先輩とあずにゃん   作:如月ミナト

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背中合わせのクリスマス。


背中合わせのクリスマス。

 吐く息は白く、冬を思わせる。どれだけ夏が暑かろうと、数ヶ月後にはこうして雪が落ちてくるような寒さにまでの落ち込みをみせる。季節のめぐりと言うのは本当に良くできているな、と仔猫は今更のように感心する。

 寒ければ寒いほど、誰かに寄り添う理由ができる。

 理由があるのだから、心身凍える凍える仔猫が寄り添わないはずがなく。

 

「あ、あずにゃん……?」

 

 それはいつも彼女にべったりの平沢唯さえ驚いてしまうほど。

 

「にゃ! ご、ごめんなさい……」

 

 意図せずくっつき過ぎていたことに、他ならぬ梓が驚いた。

 ひと時は離れるが、さりとて唯の人肌にそっぽを向くことはとてもじゃないができない。

 

「今日のあずにゃんはいつもに増して甘えんぼさんだね」

 

 にやにやしながらそんなことを言う唯に、梓は嘆息しつつ「誰のせいだと思ってるんですか……」と独りごちてみせた。

 

「ん、なあに?」

「何でもありませんよっ」

 

 顔を顰め、仔猫は唯とは逆の方に視線を投げた。

 腕は、なおも絡めたまま。

 

「変なあずにゃん」

 

 唯が訝しむのも、無理もないと言うものだ。

 むう、と梓もしかめっ面を作るが、されどそれが唯に見えてしまうことはない。

 一度逸らした視線と言うのは、なかなかどうして戻すのが難しかった。

 妙に意地っ張りな性格は、直すのに時間がかかりそうだと言ういいデータでもある、と言えるかもしれない。

 

(ほんとに、誰のせいだと思って……)

 

 今度ばかりは梓も唯に言の葉が知られぬよう、胸中ぽつりと呟くことに徹した。

 それでも『大好き』な先輩を想えば、意図せぬ部分の行動で、それ相応に物申すことがある。

 今日に限った話であれば、あたたかな唯の腕にしがみつく、と言ったところ。

 人目を気にすることさえなければ、もっと大胆に、もっともっと過激に、もっともっともっと求めるような仕草をして見せたのかもしれないが、そこは理性か、はたまた単なる気分の問題か、あるいはその両方か――いずれにせよ、梓にはそれ以上の行動を起すだけの何かが不足していたのは揺るがぬ事実だった。幸か不幸か、いまの梓には、到底答えられそうにもない。

 答えなんて、要らないけど。と、梓は思った。

 

「――――――――――」

 

 本日何度目かのホールディングを受けた唯は、しかしそんな後輩をどやしつけるでもなくただただそれを甘受するのみ。

 普段とはまるで逆の構図を彼女なりに愉しんでいるのか、それとも――

 

「あ、雪だ」

 

 唯が言う。つられて梓が天を見上げれば、目に映ったのはそこかしこに舞う小さくてはかない、冬の使者。

 街路は電球で装飾されている。煌びやかな木々に、白の霞みは良く映えた。それがしんしんと降りしきるのみならば、ロマンチックなことこの上なし。

 期せずして今宵もホワイトクリスマスになったこと、唯はどうか知らないが梓はそれなりに喜んだ。

 寄り添う理由が、また増えた。

 

(思えば、始まりはこの日、だったのかも)

 

 いつかの聖誕祭前夜。

 梓の頭に積もった雪を払ってくれたのは、他ならぬ平沢唯だった。

 身体は冷え冷え、心まで凍りついた梓を温もりの中へいざなったのは、いま隣にいるこのひとだった。

 だとすれば、今日はある意味記念日にでもなるのだろうか。

 あれがなければ――彼女がいくら親しい先輩と言えど唯をここまで受け入れていたかどうか、明確な答えは出せない。

 それを考えるだけ無駄だ、梓はそれに気づいていたが。

 

「楽しそうだね、あずにゃん」

 

 すると唯が口を開く。えっ、と思って彼女を見やれば、その表情は淡い笑みで彩られていた。

 そして思い出す、天を見上げたみずからの顔は、唯の立ち位置からなら容易に覗き込める、と。

 意図せぬ部分の行動は、此度は表情筋の歪みだったのだろう。

 

「ええ、楽しいです、とても」

「ただ歩いてるだけなのに?」

「はい。ただ歩くだけでも楽しいんです」

 

