とあるタクシードライバーの日々 作:サビサビボンプ
皆様も体調管理をお気をつけを。
混乱は一瞬だった。
人間とシリオンは機械人を避け、機械人は潔白を証明しようと歩み寄る。
だが、あの現実。バラバラとなり散らばったボンプと知能構造体を見た人々は恐慌し、更なる混乱を生み出す。
「違う! 俺達は大丈夫だ!!」
「解ってる! だから今はそこに居てくれ!」
両手を広げ、自身の安全を主張する機械人達と、それに手近な椅子やカート等で牽制する人々。
今はまだ冷静だが、あと一押しで最悪の事態になりかねない。
アイリとイオはその様子を見ながら、モールからの脱出路を探す。
本来なら救助が来るのを一塊になって待つべきなのだが、あの混乱に巻き込まれて行動が出来なくなる事を避けたい。
「アイリちゃん。あの二人の狙いって……」
「多分、私達。というか、なんで逮捕された奴が普通に居んのよ……」
見てきた災害用避難路は全て鍵が閉まっていて、下手に開けようとすればアラガキが来るか、人々が殺到して更に混乱する。
だからどうにか大きな音を立てずに逃げられる場所を見付けなくては。
「それに……」
あの森に似た機械人、あれはマズイ。
見ただけで背筋に冷たいものが差し込まれ、脳と全身の細胞が全力で逃げ出す事以外の思考を放棄した。
そして、遠目で見たアラガキの姿。それに何か違和感があった。
――あいつ、あんなに丸かった?
アラガキは良く言えば背筋が伸び、舞台役者の様な佇まいだった記憶があり、見間違いや聞き間違いが無ければ、アイリの記憶は絶対だ。
だが、そのアイリの記憶にあるアラガキの姿は素体そのものは変わらないのに背、特に肩甲骨の辺りが丸く、そこだけミフネの様な厳つさがあった。
只でさえ異常者なのに、風体まで異様になっている。
「イオさん、とにかく今は……」
「逃げる、か?」
モールのメインホール、そこにある造花の生け垣に隠れていた二人の背後、そこに底冷えのする声が投げ込まれた。
「アイリちゃん!」
判断と逃避は一瞬だった。
足首と脹ら脛、腰部の装甲を展開したイオが、アイリを抱えて文字通り飛び退いた。
「ほう?」
「イオさん、飛べたの?!」
「あ、いえ、圧縮空気利用の跳躍です」
感心する襲撃者の手には鍔の無い抜き身の刀、アイリが知る森のそれよりもただ斬る事にのみ注力した様な、飾り気も何もない工業製品の様なそれは、二人が隠れていた生け垣を豆腐か何かの様に容易く斬り裂いていた。
「おや、おやおやおやおや、何と僥倖か。ここを狼煙とした後にしようとしましたが、よもやこの様な……。やはり、神は我らに微笑んでいるという事か」
イオは襲撃者から距離を取り、他の客からも引き離す為、数回の跳躍を繰り返した。
そこで頭上のフロアからの声。アラガキだ。
「……貴方方は一体……」
警戒の為にセンサー系の感度を引き上げ、イオは他の客の状態と二人の異常者との距離を確認する。
距離としてはアラガキのあの熱線が問題だが、今の距離ならイオの反応速度でも回避可能だ。
そして、他の客もこちらに気付いているが、まだ混乱は悪化していない。
この騒ぎだ。治安局はもう気付いて動いている筈。
なら、無闇に刺激せずに会話で時間を稼ぐべきだ。
「あんたら一体何なの?」
イオのその意図を汲んだアイリが、目の前の襲撃者に問う。
「我らが何か、か。ミフネは何も言っていないのだな」
「彼は元より我々の思想を理解していませんでしたから、それも仕方ない事かと」
上階のフロアから飛び降りたアラガキが襲撃者に並ぶ。
やはり、おかしい。素体自体に変更は無く、アイリの記憶にある特務憲兵隊の素体なのに、正面から見ても背部が拡張されているのが厚いコート越しでも判る。
――逮捕されてたのに……。治安局にスパイでも居たの?
