ブルアカにドMを生やしただけ 作:ナギサ様の臀部
深夜、ナギサはセーフハウスの一つに身を隠し、眠ろうと思っても眠れないので、紅茶を飲んで時間を潰していた。
「紅茶でしたら、もう結構です」
ノックの音が聞こえたので、てっきり部下が訪ねてきたのかと思ったナギサだが、ノックの主はナギサの返事にもかかわらず部屋へ入ってきた。
「……可哀想に、眠れないのですね」
「っ!?」
「それもそうですよね。正義実現委員会がほとんどそばにおらず、虎の子のCHAIRSは動かない……不安にもなりますよね、ナギサさん?」
「う、浦和ハナコさん……!? 貴女がどうしてここに……!?」
そこにいたのは、本来ここにはいるはずのない人間。裏切り者の疑いがあるとして補習授業部に入れていたはずの、ハナコだった。
「ふふふ♡ナギサさんの使う87のセーフハウスのローテーションも、変則的な利用も、全て知り尽くしていますからね♡」
「なっ……!?」
「動くな」
「……!」
さらに背後には、銃を構えたアズサの姿が。
「助けは来ませんよ。ここまでの護衛の方は、全員片付けさせてもらいましたから」
「白洲アズサさん……浦和ハナコさん……! まさか、裏切り者は、二人……!?」
「ふふっ、私たちはあくまで駒に過ぎませんよ。指揮官は別にいます」
「それは、一体……!」
次は自分だろうと、ナギサ自身覚悟はしていた。
しかも今は、補習授業部の邪魔をするために正義実現委員会を試験会場の封鎖に駆り出し、戒厳令で他の生徒も誰もいない。
本来はこんな時も想定して用意していたCHAIRSも、第二次試験の妨害の際には動かせたがそれ以降は「指揮権は土江ムイにある」と言い張り、ここにはいない。
「その前にナギサさん。補習授業部は、ここまでする必要はありましたか?」
「っ……」
「貴女の心労は理解できます。しかし、私とアズサちゃんはともかく、コハルちゃんやヒフミちゃん……特にヒフミちゃんとは仲が良かったはずじゃないですか」
ハナコの言い分に対し、ナギサは反論を持たなかった。
「試験監督にムイさんまで動員して……しかもそのムイさんにすら、ろくに説明もしないで」
「それは……」
「ヒフミちゃんやムイさんがどれだけ傷ついてしまうか、考えなかったのですか?」
「……そう、ですね。ヒフミさんには酷いことをしました。ムイさんには、行政官をやめると言われてもおかしくないでしょう」
全ては大義のため。ゴミはゴミ箱に。そして、どこにゴミがあるか分からないなら、ゴミ箱ごと捨ててしまうのも手段の一つ。
エデン条約のためならば、何の罪もない生徒ごと補習授業部を切り捨てる覚悟でナギサは臨んでいた。
「ですが、後悔はッ──」
そう答えようとしたその時、ナギサは見てしまった。ハナコが後ろ手に隠し持っていた、血に濡れた何かを。
それが何かは、CHAIRS全員に配るように指示したナギサ自身がよく知っていた。
「あら、すみません。サプライズプレゼントにするつもりだったのですが……」
「……ぇ」
「私たちの指揮官からの贈り物です。厄介な方でしたが、貴女の名前を出せば簡単に誘導できましたよ。念の為に言っておくと、彼女は最後まで貴女に忠実でしたよ。それゆえに、こうなってしまいましたが」
机に置かれたのは、血塗れのCHAIRSのスレ用のタブレット。そして──同じく血塗れの、誰かの生徒手帳。
震える手で、付着した血液を払う。
違う。あの子であるはずがない。何かの間違い。そんなわけがない。そう信じたくても、剥がれ落ちた血液の下には、見覚えのある顔があった。
「ナギサさん、貴女のせいですよ?」
土江ムイ。顔写真も、名前も、間違いなく彼女のものだった。
補習授業部の試験監督にムイが任命されたのは、ナギサに忠実で能力も申し分ないと思っていたのもあるが、裏切り者が武力行使に出ても鎮圧できると信じていたからでもあった。
だが、別に先生だけでもよかった。ムイを補習授業部と関わらせるのは、むしろリスキーとすら言えた。
