神殺し兄妹と女神様 作:ダッソー
「ところで祐理さん。ご兄妹と女神サマとは、その後どんな感じですか?」
運転席でハンドルを握る甘粕が、唐突にそんなことを訊いてきた。
質問の意図が呑み込めず、助手席に座る祐理は「はい?」と首をかしげた。
「ですから、我らが『双王』殿と女神様と祐理さんの個人的関係についてですよ。どうですかね? 草薙護堂氏に友情以上の何かを感じてドキドキしちゃうとか、うれし恥ずかしな展開になってたりしませんかね?」
「……甘粕さん、あなたが何を確認されたいのか、ちっともわかりません」
と、祐理はにべもなく言った。
祐理はついさっきまで七名雄のお社で勤めをしていたため、白衣と緋袴の巫女装束のままだった。
「いえね、私たちも彼と今後どのような関係を築いていくのか、試行錯誤しているのですよ。で、その参考にと思いまして」
「私と草薙さんたちとの個人的関係が、委員会の方針に影響するのですか?」
「します。大いにしますとも」
甘粕はきっぱりと言い切った。
「相手は『王』が二人に、神サマが一柱ですからねー。刺激しすぎてもまずい。かといって、距離を取りすぎても別のところに話を持っていかれるのも困る。なかなか難しいところなんですよ」
「草薙さんたちは、普段は普通の方々ですから。そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ」
祐理はそう答えたが、甘粕はすぐに苦笑した。
「普通の方は神様を倒したりしませんがねえ。女神サマの方はどうなんです?」
「女神アテナのことについてですか?」
「ええ」
甘粕は前方に視線を向けたまま、軽く肩をすくめる。
「草薙護堂氏と草薙静花氏については、まあ、百歩譲って祐理さんの言う“普通”を認めるとしてもですよ。問題は、あの女神サマです」
甘粕は苦笑まじりに言った。
「正直なところ、委員会としてはあの女神サマが一番の悩みの種なんですよ。敵なのか、味方なのか。扱いに困るにもほどがあります」
神を相手に「扱い」という言葉を使うこと自体、本来なら不遜極まりない。
だが、正史編纂委員会の立場からすれば、そう言わざるを得ないのも事実なのだろう。
「なにしろ、草薙兄妹とはいつか戦うと言っている。そのくせ、見ている限りでは結構仲が良さそうなんですよねえ」
祐理は困ったように眉を下げた。
「女神アテナは、草薙さんたちとは良い関係を築いておられるように見えます。少し前には、お二人に料理を作られたそうですし……草薙さんたちが軽んじられることも、快く思っておられないようでした」
「料理、ですか。女神サマが。……いやあ、委員会の報告書にどう書けばいいんでしょうねえ。私個人としては、見目麗しい女神様に料理を作ってもらえるなんて、羨ましい限りなんですけど」
甘粕は、どこか遠い目をしながら呟いた。
「『女神アテナ、草薙兄妹に料理を提供。関係は良好と思われる』……いやあ、実際に口に出してみると、報告書というより怪文書ですねえ、コレ」
「そこまでおっしゃらなくても……」
祐理が困ったように眉を下げると、甘粕は軽く笑った。
冗談めかしてはいるが、祐理にも甘粕の困惑は理解できた。
まつろわぬ神とは、本来なら災厄そのものとして扱われる存在だ。
それが草薙家に居候し、神話の講義をし、夕食まで作っている。報告書に書けば怪文書に見えるというのも、あながち大げさではない。
「かなり真面目に困っているんですよ。敵対しているわけでもない。かといって、完全に味方と呼べるわけでもない『まつろわぬ神』ですから」
甘粕の声が、ほんの少しだけ真面目なものになる。
「神サマの好意なんて、こちらの都合であてにできるものではありません。昨日まで機嫌よく食卓を囲んでいたとしても、明日には世界を揺るがす災厄になっているかもしれない。そういう相手です」
祐理は小さく息を呑んだ。
それは冷たい言い方だった。
けれど、間違ってはいない。神とは、人の情や常識だけで測れる存在ではないのだから。
「ですが……女神アテナは、約束を軽んじるような方ではないと思います」
祐理は静かに言った。
「あの方は草薙さんたちを軽んじてはいません。むしろ、あの方なりに認めておられるのだと思います」
「なるほど。義理堅い神サマ、ですか」
甘粕はそう言って、かすかに笑った。
「ますます分類に困りますねえ」
「……女神アテナと草薙さんたちの仲は良いです。今はそれで良いのではありませんか?」
祐理がぽつりと言うと、甘粕は苦笑いした。
祐理は視線を窓の外にやった。
その日の夜、護堂と共にアテナの講義を受けていると、静花の携帯電話が鳴った。
静花は顔を顰めながら、護堂たちに一言断ってから電話に出た。
「この時間に何の用なのよ?」
『その節は申し訳ありませんー。我らが女王陛下に、大至急お耳に入れたいことがありましてー』
