。おかげで、夜間といえど他のホロウに比べて明るい。霧さえなければ今宵の見通しは悪くなかっただろう。

『悠真。少し早くこちらに来れるか』

 壁を背にして前方確認を行ったとき、雅の声がインカムから聞こえてきた。

『課長、敵を捕捉したのですか?』

 応えたのは柳だった。まだ悠真が中継せずとも柳たちと雅との距離はそう離れていないらしい。

『いや、何もない』

「なにも?」雅の応答に今度は悠真が応える。自然と眉間に皺が寄った。

『ああ。ただ、厭な予感がする』

「え〜。それ残業になっちゃうヤツじゃないですかっ」

 力強く地面を蹴って再び駆ける。腰に下げた双刀の鞘が同士がぶつかり、重たい音を立てた。軋んでいるように聞こえた。雅までは一本道をただ真っ直ぐ突き進めば辿り着く。

 課長の直感は当たるからなぁ。

 それは、雅が人よりも鋭敏な五感を持つシリオンだからという理由だけではない。数多の戦場を駆け、己が刃と共に研ぎ澄まされた直感は、きっとここにいる誰より真理に近い。信用にたる虚狩りの発言を聞いた耳は風を受けてじんと痛んだ。腰に巻いた濡れた葉のような色の羽織がはためく。珍しいことに肺も心臓も今日は好調で、いつもより速く走れた。

 まったく、斥候って、ほんっと大変。

 先鋒に続き、後陣のために索敵をする役割が、正しく斥候と呼んでよいのかは疑問だ。しかし何事も正確さだけを追い求め、定めることが至上であり、正義だとは限らない。むしろ対ホロウ行動部第六課に於いて虚狩りという規格外の戦士を支えるなら、枠に嵌まることへ固執するのは野暮といえる。唯一無二の存在と共に戦うのであれば、己が立ち位置がなんであれ、同等に唯一無二であるほうがいい。

 星見雅本人によって選ばれたのであるなら、尚更に。

 これは悠真の中でも、少なくない自負として存在していた。誰に披露するわけでも、ましてや奢ることもない。ただひっそりと静かに燃ゆる青い炎のように。

 そして、類を見ない天才の後ろを陣取り、さらに後方にいる秀才へと情報を繋いでいると、否が応でも分かることがある。

 僕って、結構ちゃんと“人間”だよなぁ。

 雅はさておき、全体を見通しながらチームの手綱を握っている柳に関しては、その類稀なる才能に気づいてすらいない

 常に六課を思い、人一倍責任感が強く、人一倍献身的。努力を惜しまず、無駄を嫌う。ただ記憶力がずば抜けているだけではない。それを最大限使える能力もある。それがどんなに稀有なことか。自己犠牲に関して、悠真も人になにかを言えるような立場ではないが、それでも限度があるだろうと彼女の姿を見るたびに思うのだ。

 その上、月城柳という人は、悠真の劣等感を煽る言葉を無自覚に発する。彼女が自己卑下の言葉を耳にするたび、項あたりが冷たくなり、鳩尾でじりっと小さな火花が散った。

 

 はじめてそれを耳にしたのは、出会ってすぐのミーティング。耳にした声色で、これは嫌味ではないとすぐに分かった。

「たしかに私は防衛軍にいました。しかし大きな戦果を上げてきたわけではありませんよ」

 いつだったか、仮病を使ったあとにも聞いた。

「私は、貴方のような人を失いたくないのです」

 残業が深夜にまで及んだときにも。

「本当は事務作業なんて私がすべて処理できればと思っているんです」

 ホロウの中でプロキシと話している内容さえ。

「凡才の私と違って、他の六課の皆さんは素晴らしい才能がありますから」

 最近は、仮想空間でも。あれはどういう流れだったか。

「私は事務方ですので。それに比べて、貴方はボンプになっても大活躍ですね」

 いつの記憶だったかも覚えていないものさえある。

「私なんか取るに足りません。浅羽隊員、貴方のほうがよっぽど」

 

 うるさいな。全部、幻聴のくせに。

 

 苛烈な火花が胸元を焼く。感情任せに地面を蹴れば速度がぐんと上がった。

 忘れていた。メリノエによく似た性質ということは、幻聴や幻覚に苛まれるということ。そして、エーテル濃度が高まるほどにこの傾向は強くなる。雅に近づくにつれ、辺りに漂う霧はだんだんと濃くなり、測定器の上昇もそれに比例する。今や長期滞在を避けるべき値にまで達していた。空気を吸うたびに重苦しいエーテルの霧が肺に纏わりついてくる。

