完結「嫌な公爵家」   作:埴輪庭

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厭な成長

 ◆

 

「ガンジャ……もうわしは疲れた……」

 

 絞り出すような声に、影のように控えていた宰相は無表情のまま応じる。

 

「陛下。ご疲労にはヘルゲート領特産の『絶望茸のスープ』が効くと評判でございます。精神を根底から揺さぶり、些細な胃痛などどうでもよくなる効果が期待できます」

 

「その冗談を言う気力が残っているのが羨ましいわ……」

 

 リチャードは力なく頭を振った。彼の視線の先、窓の外では黒装束の貴婦人たちが、わざとよろめき、わざと転び、その不幸を競い合うという地獄のようなファッションショーが繰り広げられている。

 

「あれが我が国の最先端の光景だというのだから、眩暈がするわい」

 

 だがリチャードの悩みの本質は、そんな表層的な流行(はやり)ではない。

 

 息子、エリアスのことだ。

 

 デスデモーナと婚約して以来、あの空っぽだった人形のような息子は確かに変わった。生気を取り戻し、表情が豊かになり、時には冗談さえ口にする。それは父親として喜ぶべきことなのだろう。

 

 だがその変化の質が、どうにもリチャードの理解を超えていた。あの目の奥に宿る光は果たして正気のものなのか。それとも、より質の高い新たな狂気の輝きなのではないか。

 

 確かめねばなるまい。父親として、そしてこの国の王として。

 

 まあ自業自得であることは理解していたが、息子を“北の塔”に送らずに済む方策は、あの時点ではヘルゲート行きだけだったのだから仕方がない。

 

「……ガンジャ。茶会の準備をさせろ」

 

「は。どなたを御招きに?」

 

「家族のだ」

 

 リチャードは決然と言い放った。

 

「わしと、王妃と、エリアスと……デスデモーナ嬢。四人だけの、ささやかな家族の茶会だ」

 

 家族の団欒。それはごく普通の家庭においては幸福の象徴であり、穏やかな時間の代親である。

 

 しかし。

 

 だが、しかし。

 

 ◆

 

 茶会は王宮で最も日当たりの良いとされる『陽光のテラス』で開かれた。

 

 しかしその名が虚しく響くほどテラスの雰囲気は変容していた。ヘルゲート・シックの影響は庭師の美意識にまで及んだらしく、かつて色とりどりに咲き誇っていた花々は姿を消し、代わりに棘だらけの黒薔薇や、夜にしか咲かないという不気味な月光草が植えられている。テーブルクロスは純白ではなく、まるで葬儀を思わせる鈍色のシルクだ。

 

 最初に姿を現したのは王妃イザベラであった。穏やかで心優しい女性として知られているが、今日のその顔には隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。流行りの『不眠メイク』などではない、本物の心労が刻んだ影だ。

 

「あなた……わたくしはなんだか不安です……」

 

 不安げに呟く妻に、リチャードは力なく頷いた。リチャード自身も不安だったからだ。

 

 やがて噂の二人が現れる。

 

「お待たせいたしました、父上、母上」

 

 エリアスは完璧な笑みを浮かべていた。その隣でデスデモーナが深々と淑女の礼をする。二人の仲睦まじさはもはや疑いようもなかった。エリアスが椅子を引けば、デスデモーナが「まあ、エリアス様。わたくしのような女に、なんて無駄なご親切を」と囁き、エリアスが「君のためなら、地獄の釜の蓋だって開けて見せるさ」と返す。

 

「……うむ。二人とも、揃って息災なようで何よりだ」

 

 リチャードは咳払いをして、会話の主導権を握ろうと試みた。

 

「デスデモーナ嬢、王都の暮らしには慣れたかね。何か不自由はないか」

 

「ええ、陛下。皆様のおかげで、毎日がとても幸せで、苦痛に満ちた日々を送っておりますわ」

 

 デスデモーナはうっとりと微笑んだ。

 

「特にこの国の食事が素晴らしいですわね。新鮮で、栄養価が高く、あまりにも健康によすぎる。一口食べるごとに、わたくしの魂が清められていく苦痛……ああ、たまりませんわ」

 

 出だしからこれである。リチャードは早々に当たり障りのない会話を諦め、本題に入ることにした。彼はエリアスに向き直る。

 

「エリアスよ。近頃、西方のヴァレンシュタイン公爵領で不穏な動きがあるのは知っているな」

 

 それは隣国との緩衝地帯における鉱山の利権を巡る緊張関係のことだった。かの地の山脈からは、希少鉱物『影鋼鉄』が産出される。それは王国の科学技術と軍備を支える上で不可欠な戦略資源だ。その採掘権は王家が管理し、ヴァレンシュタイン公爵家にはその監督と引き換えに一定な利益が保証されている。しかし公爵はその利益の配分に不満を抱いているのだ。

 

 以前のエリアスならば「父上にお任せします」と無関心に答えただろう。だが。

 

「存じております、父上。ヴァレンシュタイン公が、隣国の密偵と接触しているという噂も」

 

