神殺し兄妹と女神様 作:ダッソー
エリカは自身の所属する魔術結社《赤銅黒十字》から届いた報せを聞くと、思わず深いため息を吐いた。
「やっぱりこうなるのね……。しかもサルバトーレ卿が不在の時にだなんて。なんて巡り合わせなのかしら」
焦燥を滲ませた独り言に、すぐ傍で控えていたメイドが反応する。
「エリカさま。どうかなされましたか?」
声をかけたのは、エリカのメイドであるアリアンナ・ハヤマ・アリアルディだ。
「降臨したまつろわぬ神が、私たちの国に向かっているそうなの」
「そ、そんな……! なぜ、そのようなことに……!?」
「決まってるわ。『ゴルゴネイオン』を追って来たのよ」
少し前にアテナがイタリアを訪れた際、この国に自らが求める『ゴルゴネイオン』が存在することに気づいていた。
だがその時、彼女は『ゴルゴネイオン』を回収することを選ばなかった。
大地母神としての力を取り戻すということは、同時に『まつろわぬ神』としての性質をも取り戻すことを意味する。
もしそうなれば、まつろわぬアテナとしての自分が兄妹が成長するその時まで、我慢し続けられるかどうか分からなかったのだ。
だからこそ、あえて力を取り戻さず、預けるという形を選んだのだ。
その際、現地の魔術結社には『決して、奪われることのないように管理せよ』と。命令しておいたが。
「今、サルバトーレ卿はギリシャに現れたまつろわぬ神の討伐に向かっているわ。だからサルバトーレ卿に頼ることはできないの」
「では……護堂さんたちに、まつろわぬ神と戦っていただくようお願いするのですか?」
「ええ。でも、戦うのは、護堂たちじゃないと思うわ」
「エリカさま……それは一体、どういうことでしょうか?」
エリカは神妙な表情で言った。
「おそらくだけど……女神アテナが戦うことになると思うの」
アリアンナは目を見開いた。
護堂は早朝、アテナに叩き起こされると、日課である朝のランニングに出かけた。
家に戻って汗を流し、着替えを済ませる頃には、食卓から香ばしい匂いが漂ってくる。
食卓には、静花が用意した朝食が並んでいた。
「ねえ、アテナさん。居候してるんだったら、家事くらい手伝ったらどうなの?」
箸を動かしながら、静花が不満を隠そうともせずに言う。
「女王たる妾が、なぜそのような些事をせねばならん」
アテナは平然とした様子で、コーヒーに口をつけた。
この女神様は、こうして人の家にあるものを断りもなく飲み食いすることがあるのだ。
「あのね、普通は人の家に住まわせてもらってたら、家事くらい手伝うものでしょ!
それどころか、勝手に人の家のもの食べてるとか、どういうつもりなのよ!」
「この家に暮らしておるのだから、この家にあるものは妾のもののようなものだろう。何を言っておる?」
アテナが常識を語るような顔でとんでもないことを言い出した。
「何でそういう考えになるんだよ。勝手に人のものを自分のもの扱いするなよ」
護堂は、某国民的アニメのいじめっ子を思い浮かべながら、呆れた声を出す。
「神々の女王たる妾が、婢女の真似事をするわけがなかろう」
「うちにはうちのルールがあるの! 居候するなら、ちゃんと守りなさいよ!」
静花は母親に似た理由で家事を一切しようとしないアテナの態度が、どうにも我慢ならないのだろう。
このまま放っておけば、間違いなくヒートアップする。
一緒に暮らしている以上、下手をすれば後にしこりを残しかねない。
「なあ、アテナ。お前は誰かにあれこれ世話してもらわないとダメなのか?」
「妾を愚弄する気か? 己の面倒くらい見れる」
だがアテナは、他人の言葉には無頓着なわりに、護堂たちの話となると意外なほど耳を傾ける。
だから、アテナがこちらの言葉を聞いているうちに、そのプライドを刺激することにした。
