完結「嫌な公爵家」   作:埴輪庭

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厭な流行

 ◆

 

 流行(モード)とは畢竟、集団的な幻覚に他ならない。

 

 それは特定の色彩、形状、あるいは思想が、一時的に絶対的な価値を持つと信じ込まれる現象である。その発生原理は疫病のそれに酷似しており、感染力は宿主の知性とは無関係に、むしろ「退屈」という名の免疫不全状態において最大化する。

 

 歴史を紐解けば、人類は常に「美」の名の下に時に不合理で、時に危険な流行に身を投じてきた。例えば18世紀ヨーロッパの貴婦人たちは美しい白さを求めて猛毒である鉛白粉(えんぱくおしろい)を顔に塗りたくった。鉛は皮膚を腐食させ神経を冒すが、美のためなら死んでも構わないという情熱の前には医学的常識など無力だった。

 

 ファッションとは狂気の社会的受容形態の一つに過ぎない。そして今、この王国の王宮は新たな狂気が蔓延するに最適な培養皿となっていた。貴婦人たちは致命的に退屈していたのだ。

 

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 事態が決定的に動いたのは王妃主催の秋の夜会であった。

 

 王宮の大広間はいつも通りの豪奢な装飾と甘ったるい香水の匂いに満ちていた。貴族たちが凡庸な会話に興じる中、エリアス王子にエスコートされてデスデモーナが現れた瞬間、会場の空気が凍りついた。

 

 彼女の装いは常軌を逸していた。

 

 ドレスは漆黒。それは単なる黒ではない。まるで闇そのものを凝縮し、周囲の光を貪欲に吸い込むような絶対的な黒だった。そしてその装飾。首元を飾るのは精巧に作られた人間の肋骨を模した銀細工。耳元では小さな鳥の頭蓋骨が揺れている。髪は複雑に結い上げられ、そこには生花ではなく、精巧に作られた「枯れた薔薇」が挿されていた。

 

 死と退廃の美学を極限まで追求したヘルファッション。

 

 貴婦人たちは息を呑んだ。不吉。陰鬱。だがそれ以上に──圧倒的に異質で、美しかった。

 

 その時、一人の女性がデスデモーナに近づいた。アメリア・ヴァレンシュタイン公爵夫人。社交界の女帝として知られ、その鋭い審美眼と斬新なセンスで流行を左右する人物。彼女こそがこの王宮で最も退屈に飢えていた女性だった。

 

「ごきげんよう、デスデモーナ様」

 

 アメリアは鋭い視線でデスデモーナの装いを眺めた。彼女の瞳孔が僅かに開き、指先が微かに震える。

 

「そのドレス……そしてそのアクセサリー。実に……アヴァンギャルドですわね」

 

「あら、公爵夫人。光栄ですわ」デスデモーナは嬉しそうに微笑んだ。「この肋骨は、わたくしの内なる虚無を。この頭蓋骨は生きとし生けるもの全てに訪れる甘美な終焉を表現しておりますの」

 

 常人なら卒倒するような説明だった。だが、アメリアの目が爛々と輝いた。

 

「虚無! 終焉! 素晴らしいわ! なんて斬新なコンセプト!」

 

 彼女は興奮を隠さなかった。

 

「最近のファッションはどれもこれも明るく華やかで、退屈極まりないものばかりでした。でも貴女のスタイルは違う。死と闇を恐れるのではなく、それを受け入れ、楽しむ。これこそが真のエレガンス! この世界の欺瞞に対する痛烈な皮肉ですわ!」

 

 アメリアの称賛は社交界に衝撃を与えた。女帝が認めたのだ。それはデスデモーナのスタイルが「異端」から「最先端」へと変わった瞬間だった。

 

 ◆

 

 流行の火は山火事のように燃え広がった。後に「ヘルゲート・シック」と呼ばれるこのブームは、瞬く間に王宮を席巻した。

 

 王都の高級ブティックからは黒い生地が消え、貴婦人たちは競って漆黒のドレスを纏うようになった。だが彼女たちはデスデモーナの本質を理解していたわけではない。彼女たちにとってそれは単なるファッションであり、ポーズだった。

 

 流行はエスカレートした。彼女たちはデスデモーナの持つ「本物」の雰囲気を求めた。青白い肌を演出するために白粉を顔に塗りたくる。そして、目の下にはわざと隈を描き入れる『不眠メイク』が大流行した。

 

「あら、今日の隈、素晴らしいわね。まるで三日三晩悪夢にうなされたかのよう」

 

「貴女こそ、その血の気の失せた唇は素敵だわ。まるで死体安置所から抜け出してきたみたい」

 

 そんな奇妙な会話が日常的に交わされるようになった。さらに彼女たちは、「いかに自分が不幸か」を競い合うという倒錯的な娯楽に興じ始めたのだ。クレイジーである。

 

「ああ、絶望だわ。お気に入りのティーカップが欠けてしまったの」

 

「私の人生は虚無よ。今日のデザート、マカロンじゃなくてフィナンシェだったんですもの」

 

 それは滑稽な不幸自慢大会だった。

 

 当のデスデモーナは、この状況を心から喜んでいた。

 

(まあ! 王都の皆様もようやく真の美に目覚められたようですわ!)

 

 彼女は貴婦人たちの滑稽な模倣を自分への賛辞として純粋に受け取っていた。基本的にデスデモーナという娘は素直なのだ。親の教育が良かったのかもしれない。

 

 不吉なアクセサリーを身に着け、そして何らかの不幸に見舞われている貴婦人たちで溢れかえるようになった。

 

 ◆

 

 この異常事態に最も胃を痛めていたのは、当然ながら国王リチャードだった。

 

「ガンジャ……」

 

 執務室でリチャードは力なく呟いた。彼の胃はもはや限界を超えていた。

 

「王宮が……王宮が、ヘルゲート家の別邸のようになっておる……。皆、死人のような顔で、葬式のような格好で、あちこちで怪我をしている!」

 

「左様でございますな」

 

 ガンジャは淡々と答えた。

 

「ですが、経済効果は絶大です。黒い布地や白粉、そしてヘルゲート領から取り寄せた『嘆きの土』(美容パックとして人気)の売り上げは過去最高を記録しております。これもまたヘルゲート家の貢献と言えるでしょう」

 

「それはそうだが!」

 

 リチャードは叫んだ。

 

「この国の威信はどうなる! 他国から『呪われた王国』などと呼ばれるようになったらどうする!」

 

(もう手遅れでは……)とガンジャは思ったが、口には出さなかった。

 

 一方、デスデモーナ付きの侍女たち──マーサ、リリー、アガサは、意外にもこの状況を楽しんでいた。マーサは主人の躍進を誇り、リリーやアガサはキュートな呪いアクセの収集に生きがいを感じていた。女というものはちょっとばかり不気味なモノを可愛がる奇妙な性質を持つ者が多い──まあこれは偏見だが。

 

 そしてデスデモーナ。彼女はこの状況に心から満足していた。

 

「ああ、なんて素晴らしいのでしょう。王宮がこんなにも美しく、陰鬱で、そして不幸に満ちた場所になるなんて。まるで故郷にいるようですわ」

 

 彼女は自室の窓から、漆黒のドレスが行き交う中庭を眺めながらうっとりと呟いた。

 

「これもすべて、わたくしのことを理解してくださる素敵な皆様のおかげですわ。感謝の気持ちを込めて、何か素敵なイベントを計画したいところですけれど……」

 

 デスデモーナの瞳が新たな狂気の計画を宿して妖しく輝いた。

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