 わざわざ厄介な記憶を呼び起こさなくてもいいのに。選んだみたいにさ。

 それでも、生きて帰るためにこの毒霧を吸わねばならない。悠真は暗闇を駆けながら短い呼吸を繰り返した。

 雅が持つ天賦の才は規格外として、悠真も幼い頃から天才という言葉を人から与えられてきた。しかしそれは高いエーテル適正という天からの授かり物を示しているだけであり、代償として肺と心臓には重たい枷が嵌められている。それ以外は、人よりちょっと容量が良いだけの人間、というのが自己評価だ。これは決して悪い意味ではない。弓の取り扱いも、状況分析から判断に至るまで知識も、今の技術に到達するまでには相応の努力を積み重ねてきたという矜持だ。

 それでも、薄桜の長髪しならせて、鋭く薙を振るう彼女には到底及ばない。

 僕にこんな影響を及ぼしているなんて、あなたは知る由もない。第一、自覚がないんだ。本当にタチが悪い。前に悔しいなんて言ったけど、本当に分かっているのかどうか……異次元の天才よりも、すぐ傍にいる秀才のほうがよっぽど脅威だって、僕は思ってるのに。

 ちっと舌打ちをする。

 普段は思考の外に追いやっている感情を引き摺り出され玩具にされることほど不快なものはない。エーテルが生命に与えた恩恵は大きいが、代償性があまりに高い。侵蝕は、体だけが影響を受けるわけではないのだから。

「課長、聞こえますか? もう結構近くに来てると思うんですけど」

 もしかして上ですか。見上げてみる。しかし、濃い霧のせいで周囲の建物がどうなっているかを詳しく確認することはできなかった。

 事前に確認したキャロットによれば、すぐ傍に大きく開けた場所がある。おそらく雅はそこだろう検討をつけた悠真は、その手前まで行くと建物の影に隠れた。耳を(そばだ)てるが、エーテリアスの足音はおろか、気配すらない。

 妙だ。静かすぎる。

『これは……』

「雅課長? どうしましたか?」

 雅の声と共にザァーという耳障りな音が聞こえ、悠真は指でインカムを強く抑えた。

『き……? 敵を──る』

「こちら通信音声不良。課長、会敵ですか?」断片的な情報を掬い上げて悠真は声を張った。

『エ、──アスが……なく……い』

「雅課長⁉︎ 月城さん! 聞こえますか!」

『こちら聞こえています! 浅羽隊員、まずは状況の説明を』

 柳の声は緊張を孕み上擦っていた。

「通信が断絶しました。応答なし」

『わ……り──た。こ……は、──ので』

「副課長⁉︎ まずいな」

 嫌な予感がする。このまま進むか、それとも戻るべきか。じりっと爪先が動く。

 この霧の濃さでは雅のほうに向かったところで邪魔になる可能性ほうが高い。

 副課長たちの所に行こう。

 壁を背で押して勢いよく飛び出す。一歩踏み込んだとき、靴のゴム底がザッとひどく削れる音がした。

『ハルマサッ! 聞こえる⁉︎』

 まもなくして、風を切る音の隙間に甲高い声が飛び込んできた。

「聞こえるよ! 蒼角ちゃん、状況は⁉︎」

『大変なの‼︎ ナギねぇとハグれちゃった!』

 蒼角は声を震わせながら叫んでいた。

「今戻ってるから、その場に待機! 課長は」

『悠真、聞こえるかっ』インカムがやっと雅の声を拾った。

「こちら浅羽! 聞こえています」

『私は、まだエーテリアスと対峙している。が、問題ない』

 至って冷静な虚狩りの声と共に、がきん、と金属がぶつかるような音とエーテリアスの叫び遮ってきた。しかし、彼女が問題ないと言うならそうなのだろうと受け入れる。

「課長、僕は副課長のところに向かってます」

『ああ、それでいい。柳はお前に任せる。あとで落ち合うぞ』

「分かりました」悠真が返事をすると、ぷつりと通信が切れた。きっと通信範囲外に彼女が移動したのだ。

 課長、やっぱり戦ってたか。敵の数、種類、それら一切の情報を彼女は伝えなかったが、それより優先すべきことがあるのは悠真も分かっていた。

 月城さんっ……。

 六課の誰よりも慎重だと自負する彼女の身に、一体なにが起こったのか。この目で確かめなければ。悠真は上半身を前にして重心を落とすと、全力でホロウを駆けた。弓を使うのは悪手。もし会敵しても、すぐさま刃を抜き切り掛かるつもりでいた。

 

「蒼角ちゃん!」

 後陣へと辿り着くと、蒼角は鋼鉄の刃旗を構えて戦闘体制のままその場に立っていた。背中合わせになるようにして、ガリバー隊員が銃を構えている。二人は悠真の姿を確認すると、武器を下ろして駆け寄ってきた。

