神殺し兄妹と女神様   作:ダッソー

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十九話

「これを治すのは、少し時間がかかりそうね」

 

都市から離れた場所で鷹への変身を解いたフレイヤが、胸から血を流しながら呟いた。

 

「傷が癒えたら、アテナの前に、あの神殺しとも会ってみるのもいいかもしれないわね。アテナが認めるほどの神殺し……わたしの愛人にしてみましょうかしら?」

 

「残念ですが、女神フレイヤ。御身が神殺しと相見えることは叶いません」

 

幼い少女の声が響いた。

 

声のした方を振り向くと、喪服のような黒いドレスを身にまとった、アンティークドールのような十代前半の少女が立っていた。

 

「……『彼』に甲斐甲斐しく仕える、私たち地母の末裔がいると聞いていたけれど。あなたのことだったのね」

 

「グィネヴィアと申しますわ、女神フレイヤ。我らが主の再臨のため、その命を頂戴いたします!」

 

「悪いけど、わたしは誰かに跪くのも、誰かの糧になるのも嫌なのよ!」

 

フレイヤは即座にグィネヴィアへ襲いかかった。

 

「おじさま。どうか、そのお力をお振るいくださいませ」

 

グィネヴィアが呟くと同時に、濃霧が立ちこめた。

 

周囲が見えなくなるほどの白い霧があたりを包み込む。

その中を、白き甲冑に身を包んだ騎士が、美しい白馬にまたがり、稲妻とともに駆けてきた。

 

その手に握られたランスが、勢いよくフレイヤへ突き出される。

 

「ぐぅ――!」

 

フレイヤは咄嗟に横へ飛び退いた。

だが、脇腹を深く抉られる。

 

重傷を負った身では、さしものフレイヤも完全には避けきれなかったのだ。

 

その時、グィネヴィアの傍らに黄金の大甕が忽然と現れた。

 

「何を――きゃあ!?」

 

傷口から、フレイヤの内に宿る大地母神としての生命力が漏れ出し、そのまま大甕へと流れ込んでいく。

 

「これは、まさか――!」

 

「これは、かつての女神グィネヴィアが地母神としてのすべてを捧げて創り上げた、大地の女神の命を吸い取る器。女神フレイヤといえど、この力から逃れることは叶いません!」

 

フレイヤは抵抗しようともがいた。

だが、やがてその生命のすべてを吸い取られ、ついにはその肉体も崩れ去った。

 

(愛し子よ、聖杯の力は戻ったのか?)

 

「ええ。ようやく、主に捧げるだけの大地の呪力が聖杯に満ちましたわ、叔父様」

 

ランスロットの声に、グィネヴィアが答えた。

 

「ですが、主たる『最後の王』を目覚めさせるまでの道のりは、あまりにも険しい……!」

 

グィネヴィアが嘆くような声を上げる。

 

「ようやく、主の眠る地を見つけたというのに……!」

 

女神ヘカテーが『最後の王』を探していたことは、彼女が浮上させた浮島と、その足跡からも明らかだった。

 

そして彼女は日本に眠ると当たりをつけていたのだろう。もっとも、その在処はさらに巧妙に隠されていたようだが。

 

(余らの前に立ちはだかるのは、兄妹の神殺しと古き大地の女神。これほどの難事は、長き時を生きてきた中でも初めてであるな)

 

グィネヴィアたちは、兄妹の神殺しと大地母神に対峙しつつ、主の隠された地を見つけ出さねばならないのだ。

 

しかも神殺しとは、どれほど巧妙に隠されていようと、神を見つけ出してしまう理不尽な存在でもある。

 

「叔父様のおっしゃる通りです。だからこそ、これほどの壁を打ち破るためには、乾坤一擲の勝負に出なければなりません」

 

(ほう。娘よ。破るのだな? 余をそなたのそばに繋ぎ止める守護者の呪法を)

 

「ええ。叔父様には『まつろわぬランスロット』として、そのお力を振るっていただきたいのです。叔父様のお力があれば、いかなる難事であろうと打ち破れましょう!」

 

(ならば娘よ、余は誓うぞ! 必ずやそなたを主と再会させることを!)

 

ランスロットは、騎士としての誓いを宣言した。

 

(余にふさわしき武具を与えよ! 主の遺せし神刀を、余の武具とするのだ!)

