守りたいものがあった、守れないものがあった。
傲慢だと分かっていても、やはり思い浮かべてしまう。セドリック、シリウス、リーマス、フレッド、ダンブルドア先生、……そして、スネイプ先生。
数え切れないほどの人々が、私のために、ヴォルデモートを倒すために、魔法界を守るために、命を落とした。
過去は変えられない、変えてはいけない。息子たちの騒動で身に染みて分かっているけれど、それでも。
「ひどい顔をしているぞ」
いつの間にか、ベッドで寝ている私の傍らに、ドラコが立っていた。エメラルドグリーンのローブを着ていて、呆れた表情の奥に見える心配な感情を隠している。
「やあ、ドラコ。いつの間にかそこにいたんだ」
私が若干おどけた口調で話すと、ドラコはぶっきらぼうな声で返しながら、病室の中を意味もなくウロウロと歩いた。
「『やあ』じゃない! もうすぐ君の家族が来るんだ。
そんな泣き顔じゃ、きっと心配させてしまうぞ」
「ご忠告ありがとう」
私は軽く言葉を返し、杖を一振りする。すると、真っ白なハンカチが現れた。
───
無意識に出ていたらしい涙が引っ込み、ドラコが病室から退室すると、
「ハリー!!」
ジニーが真っ先に病室へ駆け込んだ。そのすぐ後に、ジェームズ、リリー、そしてアルバスが続く。
「みんな来てくれたんだ、ありがとう」
そう私が言うと、ジニーたちの顔が一瞬歪む。どうしたんだろうかと疑問に思う前に、ジニーが泣き崩れた。
「ハリー……、どうして……あなたが、こんな病気に……どうしてなの……」
言葉にならない嗚咽が交じる。子供たちは一生懸命にジニーを慰めるけど、彼らも何かをこらえているように見えた。
やめてくれよ。また、涙が出てしまう。
「どうして、あなたが、正体不明の病気なんかに……」
しばらく、みんなで号泣した。
───
みんなの涙が落ち着いたころ、私は1人1人に大切な言葉を託していた。
「リリー」
「はい!」
元気よく答える。だけどその顔には、さっきの涙の跡が光って見えた。
「幼い君を遺して逝くのは、本当にすまない。
でも、父さんがいなくなっても、強く、生きるんだよ。みんなが支えてくれる」
「はい!」
「ジェームズ」
「うん」
ジェームズは珍しく、真剣で真面目に答えた。
「父さんがいなくなった後は、ジェームズが父さん代わりだ。
大変なこともたくさんあるだろうけど、ジェームズなら、できる」
「……うん、任せておいてよ」
「アルバス」
「はい」
アルバスはいつも通りに見えた。あの事件から1年、アルバスは以前よりも遥かに成長した気がする。
「今までお互いに理解し合えていなかったこともあるけど、最期に言葉をかけられることが、父さんは嬉しい。自分なりの道を進むんだ」
「はい……」
アルバスの声が、少し震えて聞こえた。唇がふるふるとしている。
「最後に、ジニー」
「……」
ジニーは返事をしなかった。そんなジニーを、本当は力いっぱい抱きしめたかったけど、病気のせいで痩せ細っている私には、それができない。
「今まで、ありがとう。
私がこうしてここで穏やかに死ねるのは、いつもジニーが隣にいたお陰だよ。
本当に、ありがとう」
「……」
ジニーは、力いっぱいに頷いた。きっと、口を開けば、また泣き崩れてしまうと思ったんだろう。
私はもう一度、家族全員を見て、眠りについた。
また、全てが消えた。
───
不自然にありながら自然にある靄は、見慣れた駅をより白く、光り輝くように見せている。
制服?
もう一度格好を見る。間違いない、ホグワーツの制服だ。まだグリフィンドールの赤色のネクタイはなく、新入生が着る黒いものではあるけれど。そこでやっと、私が41歳の中年から、11歳の少年の姿に若返っていることに気がついた。
「ハリー、久しぶりじゃな」
私は、くるりと振り向いた。
「先生……お久しぶりです」
ダンブルドア先生は、まるで元からそこにいたかのように、静かに立っていた。
「この格好は……?」
私がホグワーツの制服に指を指しながら尋ねると、先生は無言で手招きをし、ゆっくりと歩き出した。身軽な身体の私はすぐに追いつき、並んで歩き出す。
「今度こそ、私は死んだのでしょうか?」
「あぁ、その通りじゃ。間違いなく」
先生は大きく、そして確実に頷いた。
「では、この格好は?」
「結論を焦らずに行こう」
先生は黙々と歩き出し、私は同じく無言で歩くしかなかった。しばらく歩くと、
ボーッ、ボーッ
という音が聞こえた。汽笛の音だ。
私が霧の中で目を凝らすと、私たちが歩いているホームの両側に、それぞれ1台ずつ、紅色の蒸気機関車が停まっていた。ホグワーツ特急だ。しかし奇妙だったのは、2台の汽車が、それぞれ反対方向を向いて停車していたことだ。
ここで初めて、先生は私の質問に答えた。ただし、その答えは抽象的だった。
「1台は先へと向かい、もう1台は前へと戻る」
先生は、それぞれの汽車を指さしながら答えた。
「どちらを選ぶかは、君次第じゃ」
先生の答えは抽象的だったが、
「前へと戻るというのはは……過去、ですか?」
「君は何も心配せんで良い。もう一度、君らしくおれば良いことじゃ。
ここにも、前にも、先にも、過去や未来はない」
先生は、相変わらずキラキラと光る目で言った。他にも訊きたいことはあったけど、私は直感的に、もう彼は何も答えないだろうと悟った。
「では、私はあちらの方へ」
先生は黙って頷くと、最後まで両目を輝かせて私に手を振った。振り返そうと思ったそのとき、先生は目の前から消え去っていた。まるで、元からそこにいなかったかのように。
霧が濃くなっている。私は、霧で周囲が見えなくなる前に、選んだ方の汽車へ乗った。
汽車の中は誰もいなかった。私はすぐそばにあったコンパートメントに入ると、窓際に座った。だが、霧が既に周囲を覆い尽くしていて、先程まで立っていたホームすら見えない。
ボーーッッ。
汽笛の音が遠くに響く。その響きに包まれるように、私は静かに目を閉じた。