「ハルマサ、ごめん。ナギねぇが」

「大丈夫。今から探そう。それより敵が?」

 悠真は肩で息をしながら矢筒に手を伸ばした。体中から汗が吹き出し、雫が頬を伝う。目を凝らして辺りを見渡したが、霧の中にそれらしい影は見当たらなかった。

「さっきまで沢山いて、それでナギねぇと戦ってたんだけど、全員倒したころには」

「副課長がいなくなったってわけか」

 うん。と蒼角が大きく頷く。

「どっちに向かったとかは」

「全然分かんないんだぁ」

「そっか。分かった、敵を片付けてくれてありがとう」

 ガリバー隊員の前にしゃがみこむと悠真が何をしたいかを言うより早く、彼はキャロットを差し出してきた。インカムの通信をオフラインに切り替えてそれを接続する。悠真がこれまで通ってきたルートをデータとして読み込ませマップデータを再演算させれば、仲間の現在地がより高い精度で表示でき、尚且つ対象との通信強度も上げることができる。もちろん、デメリットはある。単独回線となってしまうため、蒼角や雅との連絡は一時的に途絶えてしまうのだ。しかし、柳の捜索に注力するならこの方法が最適解だった。

 ボンプのアイモニターに表示された柳の現在地は、南に二十メートルほど行ったところだった。現在地からでも通信圏内だ分かり彼女の機器に呼び出しをかけたが応答はない。

「ダメか……」

「ハルマサ、ダメってどういうコト⁉︎」血相を変えた蒼角が詰め寄ってきた。

「ごめん。そういう意味じゃないよ。安心して、信号はあるし、それほど離れてないから」

 更新したキャロットデータを再度ガリバー隊員へ戻すと、悠真は蒼角と視線を合わせた。刃旗の柄を地面に突き立てて不安そうにこちらを見ていた彼女の顔が、ぱっと明るくなる。「本当⁉︎ それじゃあ、」

「うん、迎えに」

『……さ、──ん』

「っ! こちら浅羽! 副課長、聞こえますか⁉︎」

 耳につけ直したインカムを勢いよく抑える。

「こ、ちら、月城。来ては、いけません。これ、以上は」柳は息を切らしていた。

「何を言ってるんですか! 行きますよ!」

『ダメで、す』

「案内!」ガリバー隊員に向かって叫ぶ。彼は「ンナ!」と険しい顔で頷き、柳のいるであろうポイントに向かって先導を始めた。耳元の機器を抑えながら追いかける。全身が汗ばんでいるせいで小さな通信機は滑り落ちそうだった。自然と手の力が強くなる。

 

 キャロットデータのポイントに辿り着くと、柳が地面に倒れ込んでいた。彼女の左大腿部はざっくりと切り裂かれ、大量の血が辺りを赤黒く染め上げている。

「ナギねぇ‼︎」蒼角が叫びながら駆け寄り、彼女の体を起こす。「ナギねぇ! 返事して!」

 必死に呼びかけるが返事はない。荒い呼吸を繰り返すばかりだった。

 いや生きてる! 侵蝕もそこまでない。それなら、まだ希望はある‼︎

 悠真は自分に言い聞かせると双刀を抜いた。柄を併せて弓へと組み替える。矢筒に手を伸ばし一本引き抜いて構える。

 視界は悪い。けれど、霧の向こうにうっすらと影が見えた。

「待てっ!」

 声と同時に矢を放つ。霧の中、紫電を纏う矢が風を切る。

 しかし、的中した感触はなく、それらしき影は掻き消えてしまった。

「くそっ!」

「ぁ、ば、たい……」

「っ⁉︎ 月城さん!」

 柳の傍に膝をつく。蒼角と交代して立たせようとすると、彼女が悠真のシャツを掴んで首を振った。

「なに」訊ねた悠真の唇は僅かに震えていた。

「……ぃ、が、ります」

「文句ならあとで聞きます。今は早く出ますよ!」

 ほら立って、と彼女を支えようとするも、びくともしない。下半身はだらりと投げ出されたままで、立つという意思を感じられなかった。

 そして、大腿部の傷口が赤紫の煌々を放ち、彼女の皮膚を裂き始めていた。

「ばかな、早すぎる! これじゃあ」

 傷口だけではない。左目、右の唇、首筋。まるで紙を容易く破くように、エーテル侵蝕のヒビが皮膚の至るところに浮かび上がっていた。

 なんだこの速さ。これじゃあ、まるで僕の──。

 エーテル適正減退症候群という忌まわしき呪いに柳はかかっていない。それなのに、傷一つだけでここまでなる理由は皆目見当がつかなかった。

「記録繧�とって縺上□さい。な繧薙〒もいい縺ョ縺ァ」

 柳の赤紫の瞳がぼろりと溢れ、コアが顔を出す。

「おかしいって、こんなの」

「諢帙@縺ヲ縺?∪縺励◆」

「僕は」

「縺。繧?s縺ィ谿コ縺励※縺上□縺輔>縺ュ」

 

