とあるタクシードライバーの日々 作:サビサビボンプ
「ねえ、お父さん」
森と連絡が付かず、仕方なしに縁側で茶を飲みつつ煙草を吹かし文庫本を読んでいると、急に休校となったアイリがこっそりと現れた。
「なんだ? 小遣いなら前借りはさせんぞ」
「違う! そうじゃなくて……、あの…ね…?」
妙にモジモジと歯切れが悪い。
こういう時は大体が小遣いの催促か、何か手出しがし難い額の物をねだりに来たかだ。
だが、アイリの様子からそれは違うと判る。だとしたら、一体なんなのか。
大体の予想はつくが、ミフネは黙ってアイリの言葉を待った。
「あの、そのね?」
「はっきり言え。とんでもねえバカじゃなきゃ聞いてやる」
煙草を灰皿に押し付け、文庫本を畳む。
そう、大体の予想はついている。
ミフネもそのつもりで、密かに準備を進めている。
だから、後はアイリの答え次第だ。
「イオさんの事」
「そうか」
「そうかって、お父さんはどうなの?」
素っ気ない返事にアイリは口を尖らせる。
だが、ミフネはそのアイリを横目に新しい煙草に火を点け、紫煙を吐き出す。
「お前はどうなんだ」
「私? 私はその、……一緒に居たいなって」
「そうか」
一緒に居たいか
呟き、己の手を見る。
何も守れなかった、誰も救えなかった、ただ傷と年季だけが刻まれてきた鋼の手。
だが、今度は守れるだろうか。
「お父さん?」
「…………部屋は余ってる。稼ぎも、一人増えたくれえでどうにかなるもんじゃねえ」
「そうだよね……。……って、え?」
「一緒に居てぇんだろ。部屋はあんだから好きにすりゃぁいい」
「素直じゃない言い方!」
「へっ」
鼻で笑い、紫煙を吐く。
短くなった煙草を灰皿に押し付け、ギッと鋼の軋みを立てて、立ち上がる。
そうだ。もし、三人になるなら店長達には悪いが、ホロウレイダーの真似事は、もう辞めてもいいのかもしれない。
「行くぞ」
「何処にー?」
「グレース先生の所だ」
身体のアップデートとそれに伴う検診を兼ねて、イオは先に白祇重工へ行っている。
「イオさんだけ行かしたの?」
「俺はちっと用があったからな。タナベに頼んだ」
「まあ、タナベさんなら大丈夫か」
タナベ・ケンイチ(42)、頭は荒れ地だが信頼は厚い。
ミフネとアイリは準備を済ませ、車へと乗り込む。
「しかし、お前。なんでいきなり休校になったんだ?」
「分かんない。先生達もいきなりで何も聞かされてないって」
アイリのその言葉になにか違和感を感じ、携帯を確認するが森や他からの連絡は無い。
何も無いという事は、やはり動きは無いという事なのだろう。
ミフネは携帯を仕舞い、ハンドルを握り直す。
「お父さん、どうしたの?」
「いや、昨日から森と連絡がつかんでな。何があったんだ?」
――なにかありゃ、連絡が入る筈なんだが
不安は僅かにあるが、それより今はやるべき事がある。
「まあ、なんかあったら連絡くるか」
僅かな不安を押し殺し、ミフネはアクセルを踏んだ。
「はい、これで終わり。アルコールも問題無く処理出来るよ」
「急なご依頼にも関わらず、有難う御座います。グレース先生」
寝台から半身を起こし、イオはカルテを書き込むグレースに礼を言う。
「いいさ。私も好きでやってるからね! いやー、しかしごめんね? 見ちゃった」
「え? ああ、そうですよね。……内緒にしてもらえますか?」
「それは勿論。でも、驚いたよ」
「ですよね。でも、この一枚が私の心なんです」
たった一枚、胸に秘めたそのたった一枚を頼りに、イオは新エリー都中を渡り歩き、時には危うい目に逢いながらようやく辿り着いた。
あの日、諦めようと思っていた。でも、出逢えた。
「乙女だね」
「乙女だなんて、そんな……」
イオは顔を赤くし、グレースは微笑んだ。
あんなものを抱えていて、乙女以外の何だと言うのか。
「今回のアップグレードも、ミフネさんの為かい?」
「それは、その……」
「皆まで言わなくていいよ。うんうん、素敵な事さ」
「……少し、歩いてきます。そろそろ、トシゾーさんも来る頃ですから」
「はいはい、作業区画には入らない様にね」
はい
と、返事を残し、イオは顔を冷ましながらグレースの研究室を後にした。
そして、グレースは書き込んでいたカルテを見ながら首を傾げる。
「……やっぱり計器のズレ、かな?」
カルテには異常は見られない。だが、イオのフィルターと処理系統のアップデートの為、コアユニットと計器を繋げた一瞬、計器の動きが止まった。
本当に一瞬の事で、すぐに計器は作動し正常な数値を検出し続けた。
