ニンジャ・カラテ・ビカム・ア・サルヴェイション・フォー・オウガ? 作:三流二式
その世界には色彩が無かった。上も下も、前後左右もすべてが純白のショドー紙に墨絵で描かれたかのごときモノクローム色であった。どこかの食堂であろうか? 台所には誰もおらず、まな板の上には墓標めいて包丁が突き立っていた。
ありえない程に引き延ばされた店の中のあちこちにあるテーブル席には朧な影めいた客たちが、
「ハア―ッ! ハア―ッ!」
それらの朧な影を引き裂いて、その者はしきりに後ろを振り返りながら、息を切らして疾走していた。その者は人ではなかった。見るがいい、その額にある一本角を。四つある眼を。口から覗く肉食獣めいた凶悪な牙を。
彼こそは『鬼』。とある狂った男から血を分け与えられて生み出された恐るべき人類種の天敵であった。その天敵たる所以は身体能力が人を凌駕する点。傷を与えられてもたちどころに治る点。そして何よりも人を食うという点である。
彼らにとって人間は食料。元は同族であった者たちを彼らは食う。そこに躊躇いというものは無い。どころか、食えば喰うほど力は増すので、積極的に食いに行く有様である。人間をたやすく引き裂ける力があり、いくら傷をつけても致命傷にならず、人を食う怪物。まさに天敵。まさに化け物。
しかし彼等とて無敵ではない。彼ら鬼にも弱点はある。それは二つある。一つは太陽の光。彼らは陽光を浴びると焼かれたように爛れて消えてしまうのだ。故に彼らは陽の出ていない夜に現れ、人間を暗がりへと引きずり込んで食い殺すのだ。
もう一つは日輪刀と呼ばれる刀で首を切り落とされる事だ。この刀で首を斬られると彼らは再生できず、陽の光を浴びたのと同様に体が崩れて塵へと消える。
とはいえこの日輪刀を持つ者は『鬼殺隊』と呼ばれる者たちのみであり、無辜の民衆や警察隊は当然の様に対抗する術はない。
では。
「ハア―ッ! ハア―ッ!」
その理由は。
「ドーモ」
「アイエッ!?」
突如として目の前に現れた黒い影に、鬼は目を剥いて急停止した。
「エッ!? エッ!?」
鬼は周囲を見回した。あれだけ走り回ったにもかかわらず、いつの間にか彼は元のあり得ない程に引き延ばされた食堂のど真ん中に立っていた。どれだけ外へ出ようとしても、無限遠のモノクロームがあるばかりで、端に至っては薄黒い霧が立ち込めるばかり。その中に入ってゆけばこのように元居た場所に戻されてゆくのである。
ナムアミダブツ。彼ははじめからブッダの掌の上を飛び回っていたモンキーの如く、この黒い影の思惑の只中にいたのだ。
「な、何だ!? これは何だ!? 血鬼術*1じゃないのか!? お前は一体何なんだ!? 鬼でもないのに何で―――」
指を指し、糾弾する鬼を前にして、影は何ら反応することなく、ただ淡々と、厳かに、だが決断的に、オジギした。
「ドーモ、ネズミめいて逃げ回る事しかできないくせして弱者を殺す事だけは一丁前の鬼=サン」
影は、男は顔を上げた。鬼は戦慄した。その瞳に渦を巻く決断的殺意と虚無めいた憎悪に狂った黒い瞳に。その端から滂沱と流れ落ちる黒い墨汁めいた液体に。
「
「ナンデ!?」
「なんで? 何でとな? ハハハ……」
トリニティの眼が細まった。すると両目を流れる墨汁めいた液体が凝縮され、軋み、頬を覆うメンポ*2をブレーサー*3を、そして彼が身に着ける割烹着がメリメリと音を立てて余剰の布を排しながら歪み、黒いニンジャ装束を作り出した。
「
「ひいー」
トリニティから放たれるキリングオーラがやにわに増した。まるで肩に岩を乗せられたが如き威圧感。鬼はたじろぎ、一歩後退った。この鬼気迫る殺意は、かつて彼が一度だけ謁見を許された時に見た上弦の鬼*4に匹敵するほどであった。