それでも、彼女をこんな自分の側には置きたくないという感情がナギサの中にはあった。
それが、この事態を招いた。
「それと、指揮官からの伝言です。『あはは、えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ』とのことです♡」
その口癖が誰のものだったか、それをよく知っているナギサには、最早意識を保っていることはできなかった。
「……まだ撃っていないのに倒れた……?」
「や、やはりこれはやりすぎだったのでは……」
「……ひとまず、目標を確保」
ハナコがこれまでの仕返しとして裏切り者のフリをしてナギサを気絶させて運んでいるのと同じころ、補習授業部の他の部員とムイは体育館で待機していた。
「……はい、分かりました。……はい、はい。お願いします。ムイさん、ナギサ様は無事に確保できたそうです!」
「……そうですか」
「ム、ムイ姉、本当に戦うの? 傷、結構深かったし、無理しない方が……」
「このくらいかすり傷みたいなものだよ、コハル。それに、こう見えて私、結構強いんだから」
アリウスの侵攻が本格的に始まったのか、校舎からは爆発音が聞こえてくる。
連日深夜にどこかに出かけていたアズサが、そこら中に仕掛けていたトラップが作動する音だ。
ムイは先生たちに一言告げ、体育館の天井の梁のような所に隠れた。
「なるほど、逃げたのではなく待ち伏せだったと……だが、それだけか?」
コハルたちに当たるわけにはいかないので態度には出さなかったが、これでもムイは怒っていた。
作戦開始までの時間で、先生から黒幕がミカであることや、アリウスが騙したせいで話がややこしくなったことを聞いていた。
セイアの入院は嘘で本当はヘイローを破壊されていたことも、それも実は偽装で実行犯のアズサが部屋を破壊しただけで逃げたことも。
手首の傷が疼く。
甘美な苦痛に、自分のどうしようもなさを再び叩きつけられ、その怒りの矛先もムイはアリウスへ向けた。
「たった四人で、私たち相手に──」
ムイは天井から飛び降り、自分たちが優位であるかのように語るアリウス生を下敷きにした。
「残念、五人ですよ」
武器は両腕のアサルトライフルと、自分の体そのもの。それだけでよかった。
近くにいたもう一人のアリウス生は蹴飛ばして処理し、ライフルの弾を確認する。
「ごめんね、欠片も悪いとは思わないけど、お話する気にはなれないから、とっとと消えて」
「こ、こいつまさか、あの土江ムッ──」
胸に二発、脳天に一発。同時に同じように銃弾を撃ち込まれ、二人のアリウス生も立て続けにやられる。
両方の手で違うターゲットを狙うことくらい、ムイには容易い。素の身体能力が高いので反動も気にならないし、替えの弾薬の重量も大した問題にはならない。
それにいざとなれば、敵そのものを振り回して武器にしてしまってもいいのだから、ムイは気楽にストレスを発散できた。
「す、すごい……」
「アズサちゃんが減らしていたとはいえ、まさか本当に一人で殲滅してしまうなんて……」
「ティーパーティー専属特殊部隊CHAIRS……実在するとは思いもしませんでしたし、まさかムイさんがその主席だとは」
“お疲れ様、ムイ”
「だが、じきに増援が来る。流石にそれは一人では無理だ、ムイ」
「……分かっています。私だってそこまで冷静さを欠いているわけではありませんよ、アズサさん」
先生の指揮すら必要とせずに、ものの数十秒でアリウス生は殲滅された。
だが、この程度で終わりなはずがない。ティーパーティーのホストを襲撃してトリニティを転覆させようと企んでいるのだったら、まだまだ増援が来るだろう。
「……それにしても、外が騒がしいような……」
「まさかとは思いますが、もう増援が集まって来てるのでは?」
「いえ、これは……銃声! 誰か戦ってますよ!」
「! きっと、ハスミ先輩たちよ! さっき連絡したから、もう来てくれたのよ!」
「正義実現委員会が動いてくれたんですね! となれば、早速加勢に向かいましょう!」
“うん、急ごう!”
