浅羽悠真と月城柳 短編集   作:あまき.

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浅羽悠真が月城柳を連れて師匠の墓参りに行く話


・浅羽悠真誕生日用の書き下ろし。
・死と再生の話です。
・雰囲気を大切にしてお読みください。



シンクロニシティの逃避行

 

 

 窓が開いているせいで勢いよく風が吹き込んでくる。

 気がつけば月城柳は汽車の中にいた。ボックス席の向かいには浅羽悠真が座っている。二人とも内勤服のままだった。

 腰掛けている座席は柔らかく、深紅の天鵞絨(びろうど)に金糸の刺繍が縦に施されていた。背もたれは安心して頭を預けられるほどの高さがある。風の音でほとんど掻き消されてはいるが、車内には女声のバラードが流れていた。

 私、眠っていたんだ。知らないうちに。知らないところで。

 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンと硬く規則正しい車輪の音が聞こえ座席が微震する。柳を微睡の沼へと誘ったのは、きっとこの揺籠だ。

「良い天気ですね。今日」

 向かいでずっと窓の外を眺めていた悠真がぽつりと呟いた。話しかけられた気はあまりしなかったが、聞こえた内容が世間話だったので、柳は「そうですね」と応えた。

「夢みたいだ」

 うわごとのように呟く悠真にいつもの軽妙さはない。柳からの返事を然程期待しておらず、なおかつ今まで眠っていたことにも興味がないようだった。今の彼からは生の気配すら希薄に感じられた。

 今は、私の苦手な貴方なんですね。

 柳も窓の外を見た。今日はよく晴れていて、抜けるような夏空が眼前に広がっていた。汽車は海辺を走り、ゆるゆると動いて見える水平線と並走している。

 ずいぶんと遠くに来てしまったような気がするなぁ。

 世界が球形だからこそ、この美しい青の相境界は汽車と見せかけの平行線を描いている。ずっと見惚れていたくなるような透き通った世界は、悠真が夢と宣ったのも頷けるほどに非現実的だ。しかし、海上には大小様々な黒い半球の出来物がいくつも顔を出し現実を突きつけている。あの中に満たされた異界の膿を簡単に取り除く特効薬は未だない。それどころか日々拡大と増殖が進み、治療の手がまるで追いついていないのが現状だ。

 万物を飲み込む災禍は、美しい情景に重たい闇と憎しみの影をもたらし、今も世界を穢し続けている。

「ホロウが邪魔ですね」

「そうですね。でも今はどうにもならない」

「この汽車は何処に向かっているのですか?」

「さぁ? 僕らは途中で降りますから、終点がどこかはさっぱり」

「……浅羽隊員、今回は貴方が誘ってくれたのですか?」

「え、そうでしたっけ? まぁ、この荷物を見れば、そうだったのかもしれませんけど」

 悠真はそう言って片手をくいと持ち上げて柳に見せた。彼の手には向日葵の花束が握られていた。十一本。その花の眼差しは太陽ではなく柳に向けられている。

 この会話は何だろう。向日葵を見つめながら柳は思った。要領を得ない問答だと分かっていながら、自分はそれを良しとしている。二人とも何も知らないようで、何かを分かっている。そして、ここにいるのは偶然のようにも必然のようにも思える。妙な感覚だった。

「月城さん、僕たちが降りるのは次の駅ですよ」

「ええ、そうでしたね」

「また寝たら乗り過ごしちゃいますからね。それはマズイんで気をつけてくださいよ」

 どうやら悠真は終点は知らずとも、この旅路の目的地は知っているようだった。

「しませんよ。貴方こそ寝ないでくださいね」

「大丈夫ですって。今の僕、結構緊張してるんで」

「緊張、ですか」

 何故です。そう訊こうとして口を開いたが、なんだか訊くべきではない気がしてすぐに閉じた。悠真は膝の上で頬杖をつき、目を細めてこちらを見つめた。

「なんだか今の僕たちって、逃避行してるみたいですよねぇ」

 綺麗な弧を描いていた口が開くと小さな八重歯が二つ顔を出す。

「逃避行。一体どこに」

 

