とあるタクシードライバーの日々 作:サビサビボンプ
「聞いたぞミフネ。なんでも、若い娘に入れ込んでるとか」
「……何の話だそりゃ」
思わず箸を握る手に力が入る。
「お前の同僚もここに来ていてな。その時に、この最近は同じ客しか乗せてないみたいだ。とな」
「……タナベか。あの野郎、人の事をベラベラと」
苛立ち紛れに大根を割らずに一口で放り込む。
「で、どうなんだ? んン?」
「腹立つ面すんじゃねえ! ただの客だ」
「客にしちゃ、随分丁寧な対応だって話だぞ」
「けっ、金払いがいいんだよ」
「ほお? チップでも出たか」
そういうこった。
牛スジを噛みながら、ミフネは言う。
件の客はこの辺りに来たのは初めてらしく、最初は自分の足で見て回ろうとしたが、流石にそれは無理だと分かり、タクシーの乗り合い所のある場所まで向かおうとした所で強盗に遇い、そこをミフネが助けたという流れからミフネが専属で運転手を務める形になった。
「なるほど。しかし、お前を専属にするとはな」
「まったくだ。お陰でよく分からん若もんの雑誌やら読む羽目になった」
知ってるか?
ミフネはジャケットのポケットに丸めて入れていた雑誌を広げて見せる。
「最近だとスポンジみてえなスカスカのホットケーキが流行りなんだとよ」
「ああ、これか。この間、サティと食いに行ったな。なかなか珍しい体験だったぞ」
「これをか? お前が?」
「そう驚く事でもないだろう。こう、シュワシュワした食感で甘くて面白いぞ」
「けっ、こんな腹に溜まんねえ食いもんの何が良いんだか」
そこで森は気付いた。
ミフネの性格上、誘われてもこういったものは食べない。アイリに誘われても渋々ついて行って、茶かコーヒーで誤魔化す。
なのに、今ミフネは腹に溜まんねえと断定した。つまり、こいつはこれを食ったという事だ。
「そうか。随分軽くて面白かったろう」
「ああ、軽いわ、甘ったるい匂いだわで歯が浮くかと思っ、た……」
沈黙。
表情を変えられない二人だが、失敗したというミフネとしてやったりの森。
二人は暫し動きを止めた後、ミフネの歯軋りが始まった。
「こ、この野郎……」
「ふはは、そうかそうか。歯が浮くか。お前らしい」
「うるせえ!」
叫び、悔しそうに乱雑な手つきで煙草を吸い始める。
本当に昔から変わらない。高羽夫妻に連れられて町で出た時も、同じ様な態度で茶を飲んでばかりだったが、件の娘はなにやら違う様だ。
「しかし、お前がなぁ……。どういう風の吹き回しだ?」
「あー、うるせえうるせえ。ただの気紛れだ」
「お前がただの気紛れで、こういうものを食うか?」
「うるせえお喋り爺だな。ほれ、がんもと厚揚げ寄越せ」
「はいはい、分かりましたよ頑固爺」
味覚の大半を失っているミフネは、食べ物を食感と匂いで判断していて、甘いものは殆ど食べない。
本人曰く、嗅覚センサーが狂うかららしいが、あの二人がそんな柔なセンサーを積むとは思えない。
大方、柄じゃないとかそんな理由だろう。だが、そのミフネが甘いパンケーキを食べたという事は、相手はなかなかにやり手らしい。
「ほれ、がんもと厚揚げ」
「もっと早く出せ」
「うるせえ爺だな」
「そりゃおめえだ。お喋り爺」
がんもを齧り、咀嚼し嚥下する。
長く煮込んでいたがんもは出汁を吸いに吸い込み、出汁の塊を食べている様だ。
がんもを食べ、厚揚げを半分程片付けた辺りで、小さな足音がこちらへ駆けてきた。
「たいちょー」
「うむ、お使いご苦労……お?」
「あ?」
「おきゃくさんつれてきた」
背のリュックに大根を差したサティだ。
何故かニヒルな笑みを浮かべ、親指で指差す先にミフネは唖然とした。
「なんで、あんたここに……」
「ご、ご迷惑でしたか?」
「いや、そういう訳じゃないんだが……」
「あー、ミフネ。まさか、彼女が?」
森も驚き、開いた口が塞がらない。
敢えて悪い表現をするが、軍を辞めてから品の無い連中の相手が主で、こういった相手は〝ヴィクトリア家政〟以来久しぶりに見た。
シンプルだが見るからに仕立ての良さそうなシャツとスカート、衣服から露出する素体も自分やミフネの様な接合跡が見当たらず、艶が出る程に磨かれている。
容貌も自分達の様な戦時を基礎とした設計ではない。
明らかに平和な人間達の中で生まれ、そこで生きていく為に整えられたものだ。
「貴方が森悟様でしょうか?」
「あ、ああ、私が森で間違いない」
「お噂はサティ様より。
以後、お見知りおきを。
と、見事なカーテシーと共に名乗り柔らかな笑みを湛える。
その姿に森は一度、イオに掌を向けて待ったをかけ、ミフネの首根っこを掴んで顔を付き合わせる。
「お、おい、ミフネ。いや、お前お前、彼女はダメだろ」
「だから、何の話だ。ありゃ依頼人だ」
「いやいやいやいや、お前トシゾーさん? トシゾーさんだぞ? 私は様なのにお前はさんで名前呼びだぞ?」