 エリアスの声は驚くほど冷静で、的確だった。

 

「ですが、父上。ヴァレンシュタイン公が国を売ったと判断するのはまだ早いでしょう。隣国が彼に持ち掛けた条件はおそらく『影鋼鉄の利益配分を現状より大幅に引き上げ、さらに公爵家の領地における自治権を保証する』といったところでしょう。甘い蜜です。しかし、彼は本気で寝返るつもりはない。隣国との繋がりをちらつかせることで、我々王国からより有利な条件──すなわち、利益配分の見直しと、王家からのさらなる支援を引き出そうとしているのです。いわば、崖っぷちで踊ってみせることで、こちらの譲歩を誘う老獪な狐の手口です」

 

「その狐の牙はいささか鋭すぎるとは思わぬか?」

 

 リチャードの声音には、長年為政者として抱いてきた猜疑心が滲む。

 

 それに対し、エリアスは静かに首を横に振った。

 

「いいえ、父上。正しく扱えば、彼は王国にとってこれ以上なく有益な駒です。真に危険なのは信念や理想に殉じる者。動機が読めず、損得で動かぬ者こそが最も恐ろしい。ですが、ヴァレンシュタイン公は違う。彼の行動原理は、徹頭徹尾、己の利益と虚栄心。それは極めて分かりやすく、御しやすいものです」

 

 エリアスはカップを置き、リチャードの目を真っ直ぐに見据えた。

 

「彼の強欲さは我々が握るべき首輪そのもの。我々が隣国以上の利益を与え続ける限り、彼は決して我々を裏切らない。むしろ、国境の守り手として忠実で無能な将軍よりも遥かに優れた働きをするでしょう。牙を剥く犬も、鎖の長さを間違えなければ番犬として使えるのです」

 

「して、どうする」

 

「噂を流すのです」

 

「噂だと?」

 

「ええ。例えば、『王国はヴァレンシュタイン領の鉱山利権を、さらに高値で買い取ろうとしている第三国と密約を結んだ』という噂を、それとなく隣国の密偵の耳に入れるのです。無論、そんな事実はありません。ですが、噂は真実よりも早く、そして広く伝わるものです」

 

「ほう……。だが、お前の言う策を弄したとして、その噂の出所が我々だと、あの老獪な狐が見抜かぬとでも?」

 

 リチャードは感心と警戒が入り混じった複雑な感情で、さらに踏み込んだ。

 

 エリアスはまるでその問いを待っていたかのように、唇の端を微かに吊り上げた。

 

「ええ、おそらくは見抜くでしょう。それこそが、この策の第二段階です。噂は隣国を動かすと同時に、ヴァレンシュタイン公自身への我々からの無言の警告となるのです」

 

「警告、だと?」

 

「はい。彼は察するはずです。『王国は私の不穏な動きに気づいている』と。そして恐怖する。『このままでは、私は王国から切り捨てられるやもしれぬ』とね。その恐怖が彼の心に染み渡った頃合いを見計らい、こちらから手を差し伸べるのです」

 

「手を差し伸べる……?」

 

「『公爵のこれまでの功に報い、影鋼鉄の利益配分を引き上げる』と公式に発表するのです。ただしその量はわずかなもので十分でしょう。ほんのわずか、というのが肝要です」

 

 エリアスは楽しげに続けた。

 

「公爵は安堵するでしょう。『王国は私を切り捨てるつもりはない。これは最後の警告であり、同時に温情なのだ』と。そして、わずかばかり増えた利益に満足し、自らの手腕を誇るはずです。隣国との関係を清算し、再び我々に忠誠を誓うでしょう。結果として、我々は最小限のコストで公爵の首輪を締め直し、彼の忠誠心をより強固なものにできるのです。それは僅かに引き上げた利益配分などより、遥かに大きな利益を王国にもたらすでしょう」

 

 リチャードは絶句した。それは恐怖を与え、同時に慈悲を与えることで相手を支配する、あまりにも計算され尽くした人心掌握術だった。

 

「……エリアス。そのようなやり方を誰に学んだ?」

 

 まあ聞くまでもないが、と思いつつも尋ねる。

 

 エリアスは悪戯っぽく笑うと、隣に座るデスデモーナの手にそっと自らの手を重ねた。

 

「義父上ですよ、父上。ヘルゲート公爵……レドラム殿には、滞在中、様々なことを教えていただきました。人の心の脆さ、絶望の与え方、そして、いかにして希望を効率的に摘み取るか。実に有益で、心温まる時間でした」

 

「お父様は、エリアス様のことを大変気に入っておられましたわ。『あの空虚な瞳は、いずれ最高の絶望を映す器になるだろう』と、褒めていらっしゃいましたもの」

 

 デスデモーナが嬉しそうに付け加える。

 

 リチャードは天を仰いだ。息子は確かに変わった。空っぽの人形ではなくなった。だがそれは良い事なのか、どうなのか。

 

(しかし、為政者としては頼もしいかぎりだ)

 

 リチャードはそうも思うのだった。

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