電話から、間延びした声が聞こえた。
相手は、民間の呪術師が多く集まる青山の顔役である『故月堂』の女店主だ。
静花が自分の手駒として使っている相手である。
「何かあったの?」
『うちの情報網に入ってきた最新情報がですねー、とんでもないものでして。すぐにお耳に入れたかったんですよー』
電話口からは、間延びした口調に似合わない、わずかな焦りが滲んでいた。
「何なのよ、その情報ってのは?」
『サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。ものすごく傍迷惑なおじいさまが来日したみたいなんですよねー』
その名前を聞いた瞬間、静花は思いきり顔を顰めた。
当代最古参のカンピオーネ。
神を殺して権能を簒奪した『王』たちの中でも、最も古く、最も危険な一人。
戦いを好み、退屈を嫌い、その気まぐれひとつで幾度も騒動を起こしてきた傍迷惑な老魔王である。
「……嫌な名前が出たわね。なんでそいつが日本に来てるのよ?」
『それについては分かりませんー。ですが、あのおじいさまと関わりの深い欧州の魔術師であるエリカ・ブランデッリなら、何か知っているかもしれませんよー』
「そう。分かった。ありがとう。あとで謝礼を渡しておくわ」
『ありがとうございますー。今後もよろしくお願いしますねー』
静花は電話を切ると、護堂たちに目をやった。
「面倒な事態になったみたい」
「どうかしたのか?」
「お兄ちゃんは、デヤンスタール・ヴォバンって知ってる?」
その名を聞いた瞬間、アテナがわずかに顔を険しくした。
「その名前なら知ってるぞ。バルカン半島にいるっていう、偏屈なじいさんだろ?」
護堂がそう答えると、静花は重々しくうなずいた。
「そのおじいちゃんが日本に来たらしいの」
「何でそのじいさんが来たんだよ?」
「それは分かんないけど、あのおじいちゃんの話を聞いてる限りだと、観光目的ってわけじゃなさそう」
すると、アテナが口を開いた。
「デヤンスタール・ヴォバンか。聞いたことのある名だな」
「お前も知ってるのか」
「ああ。今代の神殺しの中で最も長く生きた者にして、神を狩ることを愉しみとする老いた獣。獣の中の獣だと聞いている」
「嫌な評価しか出てこないな……」
護堂は思わず顔をしかめた。
サルバトーレ・ドニといい、神殺しにはろくな人間がいないのだろうか。
「そんな傍迷惑なおじいちゃんがわざわざ日本に来る理由なんて、戦いくらいしか思いつかないんだけど。詳しいことはエリカさんに聞いた方がよさそうね」
「何でエリカに聞くんだ?」
「ヨーロッパは、あのおじいちゃんとの付き合いが長いのよ。性格とかもよく知ってると思うから。呼び出して聞いてみる」
静花は携帯電話でエリカに連絡を入れると、開口一番に告げた。
「エリカさん? 今すぐ家に来てくれない? 面倒な事態になったのよ」
電話の向こうで、エリカが何かを問い返したらしい。
静花は表情を引き締めて続ける。
「サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンが日本に来たらしいのよ。エリカさんなら、あのおじいちゃんについて詳しいでしょ。だから、すぐ家に来て。今すぐ」
静花はエリカにそう告げると、電話を切った。
それからしばらくして、インターホンが鳴った。
護堂が玄関に出てみると、そこにはエリカがいつものように涼しい顔で立っていた。
「ごきげんよう、護堂。ずいぶん急なお呼び出しだったわね」
「それなら静花に言ってくれないか?」
「止めなかったあなたも同罪よ。このエリカ・ブランデッリを、まるで召使いみたいに呼びつけるなんて。そんな真似をするのは、あなたたちくらいのものだわ」
護堂はエリカを家に上げるとそのまま居間へ案内した。
エリカは静花とアテナに挨拶をすると、すぐに本題へ入った。
「ヴォバン侯爵が来日されたのよね? 正直、信じ難い話だけれど……確かな情報なの?」
「そうよ」
「そう。いったい何の目的で来たのかしら?」
「アテナが狙いとかじゃないのか?」
「それはないわね。女神アテナは『まつろわぬ神』としては不完全よ。あの御方が狙うとは思えないわ」
「なんでだ?」
「ヴォバン侯爵は、自らの狩る獲物を選り好みされるのよ。自分が狩る獲物は強者のみと決めておられる。だから、不完全な神を狙うとは思えないし、まだカンピオーネになったばかりのあなたたちを狙うとも考えにくいわ」
「じゃあ、何しに来たんだよ」
護堂が眉をひそめる。
「はっきりとは分からないわ。けれど、ヴォバン侯爵が動く以上、『まつろわぬ神』に関わることだと見るべきでしょうね」
「何にせよ、傍迷惑なことを考えてるんでしょ? ふん。そんなの、よそでやんなさいよね」
静花が不機嫌そうに吐き捨てる。