“次は──。次は──。──へお越しの方は────りくださ──”

 

 ノイズ混じりの聞き取りづらい放送によって、柳の言葉は遮られてしまった。「さ、降りますよ」悠真が立ち上がり降車口へ向かっていく。柳も席を離れ彼の後に続いた。

 

 

 汽車を降り無人駅を出ると、視界いっぱいに広がったのは緩やかな芝生の丘だった。駅舎から丘の上までは草が踏みしめられた道が続いている。穏やかで微温い向かい風が肌と髪を撫でて歓迎してきた。

「こんな景色」

「ま、有り得ませんねぇ」

 柳の思考を読んだかのように悠真が続きを口にした。

 そう、有り得ない。新エリー都や郊外の植生を考えれば、こんな青々とした大地がどこまでも広がるなんてことは。

──では、ここは?

 立ち尽くす柳とは対照的に彼は一歩前に出る。

「あ、浅羽隊員。私たちはまさか」

「私、たち?」振り返った悠真が不思議そうにこちらを見た。

「私たち、ではないのですか」

「んー、どう思います?」

「どうって……よく、分かりません」

「ははっ、月城さんでも分からないなら、僕はもっと無理」

「しかし、貴方は降車駅を知っていたではありませんか」

「あぁ、それ。不思議なんですけど、こっちに行かなきゃってことだけ分かるんですよねぇ。超能力に目覚めっちゃったのかも〜」

 なーんちゃって、と言ってニヤっと笑う悠真は汽車の中とは違い柳がよく知る彼の表情をしていた。

「……私はついて行っても?」

「それどころか、どうも連れて行きたいみたいで」

 あの丘の上に。どこか他人事めいた言い方で、悠真は前方に花束を向け、反対の手をこちらに差し伸べた。「こういう坂って意外と登りにくいんで、手繋いだほうがいいですよ」

「そうかもしれませんね」

 特に戸惑うこともなく柳は手を重ねた。

 何がそうかもしれません、なのだろう。汽車で目を醒ましたときから何かがおかしい。しかし、違和感の正体を探ろうにも手立てがなかった。

 手を繋ぐなんて子供っぽいなって思うのに、ここにいるとそれが当たり前だと思ってしまうのは一体──。

「知ってます? 僕って今日誕生日なんですよね〜」

 そう言いながら丘を登る悠真がこちらを振り向くことはない。

「もちろん。知っていますよ」

「早く帰らないとなぁ」

「遅刻してしまうと、蒼角がケーキもオードブルも食べてしまいますよ」

「あはは、それはちょっと、せめてロウソクの火くらいは消したいかな〜」

 からっとした声で悠真は笑った。彼の声は雲一つない夏空によく似ていた。

「浅羽隊員。私たちはオフィスに戻ることができますか?」

「月城さん。じつは僕、この先に何があるかも分かるんですよ」

 ズレた回答に柳は首を傾げた。

 今の悠真は、まるで論理コアのない旧型の知能構造体のようだった。目的を達成するために、こちらを誘導するような言動を繰り返し、正解を選んだときだけ次の会話へとフェーズを移すことができるような。

「教えてもらえますか?」

「着いてからのお楽しみです」

「はぁ……」

 こちらの質問にはままならない回答しか寄越さないのに、やたらと機嫌の良い男に手を引かれ、柳は困惑しながら丘を登っていった。

 

 

 丘の上にたどり着くと、そこには墓標が立っていた。爽快な海の景色が展望できる場所にたった一基だけ。

「浅羽隊員。こちらに眠っているのは、もしかして」

 花束を供える悠真の隣に立ち、柳は訊ねた。

「師匠です。僕の」

 先ほどまでの上機嫌はどこへやら、急に落ち着いた声色で彼は応えた。

 墓石を見つめる彼の横顔からは表情が読めない。

「どうしてここに連れてきたのですか?」

「どうして……ですか。それは、僕も知りたいんだなぁ。でも、多分、紹介するためだと思います。月城さん、あなたを」

 悠真は言葉を選ぶようにゆっくりと応えた。

「月城さん、ここ、どこだと思いますか?」

 悠真の言っている“ここ”というのはおそらく、この空間という意味だろう。そう思った柳はこちらに眼差しを向けている金色の瞳を見やってから前方に広がる光景を改めて眺めた。