「あの、やはりご迷惑でしたか……?」
「いや! まったくそんな事は!」
消え入りそうなイオ、その隣で何故か二人に威嚇するサティ。
その様子に森は、とりあえずサティにモツ煮を並々と入れた椀を渡してから、自身に出来る最大限に恭しい仕草で、屋台の長椅子へと招き入れる。
「ここがトシゾーさんの行き着けのお店……」
「あー、汚い店だがどうかゆっくりと……」
「おめえ、客で態度変えんなよ」
非常に興味深そうに森の屋台をまじまじと観察するイオ。それに一体何処の令嬢かと、無言でミフネを問い詰める。
「あー。あんた、なんだってここに?」
「タナベ様よりトシゾーさんが見当たらない時は、基本的に乗り合い所か此方に、と」
「……あの野郎、今度あったら頭の荒れ地を更地にしてやる」
タナベ・ケンイチ(42)の頭皮が密かに終わりを迎えた横で、イオは目の前ある四角い仕切りがされた鍋に興味を移していた。
「おでんだ。まあ、今時はこういった店も珍しい。何か気になるものがあれば言ってくれ。分からなければ、私がおすすめをご馳走しよう」
モツ煮に集中しているサティから受け取った大根を仕込みながら、森は一番の売れ筋である牛筋串と厚揚げ、大根を皿に乗せイオに手渡す。
「これが、おでん……」
「ナイフとフォークはねえぞ。牛筋は手で、他はそこの箸使え」
「これ、ですか」
イオはカウンターにある箸入れの箸を取り、飴色の大根を割り口に運ぶ。
「……っ!」
「しまった。温感センサーの調整を……」
「水飲め、水」
湯気の立つ大根の熱さに驚き、目を白黒させるイオに森が慌てて水を注いだコップを差し出す。
「っ、はっ……。驚きました。トシゾーさんはこれが平気なので?」
「けっ、俺みてえな旧型にゃそんな上等なセンサー着いてねえからな」
「お前な……。あー、イオ嬢。我々はまあ元々は軍用素体なもんでな。割りとその辺りが、な?」
「成程。だからトシゾーさんはそのまま齧りつけるのですね」
少し羨ましいです。
その言葉に、二人は顔を見合わせた。
あまり気にも留めなかったが、そういう見方もあるのか。
ミフネは少し冷めた厚揚げの残りを口に放り込み、森の後ろで湯気を立てる寸胴を指差した。
「森、それも食わせてやれ」
「ん? いや、これは大丈夫なのか?」
「チビスケが食ってんだ。平気だろ」
見れば背伸びをしながら器用に、お玉で寸胴の中身を椀によそうサティが居た。
「こら、サティ。お代わりなら言いなさい」
「たいちょー、おかわり」
「並々と注いでから言うのか……。溢さない様に」
「う」
まったくと、嘆息して森は寸胴の中身を椀によそい、イオの前に置く。
茶色というより最早黒に近くなったモツ煮という名のごった煮。サティが来た辺りから新しく始めたものだが、森の屋台の名物になり始めていた。
「これは……」
「おい、これモツ入ってんのか?」
「失礼な。今日は入ってるぞ」
とにかくそれっぽい根菜と肉を刻んで、味噌で炊いただけの森のモツ煮。
初めて見るのか、イオは不思議そうにスプーンで二、三度弄り、そのまま掬って食べる。
「これは、不思議な味ですね。何と言うか、凄く色々な味が折り重なって濃いのにあっさりした後味で……」
「簡単によく分かんねえ味だって言ってもいいんだぞ。ほれ」
これ掛けりゃ、また変わる。
と、七味唐辛子が入った小瓶を指差す。
「掛けすぎんなよ」
ミフネに従い、七味唐辛子を掛ける。
すると、中蓋が壊れていたのか。小瓶の中身がそのままモツ煮に落ちてしまった。
「あ……」
「……しゃあねえ。森、新しいやつ。ほら、寄越せ」
ミフネがイオの椀を奪う様に取り、真っ赤になったモツ煮をそのまま食べ始める。
「ト、トシゾーさん?! 大丈夫なのですか?」
「あ? 気にすんな」
「お前な……。すまない、イオ嬢。こちらを」
森が新しい椀を置く。
「森、備品の管理しとけよ」
「すまん。まさか、中蓋が弛んでいたとは」
一応、こちらが新しいものになる。
そう言って、森はラベルを剥がした小瓶を置く。
「で、今日もどっか行くのか?」
「はい、今日もまたお願い致します」
モツ煮とおでんを平らげ、ミフネは煙草に火を点ける。
「森、勘定置いとくぞ」
「おお」
「あ、私の分は……」
「もう払った。車ぁ回してくる。待ってろ」
「いえ、私も行きます」
森に一度頭を下げると、紫煙を吐き出すミフネの後ろをイオは着いていく。
その後ろ姿を見送り、森は頭を掻く。
「しかし、まさかなぁ。アイリちゃんが知ったらどうなるか」
「私が知ったら、なに? ねえ、森さん」
「あ、ねえちゃ」
その声に油が切れた人形の様に森は振り向いた。
「お父さん、また何かやらかしたの?」
そこには満面の笑みで青筋を浮かべたアイリが立っていた。
◯◯年後のミフネさん家
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