静筆の魔術師 ~音と秩序の辺境譚~ 作:Magical forest
------------ エルラ・ミュリス視点 ------------
「パイプオルガンの講師として参りました、ソフィア・ルメイユです。よろしくお願いします。」
「シュウ・ルミエールです。よろしくお願いします。」
「シュウ様の家庭教師と司書をさせていただいている、エルラ・ミュリスです。ソフィア様、お久しぶりでございます。」
「エルラ先輩、お久しぶりです。 エルラ先輩もお変わりが無いようで、何よりです。」
この場に三者三様で自己紹介をする。
正式な高い爵位を持った人にお茶会や舞踏会などに招かれた場合には、ちゃんと格式ばった挨拶があるのだが、ここには正式に爵位を持った人が居ないし、そもそも仕事の顔合わせなため、かなりカジュアルな自己紹介だ。
ソフィア様は、前後の場所に積み荷を降ろすように言うと、エルフと普人族の職人が積み荷を降ろして、シュウ様の練習室に割り当てられた部屋で何やら器具を組み立て始めた。
「なるほど。鍵盤をたたくと、ハンマーが持ち上がって、木琴に当たって、それで対応する音が出るんだね。音階は当たる木琴のサイズによって決まるんだ。」
「左様でございます。オルガリンという、パイプオルガンの練習用楽器でございます。 パイプオルガンを弾くのには大変な熟練が必要とされますので、このような機器で練習をいたします。 ヴァルト公爵様のおっしゃる通り、大変聡明なお方ですね。」
こんな機器で練習できるのは、一部のかなり高位の貴族だけのはずよ。シュウに女神教会でパイプオルガンをいきなり弾かせて、稚拙な演奏でシュウ様に恥をかかせないために用意したのだろう。一体いくらするのだか・・・。
「エリシアおばあちゃんを知っているの?」
「もちろんでございます。このオルガリンも、ヴァルト公爵であらせられる、エリシア様からの誕生日プレゼントでございます。」
すごい。奥様との話であっさりと引っ込んだエリシア様なのに、こんなプレゼントをするなんて・・・。かなりシュウ様に入れ込まれている。おそらく、シュウ様が将来大物になるのを見越して関係を深めておきたいのだろう。ソフィア様の派遣もその一環なのね。
------------ シュウ視点 ------------
オルガリンは組み立ててぱっと使えるような物ではなくて、それから調整に3日かかった。
オルガリンは面白い。ちょうどピアノの弦を木琴に置き換えたような構造だ。
これを木琴じゃなくて鉄の弦にすればピアノになっていくのだろうけど、ピアノ線を作るのは、今の技術では無理だろうね。
バネと同じ炭素鋼だし、叩いて伸ばして均一な針金を作る事はできないから、針金を圧延する技術なんてまだ無理だろうしね。
ハープみたいに、ガット弦って手もあるだろうけど、羊の腸じゃ、ピアノの張力に耐えられ無さそうだし、毎回調弦も大変で実用性は無いだろう。ピアノの登場はまだ先の時代になるだろうね。むしろ、こんな練習器具が発明されていただけでもびっくりだよ。
前の世界の工業製品や電子機器と違って、こちらは全て職人の手作りである。
実際に現地で組み立ててみて、音を出してみて、音程や音の大きさを確認して、調整が必要なら職人さんが工具を使って、木琴やハンマー、駆動部などを削って調整する。
おそらく、現地で調整するのを見越して、調整幅があるように少し大きめに作って来て、現地で備え付けて調整するように作ったのだろうね。
親方と弟子の手によってオルガリンが組み立てられて行く。僕はそれを飽きる事無く見ていた。
この世界の音階も、元の世界とそう違う物ではなかった。
前世では、ピタゴラスによって考案された、完全五度(周波数比3:2)を基準にした音階が西洋音階の基準になっているけど、この世界でも同様の発明が成されていた。
そして、パイプオルガンなどで和音を奏でられるようになると、ある音同士が不協和音になるので、その対策としてスケールの改良が試みられていた。
音楽的には、まだ聖歌中心で、ルネッサンスにも入っていない中世の物だけど、音楽理論は少しずつ発展を遂げているみたいだ。
ソフィア先生とエルラ先生が部屋の中に入って来た。この二人は同じアリディア王立総合学院の卒業生という事もあって、仲が良いみたいだ。
「シュウ様はオルガリンの組み立てを熱心に見守られていますね。」
「うん。職人さんがやっている、音のチューニングとか、一つ一つが面白いけどね。」
「何をやっているのか、理解していらっしゃるのですか?」
「もちろんだよ。」
「参考に、この人達が何をやっているのか、私に教えていただけますか?」
「いいよ。」
「まず、1オクターブには12の音があるよね?」
「はい。そうです。ド、ド#(レ♭)、レ、レ#(ミ♭)、ミ、ファ、ファ#(ソ♭)、ソ、ソ#(ラ♭)、ラ、ラ#(シ♭)、シ ですね。」
「この12の音の間隔は「半音」と呼ばれ、実はすべて等間隔、つまり隣り合う音どうしの周波数の比率が同じになるように設計されているんだ。」
「は?」
「わかりやすく、ドからシまでの12個の音をa0, a1, a2 ・・・ a12として、これらの音の公比 r (ratio)を考えると、a0からa12をrを使うと、a12 = a0 * r^12 = 2a0 つまり、r^12 = 2な訳ですよ。」
「はぁ。」
「なら、音の周波数を a0としたとき、n番目の音の周波数 anはan = a0 × (2^(1/12))^nというふうに求められるよね。つまり隣り合った鍵盤同士をa0 × (2^(1/12))^(n)と、a0 × (2^(1/12))^(n+1)の周波数で振動するように中の木琴の質量と形状を調整しているんだ。」
「先輩! 私、シュウ様が何を言っているのか理解できません!」
「言ったでしょ? シュウ様はすでに学院卒業生レベルで、一部は教授レベルか、状況によってはそれを超えているって。」
「そんなに難しい事かな? a12 = a0 * r^12は、12回 r をかけると、1オクターブ上の音になるという意味だよ。 それで、1オクターブ上がると、a12 = 2a0、つまり周波数が2倍になるってだけだよ。だからa12 = a0 * r^12 = 2a0だよ。これだけシンプルな規則も珍しいと思うけど。」
「何か、音楽の真理に触れるようなすごい事を言っているみたいですが、全く理解できません。」
「学園に入学したらこの子は、絶対に嵐を呼ぶわよね。」
「学生も、下手したら教授ですらついて来れないのではないですか?」
「おっかしいな~。オクターブと音階の概念があるのだから、周波数の概念もあるはずなんだけど、もしかして音階が作られた後に音が波である事が忘れられた?それとも、波である事に気が付いた天才は居たけど、全部理解されないで業績に音階だけが残ったのかな?」
そんな会話をしながら、しばらくして、ついにオルガリンが完成して引き渡された。