 汽車に乗っていたときの青とは異なり、海上に浮かび上がるホロウは一つもない。

 少なくとも現実ではない。けれど、風も、音も、質感も、熱も全てにリアリティもある。

 これは、まるで──。

「VR空間というのが、一番近い場所ではないでしょうか?」

 もしくは、明晰夢や臨死体験のようなもの。という続きを柳はあえて口にしなかった。死の香りがする何かを、墓石の他に置いて行くのはどうも憚られた。

「副課長どのがVRって言うなら、帰れますかねぇ。僕ら、何かとそれに因縁ありますし。あなたはマニュアルをまる暗記していて詳しいですし」そう言うと悠真は振り返って丘を降り始めた。

「浅羽隊員、もういいのですか?」

「もう十分ですよ。目的は達成できましたし。それより早く帰らないと」

 ほら、とまた悠真は手を差し伸べてきた。しかし今度はすぐに手を重ねることはせず、じっと白肌の下にある骨張った節をじっと見据えてみた。

 この当然であるという感覚に逆らうことはできる。けれど同時に、この手を取らなければいけないという強烈な脅迫観念にも苛まれた。細胞の一つ一つが粟立ち、やめろやめろと震えるような。

 どうしてだろう、帰れなくなる気がする。

「月城さん、こっちだってば。これは()()()()()()

 その場に立ち尽くしていると悠真が強引に柳の手を取って引っ張った。

「あ、」

 されるがままに斜面に立つ男の胸の中に収まる。ホロウの中で弓を引き、双刀を振るう彼の体は締まって硬い。思わず握ってしまったワイシャツ越しでもそれがよく分かる。

「す、すみません。私」

「たしかに僕たちは今、変ですよ。でも僕は、何をすべきか分かる。信じてください。一緒に帰りましょう」

「私は、今、間違えようと」

「月城さんは間違えてない。間違えさせない」悠真の手が柳のうなじへ添えられ、御髪に五本の指がするすると忍び込んできた。「あなたは必ず正しいほうを選ぶ」

 でも、僕は違う。柳の髪を手の中で弄びながら悠真は呟いた。

「悠真?」

「まぁ、どうせ忘れるんだろうし、いいか」

 見上げたときには悠真の顔がすぐ目の前にあった。唇に柔い感触がする。キスをされたのだ理解する間に舌を差し入れられ、彼の手が視界を塞いだ。

「んぅ」

 暗転。ぐるりと体が丸ごと真っ逆さまになる。

──それじゃ、またあとで。

 悠真の声が頭の中で響いた。

 

 口を閉じたまま小さく唸る自分の声で、柳は目を覚ました。瞼を持ち上げているはずなのに薄暗い場所にいる。目の周りが柔らかい感触に覆われていてアイマスクをしていたのだと思い出した。外すと見慣れたオフィスの蛍光灯の光が眼球を刺激し、顔を顰めた。

「はぁ」

 せっかく仮眠を取っていたのに余計に疲れるような夢を見てしまい溜め息が零れる。夢を見ていた。それも明晰夢を。鮮やか光景だったが、どこか物悲しい。情景は美しく理想郷めいていたが、間違いなくこちらを脅かす危険も孕んでいた。選択に戸惑い、体が震えたあの瞬間は一種の生存本能だったと思えるほどに。

 もし間違えていたら、どうなっていたんだろう。

 同じ空間にいた同僚の言葉を思い出す。水先案内人にしては不明瞭なことを終始宣っていた彼は、現実でのイメージを反映しただけの存在だったのだろうか。

 数度瞬きを繰り返し、机に置いたメガネをかける。だんだんと眩しさに目が馴染んできた。

「あ、起きた起きた」

 向かいから声が聞こえ、柳はそちらを見やった。並べられたファイルの向こう。悠真が机の前に立っていた。彼は「おふぁようござます」とあくび混じりの挨拶をした。「僕もさっきまで寝ちゃってましたよ」