 

「ええ! 喜んで! グィネヴィアは叔父様のために剣を研ぎますわ! あらゆる苦難辛苦を打ち破るための武具を与えましょう!」

 

グィネヴィアはそう言うと、地面に手をかざし、長大な両刃の古びた剣を取り出した。

 

――朽ちた救世の神刀。

 

探し求める主の骸を刃とするため、グィネヴィアは旅立った。

 

 

 

日本に帰ってきた草薙護堂は、静花のご機嫌取りのための買い物に付き合わされたりと、なにかと落ち着かない日々を送っていた。

そして今日もまた、静花と一緒にアテナの講義を受けている。

 

「自然崇拝、精霊崇拝、死霊崇拝。この国の信仰の底には、それらが折り重なるように息づいている。……そして、その上に外から仏法が流れ込み、やがてこの国では神と仏とが結びついていった」

 

「神仏習合、ってやつだな。そこは俺も知ってるぞ」

 

護堂が口を挟むと、アテナはわずかにうなずいた。

 

すると静花が机の上の本を開きながら、護堂の方を見る。

 

「日本古来の神さまの信仰と、大陸から入ってきた仏教が結びついたってことだよね。神社とお寺が近い場所に建てられたり、一緒に祀られたりしたのも、その流れのひとつね」

 

「でも、なんでそんなふうに混ざったんだ?」

 

護堂が首を傾げると、アテナが答えた。

 

「この国の神道には、外来の信仰を受け入れうる土壌があったからだ」

 

「でも、最初から何の軋轢もなく受け入れられたわけじゃないけどね」

 

静花がすかさず補足した。

 

「仏教が伝わった当初、仏は蕃神――異国の神として見られることもあったの。外から来た神を拝むことで、在来の神々の怒りを招くんじゃないかって考える人たちもいたのよ」

 

「廃仏派と崇仏派の対立だっけ」

 

「そう。仏教を受け入れようとした蘇我氏と、それに反対した物部氏や中臣氏の対立ね。だから神仏習合っていうのは、最初から穏やかに混ざり合ったというより、対立を経たうえで結びついていったものなの」

 

アテナが小さくうなずく。

 

「うむ。受け入れる土壌があったことと、何の抵抗もなく受容されたこととは別だ。異質なるものへの警戒と争いを経て、なお習い合った。それがこの国における神仏習合なのだ」

 

「そうなのか」

 

語られた内容に、護堂は素直にうなずいた。

 

「そうやって仏教が受け入れられていく中で、神と仏の関係をどう説明するかという考え方が生まれていくの。それが本地垂迹説よ」

 

「ああ。仏や菩薩が本来の姿で、この国の神々はその仮の姿として現れたものだ、とする考え方だ」

 

権現という言葉も、まさにそこから生まれたものだ。

日本の神々を、仏や菩薩がこの国の人々を救うために現した「仮の姿」とみなす本地垂迹思想に基づく神号である。

「権」は仮、「現」は現れることを意味していた。

 

アテナが淡々と続けた。

 

「ゆえに、神仏習合は単なる調和ではない。仏教という外来の権威が在来の神々を包摂し、位置づけ直していく過程でもあった」

 

その後も講義は続いた。

 

神と仏が結びついていった経緯。

神宮寺のような信仰の場の変化。

本地垂迹説による神々の再解釈。

さらには、それが人々の生活や祈りの形にどう根づいていったのかまで――。

 

アテナは淡々と、静花は手元の本をめくりながら、次から次へと話を進めていく。

 

内容が難しいというより、とにかく量が多い。

 

神さまだの仏さまだのの関係をここまで細かく整理して考えたことなどなかった護堂にしてみれば、家の居間で受けるにはあまりにも密度の高い講義だった。

 

それでも、この国の信仰が単純なものではなく、対立と受容の両方を経て今の形に至ったのだという話には、なるほどと思わされるものもあった。

 

もっとも、頭が疲れることに変わりはなかったが。

 

そんな護堂たちを見やり、アテナがふいに立ち上がる。

 

「さて、夕餉にするとしよう」

 

「もうそんな時間か……」

 

護堂が何気なく時計へ目を向けると、静花がはっとしたように顔を上げた。

 

「もしかしてアテナさん、この前の約束、覚えてたの?」

 

「当然だ」

 

銀髪の女神は、さも当たり前のように言い放つ。

 

「妾は一度口にしたことを違えぬ。前に言ったであろう。今度は妾が食事を作ってやると」

 

