神殺し兄妹と女神様 作:ダッソー
房中術というものがある。古代中国の養生術の一つで、男女の交わりによって精気を得る方術の一種である。
よく誤解されやすいが、性に奔放になるとかそういうものではなく、むしろ節度をもって性生活をすることで健康を保つというものであった。
今回、アテナは房中術と同じようなことをしたらしく、護堂の体には倦怠感などはなく、活力に溢れている状態であった。
……精神的な疲れは多大にあるが。
別に護堂に乙女趣味はなく、「生涯の伴侶だけにキスをする」みたいな事は考えてはいない。
ただ、こういうことをするのは恋人関係になってから、それくらいの気持ちはあった。
「いつまで呆けておるのだあなたは」
自分の服をいつの間にか着ていたアテナが言った。
「誰のせいだと思ってるんだよ」
行為は一晩中続き、アテナにされるがままだった護堂も途中から開き直って反撃しようとしたが、結局は返り討ちに遭った。
「婢女のような声を上げるばかりか、妾に負けるとはな。男として軟弱だと思わんのか」
「……俺はこういうのは初めてなんだぞ。おまけに強引にされたし」
「軟弱者め。これからは男としても鍛えねばならんか」
「や、やめてくれよ。こういうことは健全な高校生にはよくない!」
本当によくない。見た目が幼い少女とするのは絵面が最悪だ。
見る人が見れば犯罪者扱いされてもおかしくない。
こんなことに、もしも慣れてしまえば特殊性癖の持ち主になってしまう。
そうなってしまったら最後。世間からは変態扱い間違いなしだ。
これからは絶対にこんなことをしてはならない。
そう護堂は決意を固めていた。
「……何を気にしておるのだあなたは」
アテナが怪訝な顔をしながら護堂に言った。
「これ、どうするんだよ」
引き裂かれた服に乱れた布団、こんなものを家族に見られたら、なんて言われることか。護堂は頭を抱えていた。
「片付ければよかろう。時間はあるからな」
「片付けるのが大変なんだって! アテナも片付けるの手伝えよ」
「なぜ妾がそんなことをせねばならん」
「お前が原因だろ! 少しくらいは手伝えって!」
「妾はあなたに教えをくれてやったのだぞ? そればかりか、あなたの体に精気を与え、『剣』の智慧もくれてやったのだ。
感謝される筋合いはあっても文句を言われる筋合いはないな」
アテナは身勝手なことを言い始めた。
確かに『剣』の智慧を学ばなかったことに関して言えば護堂にも原因があると言えなくもないが、襲う必要はなかったはずだ。
声を上げて抗議したかったが、近所迷惑になりそうなのでやめた。
護堂はため息を吐くと、自分1人で部屋の片付けを始めることにした。
一通り部屋を片付けると、護堂は荷物を持って空港へ向かうことにした。
朝はまだ早く、祖父と妹はまだ眠ったまま。なので、護堂の出発を見送るのはアテナだけだ。
「護堂、敗北するなど許さぬぞ」
出発の直前、アテナがきっぱりと言い放つ。
「妾がここまでしてやったのだぞ、必ず勝利せよ」
その深い闇色の瞳が護堂をじっと射抜く。吸い込まれそうな眼差しに思わず息を呑んだ。
「俺は戦いに行くわけじゃないけど……でも、もし戦うことになったら必ず勝つよ」
どういった形であれアテナは護堂の勝利のために行動したのだ。
その思いには真剣に応えなければならないだろう。
「ならば良い」
満足げに頷くと、アテナは静かに護堂を見送った。
「つまり、お兄ちゃんはエリカさんの謹慎を解くためにイタリアに行ったってわけ?」
朝起きた静花は、兄がいないことに気づき、アテナから事情を聞き出していた。
「そうだ。護堂が己から戦へと向かったからな。その意気に、戦の神として応えねばならん」
どこか楽しげに答えるアテナに対し、静花は不機嫌そうな顔で話を聞いていた。
草薙一族が突発的な行動をするのは珍しくもなんともないし、生命力に溢れているので祖父も静花もあまり心配はしていなかった。
あの兄がそう易々と死ぬことはないだろう。
「……絶対にお兄ちゃんはサルバトーレ・ドニと喧嘩してくると思うなあ」
「あなたもそう思うのか?」
「だってお兄ちゃん、殴られたら殴り返す性格だもん。友達に手を出されたって知ったら、黙ってるわけないし」
「確かにそうであったな。護堂は己の領分に無断で立ち入った者には容赦せぬ」
二人の結論は同じだった。
「……そういえば、アテナさんはお兄ちゃんにまたキスしたの?」
静花がじろりと睨む。
「そうだ。前にも言ったが、神殺しには術が効きづらい。体内に直接送り込むしかないのだ」
「だったら、あたしにやってるみたいなやり方でいいじゃん! ただでさえ毎朝キスしてるのに、それ以外でもなんて……!」
静花の声が尖る。
「智慧を定着させる術もあるが、護堂には戦士としての自覚が足りぬ。だからこそ、数日しか持たぬ術を使っておる」
「……絶対、お兄ちゃんに神話の知識を覚えさせる!」
そう静花は硬く決心した。
「いい加減お兄ちゃんは落ち着いてほしいよね。どうせエリカさんも陥落させて来るんだろうけど」
「なんだ、彼奴は色好みだったのか?」
「うちの一族の男は代々ろくでなし揃いでさ。一度火がつくと止まらないし、遊び癖はひどいし……極めつきがおじいちゃんで。お兄ちゃんは若い頃のじいちゃんにそっくりで、女性関係も似てきてるの」
「なるほど、確かにあなた達の祖父は傑物であったな」
「傑物かどうかはともかく、ろくでなしなのは間違いないよ」
