西暦1970年9月1日午前10時30分。ポカポカと暖かい陽射し、気持ちの良い風。天気は十月のイギリスとは考えられない程陽気であった。英国紳士たちがベンチに座ってパイプをふかしながら新聞を読み、お茶会にでも行くのだろうかマダムたちが汽車を待っている。
ノラの住むイングランドのライにあるライ駅からロンドンのセント・パンクラス駅までは1時間20分程度で着く。9時のダイヤに乗ってきたので11時の出発にはまだまだ三十分程度ある。
ホグワーツ魔法魔術学校に行くためにはセント・パンクラス駅の隣にあるキングズクロス駅の九と四分の三番線にあるホグワーツ特急に乗ることが必須条件だ。
「ここが九番線だから……いち、に、さん……ここかしら」
一年分の荷物を入れたトランクを両手で持ちながらノラは一本の柱を見つめていた。ミネルバ・マクゴナガルによればこの柱に文字通り突っ込んでいく事でホグワーツ特急のある場所に辿り着くことが出来るそうだ。
ノラは目をキラキラと輝かせながら柱の右側から入るべきか左側から入るべきか、裏側から入る事は出来るのだろうか、と考えた後、やはり王道である正面から入ってみるのが良いだろう、と判断した。知識欲の塊と言えども王道には抗えぬ。好みの問題でもあるかもしれないが。
決めたら一直線、と言わんばかりにノラは勢いよく足を踏み出した。ぶつかって痛みを感じてしまうかもしれないがそれはそれ、だ。死ぬわけではない。
スゥ、と足の先が壁に吸い込まれるように入っていき、視界が一瞬暗転するも先程まで何も停まっていなかったホームには紅色の蒸気機関車が停車しており、人で賑わっている。まだ出発には早いものの我が子とのしばしの別れに嘆く母親に青色の瞳を困ったように細める少年。フクロウや猫がホーホーニャーニャーと大騒ぎをしている。
「本当に、ホグワーツに行くのね……」
自宅で魔法について学んできたがそれとはまた違う。専門の教育機関で受ける様々な授業。どれほど素晴らしいモノだろうか。
ノラは感動に胸を震わせ、学友となるであろう少年少女たちに眼を配る。だが、それが悪かった。
「うわーっ!」
「えっ」
後ろから聞こえてきた驚きの声にノラは後ろを振り向こうとした。が、失敗。
ガラガラガッシャンと派手な音がホームの一部に響き渡り、一瞬周囲がシンとした後に再びざわめきを取り戻す。カートの重さに制御を失った生徒が別の生徒に突撃しただけである。
些か冷淡なようではあるが、突如髪の毛が炎に包まれたり、ひとりでに箒が動き出したりするのが日常である魔法使いや魔女達からしてみれば衝突事故など然したる問題ではないのだ。だが、やはり当人たちからしてみれば大問題だ。
「ごめんなさい。その、大丈夫?」
ノラは慌てて起き上がり、目の前の少年に手を差し伸べる。茶髪の少年は、肩まで伸びる少しウェーブかかった髪型をしている。そんな少年は青色の瞳でノラの顔を少し、呆然とノラを眺めた後にその手を取って返事をする。
「わぁ、君って……いや、あーうん、その、うん。大丈夫。そう、大丈夫だよ。ありがとう」
大丈夫だとは思えない様子の少年の返答に困ったように微笑みながらとりあえず散らばった荷物を集める為にしゃがみこむ。
「あぁっ、そ、その、大丈夫だよ。僕一人で、片付けられるから!」
「一人でカートに載せるより二人で載せたほうが早く済むわ。ね?」
「アー、うん。それじゃあお願い」
少年はそう言いながらカートを起こし、ノラはよいしょ、と荷物を持ち上げる。
「う……わ、結構重たいね?」
「そう? これぐらいが、普通だと思うんだけど……。あれ、君、他のトランクは?」
「ん? これだけだけど……」
「一つだけなの?」
「このトランク魔法が掛かってるの。不可能検知拡大呪文っていうやつなのだけど」