「へえ……ちゃんと覚えてたんだ」

 

静花が少し意外そうに言うと、アテナはわずかに顎を上げる。

 

「妾を誰だと思うておる。神々の女王たるこの妾が、自ら口にしたことを忘れるものか」

 

「……じゃあ、今日は任せてもいいんだな?」

 

「うむ。ありがたく待っておれ」

 

そう言い残し、アテナは当然のような足取りで台所へ向かっていった。

 

「ねえ、お兄ちゃん。アテナさん、大丈夫だと思う?」

 

静花が少し不安そうな顔で言った。

 

「大丈夫だとは思うぞ? アテナは自分の言ったことは守る奴だから」

 

アテナがいくら人間の常識に疎い面があるとはいえ、得体の知れないものを作るわけがないだろう。

それに、冷蔵庫の中身もたびたび勝手に食べているのだから、何が入っているかくらいは把握しているはずだ。

 

「いや、そういう意味じゃなくて。アテナさん、調理器具なんてちゃんと使えるの?」

 

言われてみればそうだ。

常識や価値観が、電気やガスのない古代で止まっているような女神様である。包丁ぐらいしか、まともに使えないのではないだろうか。

 

草薙兄妹は顔を見合わせた。

 

「……アテナの様子を見に行ってくる」

 

「あ、あたしもついてく」

 

二人は慌てて台所へ見に行った。

するとアテナは、どこからともなく取り出した魚を前に、コンロのスイッチも入れていないのに火を灯していた。

 

「何の用だ?」

 

だが、当の女神は少しも動じた様子を見せない。

 

「ちょっと、手元を見なさいよ! 火がついてるわよ!」

 

手元も見ずにこちらへ顔を向けるアテナに、静花は慌てて声を上げた。

 

「ふむ。だから何だというのだ?」

 

「危ないだろ! 燃え移るかもしれないだろ!」

 

「妾が扱うのだぞ? そのような愚はせぬ」

 

アテナはそう言いながら、コンロの上にフライパンを置いた。

 

護堂はそこで、ようやく気になっていたことを口にした。

 

「……というか、その魚は何なんだよ。どこから出したんだ?」

 

「これか?」

 

アテナは脇に置いてあった魚を持ち上げた。

 

青みがかった銀色の鱗を持つ、小ぶりな魚だ。見たところ、イワシのようである。

少なくとも草薙家の冷蔵庫に入っていたものではない。

 

「イワシだ。イタリアに赴いた折、獲ってきた」

 

「は?」

 

護堂は思わず間の抜けた声を漏らした。

 

どうやら、先日イタリアに行った時に獲っていたらしい。

 

「いや、待て。獲ってきたって、おまえ……いつの間にそんなことしてたんだよ」

 

「海に赴いたついでだ。新鮮であったゆえ、夕餉に使うのも悪くあるまいと思うてな」

 

何でもないことのように言うアテナだが、護堂からすれば何一つ何でもよくない。

 

「何でイタリアで獲ってきた魚を、何で今ここで使えるんだよ」

 

「妾を誰だと思うておる。良き状態のまま留め置くことくらい、造作もない」

 

尊大に言い放つアテナに、静花が呆れたように目を細めた。

 

「妙に便利だよね。アテナさんの力って……」

 

「良きものを留めておくことなど、妾にとっては造作もない」

 

そう言って、アテナは手早く調理を進めていった。

 

イワシは迷いのない手つきで下ごしらえされ、塩と香草、そして油で簡潔に味が整えられていく。

脇では野菜が切り分けられ、サラダもまた無駄のない動きで形になっていった。

さらにパンまで添えられ、気がつけば台所には香ばしい匂いが広がっている。

 

やがて一通りの支度を終えると、アテナは当然のような顔で皿を卓上へ並べた。

 

そこにあったのは、焼き目のついたイワシのグリルを中心に、彩りのよいサラダとパンを添えた、思った以上にきちんとした夕食だった。

 

「……」

 

「……」

 

草薙兄妹は揃ってしばし無言になる。

 

「なんか……思ってたよりずっとちゃんとしてるな」

 

最初に口を開いたのは護堂だった。

 

正直、もっと魚をそのまま焼いただけのようなものが出てくると思っていた。

だが、実際に目の前へ出された料理は、妙に落ち着いた、まともな食卓そのものだった。

 

「ほんとに……普通においしそうなんだけど」

 