 本音。

 それは嘘偽りない梓の心の声であった。

 楽しくないわけがない――ただでさえ受験の関係で会う時間そのものが減っているのだから。

 こうして時間を共有するだけでも、仔猫の心は温もりで満たされていく。

 だが唯はどうなのだろう。

 

「唯先輩は」

「ん、なあに?」

 

 一瞬躊躇ったが、梓は訊いた。

 

「楽しくないですか?」

「そんなわけないじゃん」

 

 間髪いれずに返ってきたのは、質問に対する強い否定の表れ。

 

「あずにゃんにぎゅーってされてるのに、つまんないわけがないじゃん?」

 

 そして微妙に疑問系。

 

「なら」

 

 梓は笑う。

 

「これで充分だと思いません?」

 

 偽りの笑み。作り笑い。

 

(高校に入学して、笑うの上手くなったかも)

 

 特にここ最近はね。梓は思う。

 仮面でもつけなければ、この厳しい冬の寒さにやられてしまいかねない。

 

「えー、でもそれとこれとは別だよぉ」

 

 しかし、

 

「私あずにゃんにならずっとずっとぎゅーってしてもらってたい」

 

 彼女が選んだ仮面は、思いのほか脆かった。

 無邪気な先輩がほんの少し触れただけで、いとも簡単に壊れてしまう。

 仮面の奥、さらけ出された仔猫の素顔は、仮面より更に繊細だ。

 だから、

 

「――あ、あずにゃん?」

 

 涙を流すこと、そう難しいことではない。

 ごめんなさい。梓はそう言うと、

 

「少し疲れましたね……どこか、少し休憩しませんか?」

 

 涙を拭わず、笑ってみせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 真冬の公園は人っ子ひとり見当たらず。

 夜はまだ浅かったが、立地を考えれば妥当な結果と言えるかもしれない。

 ゆえに好都合だった。梓にとっては。

 

「本当にこんなとこでいいの?」

 

 唯は少々不安げだ。

 それが不用意に泣いてしまったせいなのは言わずもがな、されど後の祭りである。

 

「ええ、ここがいいんです」

 

 健気さを装うのも、もしかしたら上達したのかもしれない。

 体裁取り繕うスキルはあって困るものでなし、これはこれで喜ばしい発見だったのやもしれないが、いまの梓にはそれを素直に喜んでみせるだけのゆとりはない。

 冬将軍の遣いはなお着地点を模索し、あるいは見つけ、真綿の如く地面に積みあがってゆく。文字通りの連綿だな、と彼女は薄く思う。

 だからと言うわけではないが、ここは寒かった。とても。

 でもだからこそ、仔猫が愛した温もりが存分に味わえると言うものだ。

 

「唯先輩」

 

 梓は言う。

 

「先輩の背中と私の背中、くっつけて少し立ってみませんか?」

 

 どうして、と唯は訊ねた。

 

「だって、いつも抱きしめてもらってばかりじゃないですか。それじゃ、身体の前の方しかあたたまりません。たまには背中をあたためてみるもの、必要だと思うんです」

「それなら私が後ろから」

「ダメです。それだと、唯先輩の背中が寒いままじゃないですか」

「あずにゃんがあったまるならそれでも」

「ダメです。それじゃあ、私が納得しませんもん」

 

 必死さを悟られないようにするのはなかなか難しい。

 だが唯は存外あっさりと折れた。

 

「……わかった」

 

 もしかしたら、梓の焦燥を幾分か感じていたのかもしれない。声音は不服だと雄弁に語る。

 それでもふたりは、唯の返事を合図に背中合わせになった。

 互いの視界から、互いが消えた。

 残ったのは、背中に何かが当たっていると言う感触のみ。

 

「――――――――――」

 

 そこは、無の空間を思わせる。

 等間隔に配置された外灯は敷地内をぼんやりと照らし、切れ間なく映りこむはかなげの結晶を淡く柔らかく染め上げる。そこに静寂という賛美歌のメロディーが奏でられれば、冬の園はどんな大通りのどんなイルミネーションよりも華やいで見えた。

 心が洗われるような、そんな瞬間。

 もし梓が独りきりならば、そして今日がクリスマスイブでなければ、きっと素直にそう思えたのだろう。

 そうでないから、梓は苦しい。

 背中にある温もりが、大好きな先輩の温もりが、いずれ年が明け春になれば背中ですら感じることができなくなるのが、ただただ辛い。

 ここがもし無の空間として――梓の中から唯が消えた空っぽの世界だとして、背中に当たる温もりが僅かに残された彼女とのつながりだとして、それで仔猫は、寒さに耐えられるのだろうか。