「不可能検知拡大呪文!?」
ノラの一言を聞いた少年が大声でノラの言葉を復唱した。
「え? あ、うん!」
「凄い! 凄いよ! 不可能検知拡大呪文って結構高度な呪文だから誰にでも使えるわけじゃないし、難しいから魔法のテントとかそういったものにかけるのが普通で、あまりカバンにかける例は見られなくて。でも魔法生物学で歴史に載ってるニュート・スキャマンダーとかはトランクに不可能検知拡大呪文を掛けてその中に魔法生物を入れてたりしてて……兎に角普通のカバンにかけようって考えるのはなかなかないんだよ! 魔力だって限界値があるわけだしさ! 誰がかけてくれたの?」
早口でペラペラと語り始めた少年は目をキラキラと輝かせながらノラに問いかけてくる。
「これはステヴ──家にいるメイドがかけてくれたの。重たいだろうからって。いっぱい荷物も入るしね。でも、君の荷物は少し多めに見えるわ。一体何が入ってるの?」
「僕はその、魔法道具が大好きなんだ。だからその魔法道具を解体したりしたくて道具を持って来ちゃったんだ。母さんたちはあまり賛成してくれなくて不可能検知拡大呪文をかけてはくれなかったから限度があるんだけどね」
「凄い! 魔法道具を解体したりするのに道具があるの? 消失呪文とか、そういうのとはまた話が違うのかしら?」
「勿論、そんな強引に剝がしたりすると事故が起こっちゃうから良くないんだ。──実体験なんだけどね。聖マンゴ魔法疾患傷害病院に運ばれたくなかったら少なくともある程度の順序は知っておいた方が良いと僕は思うな。例え僕らが良くたって怪我をしてしまったら大人たちは、ほら、いい顔をしないから」
「確かに、魔法と魔法の混合事故なんてあまり良くない症例が出る事も多々あるものね」
二人がウキウキとした様子で会話を始めていた時だった。
「ちょっ、そこどけ!」
怒声が飛んできたかと思うと再びガラガラガッシャンという派手な音がした。そう、二人の立っている場所にもう一人突撃をしてきたからだ。
「イッテェな……ボサッと立ち止まってんじゃねェよ……」
銀髪が目に入る。その見覚えのある顔にノラが声を上げた。
「あっ、ジュディ!」
顔見知りを見つけた、と言わんばかりのキラキラした表情を見てジュディはあきれたようにため息を吐く。
「またお前かよ。怪我無いならさっさと端に避けるぞ。ここでボーリングのピン代わりになるつもりはねぇからな」
ジュディの言葉にノラたちはコクコクと素直に頷いて散らばったトランク類などを片付け真っ赤な汽車の横を通る。
ジュディの後を追うようにして、三人は歩いて行く。
「おっ、空席はっけーん」
ジュディはそういうと窓から強引にショルダーバックを放り投げて入れる。トスンと綺麗にコンパートメントのソファに鞄が着地した。ジュディは一人、よし、と呟くと入り口の方にトランクの乗ったカートを持って行く事にした。
「──で、どうしてアタシはお前らと一緒に仲良く座ってるワケ?」
「成り行きで?」
「出てけ!」
「ジュディ、そんなこと言っちゃダメよ」
「お前にも言ってんだよ!」
そんなこんなで不機嫌そうに座ったままのジュディと少年の三人で席に座る。
「あなたの名前はなに?」
ノラは茶髪の少年に問いかけた。少年はハッとした様子でノラの言葉に返答する。
「あっ、まだ名乗ってなかったよね。僕の名前はレオナルド・ホプキンズ。レオって呼んで。僕、ドーヴァーから来たんだ」
「ドーヴァー!? 私、実はライに住んでるの! 私、ノラ、ノラ・エディソン。気軽にノラって呼んでちょうだい」
「うん、分かったよノラ。わぁ、でも僕達同じ列車できてたのかも」
「もしかしたらすれ違っていたかもしれないわ」