しかしどうやら、敵の増援は体育館にたどり着く以前に、外で戦闘が始まっているようだった。
数というのはそれだけで脅威になる。戦っているのが精鋭揃いの正実であっても、大勢のアリウスに囲まれれば危ないかもしれない。
そう思って急いだ一行だったが、外で戦っていたのは正実ではなかったし、なぜかアリウスよりもトリニティ生の方が多かった。
「トリニティ総合学園ばんざぁあああああい!!」
「ナギサ陛下ばんざぁあああああい!!」
「弾幕薄いよ! 何やってんの!」
「いたぞぉ、いたぞぉおおおおお!!」
「多勢に無勢だいっけぇ!」
「この人数に勝てるわけがないだろ!」
「ちくわ大明神」
「オヤノスネカジリムシ魂を見せてやる!!」
「誰だ今の」
しかも、大半が変なことを叫びながらやけくそで戦っているように見える。
アリウスは大隊単位で出撃してきていたが、それでもアリウス生一人あたり二、三人程度で囲んで銃を乱射していた。
彼らはトリニティ生という以外に共通点はなく、様々な勢力の生徒が一堂に会していた。
“ど、どういうこと……?”
「……あれ?」
「ヘルメット団に、スケバンに……普通の生徒まで? ど、どういう状況?」
「いえ、それだけではありません。正義実現委員会やシスターフッドも何名か混じっています。しかしどうして……?」
「そんな……でも、私は確かに……!」
「ムイ? どうかしたのか?」
先生にも補習授業部にもわけが分からなかったが、ムイにはその状況が意味することを知っていた。
人海戦術以外にできることがない、烏合の衆とも取れる自称特殊部隊。
というか、「ですわ〜!」と叫びながら火炎放射器をぶっ放すお嬢様のような何かがいる時点で、彼らが誰なのかは理解できてしまう。
「ようやく来ましたね、主席」
「貴女は……!」
“ハナコ、知ってるの?”
「どーもどーも皆さん。CHAIRS次席、五十鈴ルイです。主席が待機しろと言うので、敵の襲撃を待ち伏せしてました」
「えっ、いや、そんな指示出してませんよ!? 待機って普通に家で待機って意味です!」
「でももう来ちゃいましたしー? あ、ほらこれ、主席の分のCHAIRSの装備」
しれっとムイたちの背後から現れたのは、CHAIRSの次席。ハナコの作戦をまたCHAIRSに邪魔されては困るのでムイは待機を命じていたが、次席はそのくらい読んでいた。
CHAIRSの構成員はナギサの椅子ではなく、ムイの部下、あるいは友人を自認しているのだ。
次席は情報網という名の人海戦術でアリウスの動きを察知し、現在に至るという形だ。
「私は……」
「CHAIRSは貴女じゃなきゃまとまりませんから。今だけでも、ね?」
「……そこまで言うのなら、分かりました」
「ムイ姉が、この大部隊のリーダー……!?」
「あっ、これちゃんと一つのグループだったんですね!?」
当然ながら烏合の衆であり、まとめられるとしたら集まった理由そのものであるムイのみ。
自分にそんな資格は無いと、胸にトリニティの校章とCHAIRSのロゴが印刷された防弾チョッキを受け取るのを躊躇ったが、次席の押しには弱かった。
「余計なことしてくれるじゃんね……!」
「……やはりいましたか、ミカ様」
“ミカ……!”
アリウス生たちを率いていたのは、ミカだった。
ろくに睡眠も食事もとれていないのか、以前にも増してやつれているように見える。
シッテムの箱を構え、対峙しようとする先生だが、ムイがそれを手で制した。
「私はもう、行くところまで行くしかないの!」
「行かせませんよ。もう少し手前くらいで終わらせます。先生、他は任せます。ミカ様の相手は……私が!」
“……ごめん、任せたよ!”