「だったらさ、たまには何かしてもいいんじゃないか? 例えば料理を作るとか。
そうしないと、周りから誰かに頼らないと何もできないって思われるぞ」
その言葉を聞きアテナは眉をひそめ、じっと護堂を睨みつける。
「……あなたの言葉には、一理あるな」
ややあって、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「よかろう。今度は妾が食事を作ってやろう」
「……これでいいか、静花?」
護堂が確認するように妹を見ると、静花は腕を組んだまま小さく息を吐いた。
「まあね。
できればアテナさんは、もう少し改心してほしいところだけどね」
どうやらひとまずは納得してくれたようだ。
「こんな時間に誰だろ?」
静花が怪訝そうに首をかしげながら、玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこには見慣れた金髪の少女が立っていた。
「おはよう、静花さん。突然お邪魔してごめんなさい。
……あなたたちに、どうしてもすぐ話さなければならないことがあるの」
エリカを出迎えた静花は彼女を居間に通した。
「どうしたんだ、エリカ? すごく慌ててるみたいだけど……また神様がらみか?」
護堂が問いかけると、エリカは一度頷き、視線をアテナへ向けた。
「ええ、そうよ。……女神アテナ、あなた様のお耳に入れていただきたいことがあります」
「何だ。『ゴルゴネイオン』を求める神でも現れたか?」
「その通りです、女神アテナ」
「『ゴルゴネイオン』って何だ?」
護堂が素直な疑問を口にすると、エリカが説明する。
「『ゴルゴネイオン』は、最古に連なる古き女神を、まつろわぬ地母神へと導く魔導書なの。
だからこそ、それを求めて地母神が、今まさに私たちの国へ向かって来ているのよ」
「……ならば、妾が戦わねばなるまいな」
アテナは低く呟き、わずかに口元を吊り上げた。
「同じ《蛇》を求める女神同士。雌雄を決さねばならん」
その声音には、隠そうともせぬ闘志が宿っていた。
「アテナ、聞いておきたいんだけど。周りの人間の迷惑とかそういうことは考えてるのか?」
「妾が気にすると訳がなかろう。……だが、『ゴルゴネイオン』の管理を命じたのは妾だ。
他の者に渡さぬのであれば、どこへ隠そうとも構わぬ」
言外に、『ゴルゴネイオン』を使って神を誘き寄せろ、と言っているようだ。
「じゃあ、アテナさんが、戦いに行くの?」
「そうだ。たとえ、あなたたちが戦いたいと言っても、譲らぬぞ」
「いや、俺たちはそんな喧嘩好きじゃないからな。それと、俺もついていくからな。アテナ一人だと心配だし」
「っな――!」
静花が、思わず声を上げる。
「お兄ちゃんも行くの!? だったら、あたしも行く!」
「駄目だ、あなたたちのどちらかは、ここに残らねばならん。忘れたのか?
『最後の王』を目覚めさせようとする者どもが、未だ暗躍しているのだぞ?」
「少し前は、あたしたち全員で行ったでしょ!
何で今回は駄目なのよ!」
「あの時は、あなたたちを鍛えるためだったからだ。
特段の理由もなく、この島国を離れるべきではない」
「ぐぐ……なんて身勝手な……!」
静花は、露骨に不満をにじませた声を上げた。
「お兄ちゃん!アテナさんと行くのはいいけど、変なことしないでよね!」
「変なことって、何だよ……」
問いかけても、静花はふんと顔を背けて護堂の問いには答えない。
「あ、私もついていくから、護堂」
「エリカも来るのか?」
「当然でしょ。あなたが向こうに行った時、誰が結社との連絡役を務めると思ってるの?」
それは確かにその通りだった。
連絡役がいるかどうかで、状況の把握は大きく変わる。
「エリカさんまで……。最近、お兄ちゃんが女の人に関わること、多くなってる気がする……!