「く、ククーッ! チクショー! ヤッテミンゾー!」
ヤバレカバレ。恐怖と焦燥。それらを人間如き? に追い詰められた怒りで塗りつぶし、鬼は両手を振り回しながら突撃した。型もへったくれも無いそれだが、しかし人を超える速度とパワーで振るわれるそれは人間の脆弱な肉体をたやすく破壊する。できる。できた。
だからこそ。
「え?」
たやすく受け止められたことに、鬼は驚愕を禁じ得なかった。
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
そして稲妻染みた反応速度から繰り出される正拳突きの威力は、人間の膂力のそれではなく、まさに鬼と同等の破壊力を擁していた。鬼の頭蓋は損傷し、踏ん張りが効かずきりもみ回転しながら吹き飛び、客が座る椅子やテーブルへと倒れ込んだ。だがそれらには存在感が無く、触れた瞬間に水に解ける墨の様に消え去った。
「アバッ、アバーッ!?」
普段ならばたちどころに治る筈の怪我が思うように治らず、加えて目の前の存在への恐怖で鬼は頭を押さえて絶叫した。
((あぁ……俺は一体何をやっているのだろう。
トリニティは哀れな生き物を見下ろしながら考える。こうなった経緯を。全てが崩れ去った瞬間の出来事を。
■
「永久くん? 永久く~ん?」
「―――はっ」
「あ、ごめんなさい。何でしたっけ?」
「お、お疲れかい?」
「いやぁ~そんな事無いよ。ただぼうっとしていただけさ」
「コラッ永久! そんな体たらくじゃ困るよ!」
へらへら笑ってごまかす永久に、鋭い視線が突き刺さった。視線の主は彼の母で、両手の盆にはこの店の名である『どんぶりぽん』名物の山盛りされた丼が乗せられていた。
「そうだ兄ちゃん、サボるな~!」
弟のアキラが客から注文を取りながら便乗し。
「もう、しっかりしてよね!」
厨房に父とともに立つ妹のワモからも叱責が飛んできた。
「わわっごめんなさい!」
あちこちから飛んでくる叱責や糾弾の眼、そして飢えた獣の様な眼に慌てて止めていた手を動かした。手慣れた様子で包丁を握り、天丼用の野菜を切ってゆく。
「おら天丼四つ追加だよ! 誰かさんのせいで滞ってるんだよ!」
「アイエエエ! ごめんなさい!」
「まあまあ
「そうだそうだー可哀そうだ―」
半泣きになって野菜を捌く彼に、はやし立てる客たち。呆れた顔をする妹。むすっとし顔で彼を睨む母。半笑いの弟。肩を竦め、黙々と天ぷらを揚げる寡黙な父『たこ郎』。忙しいが、幸せだった日々。このままずっとこの日々が続くのだとそう信じていた。
……この瞬間までは。
「…………ナンデ?」
夜。店を閉め、客がいなくなった店内。客の忘れ物を届けて戻って見れば、元気だった妹と弟は血の海に沈み、父は胴と首が無き別れをして飛び散り、母に至っては頭から貪り食われている始末。
「……ナンデ?」
丁度その時に永久の姿に気が付いた鬼が、母を食べるのを止め、虚空を引っかくように腕を振った。途端に彼の体に巨大な爪痕が刻まれた。鮮血がゆっくりと宙を舞い、永久は自分が作った血の海に沈んだ。
((ナンデ? 鬼? 鬼ナンデ?
鬼滅?
彼は自分の言葉を訝しんだ。そして合点がいった。気が付いてみればあっという間だった。
((成程、俺は鬼滅の刃の世界に転生していたんだな……ナンデ? よりによって今それに気が付くの? 何だそれは? いくら何でもあんまりだ))
霞む視界。幸せを奪った畜生が、守るように倒れた弟の死体を踏みつけにして妹の死体へと手を伸ばそうとしていた。
びきり。瞬間。永久の中で尋常ではない感情が、思いが堰を切って雪崩を打った。
ふざけるな馬鹿野郎。
((うん?))