ムイは再び両手にアサルトライフルを携え、駆け出した。ミカもすぐさま銃を構えるが、射程圏内に入ってもなお、ムイは走り続ける。
体当たりでもしてくるのかと、ミカは銃を構えたまま両腕を交差させ、受けの姿勢をとるが、すぐにそれが間違いだったと気付かされる。
ムイは全速力で接近し──ライフルを目についたアリウス生に投げつけ、そのままミカに飛びついた。
「ッ……どういうつもりじゃんね!」
「私には撃てません! 殴れません! でも、貴女の動きを止める程度、そんなことをするまでもありませんから!」
「こ、このままなら、ムイちゃんは殴られ放題撃たれ放題って分からない!?」
「お好きにどうぞ! 絶対に離しませんし、ここから動くことも許しませんが!!」
締め技でも固め技でも何でもなく、ただ抱きついて踏ん張るだけ。それなのに、ミカはその場からぴくりとも動けない。
両腕は自由に動くが、先生たちにサブマシンガンを向けようとすればすぐに体を揺さぶられ、照準が定まらない。
やむなくマシンガンで殴りつけるが、ムイは抱きついたまま離れない。それどころか締め付ける力が強くなっている気すらしてくる。
腹を蹴飛ばしても、髪を引っ張っても、弾切れになるまで銃弾を撃ち込んでも、ムイは動かない。ミカは動けない。
「離してよ!」
「離しません!」
「離して!!」
「離すものですか!!」
「ムイちゃんだって苦しいでしょ!?」
「ミカ様だって苦しんでいます! こんなはずじゃなかった、どうしてこんなことに、と!」
「貴女に何が分かるの!!」
一撃一撃が重く、流石のムイも意識が飛びそうになる。いくら苦痛が快楽に変換されるとはいえ、肉体の損傷は無視できるものではない。
それでも離さない。自分以外は、誰も傷つけさせない。
「分かりませんよ、何も教えてくれないんですから!!」
ムイは叫ぶ。
「人の口は、ものを食べるためだけのものでも、他人を罵るためだけのものでも、噛みついて攻撃するためだけのものでもないでしょう!?」
「っ……言葉なんか交わしたって、他人の心なんか見えないよ!!」
「見えても困るでしょうそんなもの!! でもっ……言葉がなければ信じることもできません!!」
「……!」
ムイは叫ぶ。ずっと言えなかったことを。言わなければいけなかったことを。
ミカがゲヘナと仲良くするのは嫌だと言っていたことを、ムイはナギサに報告しなかった。
幼馴染ならそのくらい把握しているだろうと軽く考えたわけではない。条約を前にして負担を増やしたくなかったし、それを報告して二人の仲や今のティーパーティーが崩れてしまうのが怖かったのだ。
「ト、トリニティの生徒がまた一部、こちらへ向かってきています!」
「邪魔しないでください!」
「ぐわっ!」
CHAIRSと先生の指揮する補習授業部の猛攻を潜り抜けて報告しに来たアリウス生は、ムイが羽の付け根に隠していた拳銃を、羽に繋げたワイヤーを操って撃ち、黙らせる。
鳥の羽は恐竜の手が進化してできたと言われているのだ。少し練習すればこのくらいできる。
「増援!? あのヘンテコ集団、まだ数が……!?」
「CHAIRSは既に全戦力が出揃ってる……それに、あの方角って……大聖堂?」
ただでさえ既に数と勢いに押されて劣勢だったアリウスだが、さらに絶望的なことにムイたち側の増援が現れた。
揃って修道服のような制服を着用し、頭にはベールを被った集団。
「シスターフッド……っ、浦和ハナコ……!」
「ちょっとした約束をしましたので。まあ、CHAIRSの皆さんが既にいる以上、過剰戦力かもしれませんけどね」
「けほっ、今日も平和と安寧が貴女と共にありますように……けほっ」
「す、すみません、お邪魔します……」
