静筆の魔術師 ~音と秩序の辺境譚~ 作:Magical forest
「史実的には、バルグレイア帝国を降伏させる前から、カイル様の反乱軍の拠点はノルダ山脈を横断したサリディオン平原に設けられていました。」
「しかし、一般の人々の歴史観はこれとは違い、バルグレイア帝国の降伏後に、カイル様の魔法によって、ノルダ山脈を貫くカイル大隧道を一瞬で作り、バルグレイア帝国からの賠償金を使用して、大量の移民を率いてノルダ山脈の反対側を開拓して、アルディア王国を建国したという歴史観になります。」
「どうして史実と歴史観にズレが生じているの?」
「それが、世紀の大愚行、ヴァレンツリァの石畳事件とそこからの加速度的な状況の変化に関係します。」
「ヴァレンツリァの石畳事件って、亜人の容認派と権利を求める亜人を同時に大虐殺した事件だよね?」
「そうです。当時のバルグレイア帝国は、カイル様率いる反乱軍に対して連戦連敗を期していました。何よりも、ノアの大森林を利用した損耗作戦によって、派遣した軍隊が毎回、ほぼ戻ってこないぐらいに損耗し、バルグレイア帝国の正規軍が損壊し始めていました。」
「討伐に派遣した兵隊が戻らないのはきついだろうね。」
「当然ですね。人的な面も影響が大きいですが、それ以上に、兵の装備や後方の補給システムに至るまで、カイル様は派兵された軍を丸ごと、念入りに消耗させていきました。」
「なんか、僕の思っていたカイル様と違う。僕の知っているカイル様って、友愛的だけど優柔不断で、みんなの意見に流されるYESマンで、決断を先延ばしにしているうちに大ピンチになるけど、最後は大魔法で一発逆転なワンパターンラッキー主人公ってイメージだったのに。」
「シュウ様のカイル様に対する評価が低すぎますね。演戯で書かれた王妃様たちとの日常シーンやラブシーンに影響されすぎです。確かに演戯では、カイル様が反乱を起こしてから、バルグレイア帝国の降伏まで3ヵ月ぐらいで書かれていますからね。実際のカイル様は、稀代の戦略家ですよ。守り切れない反乱軍の非戦闘員をすべて、ノルダ山脈の向こう側に避難させた上で、敵には反乱軍全部がノアの大森林に身を隠していると思わせて、実際には空っぽになったノアの大森林の全体を空間要塞として活用するなんて、尋常な発想では無いですよ。」
「カイル様は運と魔力だけで伸し上がった王様ってイメージだったけど、大分イメージが変わってきたよ。」
「カイル様の大魔法は本当に凄いのですが、それ以上に人柄と頭脳が大変優れていました。そうでないと、普人族の身の上で亜人反乱軍のリーダーなんてできません。」
「それで、その影響が徐々にバルグレイア帝国に現れ始めたんだ。」
「はい。その通りです。度重なる敗戦と軍の損耗によって、国が傾き始めたバルグレイア帝国では、より亜人を弾圧して亜人の力を削ぐ亜人弾圧派と、亜人の権利を認めて事態の収拾を図ろうとする亜人容認派で意見が真っ二つに割れていました。」
「亜人容認派が女神教会で、亜人排斥派が神人教だったの?」
「実際の事情はもっと複雑ですが、一義的に見てその認識でも間違っていません。」
「今では最悪の亜人排斥国家とみなされるバルグレイア帝国ですが、元々は普人族のバルグレイア王国が周囲の亜人の国などを取り込んで、大陸国家を統一する事で出来上がった一大帝国です。そこで大きく信じられていたのが女神教で、女神が普人と亜人を作り、みんなが共存する幸せな世界を願っているという教えの宗教です。」
「うん。誰がどう聞いても平和な宗教だね。でも、なんでこんな平和な宗教が女神教会騎士団なんて持っているの?」
「女神教会騎士団は、元々は辺境の自衛と互助の組織でした。辺境を魔獣や野盗から守るために、辺境の女神教会を中心に自警団を組織して、それを女神教会が権威付けして女神教会騎士団としました。女神教自体はご存じの通り、普人も亜人も差別しないので、女神教会騎士団には、沢山の亜人も参加していました。」
「それで、対する神人教はどうして出て来たの?」
「神人教の出て来た時期と、その当時のバルグレイア帝国の状況から、閉塞感から生まれて来たのだと推測されます。」
「閉塞感?」
「はい。バルグレイア帝国は、周囲の国を滅ぼして統一国家の樹立という偉業を成し遂げました。しかし、その後、周囲に侵略できる目ぼしい国家は無くなり、国に閉塞感が出てきました。それによって、今ある資源の椅子取りゲームになって、人口構成で大多数を占める普人族が優遇されるような宗教を、普人族が望むようになって、バルグレイア帝国で急速に広まって行ったようです。」
「それで、普人至上主義みたいな教えになったんだ。」
「そうです。一番最初に女神を模して造られたのが普人なので、それ以降の亜人は普人を助けて仕える存在だとか言う暴論が元になっていますね。」
「それって、長男のために、弟や妹は全てを捨ててでも仕えろみたいな話だよね? 家長が強い当時でも反発は大きかったんじゃないかな?」
「当然ですね。ただ、努力しないで集団内で優劣を付けるのに便利な事は確かでした。人は楽に利益を得られるのであれば、その方向に流されます。その結果、普人内で急速に信者を増やしていったようですね。」
「国が停滞する事による閉塞感か・・・。今のアリディア王国も他人事じゃないね。」
「その通りですね。今のように多種族間の婚姻が一般化していなければ、アリディア王国も部族間での内戦に発展していてもおかしくありません。その意味ではアリディア王国は非常な幸運な立場にあります。」
「その幸運がずっと続いてくれればいいけど・・・・。」
「それはシュウ様次第です。」
「僕もアリディア王国の一員である事は確かだけど、エルラ先生もその一員だよね?」
「はいはい。」
「むぅ~。」
「まとめますと、バルグレイア帝国の建国時には女神教会は、国を団結させるために重要な役割を果たしましたが、国民に階級を設けて、搾取する段階においては、平等を謳う女神教会はむしろ邪魔な存在へと変わって行き、神人教が勢力を伸ばしました。」
「そして、そんな情勢下で、バルグレイア帝国の皇帝自らが皇城前のヴァレンツリァ広場で亜人容認派に対して、公開討論会を実施すると宣言します。しかし、それは罠でした。当日は、女神教会の大司教を始めとした、亜人容認派の重鎮やその活動の支援者、そして何よりも亜人達が大量にヴァレンツリァ広場に押し寄せましたが、近衛兵を中心とした軍隊に広場の出口を抑えられて、ヴァレンツリァ広場で亜人容認派丸ごとの大虐殺が行われます。殺された人のあまりの多さに、ヴァレンツリァの石畳を構成する美しい大理石が、赤く染まり、深紅の広場と化しました。これがヴァレンツリァの石畳事件です。」