君はニコポ・ナデポを覚えているかい?   作:あばなたらたやた

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33話2章⑤

 

 

 沈黙のクジラ、眠る王女灰色の巨躯が、夜の空に浮かぶ。全長二十万メートル。幅八千メートル。流線型の装甲は、月光を鈍く反射し、側面に刻まれた聖教皇国の紋章が、白く浮かび上がる。

 「クジラ」――それは、科学と魔術の狭間で生まれた、平和の象徴。だが今、その内部は、静かな絶望に満ちていた。再生カプセルの中で、ユフィリアは眠っていた。

 マゼンタの髪が、透明な液体に揺れる。瞳は閉じられ、唇は微かに震える。

 ――何かを、言おうとしている。だが、声は出ない。脳機能の低下は、深刻だった。あの瞬間、パーティー会場でアルガルドの言葉が降り注いだ時。

 汚染隠蔽。資金横領。五百万。反政府支援の疑い。

婚約破棄。

 すべてが、彼女の世界を砕いた。

 生真面目で、模範的で、すべてを捧げてきた少女の、心が砕け散ったのだ。

 茫然自失。

 それが、彼女の今の姿だった。

 ルーファス・ブレイブは、カプセルの傍らに立っていた。金色の髪が、照明に輝く。蒼い瞳は、穏やかだが、どこか、演技めいている。

 

(これで、善人アピールは完璧だな)

 

 内心で、小さく呟く。

 彼は聖騎士。神の使徒。広告塔。

 表向きは、完璧な英雄。だが内心、努力などしたくない。ただ、楽に栄光を手に入れたいだけ。

 ユフィリアを庇ったのも、計算であり、感情制御のできない暴走でもあった。

 神祖の指示。組織のイメージアップ。

 それだけだ。

 

(それは……本当か?)

 

 心のどこかで、微かな疼き。

 凡庸な自分を、呪うような嫌な気持ち悪さ。

 そこへ、アルファが現れた。

 エルフの少女。金色の髪。蒼い瞳。美人。補佐官として、ルーファスの影のように寄り添う。

 

「ルーファス。ユフィリア様の状態は、安定しているわ。精神負荷による機能低下ですが、再生カプセルで回復の見込みはある」

 

 声は、静かだった。彼女は忠誠に満ちている。

 彼女はルーファスに、心酔している。

 肉塊化の過去。数百年、孤独と激痛。

 神祖に救われ、ルーファスに守られ。

 彼こそが、世界のすべて。

 

「けど……世界平和復興支援使節団としては、微妙な立場になったわ」

 

 アルファの言葉に、ルーファスは肩をすくめた。

 

「そうだろうとも。犯罪者かもしれない娘を庇うなんて、正気の沙汰ではない。更には王太子様の告発を遮り、こうして奪ってきた」

 

 皮肉めいた笑み。アルファは、微かに眉を寄せる。

 

「神祖様からも、連絡がありました。『よくやった』と。でも、使節団の目的は復興。オリアナ王国の内紛に巻き込まれすぎるのは、避けたいと」

 

 ルーファスは、頷く。

 演技。

 すべて、演技。だが、アルファの瞳は、真剣だ。

 

「ローズ王女から、対談の要請です。すぐに応じますか?」

「応じる」

 

 会議室。

 クジラの内部、革張りの座席が並ぶ広間。

 重力制御と空間制御で、快適な空間だった。

 だが、空気は重い。

 ローズ。

 十七歳。第一王女。

 明るく、優しい。常識人。責任感が強い。だが、思い込みが激しい欠点がある。

 彼女は、ルーファスとアルファの前に座っていた。

 

 魔剣騎士として鍛えられた体躯。

 瞳は、強い光を宿す。

 

「ルーファス様。アルファ様。まずは、感謝を」

 

 ローズの声は、澄んでいる。

 

「パーティーでの騒動。弟のアルガルドが、ユフィを……ユフィリアを、ああまで糾弾するとは。貴族たちの噂は加速して、ユフィリアの立場は日に日に悪くなってます。まるで何かの意思が働いているように」

 

 彼女の拳が、微かに震える。

 姉として。

 王女として。

 

「ですが、あなたはユフィリアを守った。あの場面で、犯罪者かもしれない少女の尊厳を。……信じます。あなたの善性を」

 

 ルーファスは、微笑む。

 完璧な、英雄の笑み。

 

「王女殿下。お気遣い、ありがとうございます。俺はただ、弱き者を守りたかっただけです」

 

 ――嘘。

 内心、冷めた計算。だが、ローズの瞳は、輝く。

 

「ユフィリアの状態は?」

 

 アルファが、素直に答える。

 

「深刻です。精神負荷による脳機能低下。茫然自失。言葉を発しようとしても、出ません。再生カプセルで眠らせていますが、回復には時間が」

 

 ローズの表情が、曇る。

 ユフィリア。

 十五歳。公爵令嬢。

 生真面目。すべてを捧げてきた。

 婚約者、アルガルドのために。

 国ために。

 遊ぶことを知らず。

 感情すら、犠牲にして

 

「あの子は……悪くない。きっと、誤解です。アルガルドの言葉も、貴族の腐敗を正すための正義の行い……でも、手段が」

 

 ローズの声に、苦痛が混じる。

 弟への愛。

 親友への信頼。

 国への責任。

 

「私は、信じます。ルーファス様の行動を。使節団の善意を。だから、積極的に協力します。周囲の貴族たちにも、働きかけます。復興を。五十万トンの物資。インフラ八十パーセント復旧。生存者五万人の救助。すべてを、成功させましょう」

 

 誓い。

 強い、誓い。

 ルーファスは、頷く。

 

「感謝します、王女殿下。俺たちも、全力を尽くします」

 

 アルファの瞳が、ルーファスを見つめる。

 

「ルーファス様のためなら、何でも」

「ユフィリアを、守ってください。彼女は……私の、友人です」

「ええ、勿論」

 

 思い込みの強い王女。だが、その瞳は善性だった。

 会議の去り際、ローズは振り返って、頭を下げて、オリアナ王国の王族のエリアへ戻っていった。

 

 オリアナ王国。

 貴族たちの陰謀。

 アルガルドのクーデター計画。

 ジェノバの眷属である混沌蝿が、悪い噂を広がる。

 

「ユフィリアは、汚染を隠蔽した」

「資金を横領」

「反政府」

 

 すべて、誇張。だが、人々は信じる。

 混乱と絶望が広がっていく。

 

 クジラの内部でユフィリアは、眠る。

 夢の中で、何かを叫ぼうとする。

 助けて。

 信じて。

 私は、悪くない。

 国に尽くして生きてきた。

 だが、声は出ない。

 ただ、涙だけが、液体に溶ける。

 会議を終えてルーファスは、カプセル前にいた

 

「世界に裏切られた天才令嬢か……災難なことだ」

 

 独り言。だが、心の奥。

 微かな、疼き。

 善人など、仕事のための演技。

 なのになぜか、胸が痛む。

 アルファが、そっと手を握る。

 

「ルーファス。私は、ずっとそばにいるわ」

 

 忠誠。

 愛。

 依存。

 それにルーファスは、アルファを抱きしめた。

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