「シスターフッド、これまでの慣習に反することではありますが……ティーパーティーの内紛に介入させていただきます」
数が多いだけの烏合の衆であるCHAIRSなら、五席などの主力をミカが対処すれば何とかなったかもしれない。
だが、ミカはムイに拘束されて動けず、シスターフッドまで動員されればアリウスに勝ち目はない。
「ティーパーティーの聖園ミカさん、他のティーパーティーメンバーへの傷害教唆および傷害未遂で、貴女の身柄を拘束します」
「歌住サクラコ……!」
「ミカ様……これ以上続けたって無意味ですよ」
「ッ……!」
しかし最初から、ミカの勝利条件はナギサの確保でもトリニティの転覆でもなかった。
「……これだけやれば、十分かな」
「ミカ様……?」
「降参だよ、降参。アリウスの子たちもほとんど捕まって、これだけ大人数に囲まれちゃって、もうどうにもならないや」
抵抗をやめたミカは、それでも抱きついたまま離れないムイの頭をそっと撫でた。
「……ごめんね、痛かったよね」
「ミカ様、貴女は……!」
「セイアちゃんが死んじゃってからかなぁ、色々おかしくなっちゃったのは……あ、アズサちゃんを責めるわけじゃないよ? ただ……ね?」
アリウスにはまだ主力が残っているし、秘密兵器の一つでもあるかもしれない。
だが戦力の大半を失い、トリニティとの繋がりであったミカがいなくなれば、当分は何もできない。
それがミカの狙いだったのだ。もう引き返すことはできないが、連れてきてしまったものを道連れにするくらいはできた。それで満足だった。
「ミカさん……セイアちゃんは無事です」
「……!?」
「ずっと偽装していたんです。襲撃犯が分からなかったので、安全の確保のために救護騎士団のミネ団長と共に、トリニティの外へ避難していました」
「そっか……そっか、生きてたんだ……よかったぁ」
今でも、どうしてこうなってしまったのかと思わないことはない。だが、全ては自分のせいであるとミカは理解していた。
「おめでとう、ムイちゃん、補習授業部……あと先生。みんなの勝ちだよ」
先生はミカの笑顔を再び見ることができたが、今度のものも、悲しい笑顔でしかなかった。
「……ねえ、アズサちゃん。自分が何をしたのかは分かってる? トリニティは貴女を守らないだろうし、アリウスにも貴女の居場所はない。分かってる? 安心して眠れる日なんて、来るのかな?」
「……」
「サオリからも、逃げられるの? et omnia Vanitas……アリウスの生徒なら知ってるよね?」
「うん、分かってる。それでも足掻いてみせる。最後のその時まで」
「……うん、そっか」
アズサと言葉を交わした後、ミカはすぐに拘束された。
正実に身柄を明け渡すころには、既に日が昇るような時間だった。
“ミカ……”
「ミカ様……!」
「……先生、あの言葉を聞いた時は、本当に嬉しかったんだ。ムイちゃんも、ずっとごめんね……それじゃ、バイバイ」
連行されるミカを見送った直後、ムイは膝から崩れ落ちる。
流石に無理があったのだ。ミカの一撃が重かったというのもあるが。
「ムイさん、大丈夫ですか?」
「いえ、正直……あまり、大丈夫ではありませんね。……けほっ」
「血! 血が!」
「皆さんは……試験があるでしょう。私にはCHAIRSの仲間がいますから、どうか気にせず……」
「ムイ姉……! でも試験が……!」
「皆、ここはムイの言葉に甘えよう。試験会場まで、今からなら走れば間に合うはずだ」
ムイは七席に連絡を飛ばしたが、このまま終わってしまってもいいかとも思えた。
見上げた空は、今の心とは似つかわしくないほど晴れていた。
気がつけば私は、見知った場所……ティーパーティーのテラスにいました。しかし、今は入院中のはず……まさか! 帰巣本能的なアレで、寝ている間にこんなところまで!?
