序章 冬の始まり
枕元で鳴った、スマートフォンのメール着信音で目が覚めた。
「ふわぁ〜……オフトゥンが恋しい……」
俺は恋人であるオフトゥンの暖かさと眠気のダブルコンボに負けて二度目を決めようとしたが、部屋の扉越しに姉貴の気配を感じ取って、オフトゥンを抱き締めながら臨戦態勢に入った。
姉貴が扉を開け、扉越しから俺を見つけ、呆れた表情をしながら言った。
「……朝だから早く降りて来て。後、私はもう行くから朝食は簡単な物でも食べておいて」
そう言って余所行きの格好に着替えた姉貴は扉を開けたまま、行ったもので廊下から冬の寒気が俺の部屋に侵入して来る。
「うぅ……寒い……オフトゥンと離れたく無いよぉ……」
だけど今日は学校だから、俺は仕方無くパジャマから制服に着替えると洗顔などを済まし、キッチンに向かって行く。
キッチンでお湯を沸かしながら、帰りのうちに買っておいたコンビニのおにぎりを冷蔵庫から取り出す。
そして、そいつを大きめのお茶碗に入れ、たっぷりと上からお茶漬けの素で塗す。
「棚にあった新商品の“なめこ”にぎりに臆してしまって、無難な“鮭”にぎりにしてしまったが……今思えばベストチョイスだな……と」
熱々のお湯をお茶碗へと注ぎ、仕上げに“塩昆布”を一つまみ乗せる。
「……よし、出来上がりだな!
──これが俺流、お手軽“おにぎり御茶漬け”」
お茶漬けの素に塩昆布がベストマッチで、ふやけたおにぎりの中から溢れ出る鮭が堪らないのだ。
俺は茶碗に口を付けてお茶漬けを啜り、一口、また一口とご飯を口へ掻き込む。
「うん……美味い。とは言え、そろそろ新しい組み合わせにも挑戦したい頃合いだな」
それならやはり新商品の“なめこ”にぎり…….、いや、上位版の“天むす”にぎりに手を出してみるのもありだな。
そうして、締めの一杯にはこいつ“きな粉牛乳”。
渚に教えて貰った飲み方だが、栄養のバランスが頗る良いらしい。
更に低カロリーで美肌効果と疲労回復、そして何よりバストアップ効果も……!?
「……って俺には関係無いな!」
俺は窓から差し込む朝の陽の光を浴びながら優雅にきな粉牛乳を味わうのだった。
△ △ △
「やあ、おはよう!」
「「「おはよう」」」
俺はいつも通り1年C組に入り、近くに居たクラスメイト達に挨拶を掛け、自分の席に着くと遠くにいた朔夜が近寄って来た。
「……おはよう」
「おはよう朔夜!」
俺は朔夜と挨拶を交わし、準備しながら雑談をした。
「それにしても12月に入ってから本格的に寒いのね……うぅ」
「……空気の入れ替えとかで窓を開ける必要があるとしても、出来れば教室の窓を開けて欲しく無いな。開けられる度に寒いし」
「それな。だけど一月とかにならばより本格的に寒くなる見込みらしいからな……既に服の裏側にカイロとか貼っている俺は今後はどうしたら良いんだろうか」
俺は周囲を見渡した。
後ろのロッカーにはコートやマフラーが突っ込まれている。
女子はブランケットを膝に掛け、脚を隠しているのが大半だ。
本格的に冬で寒いよなぁ…女子の脚が見れねぇなと少し残念に思っていると教室前方の扉が開き、同時に俺の視線もついっとそれを追ってしまった。
其処から入って来たのは我が天使──草薙廣仁だった。
廊下が冷え込んでいたのか、教室に入って来るとほっと息を吐く。
思わず、俺もひゅうっと息を吸う。嗚呼、今天使様の吐いた息が俺の中にも入って来て……。うん、流石にこれは我ながら気持ち悪いと思ってしまった。
廣仁は俺の視線に気付き、てとてと歩み寄って来た。
「おはよう!」
ぱあっと花が綻ぶような笑顔と共に爽やかな朝の挨拶。
嗚呼〜寒い冬でも天使様の笑顔は俺の心をぽかぽかと暖めてくれる。
「“お”は”よ”う”!!」
「あはは…朝から無駄に元気な挨拶どうも」
「廣仁に存外に扱われるの気持ちぃぃぃ!!」
興奮が限界に達してしまういっ君さんなのであった。
△ △ △
それから時は流れ、真面目に授業を受け終え、三校時目の国語で頭を使い果たして休憩をしていると、近くの席で彰人が言った。
「次って数学じゃん。此処の教科書に書かれている問題とか絶対難問でしょ。出て欲しく無いわ」
と、言われて俺は藤澤彰人が此方に見せて指差した問題を見た。
あー……此処の問題は確かに苦手だと分からなそうだな。
「……まあ、当たられないように頑張れとしか言えねぇな」