永久は再び訝しんだ。
((何だ? 今の? おかしな声が混線した? まるで通信に無理やりに割り込んできたみたいだ。―――違う! 今の声。俺の内側から響いて来た!))
瞬間、店内の風景は吹き飛び、永久はモノクローム色の畳部屋の中にいた。
「え?」
永久は目をしばたき、辺りを見回した。吹きさらしの畳部屋は狭く、遠く見える景色は無限遠の荒れ地が覗くばかり。入り込む風は魂をヤスリ掛けするかのように荒々しく無慈悲であった。
「ここは……」
「ドーモ」
びくりと震え、声の方向へと目を向ける。部屋の中央に、声の主はいた。ぼうぼうに伸びた白い髪と髭。落ちくぼんだ頬。黒い装束に身を包み、袖からは枯れ枝のような腕が覗く。打ちひしがれた老人。傍目に見ればそう見える。しかし目は。その目は、ギラギラと輝き、尋常ならざる鬼気迫る何かを称えていた。
「コロス・ニンジャです」
「……ニンジャ……ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」
永久は目を剥いた。当然だ。
「立て! お主は儂だ! 儂はお主だ!」
「そうだ! 僕は君だ! 君は僕だ!」
「アイエッ!?」
気が付けば永久の横にもう一人の男が立っていた。それは永久と同じ顔をしていた。
「君は僕だ! 僕なら、この人が何を思っているのか分る筈だ! 喪失の痛みを知る君なら!」
「喪失……ッ!」
もう一人の永久が永久の両肩を掴み、額を合わせてその目を覗き込んだ。ギラギラとした瞳。鬼気迫る何かを称えた瞳。
「―――あぁそうか」
永久は理解した。それが何を意味するのかを。鬼気迫るそれを。それは理不尽に大切なものを奪われた喪失の痛み。理不尽に物を奪った者たちへの消える事の無い憎悪だった。
「そうだ」
永久は老人がいた方を見た。そこには誰もいなかった。振り返り、この世界の自分を見ようとした。そこには誰もいなかった。否。彼らはすでに、彼の中にある。
「そうだ。俺は、僕で、儂だ!」
永久は、
「うん?」
鬼は訝しげな声を上げた。たった今血鬼術の風の刃で殺したと思っていた男がすくっと立ち上がったからだ。
「なんだぁ~? 生きてたのかぁ~? 面倒くせえなぁ~」
言いながら、鬼は再び無造作に腕を振って風の刃を飛ばした。それで終わりだ。鬼殺隊の隊員ならば避けられるかもしれないが、相手は一般人だ。その心配もしなくていい分、実に気楽なものだった。
だからこそ。
「イヤーッ!」
「えっ」
男が凄まじい叫びと共に腕を振って風の刃を弾き飛ばしたことに、理解が追いつけなかった。男がすでに眼前にいて、手刀を振りかぶっているのにも、やはり理解できなかった。
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
手刀の一線により、妹の胴体を持つ鬼の右腕が叩き切られた。
「バカナ―ッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
男は間髪入れずに左拳を打ち出す! 鬼は食んでいた妹の腕を捨てながら咄嗟に防御姿勢を取るが。
「
信じがたい膂力に溜まらず姿勢を崩し。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
間髪入れずに叩き込まれたサイドキックに受け身も取れずに吹き飛ばされた。
「あぁ、あぁ……」
壁に叩きつけられて苦し気に咳き込む鬼に目もくれず、永久は妹だった肉の残骸に手を伸ばし、しかと抱きしめた。
「ごめんなぁ一緒に死んでやれなくて。ごめんなぁ生き残っちまって。痛かったなぁ。辛かったなぁ。もう大丈夫だぞ」
「うぅ……ぐぐ……なんだ……なんだよこりゃあ……!?」
永久は苦痛に歪んだ妹の頭をゆっくりと部屋の隅へと横たえ、改めて鬼と対峙した。
「ひぃ」
