〜遠坂樹side〜
時は少し前まで遡る。
授業やホームルームを終えた俺は今日も梅雨による大雨が降る中、傘を刺しながら朔夜の居る病院まで向かっていた。
――朔夜の様子を見るに病院生活で気が滅入っているのか?
普段の朔夜は口数が少ない方だが、病院に居る時は更に減っている所を見るにその可能性は高いのかも知れない。
如何にか朔夜が少しでも元気になってくれたら良いのだが。
まあ、だからと言って俺に出来る事は少ないのかも知れないが、何もしないよりは遥かにマシだろう。
そう判断した俺はバスに揺られながら病院前で降りると、受付でいつも通り手続きを済ませて三階の病室へと向かって行く。
道中、院長らしき人の列とすれ違いつつ、俺は病室の前に来るとノックをし、中から朔夜の声が聞こえたのを確認して入る。
「よぉよぉ〜今日もいっ君さんが来たゾ!」
俺がそう言いつつ、朔夜を見ると少し元気が無かった。
あれ?もしかして何かあったのか?俺が原因じゃ無ければ良いが。
「………樹、何で今日も来てくれたんだ……?」
「え?だって友達だろ?心配だから来るのは当たり前だって!」
俺は不思議そうに首を傾げると、朔夜は突然涙を流してしまう。
え!?やっぱりいっ君さん何かしてしまったのか!?見に覚えが無いぞ。
「……す、済まん。まさか連日来てくれるとは思って無かったから少し嬉しくて…その…涙が溢れてしまって…」
「大丈夫。泣きたければ泣いたって良い。だって此処には俺とお前しか居ないんだしな」
「………だけど俺は泣く資格なんか無いから…」
「……?」
何だ?何か朔夜の様子がかなりおかしい。
……もしかして何かあったな。
「……なあ、何かあったのなら俺に話してくれないか?ほら、話すだけでも少しは気が楽になるかも知れないし」
「……いや、でも……」
「言いたく無いなら別にそれでも良いけど…もし何か言いたいのなら言ってくれても全然構わないんだぞ?」
俺がそう言うと朔夜は固まり、暫く無言になってしまった。
そうして暫くして朔夜は口を開けた。
「……本当に話しても良いのか?」
「おう。お前といっ君さんとの仲じゃないか!何だって話してくれてええんやで」
「………そうか」
そう言って朔夜は重い口を開けて伝えたい事を言った。
「……実はさ。病院に来ると昔の事を思い出してしまうんだ」
「……昔の事?」
「……ああ。昔、俺が小学生ぐらいの頃。両親にディスティニーランドに行きたいって無理を言って連れて行って貰ったんだ」
そうして朔夜は昔の事を淡々とゆっくり喋り始めた。
「……俺と妹、両親の四人で行ったディスティニーランド自体は良い思い出なんだ。色んな施設に行って一日中遊んだ記憶があって。母さんと親父が笑い、それに釣られるように俺と咲希も笑えた。
……だけど」
そう言って朔夜は口を噤ってしまう。
余程、思い出したく無い過去なのだろう。
だけど朔夜は俺の目を見て、俺は真剣に見つめ返す。
そうして朔夜は暫くしてから口を開いた。
「……ディスティニーランドの帰り、交通事故に遭ったんだ。
相手は高齢の老害。煽り運転をしやがった所為で俺達が乗っていた車は横転し、母さんは頭の打ち所が悪かったのか、それとも首の骨を折ったのが先か分からないが…交通事故で帰らぬ人になった。
それにも関わらず、相手の老害はそのまま逃げ出しやがった」
「……酷い話だな」
本当に酷い話だった。
幸せだった筈の東雲家に相手の煽り運転で母親が犠牲になった。
それだけでも悲劇なのに、相手は謝罪もせずに逃走する始末。
こんなのってあんまりだろ…。
「……その時の交通事故で俺も頭を強くぶつけ、てんかんを患ってしまったが、問題はそこじゃねぇ。そもそもの話さ。俺が両親にディスティニーランドに無理を言わなければ母さんが犠牲になる事は無くて…今も生きてたんじゃ無いかって思えてしまってさ。
ひたすら病院で後悔し続けたよ。俺なんかの我儘を言った所為で幸せだった家族を不幸にさせてしまったんだからさ」