 

「殺したくないんだよ‼︎‼︎」 

 

 

 は、と目を見開く。見慣れた自室の天井と焦点が合った。拍動がやたらと早鐘を打っている。悠真は深呼吸をしてから体を起こした。ベッドシーツもシャツもぐっしょりと濡れて気持ちが悪い。汗ばんた前髪を掴むとガシガシと掻いた。

 碌でもない夢を見ていた。悪魔が作り出した喜劇にしては駄作。天使が考えた悲劇にしては救いがない。当然だ、人間が作り出したものだ。

 どうやら僕は、現実と虚構をない混ぜにしてでも最悪の想定をしておきたいらしいね。

 エーテリアス化を伴って再生される悪夢は、いつも想像の範囲を出ずワンパターンだが、悠真を苛むには十分だった。

「そうか……」

 独り言が口の端から零れた。妙にリアルさを帯びた夢は、悠真に色々なことを思い出させていた。

 ふと、枕元の携帯端末が震え、画面が煌々と明るくなる。ノックノックの通知が表示され、“星見雅”の文字が見えた。

 

 

* * *

 

 

 

「あ、」

 雅の呼び出しに従いスコット前哨戦基地に到着すると、テント内にはすでに先客がいた。すらっとした体躯にかっちりとした治安官の出で立ちで、

「先日以来ですね。おはようございます」朱鳶は振り返ると凛々しい声で悠真に挨拶をしてきた。

「あれ、そうでしたっけ?」

 悠真が白々しい反応をすると、彼女の眉が僅かに動く。真面目な人だ。そんな感想を抱いた。月城さんも最初はそうだった。でもあの人はもっと露骨だったなぁ、この人のほうがマシか。柳のすらりとした背と、しなやかな髪、出会った頃の訝しげな表情が思い浮かぶ。しかしすぐに先ほどの悪夢が重なり自然と顔が険しくなった。

「まさかお前たちにも個人的な親交があったとはな」朱鳶と一緒に振り返った雅が言った。

「ちょっと雅。たまたま会っただけとさっき言ったでしょ?」

 そうですよね、と言わんばかりに朱鳶が横目でこちらを見る。「そんなとこです」と悠真は適当に合わせた。彼女が何をそんなに焦っているのかは見当がつかなかった。

「世間話は終わったか?」

 三人の会話を聞いていたらしく、机の向こうからレイ博士が口を挟んだ。相変わらず学者らしくない格好だな、と悠真は彼女の腰に縛り付けられたホワイトスター学会の白衣を眺めた。

「私は研究で忙しいんだ。この手の話はさっさと終わらせたい」

「すまない。しかしこれで役者はそろった」

「まったく、待ちくたびれたよ。それで」レイの視線が朱鳶に移った。「治安官さんのほうはもう十分対応したと思うが」

 博士の背中に取り付けられた機械アームが器用にもメガネを整える。

「はい、ご協力ありがとうございました」朱鳶は敬礼をした。「それじゃあ、私はこれで。雅と、それから、浅羽隊員も」

 何か言いたげな顔をされたが、悠真が「お疲れさまです」と応えると彼女は一瞥だけしてその場を後にした。

 浅羽隊員ねぇ。

 耳馴染みのない声で呼ばれた名前は妙に浮いて聞こえた。久しぶりに聞いた呼び名のように思えたが、実際はそうでもない。柳が運ばれてからまだ二週間も経過していないのだ。しかし今まで過ごしてきた日常はずいぶんと遠い出来事のように感じられた。

「それじゃあ、話を始めるぞ」

 朱鳶がテントを出て行ったと同時にレイが口を開いた。

「月城柳の体内にあるエーテル粒子の性質だが」

「あの〜」悠真は緩慢に手を上げて話を遮った。「ちょっといいですかね」

「なんだ」

「最初から話してくれます? 今来たばかりなんで、何のことだか」

 肩を竦めるとレイは面倒臭そうにため息をついた。

「虚狩りにでも聞いてくれ、と言いたいところだが、まぁいい。話の肝で遮られるよりマシだからな。月城柳の検体だが、私が引き受けて色々と検査をしていた。珍しい侵蝕だ。今日お前たちを呼んだのは、その結果と、彼女の状態を早期に改善させる方法を伝えてくれと上からのお達しがあったからだ」