鬼は思わず息を飲んだ。永久の瞳は黒く輝いていた。ギラギラと。尋常ならざる憎悪が渦を巻いていた。更に墨汁のような黒い液体が滂沱と溢れだした。点々と黒い雫を垂らしながら、永久はゆっくりと鬼へと歩み寄った。
「くそっくそっ! 何だお前は!」
鬼ではないが鬼のような力を持つ永久に、鬼は訳も分からず絶叫を上げながら再生した腕を振りまくり、風の刃を飛ばして接近を拒絶しようとした。しかし永久はその全てを避けもせず、しかし受けもせず、一つ一つ丁寧に己のカラテ*5でかき消していった。
「畜生! この野郎! この死人が! とっととくたばりやがれ!」
埒が明かないとみるや鬼は風の刃を飛ばすのをやめ、永久に向けて飛びかかってきた。その鋭い爪で自ら引き裂くつもりであった。だが永久は避けなかった。迎撃もしなかった。彼はやおら腰だめ姿勢から両腕を高々と掲げ、そして叫んだ。忌まわしき名を。悍ましき殺意の結晶を。
「サップーケイ!」
その叫びを機に、鬼と永久の姿が室内から忽然と消え失せた。
「な、何だこりゃあ!?」
鬼は素っ頓狂な声を上げた。当然だ。色彩の溢れた店内から一転、全てがモノクロとなった異常に引き延ばされた伽藍洞の店内へと様変わりすればそうなるもの。
「さあカラテしようじゃないか。どちらかが死ぬまでのカラテを」
「な、何を訳分からねえことを! 食らえ血鬼術!」
混乱した鬼はさっきまで無効化されていたことをすっかり忘れたかのごとく血鬼術を行使しようと腕を振った。
「け、血鬼術が使えない!?」
「あぁそうだ。儂のジツで、お前の術は無しだ」
「そんな!? そんなのあんまり―――」
「イヤーッ!」
「グワーッ!?」
無造作な前蹴りを、鬼は無防備に受けた。ごろごろと無様に地を転がり、立ち上がってなおも血鬼術を使おうとするがやはり風の刃は出ず、その隙に永久は何度も殴りつけた。
「あ、アイエエエエエ!?」
とうとう恐慌をきたした鬼は背を向けて逃げ出した。永久はその背を追わず、無感情に鬼の背を見つめていた。
鬼は逃げた。逃げに逃げた。しかしどれだけ逃げても出口は見えず。光明は見えず。そして時折吹く侘しい風は胸の内を吹き抜け、魂をヤスリ掛けするような精神的苦痛をもたらした。加えて糾弾するように睨む客の影たちがそれをさらに助長した。
「ハア―ッ! ハア―ッ!」
遂に息を切らして立ち止った鬼に、彼はアイサツ*6を繰り出したのだ。
「―――あぁそうだったな」
ほんの少しの記憶を反芻し終わり、永久は、トリニティは頭蓋を破壊されてのたうち回る鬼を見下ろした。どうもこの空間。血鬼術のみならず鬼の再生能力すらも鈍らせるようだ。これが上弦の鬼にも効くのかどうかはわからぬが、この瞬間では実に好都合である。
鬼は腕を上げて反撃を「イヤーッ!」「グワーッ!」
鬼は腕を上げて反撃を「イヤーッ!」「グワーッ!」
鬼は腕を上げて反撃を「イヤーッ!」「グワーッ!」
鬼は腕を上げて反撃を「イヤーッ!」「グワーッ!」
鬼は腕を上げてマッタを「イヤーッ!」「グワーッ!」
「ゆ、許し「イヤーッ! 「グワーッ!」
「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」「イヤーッ! 「グワーッ!」
■
早朝。焦げた匂いがすると臭いの元を辿ってみれば、定食屋『どんぶりぽん』が、炎上している。付近に住む人々が集まり、火消しもただちに呼ばれ迅速に消化されたものの、一家は全滅。どんぶりぽんは安く、早く、旨いと評判の店であった。この事件のせいでもう食べられなくなったと嘆く者は多かった。
「畜生なんてひどい事を!」
人目もはばからず大泣きする男はどんぶりぽんが営業開始した時からの常連であった男だった。その背後にいる、襤褸を頭から纏った者は、しばし申し訳なさそうに俯き佇んでいたが、やがて顔を上げ、背を向けて去った。