静筆の魔術師 ~音と秩序の辺境譚~ 作:Magical forest
さっそく僕がオルガリンに座ると、ソフィア先生が楽譜を出してきてくれた。
ルーンの祈りという聖歌だ。単旋律の音楽で、風の音や波の音、鳥の泣き声、木の葉の揺れる音など、自然のリズムが中心の曲だ。
ここはみんな食べていくのがやっとの中世時代。貴族は見栄を張ってお洒落や威厳を保とうとはするけど、芸術にお金をかけられるほど贅沢な世界じゃない。
少なくとも、アリディア王国は、音楽を専業にして音楽家として生計を立てられるほど豊かな国では無かった。音楽も貴族や教会の司祭と言った限られた人しか触れる機会が無くて、女神教会の信者がパイプオルガンの合奏に合わせて聖歌を歌うのが、娯楽というレベルだ。結果として、音楽はそこまで発展してない。
オルガリンを作ってくれたヴァルト公爵領の職人さん達も、パイプオルガンの生産なんて滅多に無いので、オルガリンやリュートなどを作って、なんとか職人集団を維持していた。
それでも、ヴァルト公爵領は楽器の一大産地だ。手先が器用な普人族と、木材に詳しいエルフが手を取り合って楽器を生産していて、この産地が潰れれば、アリディア王国には民族音楽しか残らなくて、王国の音楽文化は瓦解するであろう事は目に見えている。
「これの丸が音符になります。この音符がこの鍵盤に対応していて、前の丸の位置から次の丸がどのぐらい離れているかでタイミングが変化します。」
音符を拍数で示すのではなくて、全部丸で前後の位置でなんとなく長さを伝えているみたいだ。これでは、人によって奏でる拍数が変わるけど、風のリズムとか雨のリズムみたいな感じで、自然の音を拍数のイメージとして別途伝えているみたいだね。
「先生、なんでこの楽譜は線が5本なんですか?」
「私も先生から聞いた話なのですが、昔は10本だったらしいのですが、白毛草の紙が普及していなくて、バルグレイア帝国時代は今と違って羊皮紙でとても高価だったらしいです。だから、あまり使わない音は減らされて行って、段々と線が少なくなって行ったのですが、4本だと流石に足りないから5本に落ち着いたらしいです。」
「なるほど。」
どこの世界も楽譜事情は一緒らしい。ちなみに、この世界では白い紙は比較的早い時代にすでに実用化している。
漂白技術を確立したわけじゃなくて、アリディア王国に、白実蜂っていう白い巣を作る蜂が居るのだ。その蜂は白毛草と呼ばれる、白くて細長くて強い繊維を持ったの枯草を使って巣を作るのだけど、スズメバチのように表面が平な丸い巣を作るんだ。
それで、その表面を引き延ばして見ると、物を書くのにちょうど良かったので、物書きに使われるようになった。 だけど、蜂の巣なんてそんなに多くは無い。なので、その蜂の巣を再現しようとした人達が居た訳だ。
結局、白毛草の繊維を煮てバラバラにして、麦糊で固めた紙が普及した事で、紙は普及した。白毛草は、表皮まで白いので、皮を削らずにそのまま煮込む事でちょうど良いサイズにバラバラになる白い繊維が簡単にできた。それによってかなりの量の紙が作られる事になった。一年草である事と、漂白工程が要らない分、こちらの世界の紙は大分生産性がいいね。
なので、こちらの世界の紙は西洋紙よりも和紙に近いかな。紙作りは冬の間に、餓死しない程度に余裕はある農家の内職として一般化しているね。
オルガリンが完成してから、僕はソフィア先生の授業を真面目に受けた。特にアレンジを入れる事も無く、ソフィア先生の指導の元にオルガリンの練習を続けた。
すぐにクラシックの曲を弾きたいとも思ったけど、熱心に指導してくれるソフィア先生には悪いし、先生の言う事を聞かない悪い子にはなりたく無かったので、剣術と同じく愚直に先生の指導を反復練習した。
そして、夜には僕の机の上に、鍵盤を模した紙を置いて、クラシックの曲を練習した。鍵盤の構成は前世とあまり変わらなかったので、エアパイプオルガンのイメージトレーニングでも問題無かった。
そのうちなぜか、紙の鍵盤を弾いたら頭の中にその音が鳴るようになったけど、これは子供のうちの適用力に違いない。こうして音楽家は絶対音感なんかを獲得して行くのだろうか?
前世は絶対音感なんて無い、小中学生の頃にちょっとエレクトーンをかじっただけだったのに、なぜか前世のメロディーが頭の中に明確に蘇って来る。メロディーを元にどういう運指をしたら良いのかも良く分かった。まるで前世の世界の偉大な音楽家がこの世界でも自分の曲を広めるように、何か力でも送っているかのようだ。
なんだろうね? これ?
とりあえず、ソフィア先生の指導の元で僕は聖歌を数曲弾けるようになった。そしてサプライズで用意していたクラシックの曲も万全の仕上がりだ。たぶん。音を出して弾いていないけど恐らく大丈夫。
そして、ソフィア先生に音楽を教り始めて2ヶ月後、ついに僕は女神教会で演奏する日がやってきた。