これも神殺しになった影響なの!?」
静花は、衝撃を受けた様子だった。
「では、話もまとまったことですし、すぐに出立しましょう。
飛行機のチケットは、もう手配してあるわ」
「……へ?」
「まつろわぬ神が降臨するという緊急事態なのよ。
いつでも動けるようにしておくのは当然でしょう?」
「ふむ。ならば静花、あなたにこれを預けておこう」
そう言ってアテナは、日本列島が描かれたA4ほどの紙を差し出した。
地図の上には、いくつかの円が点在している。
「……何これ?」
「妾が作った呪具だ。
妾の施した結界に、神に連なる者どもが侵入すれば、この呪具が反応する。このようにな」
そう告げると、アテナは自身を中心に、透明な膜のようなものを広げた。
直後、地図の一角に小さな円が現れ、赤く点滅を始める。
「分かったか。分かったならば、妾は先に行く」
それだけ言い残し、アテナはさっさと家を出て行った。
話は、護堂が状況を整理する間もなく、どんどん先へ進んでいく。
その後、護堂は慌ててイタリア行きの準備に取りかかる羽目になった。
羽田空港にて、護堂とエリカは静花に見送られることになった。
出発ロビーは人の流れで騒がしかったが、静花はその喧騒の中で腕を組み、不満げな表情をしている。
「お兄ちゃん。あたしがいないからって、おじいちゃんみたいなこと、しないでよね!」
最近、静花が不機嫌になる場面が増えてきた気がする。
そう思いながらも、護堂は深く考えることなく、曖昧な相槌で受け流してしまった。
「護堂も罪深いわねぇ。妹がこんなにも不真面目な兄のことを心配しているのに、まったく気づかないなんて」
エリカは護堂を非難した。
「もし私が静花だったら、あなたを刺しているところよ」
「エリカ、悪い冗談はやめてくれ」
護堂が顔を引きつらせると、エリカは呆れたように言った。
「冗談じゃないわ。ここまで朴念仁だと、一度は痛い目にあった方がいいのよ。そうすれば、静花も少しはスッキリするでしょうし」
「……確かに、お兄ちゃんは、一回くらい懲らしめた方がいいかも」
その真剣な眼差しに、護堂は恐れ慄いた。
まずい。このままでは、本当に妹にとんでもない目に遭わされかねない。
「待ってくれ、静花。俺が何をして、お前をそんなに不機嫌にさせてるのか、ちゃんと教えてくれ」
「ずっと言ってるのに気づかないお兄ちゃんが悪いんですよーだ。自分の胸に手を当てて、これまでの行いを見直してみてよね!」
そう言い残し、静花はぷいと顔を背けた。
やがて搭乗時間となり、一行は搭乗口へと向かう。
帰国した際、どうやって静花の機嫌を取るべきか。護堂は頭を悩ませ続けるのだった。
「まつろわぬ神が降臨した場合、我らが取れる選択肢は限られています。
一つ目は、神が立ち去ってくれるまで避難すること。これが最も被害を抑えられる、最良の選択肢ですね」
淡々とした口調でそう語るのは、オランダ出身だという、スキンヘッドに剃り上げた黒人――クラレンスだった。
感情を極力排したその話し方は、幾度も同じ説明を繰り返してきた者のそれである。
「二つ目が、甚大な被害が出るのを覚悟の上で、欧州中の強力な魔術師を集め、封印に臨むこと」
護堂たちは現在、ガルダ湖にある《赤銅黒十字》の保有する別荘に来ていた。
「そして最後が――あなた方、カンピオーネに神の討伐を要請することです。
……今回は、かなり特殊な事例ですが」
そう言いながら、クラレンスはソファに腰掛けているアテナへとちらりと視線を送った。
「神様同士が戦うのって、珍しいんですか?」
護堂の問いに答えたのは老け顔の青年ジェンナーロ・ガンツだった。
「神様同士が戦うのは、別に珍しいことじゃねぇんですぜ、カンピオーネの王様」
彼は肩をすくめるようにして続ける。
「ただ。こうして神様と王様が手を組むどころか、神様に戦いを譲って、王様が見守る――
そんな展開は、俺たちの常識じゃあ、まず考えられねぇ事態なんすよ」
「はぁ……」
護堂は短く息を吐いた。
アテナとは神殺しになる以前からの付き合いだ。