「へぇ、上から?」相変わらず偉そうだな、と悠真は思った。「病院ではなく?」

「医療機関から要請を受けたとは聞いていないな」レイはキッパリと応えた。

「ふぅん」

「なんだ、さっきから」

「いーえ、なんでも」

「なんでもないなら話の腰を折るような態度はやめてくれ」

「分かりました。気になることがなければ、ですけど」

 彼女のロボットアームが再びメガネを上げ、その向こうから鋭い眼光が飛んできた。それ、感情と連動するんだ。と思いつつ悠真は視線を躱した。

「……今回、月城柳が侵蝕を受けたエーテル粒子だが、極性があり、非常に不安定な性質だと分かった。こういった事例は極めて稀だ。非常に面白い」

「極性?」

 人の不幸を面白がるなと研究者を嗜めても仕方がないと分かった上で、悠真は眉を顰めた。案の定、レイはこちらの批判的な眼差しなど意に介さず「ああ」と応えて頷いた。

「磁石のような性質を粒子一つ一つに宿しているということだ。これも訊かれそうだから先に言っておくと、今回の場合、不安定というのは人の体内に元来存在しているエーテル粒子と親和性が低く、未だに馴染んでいないという意味だ。この物質の活性状態には日内変動があるというのもこれに含んでいる」

「それ、不完全なエーテル物質って感じですか」

 悠真が訊ねると彼女は鼻を鳴らした。

「私からしてみれば不完全というより紛い物だ。まったく、これを作った連中の研究資料をまるごと掻っ攫って来る最も手っ取り早いんだが、手段がないのが残念だ」

「待ってください。その言い方、誰かが作った感じじゃないですか」

「感じ、ではない。そういう意味で言っている。そうでなければ、こんな半端で、不恰好な代物が生まれるなんて考えにくい。それに、“純正”なら彼女はとっくにエーテリアスになっていただろうな。まぁ、非常に強い耐性の持ち主のようだから、多少は時間を稼げて人のままホロウから出られたかもしれないが、意識が戻っていたかどうかは怪しい」

 淡々と語るレイを前に悠真は口元を手で覆った。眼裏に夜半の夢が浮かび上がる。白肌を鋭い刃で引き裂かれ、そこから広がるエーテル裂傷。灰白色の地面に転がった赤紫色の眼球。その代わりに浮かんだ黒いコア。バケモノに成り果てた叫び。

 通常、人はホロウ内で受けた外傷が深刻であればあるほど侵蝕速度は速くなる。内臓がエーテルと直接暴露するからだ。

 あの夜、柳の大腿部は大きな傷ではなかったものの、鋭利な刃物を突き立てたようにぱっくりと切り裂かれていた。

 ぅ、と声に出さず小さく唸って瞼をゆっくり閉じた。博士も、雅も、悠真の態度に過剰反応することはない。ただ数秒ほど重たい沈黙がテント内に漂った。

「それで、柳の状態が改善する方法とはなんだ」

 悠真が瞼を持ち上げると、それまで黙って話を聞いていた雅が口を開いた。

この性質(極性)を利用した薬を作る。既存の緩和剤ではなく除去剤、あるいは吸着剤と言うほうが正しいだろうな。それには、より強力な極性を持つエーテルサンプルが必要になるんだが。あとは、そちらの仕事だと私は考えている」

「分かった。我々がそのサンプルとやらを採りに行けばいいのだな。ホロウの中のことなら話は早い」

「待ってくださいよ。雅課長、採りに行くのはいいですけど、その強力な奴なんてどうやって見つけるつもりですか。片っ端から斬っていいもんじゃないですよ」

 諭すと雅はむぅと唸った。レイは黙ってこちらを見据えている。

「あなたも、この件に関して何かお考えが?」悠真は訊ねた。

「侵蝕を受けた当日の報告書を見たが実に抽象的な表現ばかりで、こちらとしては対策を練るのに困ってるところだな」

「つまり、実際に現場にいた僕たちが考えろ、と」

「その通りだ」レイは頷いた。

 ふぅむ、と悠真が顎に手を当てた。その報告書を提出したのは自分だった。ニムルドホロウ内で起こった出来事と結果を簡潔に記載したわけで、決して嘘を並べたつもりはない。それを抽象的と言われたならお手上げだった。

「質問、いいですかね」

「手短に頼む」

「まぁそう言わず……エーテルって意思を持っていたりします?」

 レイは腕を組んだ。「ふん、その手の分野は私の管轄外だ。推測になるぞ」

「構いませんよ」

「ラマニアンホロウのミアズマ瘴気もそうだが、エーテルは我々の記憶に影響を及ぼす。過去の幻覚を見せるというのが分かりやすい例だな。他にも、零号ホロウなんかは不安定な裂け目の向こうから存在しない人物、あるいは過去の人物が語りかけてくるといった事例もある。以上を踏まえれば、エーテリアス、ないしはエーテルには何らかの意思があるように感じられる場合もある、としたほうが筋を通すのは楽だ。まぁ、研究者としては賛同しかねるが」