計器の誤作動なら、その日の環境や条件でいくらでも起こり得る。そして、グレースの目から診てもイオに何か異常があるとは思えない。
なのに、あの一瞬の出来事が引っ掛かる。
「……まあ、これから先の事か」
グレースはカルテを置き、これからの診察予定の計画に入った。
「すごいですね」
誰に語るでもなく、イオはそう呟いた。
この白祇重工では人間とシリオン、知能構造体が共に働き、未来の為に生きている。
イオの知識の中にある過去の出来事、それらが嘘の様だ。
「……っ」
キシリと、胸が痛んだ。
何故か解らない。否、薄々は理解している。
初めは会い、話をしたら立ち去る。そのつもりだった。
しかし、話をしていく内にここに居たいと思い、そのまま底無し沼に浸かる様に居続けている。
今までなら、早く立ち去らねばと理由も解らない焦燥感に駆られ居着く事もせずに、まるで何かから逃げる様に次の場所へと向かっていた。
あの焦燥感の正体は何だったのか。何故、何も無い自分が何かから逃げようとしていたのか。
何も解らない。
何も無いあの場所で目覚め、手にしていたのは名前と立場、そして一枚の写真だけ。
「贅沢、ですよね」
ミフネとアイリ、森や他の皆と触れあい、ここに居たいと、ここに居ようと決めた。
それを贅沢だと感じるのは、やはり恵まれ過ぎだろうか。
「……でも」
それでも構わない。そう決めた。
一緒に居たいと、共に生きたいと、そう決めたのだ。
この胸の内に渦巻く焦燥感も関係ない。
「あ、イオさんいた」
「ん? ああ、診察終わったのか?」
「アイリちゃん、トシゾーさん。ええ、恙無く終わりました」
「そうか」
何か手土産を入れた紙袋を、通り掛かったアンドーに渡しながら、ミフネはイオへと向かう。
「調子は」
「問題ありません。グレース先生のお陰です」
「そうか。なら、長居するのは悪い。帰るぞ」
「え~、クレタちゃんに会いたーい」
「相手は仕事中だ。弁えろ」
アイリの頭を掴んで押し付け、溜め息を吐くミフネ。
その様子がどうにも可笑しくて、イオは思わず吹き出してしまう。
「あ? どうした?」
「ああ、いえ。やっぱり、仲良しだなと」
「この頑固爺と?! イオさん、グレース先生にもう一回診てもらおうよ!」
「喧しいぞ、じゃじゃ馬娘」
腹立ち紛れにミフネの足を蹴り、あまりの堅さに悶絶するアイリの手を取り、イオは歩き出す。
「さ、帰りましょう。お家へ」
「ほら、お父さん早く」
「あ、ああ」
二人に手を引かれ、ミフネは歩き出した。
何も守れなかった、誰も救えなかった、ただ傷と年季だけが刻まれた手。
そんな手でも、もう一度守れるだろうか。
「ふぅむ、森君もですがミフネ君も老いましたね。曾ての〝鬼〟と〝死神〟が情けない」
とは言え
「老いたのは我輩とて同じ。この考えは友に対する愚弄となりましょう。自省せねば」
森に斬り落とされた左腕を撫で、自らのシンパが所有するビルからミフネ達を見下ろすアラガキ。
その機械の目には失望の色が一瞬だけ浮かんだが、アラガキはそれを振り払った。
アラガキは人間とシリオンとは相容れない。相容れないが、それでも敬意を払うべき相手は認識出来る程度には分別はある。
同胞たる機械人へ敬意を以て触れる者、演劇や歌等無形の文化を継承し、新たな文化を作る者。
それらに対しては、アラガキは尊敬を以て接する。
「白祇重工もターゲットではありましたが、同胞たる知能構造体が蔑まれず、しっかりと役目を与えられ手入れも怠っていない。これを制裁しては我輩の道理に反する。グレース・ハワード、一度弁論を交えたいものですな」
しかし
「総隊長が仰った〝パンドラの箱〟。一体、何処に隠しているのやら。〝ケラヴノス〟以上の要確保対象、必ず肌身離さず所持しているものと思っていましたが……」
アラガキの視界にあるのは、車に乗り込むミフネとアイリ。そして、イオだけだ。
アラガキは暫く考えた後、軽く息を吐いて、窓を背にする。
「まあ、よいでしょう。ミフネ君が〝パンドラの箱〟を所有している事は確実。それに加えて、〝アスクレピオスの残骸〟まで居たとは」
ミフネ君
「高羽博士の事も、君は本当に数奇な運命に愛されている。少し羨ましくもありますが、悲しいかな。今の我輩らは敵同士……!」
もう少し後で、ゆっくりと話をしましょう
アラガキは暗いビルの中を歩き、再び闇の中へと消えた。
◯◯年後のミフネさん家
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