静花もまた、やや拍子抜けしたように呟く。

 

焼きたての魚の香りは食欲をそそるし、サラダも簡素ながら見た目に悪くない。

添えられたパンまで含めて、全体に不思議とまとまりがあった。

 

そんな二人の反応を見て、アテナはふんと鼻を鳴らした。

 

「何だ。その顔は」

 

「いや……もっとこう、魚をそのまま焼いただけみたいなのが出てくるかと思ってた」

 

護堂が正直に言うと、アテナの眉がぴくりと動く。

 

「妾を誰だと思うておる。食うに値するものを作る程度、何ほどのことでもない」

 

アテナが当然のことを語るかのように言った。

 

三人は出来上がった料理を前に席に着き、卓を囲んだ。

 

焼き上がったイワシからは香ばしい匂いが立ちのぼっていた。

こんがりと焼けた皮には程よく焦げ目がつき、油がじわりと浮いている。サラダも簡素ながら色合いがよく、添えられたパンも食欲をそそった。

 

静花がイワシを箸で切り分け、ひと口運ぶ。

 

「あ、美味しい」

 

思わず漏れたような声だった。

 

護堂もそれに倣って口にする。すると、イワシの旨みと香ばしさが口いっぱいに広がった。

皮はぱりっと焼けているのに、中の身はやわらかい。味つけもくどくなく、素材の良さがそのまま生きている。

 

「ほんとだ、うまいな。アテナは料理が上手いんだな」

 

「当然だ」

 

アテナは胸を張るでもなく、さも当たり前のように答えた。

 

「妾を誰だと思うておる。食う者の舌を満足させる程度、何ほどのことでもない」

 

「いや、かなり満足してるけどな、これ」

 

護堂が素直にうなずくと、静花はじっと皿の上のイワシを見つめたまま固まっていた。

 

「……静花?」

 

「お兄ちゃん」

 

静花は妙に真顔で顔を上げた。

 

「な、なんだよ」

 

「これ、あたしより上手い」

 

静花はそこで、じわじわと現実を噛みしめるようにもう一度イワシを口に運んだ。

 

やはりうまい。

悔しいが、文句のつけようがないくらいにうまい。

 

「……サラダもちゃんとしてる」

 

ぽつりと呟いて、今度はサラダを口にする。

 

「ドレッシングの加減までちょうどいい……パンとの組み合わせもおかしいくらいちゃんとしてる……」

 

「何でそんなに深刻そうなんだよ」

 

護堂が呆れ半分で聞くと、静花は箸を置いてがくりとうつむいた。

 

「だって……居候で、家事もろくにしない、世間知らずで時代錯誤な女神様の方が、あたしより料理上手いんだよ……?」

 

「言い方がひどいな」

 

「事実でしょ!」

 

アテナはそんな兄妹のやり取りを気にも留めず、静かにパンをちぎっている。

 

「ふん。ようやく己の未熟を知ったか」

 

「ぐ、ちょっと腹立つ……!」

 

静花が顔を上げる。

その目には、明らかに悔しさが宿っていた。

 

「アテナさん、絶対ふだんから料理してないでしょ! 何でそんなに上手いのよ!」

 

「別に難しきことはしておらぬ。素材を見て、火を通し、味を整えただけだ」

 

「その“だけ”が普通はできないの!」

 

「静花、おまえそんなに料理ダメだったか?」

 

「お兄ちゃんは黙ってて!」

 

ぴしゃりと言い返され、護堂は口をつぐんだ。

 

だが実際のところ、静花の料理が特別まずいわけではない。

年相応には作れる。

ただ、目の前の女神様が妙に完成度の高いものを出してきてしまったせいで、比較対象が悪すぎた。

 

「……何か納得いかない」

 

静花は小さく唸りながら、もう一度イワシを口にした。

 

そして、さらにダメージを受けたような顔になる。

 

「悔しいけどおいしい……!」

 

アテナはそこでようやく、満足げに鼻を鳴らした。

 

「ふん。悔しさと共に味わうがよい」

 

「ぐぐ……!」

 

確かに、自分たちよりもはるかに美味しい。

護堂が感心したような顔を浮かべているのにも、静花は気づいたらしい。

 

「……料理の練習をしよ」

 

このままアテナより料理が下手なままなのは、何だか悔しい。

今度、万里谷に料理を教わろう。

 

静花はそう決心した。

 

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