「うへぇ〜……如何か教師に当たられませんように」
そう祈る彰人だったが……果たして如何なる事やら。
そうして休憩時間が終わるまで数学の準備を終え、雑談をしていると時間が来たのか、数学の女性教師がやって来た。
「起立、礼。お願いします」
「「「お願いします」」」
クラス委員が号令をし、俺達も口を揃えて言った。
それから椅子に座り直し、本格的に授業が始まるのだった。
……………………。
………………。
…………。
「──と言う訳で、この公式は覚えられましたね? はい、では此処から演習問題に入って行きますよ」
先生の声に呼応し、教室にはページを捲る音だけが響く。
「──で、ある訳で。えっと、じゃあ遠坂君。この数値は幾つになりますか?」
不意に先生に指差されて、俺は席から立ち上がる。
「はぁ、えーと……34ですね」
突然、辺りが『おおー』とか『凄い』だとかで騒めき立ち、俺に注目が集まる。
「へぇ、難問を振ったつもりでしたがあっさり解いてしまう辺り、流石遠坂君ですね」
考え事をしていたものだから、普通に答えてしまった。
見返して見ると、中々の難問だとは思っていたが、予習した時に何度かこの手の式は解いている。
「いえ…どうも」
教室から注がれる視線に、俺は苦笑で答えながら気不味い思いで着席した。
それから先生は今の解答の経緯や式の説明をして次の設問へと移行する。
「それじゃあ次の此処の問題。では藤澤君、解いて見て下さい」
「ふぁ!?え、はい……!」
今度は数学に理解が及ばず、飽きて欠伸をしていた藤澤彰人が
指名を受けた。
数学の先生は、以前から生徒達を良く見ていると評判だ。
実際にこうして集中力を切らしている生徒を狙い撃ちで指名する事が多い。
「うーん……えー…その……」
藤澤彰人は立ち上がった後、慌てた様子で黒板と教科書を交互に見返している。
あれ?此処の問題ってさっき、アイツがテストに出て欲しく無いって言っていた問題じゃないか?
「あの……それ、何処のページでしょうか?」
「80ページの問い2ですよ。しっかり聞くように」
「あ、すいません……でも、そこは難し過ぎてテストに出ないでしょうし──」
「おい、藤澤!」
藤澤彰人の席の近くに居たクラスメイトが慌てた様子で言った。
それに気付いた彰人は『すいません。分かりません!』も焦った様子で言っていた。
彰人はしまったー!……と大仰に頭を抱えた仕草をしてすぐさま訂正する。
「皆さん、此処テストに出ますからねー?」
「“そ”れ”は”勘”弁”じ”で”ぐ”だ”ざ”い!!」
彰人と先生のやり取りに、教室は小さな笑いが起こった。
「……先生はそう言うけど、本当に此処ってテストに出るのかな?」
同じく斜め前の席の廣仁がぼそりと呟いた。
「あ、確かにそれ気になるな……どうしたものやら」
「出たら絶対解けない自信があふわ……」
先程の笑いから一転して、クラスメイト達はひそひそと言葉を交わし始める。
「皆、静かに。多分先生の冗談でしょう。此処の問題は難関受験レベルの応用問題だもの」
「そうよね。冗談よね!?」
「じゃあ大丈夫なのかな」
1年C組のクラス委員の言葉に、また教室は静まり返る。
先生はにこにこと楽しそうに皆の様子を眺めていた。
「いや、決め付けるのは早いんじゃないか?先生によっては、120点満点の問題を作って、そのうち20点の部分に応用問題を入れる時もある」
俺は周囲のクラスメイトに小声で耳打ちする。
「確かに一理ある。何とも悩ましい設問だね……」
「……確かに」
「「「俺達/私達、一体どうしたら……?」」」
そうして最後は縋るように皆が先生の顔を窺った。
「うふふ……さて、そう言う訳で皆さん。此処の範囲は満遍無く勉強して来て下さいね」
「えー、先生本当に出題する気ですか〜?」
「そんなご無体なぁ」
先生はにっこり顔で締めると、次の問題へと進む。
「あはは……はぁ」
「………………?」
俺は彰人が何故か溜め息する所を目撃し、疑問符を浮かべた。
はて?アイツ如何かしたんか?……まあ、気になったら聞けば良いか。
それよりやたら寒いけど何が……あれ?雪が降ってる?
俺は窓を見て初雪が降り出している事に気付いた。
──季節は冬。
寒い冷気が人の肌を刺し、誰かの温もりを欲するような季節。
これから語られる物語は、冬の日常を描いた日々の出来事。
果たしてどのような結末になるのかは誰にも分からなかった。