そのため、この状況がどれほど異常なのか、いまひとつ実感が湧かない。
「カンピオーネの殆どは『戦士』よ。彼らは戦いの中でしか、真に心の充足を得られない存在なの。それなのに、戦いを宿敵に譲るなんて……考えられないわ!」
そんな護堂に対してエリカが説明するように言った。
「他のカンピオーネはともかく、俺は違うぞ」
「俺は平和主義者だからな。ドニのアホみたいに決闘を仕掛けたりなんかしてないだろ」
さりげなく、護堂は自分の妹を除外しなかった。
静花は好戦性こそ低いが、凶暴性だけで言えば、護堂よりも上だ。
「あなたは口先だけの常識人きどりよ」
エリカは呆れたように言う。
「今までの行動を見直してみなさい。普通じゃないわよ。それとも、私があなたの非常識さを、丁寧に説明してあげた方がいいかしら?」
「説明しなくていい。余計なお世話だ」
護堂は、自分の不当な評価など、聞きたくもないとばかりに言った。
「俺たちとしちゃあ、一体どういう経緯で、王様たちが女神さまと出会ったのか、気になって仕方ねぇですがね」
ジェンナーロが、悪気のない調子で口にする。
「あー、それはですね――」
護堂が答えかけた、その時。
「ジェンナーロ、それは不躾だぞ」
クラレンスが、低い声で制した。
「王様が普通にしていいって言ってたじゃねぇかよ」
「だとしても、少しは遠慮を見せろ」
「あの、別にいいですよ」
護堂は苦笑しながら言った。
「気にしてませんから。それに、バカ丁寧にされるより、普通に話してもらった方が落ち着きますし」
彼らと初めて会った時、敬語は不要だと伝えたのは護堂自身だった。
「草薙護堂。あなたは王だ」
静かに、しかし重みのある声でそう告げたのは、エリカの叔父であるパオロ・ブランデッリだった。
端正な顔立ちのその男は、真っ直ぐに護堂を見据えている。
「あなたの意向は最大限尊重したい。だが、われら騎士は、神殺しという最大の偉業を成し遂げたあなた方に敬意を払うのが務めだ。
どうか、受け取っていただけるとありがたい」
彼はアテナにも視線を向けた。
「何より、あなた方は、私の姪の命の恩人なのだ。
私個人としても、その恩義に報いるため、便宜を図ると約束しよう」
言われた当人であるアテナは、どこ吹く風といった様子で聞き流している。
「そういえば『ゴルゴネイオン』てどこにあるんですか?」
護堂は話題を変えるために、そんな問いを投げた。
アテナの無関心さは今に始まったことではないが、アテナに対して警戒心を彼らは抱いているらしく、何も答えないのはより警戒心を煽ってしまうのだ。
「この地域に魔女たちが『隠遁』の結界を編んで隠してありますが。呪力が隠しきれていない。見つかるのも時間の問題でしょう」
クラレンスがそう答えた。
「我々は、あなた方がここに来る前に見つかった場合に備えて、ここで待機していたのです」
「皆さんは神様に対抗することができるんですか?」
先程から話を聞いていると、神を相手取るのは不可能だというのだが。
「まさか。俺たちには神様の相手なんて無理ですぜ。きっと神様たちからすりゃ、俺たちなんて石ころみたいなもんさ」
ジェンナーロは肩をすくめ、苦笑まじりにそう言った。
「それじゃあ、どうやって?」
「もし神が来た場合は、我々は全身全霊で神に嘆願するのですよ」
そう告げたのはパオロだった。
「我々のようなただの人間でも、神の気を引き、時間を稼ぐことならばできます」
それでも命がけですがね、と彼は静かに付け加えた。
人は神に感謝や願いを込め、金銭や食料、宝物といった物品、あるいは踊りや音楽といった芸能、武芸を神に奉納する。
それと同じだ。
彼らは武芸や言葉、あるいは物品で荒ぶる神の心を、ほんのわずかでも鎮めようとするのだ。
護堂は、『プロメテウス秘笈』を使うのはすごく大変だと聞いていたが、それと同じようなものだろうか?
そんなことを考えていると、アテナがふいに顔を上げた。
「どうしたんだ、アテナ?」
「妾の同胞が来たようだ」
言うが早いか、アテナは家から飛び出していく。
慌てて護堂たちも後を追い、外へと駆け出した。