「あの御方が他人の都合に合わせてくれるようなら、欧州の魔術師は苦労していないわよ」
エリカは苦笑混じりに言った。
「ヴォバン侯爵は、自分の獲物と狩場を他人の都合で変えるような方ではないもの。むしろ、周りが迷惑するほど愉快に思われる節すらあるわ」
「最悪じゃない」
「ええ。控えめに言っても、最悪に近いわね」
珍しくエリカが静花の言葉に素直に同意した。
護堂はますます顔をしかめる。
「そこまで言われる爺さんが日本に来たってことか……」
「そういうことよ。だから、できるだけ早く目的を探る必要があるわ」
エリカは表情を引き締めた。
「ヴォバン侯爵は、動き始めてから止めるのが難しい方よ。なら、動き出す前に何を狙っているのかを知るしかない」
そこまで言うと、アテナが静かに口を開いた。
「この国のどこかに、神を誘き寄せる餌があるのだろう」
「餌?」
護堂が眉をひそめる。
「……神を呼び寄せる媒介か、あるいは儀式場があるのだろう」
アテナは淡々と言った。
「老いた獣が獲物を探し求めておるのならば、この国へ来た理由はそうとしか考えられぬ」
それを聞いたエリカが、はっとしたように顔を上げる。
「女神アテナの言う通りだわ。ヴォバン侯爵はこの国で『まつろわぬ神』招来の儀式をやろうとしているのかもしれない」
「そんな事ができるのかよ?」
「ええ。けど多大な犠牲が出るわ。侯爵が4年前に行った『まつろわぬ神』招来の儀式では参加させられた巫女の半分以上が発狂してしまったそうよ」
「ほんっと傍迷惑ね。ただの老害じゃない。さっさと死んでくんないかしら」
静花の声には露骨な嫌悪があった。
「……あの巫女が狙いか。だとすれば気に入らんな」
アテナがポツリと言った。
「万里谷が?」
「ああ。あの巫女は、人間では滅多に見ぬほどの巫力を持っておるからな。儀式の巫女にするには申し分ないだろう」
その瞬間、場が凍りつくような気配がした。
「……は?」
静花が、低く声を漏らした。
空気が急に重くなる。
いや、重くなったのは空気ではない。静花から滲み出した怒気が、部屋そのものを押し潰そうとしているようだった。
草薙静花は、決して戦いを好むような性格ではない。
むしろ普段の彼女は、兄を叱り、友人を気遣い、年相応の感情で騒ぐ、ごく普通の少女に近い。
だが、その内側に宿る凶暴性は凄まじい。
「お兄ちゃん」
静花が、静かな声で言った。
その声音に、護堂は嫌な予感を覚える。
「おじいちゃんのことはお願い。それと甘粕さんに連絡して。これから、クソジジイを潰しに行くって伝えて」
「待て、静花!」
「待ちなさい!」
護堂とエリカの制止の声も聞かず、静花は家を飛び出した。
夜の住宅街へ出た瞬間、彼女は低く聖句を紡ぐ。
「我はあらゆる道を行くものにして、境界を超えし者。我は己の気の向くままに、あらゆる領域に赴かん」
言葉と共に、足元の道路が砕けた。
静花は意識を研ぎ澄ませる。
自らの権能を広げ、空間そのものへの知覚を引き上げていく。
東京中の空間を把握する。
街路、建物、地下。
そのすべてを手繰り、自身の呪力が届かない異物を探し出す。
そして――。
「見つけた」
そう呟いた瞬間、静花の姿はその場から消えた。
リリアナ・クラニチャールは美しい日本庭園のなかにあるホテルにいた。
静寂に包まれた庭園には、丁寧に剪定された松と、夜気を受けてかすかに揺れる木々がある。
池の水面には月の光が映り込み、都会の喧騒から切り離されたような静けさが広がっていた。
リリアナ本人としては興味深い空間だったが、彼女の主は何の興味も示さなかった。
「クラニチャールよ。例の巫女は見つかったかな?」
ヴォバンは流暢な日本語で訊いてきた。
『千の言語』により、来日してからわずか五、六十分ほどで日本語を習得したのだ。
いかにカンピオーネとはいえ、驚異的な速さだった。
「いえ。申し訳ありませんが、まだ見つけられておりません」
リリアナはヴォバンに対して一礼し、頭を下げながら謝罪した。
「ふむ、そうかね。構わぬよ。ちょうどいいことに小鳥の方から籠に飛び込んできたようだからな。すぐに居場所は見つけられそうだ」
日本酒をあおりながら、ヴォバンは笑った。
「つい先ほど、このヴォバンを霊視した者が現れたのだよ。霊感によってこの私を探り当てようとは、大した巫力の持ち主だと思わないかね?」
霊視を、カンピオーネの本能的な直感力で見破る。
そんな話は聞いたことがなかった。
そんなことが可能なのは、カンピオーネの中でも目の前の人物だけなのではないだろうか。
リリアナが戦慄していると、ヴォバンは日本酒をあおる手を止めた。
「ほう。どうやら、若造どもの片割れも飛び込んできたようだ」
ヴォバンは、思わぬ収穫でもあったかのような笑みを浮かべた。
若造どもの片割れ? まさかーー!