「感じられる場合、か」

「悠真、何か気になることでもあるのか」ちらりとこちらを見て雅が訊ねた。

「数日前の夜。月城さんと話したんですけど、途中から明らかに彼女ではない存在になって、なんというか、彼女と入れ替わったような感じで。なんでも『お母さんに、会わせたい』だとか。まるで子供みたいに」

「ふ、怪談話に付き合う時間は私にはないぞ。インターノットにでも投稿してその手の専門家に任せたほうが賢明じゃないか?」

 レイが嘲笑混じりに言った。

 だから意思があるかって事前に質問したってのに。悠真がじろりと睨みを利かせると、彼女はすぐに神妙な顔つきへと変えた。冗談ではないと彼女なりに理解を示したらしい。

「浅羽悠真とか言ったか。お前の話には私が信じるに値する明確な根拠がない。しかし事実であれば、利用しない手はない。餌があればホロウに入って無駄に体力を消耗しなくてすむからな。意外と簡単に必要なものを持ち帰れるかもしれないな」

「餌とはなんだ」雅が声色を低くして訊ねた。

 レイが片方だけ口の端を上げて笑った。新しいおもちゃを見つけた子供のように好奇心が宿った瞳が細められている。

「それは血だ。月城柳のな」

 

 

 

 レイとの話を終え、ニムルドホロウへの出動要請書を提出してから悠真がテントを出ると、雅が零号ホロウをじっと見据えていた。

「課長、終わりました」

 雅の隣に立つと彼女は「来たか」と言ってこちらを向いた。

「お前の気が立っているのは分かるが、学会側と啀み合っても仕方がないぞ」

「僕の気が立ってる? いやいや、課長もなかなかでしたよ?」

 軽口で返すと、雅は小さな声で「そうか」と応えた。「私も万事を冷静に過ごす修行が足りないようだ」

「それは、また今度やりましょう」悠真は肩を竦めた。「それより、ニムルドホロウですけど、今夜にでも入ったほうがいいですね」

「ああ、お前も見たのか」

「書類書くときに一応目通さないといけないんで」

 書類の記載時、悠真はニムルドホロウの観測データを見ていた。最初にエーテル活性が急上昇したのは六課が出動した数日前の深夜0時過ぎ。そこから雅がエーテリアスを討伐して一時活性は落ち着いていたが、翌日の深夜に再び活性化、そして数時間後に数値低下。それを繰り返しながら活性段階は徐々に上がっていた。

「しかも、あのホロウ、夜間には必ず霧が出てる」

「ああ、油断ならない。だが、我々の予想が的中すれば、速やかに敵を掃討できるはずだ」

「きっかけを作った僕が言うのもアレですけど、本当に上手くいくんですかねぇ」

 悠真は雅に隠すことなく雅に疑念をぶつけた。

 レイ曰く、あの不安定なエーテル粒子を生産する“親”からサンプルを採取し、より強力な極性を持つ薬剤を精製することで柳の体内で悪さをしているエーテル粒子の大半を取り除けるらしい。「磁石の理論だ」と彼女は簡潔に説明していた。

「おそらく、柳を襲ったエーテリアスが、此度の奇妙なエーテル活性現象を引き起こしている原因だと私は踏んでいる」

「僕も同意見です。一石二鳥だと思ってますよ。ただ、なーんか嫌な予感がするんですよねぇ」

 雅ほど勘が鋭いわけではない。けれど、小さいことだとしても、こういうものが馬鹿にできないことは経験上、よく理解していた。

「課長、今のうちに情報を整理しておきましょう。僕に伝えた状況以外で、ニムルドホロウにいて気になることとかありませんでしたか?」

 悠真が訊ねると、雅は少し目を見開いたあと、ふ、と笑った。「今の質問、まるで柳に訊かれているようだった」

「ちょ、やめてくださいよ。今そういう冗談いいんで!」

 慌てて否定する。柳がいないなら、代わりは自分だと認めていたが、話し方まで真似るつもりはなかった。

 悠真の反応が面白かったのか、雅は愉快そうに目を細めてから「そうだな」と考え始めた。「一つ違和感があった。些末なことだと思い言わなかったが」

「言ってください」

「ああ。霧のせいかもしれないが、あのとき、どのエーテリアスも挙動が遅く、やけに装甲が脆かった」

 