 

「――先輩、今日は、ありがとうございました。受験勉強で忙しいでしょうに」

「ううん、誘ってくれてありがとね」

 

 会う時間を減らしたのは、梓のせめてもの気遣いだ。

 誘ったのは、我慢が利かなくなった梓の我侭だ。

 あるいは、寒さに耐えようとする仔猫の、予行練習も兼ねたかもしれない。いずれにせよ、我侭であることには変わりない。

 

「嬉しかったよ、ほんとに」

 

 だが言いようによっては、唯だってまた、我侭である。

 

「あずにゃんとこうしていられるのも、あと僅かなんだもんね……」

 

 しみじみと、ぽつりと、唯が呟いた一言。

 

「――っ!」

 

 しかし梓の心には、瞬速を伴った矢が正鵠を打ち抜いたかのような強い衝撃が走る。

 胸が張り裂けそう。

 立っていられない。

 背中の温もりが、するりと逃げていった。

 

「……あ、ずにゃん?」

 

 唯の声が上から聞こえる。

 

「いや、です」

「えっ……」

「唯先輩と離れたくありません……」

 

 滔々と漏れ出す、仮面の内側の脆弱な感情たち。

 止めようと思っても、自制がきかない。

 

「やだよ……離れたくない……離れるのが、離れなきゃいけないって思うのがこんなに辛いって思わなかったよ……」

 

 涙の軌跡を、別の涙が通ってゆく。

 それもまた、とめどない。

 

「先輩、言いましたよね……七夕の夜に、不安なのかな、って……でもいまは、全然そんな風じゃない、澪先輩や律先輩や紬先輩と一緒におんなじ大学に行くって目標見つけてから、なんか充実してるようにしか見えなくて……そこに、私はいますか……唯先輩の心のなかに、中野梓の名前はあるんですか……」

「あずにゃん……」

 

 唯の声は、力ない。

 

「私のこと、まだ『大好き』のままなんですか……私はこんなに、こんなに……こんなにこんなに好きなのに……唯先輩は……離れていってしまう……」

 

 あの頃にはなかった感情が、仔猫には芽生えていた。

 

 ――恋愛感情。

 

「耐えられないよ……背中だけの温もりなんて、私には……」

「私だって」

 

 そうだよ――そんな唯の声が耳元に届くのが先だったか。

 逃げた背中の温もりが蘇るのが先だったか。

 

「辛くないわけ、ないでしょ……」

 

 二本の腕が回され、梓の身体をぎゅっと締め付ける。

 華奢な腕。重たいギターを巧みに操る、逞しい腕。

 細身でか弱い梓なら、あるいは壊されてしまうかもしれない。唯のチカラが弱くても、梓の方から崩れていってしまいかねない。

 だがこの日に限って、唯の抱擁は優しかった。

 それはあたかも、花を摘み取る乙女のように繊細で。

 意識を切らせば、存在を失ってしまうほどに柔らかで。

 首筋にかかる吐息は、草原を遊ぶそよ風のようで。

 震える仔猫をあたたかに――春の日向のようなエンブレイス。

 

「離れたくないよ、あずにゃん……ずっと一緒にいたいよ……だって」

 

 

 

 あずにゃんのことが、好きなんだよ?

 

 

 

「――っ!」

 

 無の空間が、消えた。

 たった一言、それだけで。

 

「あずにゃん、あの日の夜に言ったよね。雨の降る夜だって、私に会いに行くって。それがあったから私は頑張れるんだし、いまだって頑張ってるんだよ。私の心の中からあずにゃんの名前が消えるなんて、そんなこと、絶対にありえない……」

 

 でも雪の降る日は、それも無効なのかな。そんな呟きに梓は軽くかぶりを振って見せた。

 ツインテールが、気持ち揺れる。

 

「正直、忘れられてるって、思ってました……」

「忘れるわけないよ。あずにゃんは……私にとって、特別な娘だもん」

 

 だから――唯は抱擁を更に緩めた。

 それが何を意味するのか。それがわからないほど、梓は野暮ではない。

 振り向いて、唯の顔を見る。

 

「先輩……」

「――お互い、泣き虫なのは直さなきゃね」

 

 淡く笑うと、唯は瞳を閉じた。湛えた涙が軌跡を通り、頬を潤す。

 梓も真似をする。両の頬が冷たく、しかしいまは、これくらいが丁度よかった。

 

 

 

 ――二度目のそれは、静寂と言う名のバックグラウンドミュージックと共に。

 

(おしまい)

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