「だが、それはあなたもではないか?」
「あ、あたしは違うから!」
「だが、ヘカテーを殺したであろう。それに聞く限り、あなたの行動は一族によく似ておる」
静花は思わず言葉を詰まらせた。確かに、火がつけば止まらない自覚はある。
ヘカテーを殺した時もそうだったし、メルカルトとの戦いでも、つい街を破壊してしまった。
振り返ってみると反論できるところがなくなっていることに気づき
冷や汗を浮かべて話題を変えようとしたその時、都合よく電話が鳴った。
「はい、草薙です。……万里谷先輩ですか? 一体どうなさったんですか」
「ええっ! まつろわぬ神が現れた、ですか!」
静花の声が高く響く。その様子を、アテナは興味深そうに見つめていた。
連絡を受けた静花はアテナとともに七雄神社へと向かい、待っていた祐理と青年と合流した。
「お初にお目にかかります。正史編纂委員会の甘粕冬馬と申します」
甘粕冬馬と名乗った青年が静花に自己紹介をする。
「初めまして。草薙静花です」
静花は軽く頭を下げて挨拶を返すものの、アテナは相変わらず素知らぬ顔。
相変わらず人間ごときには興味を示さない。そんな態度に静花は思わずため息を吐いた。
「静花さん、草彅さんはどうされたんですか?」
「お兄ちゃんならイタリアに行ってますよ
友達が困っているらしいので助けに行ったみたいです」
「……なんとも間が悪いですねぇ」
甘粕冬馬がそうぼやいた。
『王』2人がかりなら高い勝率で倒せただろう。
だが兄はおらず目の前の女神様も手を貸そうとはしないらしい。
2人を鍛えたいので神との戦いにはあまり手を貸さないらしいことは
調査でわかっている。
「それで、現れたまつろわぬ神は一体どんな神で、どこにいるんですか?」
「上州武尊山ってわかりますか?」
「聞いたことはありますけど……群馬の山ですよね?」
上州武尊山は群馬県に存在する標高2158メートルの山で、日本百名山にも登録されている。
「そこにまつろわぬ神が降臨しているんですがね。現在は武尊山を中心とした縄張りを作っているんですよ」
「縄張りってことは動物の神なんですか?」
「ええ。麓の村に襲撃をして人を追い出したあと、自分の眷属を監視につけて、立ち入った人間を襲っているんですよ」
「襲撃って。村の人たちは無事だったんですか?」
「幸いにも修行中だった委員会の人間がいましてね。避難はすぐに済みました」
「修行中……? あ、なるほど、あの山って修験道の行場ですよね」
上州武尊山は修験道ーー日本由来の山岳信仰と仏教が融合した神仏習合の一つであり、呪術とも深く結びついている。
の行場として知られておりそこで修行していた呪術師が避難誘導に当たったのだろう。
「ええ、その通りです加えて雪が残ってる時期でしたので、登山客も少なかったので
登山していた方にも被害はありませんでした」
「ですが、偵察に行った者は眷属に襲われて亡くなっています。一度入った人間を逃さず縄張りの外まで追いかけてくるんですよ」
「……わかりました。それで、どんな神が降臨したんですか?」
「大口真神です」祐理が口を開いた。
「確か、狼の神ですよね」
「はい。この国の狼を神格化した神で、農地を荒らす獣から畑を守る守護神であり、善人を護って悪人を裁くとされる神です」
大口真神は日本狼が神格化された神で、狼は山の神の眷属とされたため山岳信仰とも結びつきが強い。
害獣であった猪や鹿を食べる益獣とされたため、田畑を守る守護神であり、火難や盗難から守るともされていた。
そのため「まことの神」「正しい神」を意味する真神と呼ばれた
その反面、獰猛さからも神格化されており、奈良にいたという人を食べたという獰猛な狼を大口の神とも言った。
「ええ。現在、大口真神は縄張りを広げ、召喚した狼達と共に周囲へ襲撃に出ています。このままでは都市部にまで被害が及ぶでしょう」
静花は眉をひそめた。「じゃあ時間をかけてる余裕はないですね」
「その通りです。静花さんにはこちらで移動手段を用意しますので、まつろわぬ神を倒していただきたいんですよ」
神を討てるのは神か神殺しだけ。静花が向かうのは必然だった。
「わかりました。でも、あたしの力で行きます
時間をかけると縄張りがどんどん広がっていきますから」
静花はアテナへ視線を向けた。
「アテナさん、悪いんだけど、周囲の人たちを遠ざけてくれない?」
「あの能力を使うのだな。よかろう。あなたが戦いの意志を見せた以上、妾も応えねばならん」
アテナが「退け」と念じると、周囲の人間は自然と離れていった。
静花は十分に人々が離れていったことを確認すると聖句を唱える。
「我はあらゆる道を行くものにして境界を超えし者。我は己の気の向くままにあらゆる領域に赴かん」
――あらゆる場所へ瞬間移動する旅の能力。贄は『人の作った道』
発動中、静花の空間認識は格段に高まり、この世だけでなくアストラル界にも自在に渡れる。
周辺の道が砕け散り、静花の姿は消えた。
たどり着いたのは山の麓の森。そこから見上げる山頂付近に巨体がいた。
大口真神は全長五十メートル。麓からでもはっきりと視認できる。
周囲には無数の狼の気配が感じられる。圧倒的な存在感が他を圧倒していた。
「……さてと、行こっかな」
益獣として神格化された神を人に仇なす獣として討たねばならない。
皮肉な状況に苦笑しつつ、静花は神へ挑んでいった