朱鷺達を疑いたくないが、今の状況では疑いがどうしても生まれる。
――いや、多分治安局じゃない
治安局が軍用、それも特務憲兵隊仕様の素体を改造出来るとは思えない。
特務憲兵隊の素体は、簡単な修理なら治安局でも可能だが、本格的な改修ともなれば機械人専門の、それも軍の技術に通じた医師か技師とそれなりの設備が必要になる。
軍が自身の技術をそう簡単に表に出すとも思えない上、特務憲兵隊の素体はその技術の塊だ。
森は既に素体のバイタルパート以外の大部分を現行の民生品に変更しているが、あの指先からの熱線の出力から見るにアラガキはそうではない筈だ。
なら、アラガキ脱獄の手引きをしたのは誰か。
「ふむ、困惑されている様ですな」
「お陰様でね」
「しかし、それも詮無きこと。彼女らからすれば、我輩は獄中の身。それを問いたいのでしょう」
「確かに貴方は捕まり、その罪を償う筈。なのに何故」
「簡単な事ですな。我輩が天から与えられた使命はいまだ果たせず、天命により舞い戻ったのです」
「意味が解らない……」
何かおかしい。
いや、元々アラガキはおかしかったが、会話が微妙に成立していない。
何かがおかしい。アラガキは異常者だが、会話が出来ない程異常者ではなく、むしろこの手の異常者としては充分以上に会話が成立する相手だった。
あの日、対峙したアラガキは確かにそうだった。
なのに、今のアラガキにはそうではない。
――カメラアイは正常だけど、その気になれば擬装出来る
両親とミフネから教わった異常の出た機械人やボンプの見分け方の一つに、感情表現アニマトロニクスの異常光がある。
これは素体の異常を外部に判りやすく伝えるもので、通常の黄色や緑色等の系統から赤等の警告色に変わる仕組みだ。
しかし、これもその回路を切るなりすれば機能しなくなる。
アラガキは元から異常者。そんな警告色が機能している筈が無い。
「意味が解らないか。貴様ら人間には判らんよ」
「左様。君達に我輩は確かな可能性を感じましたが、それでもやはり君達は人間でしかない。故に、渡してはくれませんか?」
「渡す?」
「高羽博士が隠したという〝パンドラの箱〟の鍵を」
「〝パンドラの箱〟?」
イオがアイリを守る様に立ちながら、目線だけを向けてくるが、アイリにも覚えが無い。
両親の研究のほぼ全てはあの研究所で見聞きし、二人が絵本代わりに読み聞かせてくれた。
そして、アイリはその全てを覚えている。
その中に〝パンドラの箱〟というものは無い。
それに、両親の研究は民間流用されているものを除けば全て軍が保有しているか、零号ホロウの中だ。
だか、あるとすればその中にあるどれかになる。
「〝アスクレピオスの残骸〟はどうする?」
「性急ですな。今はまだ問答を楽しむシーンです」
「それよりも先に終わらせるべきだ。〝総隊長〟の期待に背く訳にはいかん。白を切るなら、連れ去ればいい」
「さもありなん。では……」
瞬間、イオはアイリを抱えて跳ねた。
ミフネを探す旅の途中、自衛の為に搭載した加速機構。胸部と肩部の吸気口から吸い込んだ空気を圧縮し、脚部と腰部のユニットから一気に排出するだけのものだが、イオの素体は軽量でユニットの出力ならアイリを抱えての極短時間の飛行めいた跳躍は可能だ。
故にそれを用いて二人から距離を取り、他の客からも引き離す。
今まで逃げ続けた人生、助けが来るまで時間を稼ぎ、アイリを守れる。
イオはそう考えていた。
そして事実、アラガキの反応は遅れていた。
これならと、イオは再び吸気を開始。最大出力での跳躍をしようと、上階フロアの手摺に足をかけた。
そう、事実アラガキの反応は遅れていた。
アラガキの反応は、だ。
「小賢しいな」
軍ですら警戒する異常者、〝人斬り〟ゲンジョウさえ居なければ、イオはアイリを守り抜けた。
助けが来るまで時間を稼ぎ、その凶刃を避けられただろう。
「ぎっ……!!」
「イオさん?!」
ゲンジョウは一瞬でイオに追い付き、側頭部に刀の塚を叩き込む。
軽量だが耐久性と対衝撃性に優れた装甲材とフレームで統一し、生半可な打撃なら問題無い筈の知覚系とバランサーがエラーを吐き出し、復旧出来ずにそれでもアイリを抱えて庇いながらフロアに転がり落ちる。
「〝総隊長〟からは五体満足とは指示されていない。まあ、手足を落とした方が楽か」
真っ直ぐに、凶刃がアイリに向かい走る。
ノイズが混じりやけにゆっくりとした視界の中で、イオはいまだ復旧が終わらない身体を無理矢理動かし、アイリを突き飛ばす。
「アイリちゃン、逃ゲて」
ただ、ゆっくりと進む視界と突き飛ばされた衝撃、その中でアイリの心臓だけが喧しく跳ねた。
――逃げろアイリ!
――生きて、アイリ
記憶の中、その中でもアイリに深い傷を遺した二人の姿。崩落する研究所の設備からアイリを庇い、瓦礫の中に消えていく優しく微笑む両親。
それがイオに重なった。
――嫌だ
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
なんで、また居なくなる。
誰か助けて。
誰か……。
「……助けて、お父さん」
ポツリと、消え入りそうな声であの日、命懸けで自身を助けてくれた大事な人を呼ぶ。
それと同時にモールの壁が吹き飛び、壁の破片を打ち砕きながら鉄拳がゲンジョウを打ち据えた。
「言いたい事は色々ある」
最早、意味を為さなくなった壁を腕力で抉じ開け、その巨体が姿を見せる。
そして、まだ立ち上がれないイオを横抱きに抱えると、アイリに歩み寄る。
「よく、耐えた」
そう言ってアイリにイオを渡し、ジャケットで二人を包み、ハンチング帽をアイリに被せた。
嗅ぎ慣れた鉄と煙草の入り交じった匂い、視界を遮るハンチング帽と頬を撫でる熱を感じる蒸気。
そして、ハンチング帽越しに頭に置かれた重く硬い手。
「……お父さん」
「トシゾーサん」
「あとは任せろ」
振り向き様の鉄拳が迫り来る凶刃に激突した。
◯◯年後のミフネさん家
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