「それは、僕も同意見ですね」

 悠真が賛同すると、雅は「そうか」と応えた。

 雅を追いかける道中、自分が一切会敵しなかった。今でも何故、という疑問が拭えない。報告書に根拠まで記されていなかったがゆえにレイから苦言を呈されたのであろうが、分からないのだから仕方がない。

「悠真、お前は『エーテルに意思はあるのか』と訊いていたな。通常、私たちのような仕事は“ない”としたほうがいい。同情は迷いに繋がる」

「やだなぁ、課長。それくらい分かってますよ」悠真は少しだけ口を尖らせた。

「私は苦言を呈しているわけではない。むしろ、私は意思が“ある”と思っている。正確には、僅かに残っていて、本来持っていた魂を求めてホロウの中を彷徨っている、とな。これは、エーテル侵蝕が魂と呼べるものに悪意を示して侵蝕を受けたとき、そこに宿っていたはずの意思は何処へ行くのかを考える修行をしていたときに導き出した答えだ」

 だからこそ、と雅が一呼吸おいた。こちらを向いていた紅い瞳に暁光が差す。

「お前言ったことを、私は信じる。あそこには、柳の中に居候している“子”の“母”がいるのだろう。しかし、同情はしない。除悪務本。我らは此度の敵を悪と定めた。ゆえに──斬る」

 普段は多くを口にしない雅が饒舌に言葉を紡ぐ。その決意に応えるように前哨戦基地に風が吹き込んできた。彼女の後ろで軍用ヘリが着陸を果たす。激しい風切り音が耳を劈いても、風が長い黒髪を巻き上げても、光を宿す瞳は揺るがずこちらを見据えている。

 悠真は息を吸った。舞い上がる砂埃と、エーテル燃料の香りが鼻の奥でつんとした。

「……そう、ですね」

 一言だけ応えた。それ以上の言葉は不要だと思った。雅は顔つき一つ変えずにゆっくりと瞬きをした。。

「ところで、前回の外勤から侵蝕検査は受けたか?」

「あー……それは、その」

 通常、ホロウ内での長時間任務を終えたあとは侵蝕症状の発現有無を検査することがH.A.N.Dでは推奨されている。いつもなら柳がチームに声を掛け、さらには時間を設け医療課へと全員を向かわせるが、当然ながら今はそれがない。悠真は病院を訪れる度に行かなくては思っていたが忙しさにかまけてつい後回しにしていた。

「受けてない、ですね」

「影響は?」

 どうだろう。考えてみる。強いていえば魘されたくらいだが、今に始まったことではない。他には、と記憶を辿り「あ」と声を上げた。

「影響かどうかは微妙ですけど、一つ思い出したことはありますよ」

「なんだ」

「僕、記録を頼まれてたんですよ。月城さんに」

 夢の中ではエーテリアスへと成り果ててしまった柳だったが、実際は、意識を失う間際に「記録をとってください」と口にしていた。何故今まで忘れていたのか。その疑問は軽度かつ一過性の侵食症状だとすれば納得がいった。

「蒼角から聞いている。なにやら音声を残している、とな」

「蒼角ちゃんがそんなことを」

 きっと彼女なりに報告を意識して雅と会えば色々と喋っているだろう。しかし録音のことも話しているとは想定していなかった。

「でもまぁ、音声にしたのは書類を書くより楽だからですけどね。あとこれ別に僕じゃなくてもいいと思うんで、課長もやってみます?」

「いや、遠慮しておく。これからまたホロウに入らねばならないからな」

「課長も大変ですねぇ。お疲れさまです」

 悠真が労うと「そうでもない」と雅は首を横に振った。

「なにがあろうと私がやるべきことは変わらない。それよりも、慣れない仕事をこなしているお前のほうがよくやっている」

「やだなぁ。褒めても何も出ませんよ。ま、僕って実は真面目なんで」

「もとよりお前は真面目な奴だ」雅は顔色一つ変えず悠真を見て言った。

「いやいや」

 悠真は頬を指で掻いた。いつだったか、柳も「貴方の弓がなければ」と言っていた。どうして同僚たちはこういった称賛の言葉を恥ずかしげもなく口にできるのか不思議だった。気恥ずかしいとは思わないのか。

 悠真が視線を逸らすと、雅は首を傾げこちらを伺うような仕草をした。

「遅くともかまわない、検査は受けておけ。朱鳶が心配していた。今のお前は疲れが顔に出ている」

「シュエン班長が?」

 朱鳶の顔を思い出す。悠真のことを雅に話していたから妙に焦っていたのかと合点がいく。内容の良し悪しに関わらず、自分が世間話のネタにされていると知るのは良い気分ではない。それは、お人好しであり、治安官らしいともいえた。

