妖小琳(ヤオシャオリン)と因習と夏 作:ノースリバーサイド小木木
村長の邸宅を離れ、益介の運転する軽トラに揺られる小琳。
あの時に見た人影は本当に実在したのか。時間の経過と共に記憶しているあの姿はモヤのように消えようとしていた。
あれから客室で畑中さんに話を聞いたが、宴会の途中の男たち、皿を下げて洗っていた女たちの中に露天風呂に近づいたものはいなかったそうだ。
直接的に聞くと覗いたことを隠そうとするかもしれないので、信頼のおける人にそれとなく聞いたそうだが、やはり該当する人物はいなかったそうだ。
益介も途中から家に入った人は誰も居なかったと言っていたので、小琳はそれ以上追求するのをやめた。
「大丈夫か」
ずっと押し黙っている小琳を心配してか益介が口を開いた。
「さっきの事なんですけど…もしかしたら本当に気のせいで…なんか大騒ぎしちゃって申し訳ないなって…」
「そうか………」
益介は人に気を配ったり話しかける事があまり上手くない事もあり、益介も押し黙ってしまった。
暫く長い沈黙が流れる。
すると急に益介は宿泊予定の公民館とは別の方向にハンドルを切り曲がった。
「あの…道はこっちであってるんですか?」
益介は何も答えなかった。
「益介さん…?」
小琳は怪訝な顔で益介を見た。
険しい顔をして顔の皺が先ほどよりも更に深くなった。
「少し遠回りになるが、この先に駐在があっから。だらしの無い奴だが一応警察官だ。相談するとええ」
「あの…えっと…」
急な提案で驚いたのもそうだが、こんな辺鄙な場所に警察官が常駐している事にもっと驚いた。
小琳が返答に迷い、しどろもどろになっていると益介はさらに続けた。
「自分の目で見たもんを信じろ。客人だからって遠慮する事はねぇ」
「………はい」
心の中では大事にしたくはないと思い初めていた小琳だが、益介の強引な態度に何も言えず言われるがままに駐在所まで向かった。
少しばかりの気まずい時間を過ごし、『銅地村駐在所』と書かれた古びた建物の前に到着する。
時間は21時ごろ、電灯は消え、窓に備え付けられているブラインドは降りているので中の様子は伺えなかった。
「我那覇(ガナハ)、いるか?」
ドンドンと扉を叩き益介は名前を呼ぶ。
恐らく我那覇というのが警察官の名前だろう。
程なくして家の中から物音がして電気がついた。
「我那覇、開けろ」
ブラインドが上がり、いかにも軽薄そうな男が現れた。中肉中背であまり記憶に残らない顔立ち。髪は短く切り揃えられているが、ヨレヨレのスウェットと無精髭でだらしない印象を受けた。
我那覇は面倒臭そうに開錠し、立て付けの悪い引き戸をガラガラと開ける。
「爺さん。もう店仕舞いだよ。なんか用?」
「警察に店仕舞いなんてあるか。相談がある」
そういうと益介は小琳の背を押して我那覇の前に出した。
「あの…どうも…妖小琳って言います…」
「爺さんの孫?」
「違う、村に取材に来た人だ。相談に乗ってやってくれ」
「……ふーーん、まあいいや。入んなよ」
我那覇は駐在所に2人を招き入れた。
適当に座ってと言いつつ、部屋に備え付けられている冷蔵庫を開けてガサガサと漁った。
部屋の中は事務作業用のテーブルと椅子、何も書かれていないホワイトボードのカレンダー。来客用の黒いソファーがあり、駐在所というより古い会社の事務所のようだった。
「これしかないけど」
そう言って我那覇は小琳にはオレンジジュース、益介にはお茶の缶を渡した。
「ありがとうございます」
小琳は礼を言うとソファーの端にちょこんと腰を下ろした。
「えーと妖さんだったよね。銅地村駐在所、巡査の我那覇です。よろしく」
我那覇は小琳に警察手帳を一瞬だけ開いて見せポケットにしまった。
机からガサガサと皺の寄った紙とボールペンを取り出しクルクルと回し始める。
「村長さんの家での出来事なんですけど───」
小琳は村長の家であった事を語った。途中、少しばかり泣きそうにはなったが、村に来た時からの視線も含めて説明した。
「なるほどね。覗きと視線ね…残念ながらすぐには解決出来ないね」
我那覇はそっけなく、突き放すように言った。
「おい!」
益介は我那覇を睨むがあまり気にしていないようだった。
「じゃあ今から鑑識読んで宴会に参加した面々の指紋を採取でもします?無理ですよ」
鼻で笑うかのような態度に小琳は少しイラッとした。
「邪魔したな、矢尾さんもう…」
益介はそう言いかけた。
「ですがまあ、私は明日、村長の宴会に呼ばれてますから。それとなく探りを入れておきますよ。自慢好きな年寄りばかりですし若い女の裸を覗きに行ったガハハ…なーんて口を滑らすかも」
落とし所はこれでいいだろと言わんばかりの表情を益介に向けた。
「妖さんも期待しないで待ってて。畑中さん…知ってるでしょ?話をまた聞いとくから」
「あまり大事にはしたくなくて…」
我那覇は小琳をじっと見つめた。
「うまくやりますよ。じゃあ受理したんでもういいですよね」
そう言って我那覇は大きな欠伸をすると調書を棚にしまった。
明らかにやる気がない態度であったが、警察という公的機関に話ができたので、小琳の気は若干紛れた。
小琳は礼を言うと益介と共に駐在所を出た。
我那覇は特に返事することもなく引き戸を施錠し電気を消すと家の奥の引っ込んでしまった。
「大した力にはなってやれんが…」
益介は小琳に申し訳なさそうに言った。
「遅い時間に送ってもらってますし、大丈夫です。」
小琳は最初、ボソボソと喋る愛想のない年寄りと思っていたが、そうでもないようだ。
あとは布団でゆっくり休んで寝るだけだ。
そう思うと小琳は乗り込んだ軽トラックでうつらうつらとし始めた。
だが、小琳の夜はまだ…あと少しだけ終わらない…
とある場所。
真っ暗な室内。走り去る軽トラを見送ると男が携帯電話をから電話をかける。
「お疲れ様です。───です。ええ、妖小琳と話しました。はい…覗きにあったと相談に…はい…はい…それは大丈夫そうです。益介もうまくやっています。ただあの子はカンは良さそうです。明日は村を取材するそうなのでこちらでサポートします。気づいてはいないと思いますが…バレたらこちらで上手く処理しますので。いざという時の対応だけお願いしまします。ええ…ではこれで…お疲れ様です…」
男は電話を切った。
計画はバレていない。バレるわけにはいかない。長い長い準備をここで不意にするわけにはいかない。
犠牲者やむなし。
上司の言葉を反芻しつつ、男は明日に備えてベッドに入った。