君はニコポ・ナデポを覚えているかい?   作:あばなたらたやた

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33話2章⑥

【世界平和復興支援使節団・作戦会議室 クジラ艦内】

 

 ルーファスは革張りの座席に深く腰掛け、金色の髪をかき上げて、目の前のホログラムディスプレイを睨んでいた。

 蒼い瞳に映るのは、王都の街角で貼られた「ユフィリア公爵令嬢は王太子を毒殺しようとしている」という落書き。

 

 クレアから上げられた報告は異常なユフィリアのネガティブな噂だった。そしてその広がりは異常だった。作為的だとクレアが感じるほど。

 

「で、クレア。『作為的』ってのは分かったけど、具体的にどういう手口なんだ?」

「復興騎士の護衛中、ユフィリア様へのバッシングが急増。特に『王太子暗殺未遂』の噂が、市場から貴族街まで一晩で拡散。目撃者はゼロ。証拠もゼロ。なのに、誰もが『知っている』と口にします」

 

 アルファが端末を操作し、王都の地図を立体投影。

 赤い点が無数に灯り、噂の拡散経路を示す。

 まるで蝿の群れが飛び回るように。

 

『これがジェノバの眷属の一つ、混沌蝿だ』

 

 神祖が呟く。

 神祖からの通信が、ホログラムに映し出された。

 黒髪の童顔。数万年の眼差し。

 

『戦闘力は皆無。だが、心を読まれ、秘密を暴露され、噂を増幅される。対策案は送ったから、選んでよ』

 

 クジラの作戦会議室は、深夜の静寂に包まれていた。蛍光灯の白い光が、金属壁に冷たく反射し、空気を無機質に染め上げる。

 

 ホログラムディスプレイに浮かぶ神祖の対策案は、すでに赤字の墓標のように半壊していた。

 情報戦のセクションが、容赦なく削除され、残骸が点滅する。

 アルファは端末を滑らせ、地図を投影した。王都の輪郭が、青白い線で描かれ、識字率の数字が27%で固定される。通信網は王都限定、地方は伝令馬の影すら薄い。クレアがテーブルを拳で叩いた。

 音が、部屋に鈍く響く。

 

「情報戦は死んでるわ。『ユフィリアの真実公開』? 市民は文字すら読めない。『検知ツール無償配布』? 端末を持たぬ者どもに、何の意味があるっていうの。『市民に真実?』とふざけるなと貴族から反発の大合唱ね」

 

 彼女の声には、苛立ちが滲む。優秀な魔剣騎士として、プライドの高いクレアは、こうした非効率を許せなかった。

 

 任務に忠実なのは、剣技の延長線上にある。だが、このオリアナの腐敗は、剣では斬れぬ霧のように絡みつく。

 

 貴族の独占する特権階級。精霊信仰による魔法と市民の貧困。すべてが、システムの欠陥を露呈させる。

 神祖の理想は高潔だが、現実はデータを嘲笑う。

 アルファは淡々と端末を操作し、データを追加投影した。ポスターのシミュレーションが浮かぶが、すぐに市民の反応予測が重ねられる――薪の代わり。

 

 啓発キャンペーン?  復興物資の列で、パン一袋を求める群衆が、言葉を拒絶する。

 

「啓発キャンペーンも無意味ね。復興物資配布時の情報セッション義務化?  市民は食料だけを欲しがって、貴族は使節団を監視するだけ。通信網の限界が、すべてを封じてしまう。王都以外へ通達するのは馬だけね」

 

 アルファの声は、機械のように平坦だった。エルフの金髪が、ホログラムの光に揺れる。彼女の瞳は蒼く、ルーファスへの依存が影を落とす。

 

 だが、今は補佐官の役割が優先。トラウマの肉塊化を乗り越えた彼女にとって、こうした分析は、霧化の技のように自然だ。魔力を物質化するように、データを操作し、現実を再構築する。

 

 神祖の案は論理的だが、この世界の土壌は、腐食した回路のよう。

 情報は、受け手なき虚空に消える。クレアが地図を指差した。王宮の地下、赤い警告マークが点滅する。

 

「噂の浄化儀式?  精霊信仰による魔法は貴族の私有物だ。ローズ王女が『市民にも開放』などと提案したら、翌朝には貴族のクーデターが勃発する。内戦の火種を、こちらで撒くことになるわ」

 

 アルファが頷き、ホログラムをスクロールした。デコイ作戦のセクションだけが、緑字で残る。

 

「デコイ作戦は生き残るわね。ルーファス様が偽の秘密を撒く。混沌蝿は心読みで飛びつきます。それだけ。情報戦は諦めましょう。代わりに――」

 

