正直、俺はナメていたのである。
だってそれは仕方のないことだろう。
ライブのサクラバイトなんて、実力で観客を呼べない者がすることだとも思うし、100パーセント成功すると豪語するからにはよっぽど相手の好感度は高くないとそんなこと軽々しく言えないだろう。ステージ上でラップをして告白するというのはもはや意味が分からないし、まだ合法なんていうグレーゾーンの薬物を使ってるなんてろくなことではない。
しかし、俺たちが入ってきた時から続いていた演奏が終わって流れるように紹介されたベリハーは、「やはー、やははー」と慣れたように観客に手を振って登場しながらも足は僅かに震え、歌う前なのに緊張で顔が強張っていた。
四人組のグループと違って彼は一人。
音響ミキサーの前に立って軽く静かにと観客に手を抑えるようなジェスチャーをする。
もちろん舞台に上がって歌を歌うという緊張はなくはないだろう。
しかし、聞いている限り彼はここのメインDJであり、仲間も多そうだった。
俺とユエは観客の最後尾。
こういう場での盛り上がり方もよく分からず借りてきた猫のように身を寄せ合って舞台上を眺めていたが、そこから見えるだけでも俺たちと同じように紙吹雪の入った袋を持った客は何人も見つけられる。
それが、俺と同じように全員サクラバイトだとは思えないので、きっと仲間や友達。その友達の友達などだろう。金を払ってたった一人二人の俺たちを呼ぶ理由など本当はないはずだ。
けれど。
軽快な、けれど想像以上に小さなイントロから始まった音楽とともに、覚悟を決めたとマイクを手に取って彼はステージの前へと歩き出した。
震える緊張をかみ殺した声。
そこから紡がれる高速のメロディーは彼がその相手に出会った時のことから。
要約するとこんな感じである。
なかなか最低な出会いである。
しかし、ここで物語は急展開を迎える。
君と格安ホテルで三回戦。君はいったね。実は私はまだ十五歳。習い事ばかりの家が嫌で飛び出してきたってそんなこと聞いたら俺の心臓が逆に飛び出そうだったよ。年齢差は
どうやらそれまでベリハーはそこまで売れてなかったらしい。
俺が売れない理由は明白。音楽は好きだけどたくさんの人の前だと緊張しちゃう。だって俺には何もないからね。お金もないし、友達もいない、音楽は好きだけどあがり症なんて音楽の才能がないっていわれているのと一緒さ。けれど、これが最後のチャンスかもしれないでしょう? だから、俺は初めてのライブはウイスキーで体を満たして逝った。ダメだったから、二度目は葉っぱ。捕まっちゃったから今執行猶予中。
ダメだ。面白いんだけど……!
それに、彼の緊張や覚悟、本気の気持ちが伝わってきて気分が上がる。
でも本気って案外伝わるものみたい。最初はラップバトルでディスりあった相手と大会のオーナー。もう薬はやってない。だって捕まったら君と会えなくなるからね。それからお金を稼いで何度も君を買った。けれど、いつの間にか君は夜の街でNo.1になっていた。アフターどう? 聞いてみたら君はいったね。今日はごめんね。ああ、他に男がいるんだね。でも、俺は諦めない。諦めない。諦めきれないんだ。それが一週間前のこと。だから今日ここに呼んだ。
何この異常にライブ感の強いライブ。一週間前のことなの?
君はとっても表情を作るのが上手だから俺には全然君の気持ちが分からない。でも、もう考えるのはやめたよ。年齢なんてどうだっていい。君に男がいたって関係ない。ただ、俺は本気だ。君がやめろっていうならこれがラストライブになったって構わない。いや、そんなことで君の心に残ろうとする俺は卑怯者かな。
……そのある種弱気的な
ベリハーは自分のことを歌っているに過ぎない。
しかし、徐々に音量が上がるサウンドとともにジクジクと心を叩いてくる。
まさか。
俺たちは体から始まった関係だ。最初からスリーラウンドできるくらいだ。相性は最高のはずだ。問題は乗り越えられた。これからも乗り越えられるって信じてる。だって俺は君への恋だけでここまで来た。
俺の背中を押しているのか?