「貴方はいつものことでは?」

「うわ、ヒドいっ。大体こんな時間まで働いても終わらない仕事ってのがおかしいんですって。超特急でやってるのに」

 露骨にげんなりした顔を見せた彼を他所に柳は手元を見た。お気に入りの腕時計は夜八時を示していた。

 そろそろ用意を始めないと。席を立つ。今日は七月十八日。いつ緊急任務が入ってもいいように今の段階からサプライズ計画を進めておいたほうが無難だった。

「ちょっとちょっと。副課長どの〜? 無視もヒドいんじゃないですかね? こんな目の前に報告書を持った部下がいるのに」

 オフィスへと出ようとして悠真に引き留められる。彼は手にしていた書類の束をひらひらと扇いだ

「すみません。急用を思い出してしまって」

 そちらは受け取りますね。と手を差し出す。悠真はそこに紙束を乗せたもののなかなか手を離そうとはしなかった。

「浅羽隊員?」

「副課長が何か忘れるなんて、よっぽど疲れが溜まってるんですよ。顔色、悪いですよ」

「そうですか?」

「そうですよ」

「……妙な夢を見てしまったせいかもしれません」

「妙な夢?」悠真がやっと書類から手を離した。ただ、柳を行かせる気はないようだった。

「はい。浅羽隊員。貴方も出てきましたよ」 

「えぇぇ……僕もさっき夢に副課長が出てきたんですけど」

「あら、奇遇ですね。でもあまり嬉しくないみたいで残念です」

「いやいやいや、そんなまさか。ただ、偶然もあるもんだなぁって驚いただけですって」

 ぶんぶんと悠真が大仰に両手を振る。

 そうだ、この手に私は導かれた。柳は悠真の手の動きを目で追った。

「……そういえば、私の夢に出てきた貴方は、ちょっと、変というか」

「夢の話だったとしても変って言われるのは傷つくかなぁ」悠真は片方の口を上げ、苦々しげに笑った。

「すみません、他に表現が思い浮かばず……でも、筆舌に尽くし難いほど綺麗な場所には連れていってもらいましたよ。広大な海と緑の丘があって」

 目の前の青年に向かって微笑む。無意識下で見た危うい世界だったが、思い出せば夏風に煽られる心地がする。潮と草の香りさえしてきそうで、あまり悪い気はしなかった。

「それって、もしかして向日葵の花束を持って、汽車に乗ってたり?」

「そう、ですが。どうして分かったんですか?」

「それ言わないとダメですかね?」

「自分から話しておいて理由を言わないという選択肢が出てくること自体不思議なのですが」

 く、と悠真がなぜか悔しそうな顔をする。自業自得だろうと柳が彼が口を開くのを待った。

「僕も、似たような夢、見たんで。そうかな〜って言ってみただけっていうか、まぁ完全に一致とか、ないでしょうけど」

「擦り合わせてみますか?」

 柳が訊くと悠真の肩が跳ねた。「エンリョしときます! 結末まで合ってたら困るし」

「結末……映画のように言いますね」

「そりゃあ、僕のはものすごーく作り物感あったんで」

「私の方も非現実な美しさがやたらと誇張されていました。でも、B級のなかでもマシなほうでした」

「B級確定なんですねー。月城さん好み的には?」

「……現在判定中です」

「決まったら教えてくれたり?」

「検討しておきます。そろそろ出ますね。あ、そうそうまだ書類はありますので、よろしくお願いします」

「え、ウソ、まじで?」

「本当です」メガネを押し上げて応えると、悠真は露骨に肩を落として自席へと戻っていった。

 

 夜間の廊下を柳はヒールを鳴らして歩く。雅と蒼角にはすでに連絡していた。これから速やかに極秘計画を遂行しなくてはならない。今年はより一層忘れられない夜にしてあげようと思いながら柳は指先で唇に触れた。

 

 

 

 

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