そう言って朔夜の目から涙が止まる事なく溢れるが、それを無理矢理腕で拭うと、感情を押し殺しているのが何となく分かった。
「……それからだ。俺は家族だろうが誰であろうと“我儘”だとか、感情を必要以上に押し殺し、我慢し続ける事で誰かが傷付く事も無くなるんじゃないかって思えたらさ…俺が我慢になるのが正解だって分かっちゃってさ。もう全てに諦めが付けた」
「……朔夜、それは――」
「……ああ、分かってる。そんなのは間違いな事ぐらい。だけど…だけどさ?それ以外にどうしろって言うんだよ!?俺が犠牲にならないとまた誰かが傷付き、不幸になるぐらいなら…俺だけが最初から我慢し続ければ良いんだろ?それ以外に答えなんかあるか!!」
朔夜は感情を押し殺したいのに、無意識に本音が漏れ出ている事に気付くと手で口を抑え、これ以上本音を言わないように蓋をしようとしていた。
俺はそんな朔夜を見て、こんなのは違うと思ってしまった。
朔夜の所為じゃ無い。我慢しなくて良いんだよって言いたい所だがそれすら彼は分かってる。そう分かってる上で自分だけ犠牲になろうとしているのだ。
俺は何を言えば良いのかが分からない。
だけどこれだけは言ってあげたかった。正解かは分からないけど…それでも俺は――
「……そうか。大変だったんだな」
「………」
「……そりゃそうだよな。俺だってお前の立場だったらそう考えて全てを我慢し、犠牲になりたくなるわ。その気持ちは良く分かる」
だけど――
「……だけどさ。別に全てを自分の所為だとか、我慢し続けなくても良いんじゃないか?少しだけでも…少しだけでも自分を許してやらないと…朔夜。お前、きっといつか限界が訪れるぞ」
「……限界?はっ俺の人生は何もかも終わったんだ。だったら他の家族の為に…誰かの為に俺だけが犠牲になれば――」
そう言う朔夜を見て、俺は言った。
「……違う。違うんだよ朔夜。確かにお前の過去とか考え方を全て否定するつもりは無い。だけど少しぐらい自分を許してやってもそろそろ良いんじゃないかって俺は思ったんだ」
「……自分を、許す…?そんなの出来る筈がねぇ…そもそも事故で悪いのは加害者だとして、仮に母さんが俺を許してくれたとしても俺自身がそれを許せねぇんだよ。そんな自分を許せだなんて…。
こんな俺を許してくれる奴なんて誰一人としている訳が…」
そう言って朔夜は黙りこくってしまった。
これ以上は彼を深く傷付けてしまうのかも知れない。だけど犠牲になろうとする彼を俺は見過ごす事なんか出来なかった。
彼を傷付けてしまうかと知れない事も承知の上で俺は言う。
「……誰も居ないんだったら俺がお前を許してやる」
「は?……樹、お前何を言ってるんだ?そもそもこれは俺一人が抱えるべき問題でお前には関係の無――」
「関係無い筈が無いだろ!お前が苦しむ姿を見て俺が何とも思わない筈がねぇだろ!」
つい、感情的になって言ってしまった。
……ヤバい。つい彼の苦しむ姿を見て我慢が出来なかった。
「……お前が俺を……?…お前に俺の何が分かるって言うんだよ!俺は母さんを殺したようなもんなんだぞ!本当は違うとは分かっていても俺は自分を許せねぇんだよ!!……ってあ」
そこで朔夜は急に少し冷静になり、目を逸らしながら言った。
「……悪い。お前に話を聞いて貰ってるのに責めるような感じで言ってしまった……」
「……いや、俺も感情的になってしまった。ごめん…」
「「………………………」」
お互いに冷静になって暫く黙りこくってしまった。
お互いに反省する事は多く、されど譲れない所はあるのも事実。
どうすれば良いのか全く分からなかった。
「……けどこれだけは言っておく。俺はお前の味方になりたい。
お前が何を言ったとしても俺はお前を救いたいのは事実だ」
「……そうかよ。……けど何でそこまでしてこんな俺の為に」
「……“友達”だから、だろうが」
友達だから心配して仕方が無い。苦しむ所を見たくは無い。
助け合い、支え合うのが友達だろ?それの何処が悪いんだよ。
それに…