「先日、花屋で会ったそうだな」

「本当に偶然ですけどねぇ。で、どうして治安官がこんなところに? 何か事件でも?」

 そんなわけないと思いながら訊ねる。想定通り雅は「いや」と応えた。「ニネヴェが盗まれた件で再聴取をしに来ていた。あの花は、元よりホロウで咲いているものだ。そこから犯人の足取りを追っているんだろう」

「そういうことですか」

 ニネヴェ然り、ミアズマ然り、エーテル侵蝕物は時として植物の形状を成し、ホロウの至る所に蔓延っている。枯渇病に苛まれた者の所持品には花が咲いているなどという噂もあるほどだ。

「雅課長も、僕が調子悪そうに見えます? たしかに疲れてますけど」

「ああ」雅は短く応えた。

「そんなに露骨かぁ。全部終わったら一週間は休暇もらわないと」

 空を仰ぐ。日が昇り、雲一つない夏の青が視界いっぱいに広がる。もう少し感情を隠すのが上手いつもりだったのに。

 誰のせいか、なんて……。

 考えるまでもない。しかし、親交がそこまで深くない人にまで察知されるのは不本意なので、気をつけなければ。はぁ、とため息をついて悠真は再び雅へと視線を戻した。

「悠真、朝顔が好きなら買ってくるぞ」

「なんですかその話。それもシュエン班長が?」

 雅がこくりと首肯する。「少しは癒しになろうだろうとな」

「特別好きな花っていうなら、他にありますから別に……ただ、あの花を最近よく見かけるし、なーんか引っ掛かるっていうか」

 早朝のパン屋、夕暮れのガーデニングショップ。日が昇るのに合わせてゆっくりと合弁花を開くあの花は、柳の双眸と色がよく似ていた。こちらを捉えたら離さない美しく輝くそれと。

「そうか。朝顔は、昔我が家でもよく育てていた。あれには、ほとんど香りがない。私の鼻でも判別が難しいほどにな」

「へぇ、たしかに香りはぴんときませんね」

「すまない。要らぬ話だったな」

「別に、そうは言ってませんよ」

「そうか? もう少し話したいと言うなら、語れることはある。あの花は少し柳に」

「あ、そうだ! 課長に一つ頼みたいことがあったんだった。いやぁ、思い出せてよかった」

 悠真は雅の話を遮り、がしがしと頭を掻いた。「課長からあの治安官さんに伝えてもらえますか?」

「今回のことと関わりのあることか?」

「はい。それに、向こうの捜査にも役立つかと」

「聞こう」

 雅に要件を伝えると、彼女は少し驚いた顔をしたあと「分かった」と言った。公用車に乗り込む彼女を見送ったあと、悠真も基地から離れ、本部へと向かった。

 

 数時間後、ニムルドホロウでの作戦許可が本部から対ホロウ行動部第六課へと通達された。

 

 

 

* * *

 

 

 

 雅と蒼角がオフィスに来る前に、悠真はミーティングルームへと入った。明かりをつけることもなく適当に椅子を引っ張ってきてそこに腰掛ける。

 デスクにカセットレコーダーを置くとテープを差し込んだ。

 もう何本目かな。細かい傷の入ったそれを親指で撫でた。

 まずは一通り、これまでの経緯を簡潔に録音する。結局、事務的な報告を兼ねた録音も何本か録っていた。ついでに個人的な記録も残す。そうしていると、本数は次第に嵩んでいった。

 録音ボタンを押す。本体の小さな赤いランプがついた。

「ちょっと大袈裟なんですけど、もし僕がホロウから帰って来なかったら、この録音って遺言っていうことになっちゃいますね」

 まぁ、ないと思うけど。と内心で呟く。当然、生きて帰るつもりだ。しかし、死と隣り合わせの仕事であるぶん、保険はあったほういいと悠真は考えていた。

「あなたに頼まれたせいか、この僕にしては珍しく律儀に録音してきたもんで、こういう個人的なやつは、もうネタ切れっていうか……いや、ここ最近は、本当に色々あって考えることも多かったんですけど」

 真夜中、不敵に笑う“偽物”の顔が思い浮かぶ。

 

 では、貴方は──私にとって、どのような人だったのでしょうか?

 

 言ってしまうべきか、やめてしまうべきか。悠真は録音停止ボタンに指を添えた。押せば、終わるが、

 いや、帰ってきたら捨てればいいか。

「僕は、本当にどうしようもない男で」

 唾を飲んだ。静謐な室内に自分の呼吸音と、テープの回る音だけが聞こえる。

「……月城さん、貴方は、大切な人です」

 沈黙が戻ってくる。赤いランプの明滅を数度見てから、悠真は録音停止のボタンを押した。

 

 

 続

 

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