 彼女の指が、残る箇条を強調した。監視&追跡。動物型端末で蝿の異常行動をリアルタイムスキャン。噂爆発源を即特定し、クレア隊が物理網で囲む。捕獲&封じ込め。非致死ネットと粘着フィールドで無力化。

 捕獲後、隔離カプセルで周波数干渉テスト。一網打尽の連鎖。クレアが最後に吐き捨てるように言った。

 

「神祖案の70%は死に体ね。残る30%だけ実行する。情報戦は、暴力で代替することになりそう」

 

 アルファが端末を閉じた。画面が暗転し、部屋に影が落ちる。

 

「ルーファス様。貴方は『囮をやって。後は、私たちが力で潰すわ」

 

 ホログラムが完全に消え、クジラのエンジンが低く、冷たく唸った。外の世界は、変わらぬ闇。だが、ここでは、理想が現実の刃に削られる音が、静かに響いていた。

 

 ルーファスが去ったあと、クジラの作戦会議室は、深夜の冷えた空気に包まれていた。ホログラムディスプレイの残光が、アルファとクレアの顔に青白い影を落とす。

 

 端末は閉じられ、静寂だけが残る。だが、その静寂は、嵐の前のようだった。クレアが、拳を握りしめたまま、テーブルに視線を落とした。彼女のプライドが高い瞳に、苛立ちが燃える。

 

「……神祖様の案。あれは、明らかに私たちの活動を縛るものね。混沌蝿の封じ込めや破壊が目的なら、もっとシンプルでいいはずなのに」

 

 アルファが、静かに頷いた。金色の髪が、わずかに揺れる。彼女の声は、いつもより低く、抑揚を欠いていた。

 

「ええ。情報戦、啓発キャンペーン、検知ツールの配布……すべて、平和的すぎて難易度が高すぎる。この国の識字率27%、通信網の限界、貴族の腐敗。土壌が腐ってるのに、種を撒くようなもの。使節団の活動は、復興支援のはずなのに、これじゃあ足枷だわ」

 

 クレアが、歯を食いしばる。こうした政治的な絡みは、苛立つ。

 

「神祖様は、わかってるはずよ。ジェノバの眷属を潰すだけなら、クジラのフィールドで王都封鎖して、動物型端末で一掃。騎士が物理網で囲んで、混沌蝿を焼却すれば終わり。なのに、あの案は……」

「それはそれでいい、って透けて見えるのよね」

 

 アルファが、苦笑を浮かべた。彼女の蒼い瞳に、ルーファスへの依存とは別の、冷たい光が宿る。

 

「平和的だが難易度が高い方法か、暴力的だが難易度が低い方法か。『現場の君たちで選べ』って。私達を成長させようと、わざと苦難を与えてる。……腹立たしいわ」

 

 その時、部屋の扉が開いた。ルーファスが、眠そうな顔で入ってくる。金色の髪を乱れさせ、聖剣の柄に手を置いたまま。

 

「……なんだ、まだやってるのか。二人とも休まないと体が持たないぞ。神祖様の案は平和的なのがいいな。情報戦とか、あくまで暴力的ではない方向性で」

 

 口ではそう言ったが、彼の内心は、違う。

 

(どっちでもいい。面倒くさいのは嫌だけど、囮やるだけなら楽だ。平和的?  暴力的?  俺の快適さが保てれば、それでいい)

 

 クレアが、ルーファスを睨む。

 

「ルーファス様。あなたは広告塔でいい。でも、私たちは違う。神祖様の『成長』なんて、現場で血を流す私たちに押しつけるだけよ」

 

 アルファが、ルーファスの袖を優しく引いた。彼女の声は、穏やかだが、芯がある。

 

「ルーファス。神祖様は、数万年の経験で、私たちを試してるの。ジェノバ封印までの道筋で、使節団を強くするつもり。でも……それが、許せない時があるわ」

 

 ルーファスは、軽く頭を下げた。

 

「すまない。配慮が足りなかった。俺も全力を尽くす。頑張ろう」

 

 だが、心の中では、ため息。

 

『成長?  努力?  そんなの、俺の望んでいない。楽に栄光を手に入れたいだけなのに……神もわかってるくせに』

 

 クレアが、立ち上がる。魔剣を握りしめ、決意の炎が瞳に灯る。

 

「――なら、私たちは選ぶわ。暴力的だけど、確実な道を。神祖様の理想は美しい。でも、現実は美しいばかりではない」

 

 アルファが、微笑む。霧化の準備のように、体がわずかに揺らぐ。

 

「ええ。ルーファスを守りながら、力で潰す。それが、私たちの答え」

 

 クジラのエンジンが、再び唸った。外の世界は、変わらぬ闇。だが、ここでは、若者たちの葛藤が、静かに燃え始めていた。

 神祖の影が、遠くから見守るように。成長か、堕落か。選択は、現場の彼らに委ねられる。

 

 

 

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