「……それにさ。俺も“自己犠牲”な所があるからさ。お前を見ると昔の俺を見ているみたいで放って置けないんだよ」
「……お前も?」
「ああ。何だろうな…お互いに似た者同士だからかもな」
そう。俺自身も過去が原因で自己犠牲を何とも思わないから。
他人の幸せの為なら自分の事など二の次。だけどそれをしてしまう事で悲しむ人が居るのも分かってしまったから。
俺は朔夜にそれを伝えたかったのかも知れない。
「……過去にさ。自分を二の次にして、友達の為に自己犠牲だとかしてたらさ。その友達を悲しませてしまった事があってさ。
『もっと自分を大切にしてよ!あんたが傷付く姿を見て何とも思わない筈が無いでしょ!』って言われたのが衝撃的でさ。
もし、朔夜。お前の大切な人から言われたら同じ気持ちになる。
少なくとも周りの気持ちの事も少しは考えてあげてくれ」
「……周りの気持ち、か」
俺と境遇が似ている事を話したからか、朔夜は少し考え込む。
かなり長い時間が経ち、俺が朔夜の顔を見て待っていると、朔夜は何か考えたのか口を開いた。
「……そうだな。確かに俺の事ばかり考え過ぎていたのかも知れない。自分ばかり責め続け、過去に囚われ、未来を見ずにいた…。
……それに樹に言われて気付いた事もあった。そもそも家族を幸せにしたいと言っているのに、俺が傷付く姿を見た家族が悲しむ…そうなればそれこそ俺の所為になってしまうよな…」
そう言って朔夜は俺の顔を見て言った。
「……済まない。そうだよな。家族どうこうも大事だけど俺自身が救われないと少しでも意味が無い、か。
……なあ、樹。こんな俺が本当に幸せになっても良いのかな…」
そう言う朔夜に俺は笑みを浮かべて言ってあげた。
「……良いんじゃないか。過去は変えられないけど、未来は変えられる。それを切り開くのは自分自身だ。
どうするべきかは朔夜が決める事だけど…少なくとも幸せになる資格は誰にだってあるべきだよ」
「……咲希にも言われたな。“お兄ちゃんはお兄ちゃんらしく幸せになる為に生まれて来たんだって”って。
……ああ、そうか。俺は幸せになっても良いのか…」
そこで漸く朔夜は押し殺して来た感情が解放され、長年積もりに積もった止まる事の無い感情の雨が瞳から溢れて行く。
「……うっぐす…ひぐ…母さん…母さん……!」
「……大丈夫。俺がお前の味方で在り続けるから」
「樹…俺は…俺は…!母さんを…けど本当は違うんだって…だけど俺が許せなかった…けど…こんな俺でも…幸せになっても…」
「……ああ。幸せになっても大丈夫なんだから…」
「……ぁ…あぁ…んぐす…ああぁああああ…!!」
俺は朔夜に抱き着き、頭を撫でながら優しく言った。
腕の中で朔夜は長年溜まった感情を吐き出すが如く、病室で感情を思い切り流すのだった。
△ △ △
それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。
暫く俺の腕の中で泣いていた朔夜が『…もう大丈夫』と言った為、離してあげた。
「……樹。俺は直ぐには本当の意味で自分を許してあげられるとは思えない……けど、長い時間を掛けて…許せたら良いと思ってる」
「……そっか」
「……だから樹。色々言ってくれて有難う…それとごめん。色々と言い過ぎた事もあった」
「それはお互い様だろ」
俺がそう言うと、朔夜も『そうだな』と言って笑っていた。
……漸く朔夜の笑顔が少しずつ見る事が出来た。
「……それと…その……色々助かったよ」
「“友達”なんだから助け合うのが当たり前だろ?」
「……“友達”。ああ、友達だから…」
朔夜は『友達』を何度か言ってから、俺に視線を向けると…
「……こんな面倒な俺だけど……これからも一緒に居てくれるか…?」
「何だよ今更。俺だって面倒なんだし、逃すつもりもねぇよ」
「そうか…俺はもうお前に捕まえられたからな(笑)」
そうして――
「……これからもこんな俺だけど……宜しくお願いします」
「おう」
そう言って俺と東雲朔夜は互いに笑い合うのだった。