静筆の魔術師 ~音と秩序の辺境譚~ 作:Magical forest
「ビールはどうやって作るのだ?」
「実は、水あめの糖を酵母で発光させたものがビールです。水に浸けて発芽させた麦芽を一旦乾燥させてモルトという状態にします。これは天日干しの時間を合わせて5日程度ですね。このモルトを粉砕して煮込んで麦汁にします。ここで麦自身が持つ酵素の作用によって糖分が形成されます。これを煮詰めた物が水あめで、これを煮詰めずにポップやハーブをハーブを加えて味を調えた物がビールの前段階になります。」
「なるほど。糖分を酒に変化させるのはどうするのだ?」
「実はここからの工程はワインと一緒です。冷ました麦汁に酵母菌を加えて発酵させます。この酵母菌なのですが、ブドウやリンゴの表面で繁殖する菌で、別名イースト菌です。リンゴやブドウの皮には野生酵母が付着しているため、皮のままジュースを放置すればお酒になるのですが、ビールの場合には僕が皮から取り出した酵母菌を与えて、麦汁で培養したスターターが用意してあります。このスターターを加えると酵母菌が糖をアルコールにします。つまりぶどうジュースが酵母菌でアルコールになった物がワインで、麦汁ジュースが酵母菌でアルコールになった物がビールですね。全行程を合わせても2週間ぐらいで出来て、熟成も不要なのでお酒としての生産性も良いです。」
「作り方を聞いているとそんなに難しい酒では無いように思うのだが、なぜ今まで無かったのだろう?」
「地球では紀元前5000年前、つまりすごく古代からある酒だったのですが、この世界に発酵パンが発明されていないか、発明されてもなんらかの理由で広まらなかった事が原因ではないかと考えています。発酵の原理は一緒で、パンの発酵技術を利用したのがビールなのですが、酵母菌を他の食品に移す技術がなぜか一般化していないのですよね。結果、その前提技術となるパンが普及しないため、ビールも普及しないようです。なぜかは分かりません。」
「パンを腐らせるとカビが生えるのでは?」
「それとは違って、無害なカビのような物をあらかじめ繁殖させておくような物です。」
「新鮮な物の鮮度をわざと落としてどうするんだ?」
「この世界の鮮度至上主義は何なんですかね?無害な菌で先に腐らせる発想が出て来ても、たぶん一般に受け入れられないのですよね。結果、食糧に困っているくせに、長持ちする発酵食品が発展しない。いや、発酵食品が発展していないから、食糧に困っているまである状態です。」
「無害な菌でも腐っている物は腐っているのだろう?」
「マテリア様をしてこの認識ですからね。体に害のない腐り方なら食べられるのですよ。それが発酵です。」
「恐ろしく異端な発想だな。」
「発酵を異端な発想とか言われちゃう時点で、文化的なギャップが埋められませんね。地球では発酵食品の味がそれぞれの民族のアイデンティティを決めているまである、文化的に重大な食品でした。」
「その辺で一つ考えられるとしたら、獣人族の存在かもしれないな。」
「獣人族?」
「彼らは、五感に敏感だ。鮮度の高い食品を見分けるのも上手い。良い効果であっても、異変のある食品を嫌ったのだろうな。」
「なるほど。発酵食品は腐った食品と紙一重。無害に腐るという事が理解できなければ、怪しい匂いがする食品は拒否されると言う事ですか。」
「そう言う面もあるかもしれない。結果、過渡期の発酵食品は淘汰されて、完成形までたどり着かないのかもしれない。 それで、このビールをどうするのだい?」
「人口に対して食糧が余り始めので、計画的に2次産業と3次産業の従事者を増やします。まずはビール工場の建設です。酒は一部の貴族や豪商が飲める程度で、一般庶民は一生に数回飲めるか飲めないかの高級好品です。これを一般向けにほとんどの人間が飲めるように流通させます。」
「そんなに大規模にやるのか?」
「そうです。やるなら大規模にして、封建的な法整備が間に合わないうちに、社会全体を加速度的に変化させるべきです。 秋に価格が暴落した大麦を買い占めて、大規模なビール工場を作ります。」
「その心は?」
「まず、下手をすれば家畜の餌にまで落ちぶれる大麦の価格をある程度維持できます。 これによって大麦の作付け面積が極端に減少する事を防ぎます。 また、ビールの売上によって、ルミエール公爵家の財務基盤は非常に強固になります。 同時に食糧とビールが大量に生産された段階で、これを提供する酒場や宿屋が各地にでき始めて、三次産業が発達し始めます。庶民の娯楽の芽生えです。 これは、少ない人数で食糧生産が可能になった事により、人が余って、別の職種が増える事を意味します。今後は農業に従事しない人が生まれて、次々と新しい職業について行くでしょう。 そのための最初の布石です。」
「なるほど。深くまで考えておるのだな。まずは余った食糧による酒の提供か。飢え死にするぐらいに食糧が足りない時に酒を造っても反発が大きかっただろうが、食糧が余っている時では話が別だ。むしろ捨てないで皆が喜ぶ利用法を考えだしたのだから、賞賛される行為だろうな。」
「ビール工場には、もう一つ重要な役割があるのですよ。」
「ほう。重要な役割とは?」
「それは、このパンの供給です。」
そう言って、焼いたパンをオーブンから取り出した。もちろん、一般流通している無発酵のビスケットやナンのようなパンではなくて、ふかふかのパンだ。
「何だこのパンは? すごくふかふかで柔らかいぞ。」
「テンプレの反応ありがとうございます。」
「そのテンプレというのは良く分からないが、これは何だ?」
「これこそ、僕の奥の手。ビールの生酵母を使ったフカフカパンです。」