スネイプ先生に連れられたのは、ガーゴイル像の前だった。
「蛙チョコレート」
スネイプ先生が迷わずそう告げると、像が音もなく動き、螺旋階段が現れた。私たちは階段に乗り、静かに上へと昇っていく。
……前回の人生では、入学早々に校長室へ呼ばれることなどなかった。まさか、ダンブルドア先生はすでに、私が『二度目の人生』を歩んでいることに気づいているのだろうか。分からない。だが、その可能性は否定できない。
とりあえず、変に疑われないように閉心術は解除しておいた。ダンブルドア先生であれば、開心術で私の記憶に触れることもあるだろう。
そうこうしているうちに、私たちは校長室の扉の前へとたどり着いた。スネイプ先生が扉を軽く叩く。
「お入り」
扉の向こうからダンブルドア先生の声がし、私たちは室内へと入った。
先生は椅子に座り、机の上で何かを書いていた。肖像画の歴代校長たちは、興味深そうにこちらを見ている。フォークスは、金色の止まり木で大人しく羽を休めていた。
「校長、ポッターを連れてきました」
ダンブルドア先生は執筆の手を止め、まずスネイプ先生の方を見やる。
「うむ。ではセブルス、君はもう行ってよい。ここからは、ハリーと話すことがあるのでな」
スネイプ先生は一瞬、私に視線を向けたが、すぐに逸らした。
「……では」
そう言って、彼は静かに校長室を後にした。残ったのは、私とダンブルドア先生、そしてフォークスだけである。
先生は微笑みながら、これまでで一番優しく、それでいて鋭く輝く目で私を見つめた。少しの間をおいて、口を開く。
「……さて、ハリー。どうやら君は、なかなか特殊な体験をしているようじゃの」
私は黙って頷いた。しかし先生の笑顔は、なぜかその瞬間ふと消えた。
「ハリー」
「はい」
先生の真剣な眼差しに、自然と背筋が伸びる。
「君は一体、魔法界をどう変えていくつもりかね?」
唐突な問いに、思考が一瞬凍りついた。すぐに頭は再び動き始めたが、動揺が心を満たす。
先生は、一体何を考えているのか。私は、どれほどの犠牲があろうとも……『前』と同じように、やり遂げるつもりだった。そうでなければならない。
「……先生。私は、この世界を変えるつもりはありません」
はっきりとした口調で言い切る。
「ハリー」
先生が、重みのある声で私の名を呼ぶ。
「はい」
応じると、先生は言った。
「実は君がこの世界にいる時点で、すでに君の『記憶』とは乖離が始まっておる」
覚悟はしていた。つもりだった。
その道を選んだ以上、そうした事態も起こり得ると分かっていたはずだった。しかしそれを、現実として突きつけられると、不安が胸を締めつける。
……今思えば、あの若かった頃が懐かしい。グリフィンドールだからではない、あの頃の無鉄砲なまでの勇気。今の私が、当時の私であれば、きっと迷わず突き進んでいただろうに。
だがその一歩を、慎重になるあまり踏み出せない今の自分が、もどかしい。
私がそんな葛藤の中にいる間に、先生は杖で記憶を取り出し、それを憂いの篩へと注いだ。手招きに応じて、私は額にしわを寄せながら近づく。
「では、行こうか」
先生はそう言って、篩の中へ頭を沈めた。私もそれに続く。
───
そこは、見覚えのある光景だった。薄汚れた部屋に、今と変わらぬ姿のダンブルドア先生と、トレローニーがいる。先生は立ち上がろうとし、扉に手をかけていた。
……これは、予言の場面だ。
『前回』はトレローニーの声だけを憂いの篩で聞いたが、今回は場面ごと映像として見られるようだ。
「闇の帝王を打ち破る力を持った者が近づいている……七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗った者たちに生まれる……そして闇の帝王は、その者を自らに比肩する者として印すであろう。
だが彼は、誰も知らぬ記憶を持ち、帝王の知らぬ力を持つであろう……一方が他方の手にかかって死なねばならぬ。
双方が運命に抗うならば、一方が生きる限り、他方の運命は変えられぬ……闇の帝王を打ち破る力を持った者が、英雄が死ぬときにまた、生まれるであろう……」
トレローニーのざらついた声が消えると同時に、私たちは現実へと戻された。