「……初めまして、土江ムイ」
「……大きな耳……長い尻尾……変な服……シマエナガ……百合園セイア様?」
「その判別方法について聞きたいことは山ほどあるが、今はやめておこう。まずは座ってお茶でもいかがかな?」
「えっと……では、失礼します」
本来なら、ここは病院。なのにここにいる……となれば、ここは噂に聞いたセイア様の予知夢の中……?
なるほど、明晰夢というやつですね! となれば思い描いたものが現実になったりは……しませんね。十分の一スケールのナギサ様フィギュアを作りたかったのですが……。
「君は、私の予知夢について知っているかな?」
「もちろんです! でも夢の中だからといって好き勝手できるわけでもないんですね」
「既に好き勝手しようとしていたのか……まぁいい。その予知夢なんだが、君だけはなぜか動きを予測できないんだ」
「……CHAIRSが数百人規模だから、先のことを想定しにくいということですか?」
「そういうことだ」
しかし、たかがそんな話をするために呼ぶはずがありません……ふむ。
「補習授業部は退学を回避……ミカ様は投獄……ナギサ様はそのまま……ですが、まだエデン条約は締結されていない……これから何か良からぬことが起きると? そして、そこに私を投げ込んでみたいと?」
「……ナギサやミカが気に入るわけだ」
「これでも結構頑張りましたから!」
予想的中ですね! エデン条約まではまだしばらく時間がありますから、敵も力を蓄える時間はあるでしょう。
一方でこちらはセイア様はおそらく動かず、ミカ様は失脚。ナギサ様だけで業務を捌くとなれば時間は限られてしまいますね……。
ゲヘナと協力できるのが一番ですが、向こうと仲良くしようという条約の前なんですから、当然そんなことは不可能……動けるのは私たちだけですか。
「どうしようもない暗雲が近づいてきている。……君と先生が頼りだ」
「お任せください! ……と言いたいところですが、生憎私自身がどこまで頼りになるかは分かりません」
もっとも、私はトリニティをやめるつもりでいますからね。残念ながらできることは限られてしまいます。
CHAIRSの皆さんには……最後に迷惑をかけてしまうことになりますが。
「最後に一つ聞かせてほしい」
あ、なんか夢から覚めそうだな、なんて思ったタイミングで、ちょうどセイア様から最後の問いが投げかけられました。
「『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』……君なら、これにどう答えを出す?」
「楽園……?」
ああ、確か合宿初日にプールで遊んだ後、ハナコさんが言っていたやつでしたっけ。
楽園に辿り着いた人がいるなら、そこは全てが満ち足りた楽園だから二度と出てこなくて、戻ってきた人がいるならそこは楽園なんかじゃない……そんな感じのやつでしたよね。
「それは、証明する必要のあるものですか?」
「……と言うと?」
「私はナギサ様の側にいられれば、それでいいんです。それが全てです。そこが楽園です。仮にそこ以外に楽園があっても、ナギサ様がいないなら価値はありません」
「ふむ……」
トリニティは私にとって地獄でした。ゲヘナもきっと同じでしょう。ミレニアムに行っても満たされることはなく、他の学校も同様でしょう。
しかし私はここにいたからナギサ様と出会えました。
これ以上なんて、望もうとも思えません。
「あるのかないのか分からないなら、なくてもいいのでは? どうせ似たような場所なんて、探せばいくらでもありますって」
「それは、現実逃避とも言えないかい?」
「それが何か? ここが楽園だと信じた者勝ちですよ」
セイア様には未来が見えてしまいますからね。きっと、世界の全てがばにばにして虚しく感じてしまうのでしょう。
楽しいことの裏には苦しいことがあるでしょう。嬉しいことの裏には悲しいこともあるでしょう。それでも、幸せはここにもあるでしょう?
「なるほど、君ならばあるいは……」
夢から覚めていく中で、私は頭を回します。ナギサ様の身に迫る危険を知って、じっとしていられる私ではありませんから。
暗雲……暗雲……近づいていることが分かっているなら、来る前に蹴散らせば良いのでは? ふむ……私、天才かもしれません!