中途半端なままでいたかった。ぬるま湯の関係こそが最高だ。でもそれだともう会えなくなる気がするんだ。優しくて可愛い君へ。俺が伝えられることはこれですべて。そんなわけがない。だから俺にもっと伝えさせてくれ。一緒にいさせてくれ。君から好きだって今日この場で叫んでくれ。ずっと聞きたかったその言葉。どうか。どうか。
ベリハーは泣いていた。
俺も泣いていた。隣を見るとユエも涙を一粒流し、観客も感化されて嗚咽を漏らす。
凄まじいグルーヴ。
なんなんだこのライブは。どんなライブなんだ。
曲は終わった。
拍手も喝采もない。けれど、ここにいるすべての人間が待っていた。
ここにいるはずのたった一人からのアンサーを。
そして、それに応えるように観客の中から一人。
明るい茶髪に紫のドレス。少し鋭い目つきながら目を疑うような美人の女性がちょっと頬を膨らませて怒ったように舞台横の階段から登場した。
「マイク貸して」
「あ、はい」
ベリハーは相当尻に敷かれているのか。おずおずと素直にマイクを渡す。
けれど渡された女性はいったんマイクに口を近づけることなく、小声でベリハーに何か言葉を投げかけていた。ハイ、ハイと頷くあたり、怒られているようだ。
しかしそれもほんの数秒。
マイクを口に近づけた女性は小さく「私の負け」といった後、息を大きく吸って。
「――私も好きっ!!!」
その瞬間。
爆発的な歓声とともに、視界を覆うほどの紙吹雪がフロア全体を満たしたのだった。
**
帰り道。
あの後も一応ライブ会場に残っていたが、これ以上遅くなるのもまずいのでアオとベリハーに挨拶して俺たちは店を出た。ベリハーはにやりとサムズアップとともに傍らには美人の彼女。「ありがとね」とお礼を言って送り出してくれた。
この感動にお金を貰うわけにはいかないと返金も申し出たが、それはきっぱり断られ、また来てねーと言ってくれた。
正直、ちょっと好きになってしまった。
俺とユエは暗くなった街灯の道を並んで歩く。
体はまだ余韻によって熱い。
「今日はすごくよかった。ありがとう」
まだ冷たいこの季節。
ユエの吐いた息は白く空に浮かんで消えた。
「こちらこそ。付き合ってくれて助かった」
「……歌、っていいね」
「憧れるか?」
聞いてみると、ユエはふふと少し笑った。
「あれを相手に求めるのは酷さ。それに、されても困ってしまう。そんな相手いないけどね」
俺は一つ頷いた。
「でも、もうこのバイトはやめるよ」
どうやら、少なくともベリハーのリリックは一人の少女の行く末を少し変えているようだった。
「まぁ、それは賢明だ。俺が言えることではないが」
「それもそうだ」
お互い笑い合う。
駅前に着く。登りと下りで別々なのでこれでお別れだ。
「それじゃあ」
「うん……」
と頷いたユエだったが、「あ」といって。
「やっぱり、連絡先くらいは交換しよう」
そういってくれるならと俺はスマホを取り出す。
連絡先に増えた一つの名前を眺めていると、すぐに「じゃあ」といってたたたっとユエは反対側の駅のホームへと走った。最後にバイバイと手を振ってくれる。
俺も手を振り返す。
変わった子だったが、可愛い女の子だった。
姿が見えなくなると俺はふーと息を吐いて目を瞑った。
俺は考えなくてはならない。
恋というものを。
結論は、きっとまだ先でいいはずだ。
少しずつ、確かめていこうか。
俺はゆっくりとそんなことを思いながら、やがて来た学園行きの電車に乗り込むのだった。