『前』と少し異なるその予言に、頭の中が騒がしくなる。
───
「先生、スネイプ先生は予言をどこまで聞いていましたか?」
戻ってきてすぐ、私は問いかけた。
「君の『記憶』通りじゃ」
短く、そう答えられる。
「……そうですか。よかった」
思わず、安堵の息を吐いた。ヴォルデモートが今なお、私の『記憶』について知らないのは、大きな優位だ。あの時、念のため閉心術をかけておいてよかった。
「では、わしからも一つ。君に聞きたいことがある」
「はい?」
先生は、どこか厳しさを含んだまなざしで問いかける。
「君は一体、なぜ『二度目の人生』を送ろうと決めたのか……教えてくれんかの?」
「……後悔のない人生にしたいからです」
私はぽつりぽつりと、想いを語り始めた。
「アルバス……ええ、息子の方です。先生のことではありません。
彼や親友、家族とともに両親の死を見送ったとき、そして自分自身が本当の死に直面したとき、ふと思ったんです。
後悔なく、心を整理した状態で、大切な人たちの死を見送りたかったと。
だから、私はあの白い空間で、過去へ向かうホグワーツ特急を選んだんだと思います。
未来を変えるつもりは、今も全くありません。ただ……」
気がつけば、私は心の内をさらけ出していた。
「それでも……フレッドと話し、肖像画ではないスネイプ先生を見て、そして今、先生とこうして話していると……決意が、少しずつ揺らいでしまいそうで……それが、不安なんです」
先生は私の言葉を、最後まで遮らずに聞いてくれた。そして静かに、口を開いた。
「これはあくまで、わしの予想じゃが」
ダンブルドア先生の『予想』――それは、予言よりも信じるに足る言葉だ。私は耳を澄ませた。
「仮に君が未来を変えたとしても、トムが世界を支配するとは限らんと、わしは思っておる」
「でも……アルバスたちは、セドリックを負かしただけで、ヴォルデモートが……!」
つい声を荒げる私を、先生は手を上げて静かにたしなめた。
「すみません、熱くなってしまいました」
「無理もないことじゃよ」
先生は微笑んでから、続けた。
「そもそも、アルバスたちと君とでは、状況がまるで違う。分かるかの?」
私は記憶をたどりながら答える。
「アルバスはそのまま過去に戻ったけれど、私は……幼い身体で戻っています。
それに、私はタイムターナーも使っていません。
アルバスは過去を変える目的でしたが、私は違う……ただ、過去を直接見たかっただけです」
「その通り」
先生は大きく頷いた。
「君は『時間の異物』ではない。むしろ、この世界に再び根ざした存在じゃ。
だからこそ、最悪の未来を防ぐ力が君にはあると、わしは信じておる」
……何か、狙いがあるのだろうか? そんな思いを胸に、私は尋ねた。
「つまり、先生は……私に未来を変えてほしいと?」
先生は、静かに首を横に振った。
「いや。わしはあくまで、『後悔のない選択肢』を君に提示しているだけじゃ。
どちらを選ぶかは、君次第。わしはもう、君の人生を束縛したくはないんじゃよ」
その言葉の最後、先生の声がかすかに震えていた。
「……少し、考える時間をください」
先生に釣られて感情があふれそうになる中、私はなんとか言葉を絞り出した。
「もちろんじゃ。わしは君より老い先短いが、それでも君の判断を待つ時間はある」
そう言うと、先生は懐中時計を取り出して時刻を確認した。
「もうすぐ就寝時間じゃな。入学早々、罰則を受けるのは堪えるじゃろう。
話したいことはまだあるが……今日はここまでにしておこうか。
続きは、これから毎週月曜日の夜八時。ここに来てほしい。返事は、いつでも良いからの」
「……はい、分かりました」
私は頷くと踵を返し、扉へと向かった。扉を少し開け、振り返ってもう一度先生の顔を見る。
「今夜はありがとうございました。また来ます」
先生が柔らかく微笑むのを見届けてから、私は扉を静かに閉めた。
閉めた瞬間、ふぅっと大きな息を吐いた。
返事を今すぐ求められなかったのは、本当に助かった。考えなければならないことが、山ほどある。
とりあえず、ベッドの上で考えを巡らせよう。
そう思いながら、私は幼い足を懸命に動かして、懐かしきグリフィンドール寮へと戻っていった。