リリアナが驚愕すると同時に目の前の空間に突如として少女が現れた。
現れた少女は何度も資料で見た姿だ。
その身にまとうその怒気が空間を歪ませているのではないかと錯覚させる。
「一応聞いておくけど、あんた、万理谷先輩を儀式の道具にしようとしてるって本当なの?」
「ふむ。道具、か」
ヴォバンは愉快そうに目を細めた。
「随分と品のない言い方をするな。優れた巫女を私の拓く儀式に招待し協力してもらうだけだとも。ただし、拒否する権利はないがな」
「……そう」
静花は短く呟いた。
その声音には、怒りの熱さがなかった。
むしろ、冷え切っていた。
リリアナは思わず息を呑む。
目の前の少女は激昂しているはずなのに、取り乱してはいない。怒りを燃やしているのではなく、刃の形に研ぎ澄ませているようだった。
「……そこにいるあんた。今から、あんたごとこの周辺にいる人たちを飛ばすから」
「何を――」
リリアナが何か言うより早く、静花は権能の手を伸ばした。
周辺一帯にいる人間の位置を把握する。
夜の静寂の中に散らばる無数の気配を掴み取り、そのすべてを安全な場所へと空間転移させる。
静花の空間転移は、自分自身だけを運ぶものではない。
権能の効果範囲内にあるものならば、他者であろうと物体であろうと、ある程度は自在に移すことができる。
もっとも、神やカンピオーネを転移させることは難しい。
膨大な呪力による抵抗に弾かれるからだ。神獣の類も同様に、簡単には動かせない。
リリアナの姿が消えた。
同時に、周辺一帯から人の気配が消える。
この場に残されたのは、草薙静花とサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。
若き神殺しと、最古参の神殺しだけだった。
「面白い見せ物だ。ここまで大勢の者を空間転移させるなど、見たことがないな」
ヴォバンは愉快そうに言った。
周囲の人間が消えたことに驚いた様子はない。
むしろ、若き王がどのような力を持つのかを観察し、値踏みしているようですらあった。
「へえ。これから死ぬっていうのに、随分余裕そうね」
「くくく。このヴォバンを殺す気でいるとは、大した自信ではないか」
「殺されない気でいるなんて、随分呑気ね? それとも年でボケてるの?」
「大した口を利くものだ。だが、よいぞ小娘。私は従順な犬は好みではないからな」
ヴォバンは愉快そうに喉を鳴らした。
老人の姿をしていながら、その笑みは人のものではなかった。
深い森の奥で獲物を見つけた老狼のように、静花の敵意すら楽しんでいる。
「兄と女神はどうした? 君ひとりかね? それとも、兄と女神は後から来るのかな?」
「はあ? あたしじゃ足りないっていうの?」
静花の目が、さらに細くなる。
「何、老人から小娘に対する慈悲だとも。君ひとりでは、このヴォバンを相手取るにはいささか荷が重かろう。兄と女神を呼ぶがいい。それでようやく丁度だ」
その場の空気が、さらに冷えた。
「偉そうに言ってくれるじゃないの、クソジジイ」
静花の声が一段冷える。
「お兄ちゃんもアテナさんも呼ばないわよ、老害」
静花の呪力が高まる。
「くくく。小娘ひとりでどこまでできるか、見ものだな」
ヴォバンは愉快そうに笑った。
狩りを前にした獣の愉悦がそこにあった。
「今日があんたの命日よ。さっさと死ね」
その言葉と共に、カンピオーネ同士の戦いが始まった。