「あー……いや、それは無いと思う。君ってほら、魅力的だから。すれ違ってたらきっと気づくよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。それでこっちはジュディ」
ノラの言葉にめんどくさいという感情を隠しもせずに窓の外を覗いていたジュディがパッと顔を上げて隣に座っているノラの顔を睨みつける。
「おい、勝手に他者紹介を始めるな。アタシは個人情報の保護を優先させてもら──」
「あ、ノラ! ノラじゃないか!」
扉の外から声がかかり三人とも顔を上げて扉の方を見やる。
「やっぱり、ノラだと思った」
ガラリと扉を開けて入ってくる痩せた赤毛の男性は人の良い笑顔で三人を見回した。
「アーサー!」
「やぁ、新入生だと言ってただろう? 私も顔を合わせておいた方がいいかなと思ってね。やぁ、君たちはノラの友達かい?」
「先ほど出会ったばかりだけど、そうかな」
「違う」
えへへと照れた様に答えるレオにぶっきらぼうに返すジュディ。そんな二人の様子を微笑んで見回した。
「ちょっと入っていいかい?」
「えぇ、どうぞ」
「少し狭いけど」
「じゃあ失礼するよ」
「アタシ許可してないんですけど」
ジュディの文句は誰の耳にも入っていない様子でアーサーはノラの真正面、レオの隣に座った。
「ノラ、君を私の寮に勧誘しに来たんだ」
「勧誘?」
「ほら、新入生達は多ければ多いほど良いだろう? それに君のこの前の行動は──実に
アーサーの言葉にレオは首を傾げながら問いかける。
「グリフィンドール?」
そんなレオの言葉にアーサーは口を金魚の様にパクパクとさせた後、キラキラした目でレオを見る。
「君、もしかして“マグル生まれ”かい?」
「ううん、母が魔女。でも、育った環境はほとんどマグルだったかな。お母さんはあまり魔法やホグワーツについて語ろうとはしなかったから」
「マグルの世界に住んでいたっていうことだね。良ければいくつか質問をさせてほしいんだけど」
アーサーはそう言うとレオに数々の質問をした。特に多かったのはマグルの電化製品についてだった。レオはその質問に笑顔で答える。ノラの家にも電化製品はあったが、電化製品の中身など到底考えた事がなかったのでそのあまりの詳しさにアーサー同様聞き入っていた。
「アーサー!」
コンコンというノックの音とほぼ同時にガラリと遠慮無く扉が開く。
「何をしているの。そろそろ出発するわよ」
「あ、しまった。もうそんな時間かい?」
「モリー! 久しぶり!」
「えぇ、この前ぶり。それで、アーサー? ノラを勧誘しに行くっていって帰ってこないから迎えに来たのだけれど」
「あ……」
「また、あなたの悪い癖ね」
「すまない、モリー」
「えっと、その、それで勧誘っていうのは?」
ノラは疑問を口に出す。
「そう、ノラには是非グリフィンドールに来て欲しいなと思って声を掛けに来たんだ」
「そうだ。グリフィンドールってなに?」
レオは最初の疑問を思い出したのかアーサーに問い掛ける。
「ホグワーツ魔法魔術学校には四つの寮があるんだよ。ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン」
「そして我らがグリフィンドール!」
アーサーの言葉にモリーが歌うように付け加えた。
「四つの寮……」
興味を持ったのかジュディがアーサーとモリーの方を向いて呟いた。
「ただの寮じゃないぞ。四つの寮、全てに特色がある」
「忍耐強く真実で、苦労を苦労と思わない。心優しい者が入るハッフルパフ」
「機知と学びの友人をここで必ず得るだろう。知識に関心のある者が入るレイブンクロー」
「「そして、勇猛果敢で他とは違う。何かの為に勇気を振り絞れる者が入るグリフィンドール」」
アーサーとモリーが口を揃えてグリフィンドールを強調する。
「ノラの先日の動きを見て、君が入るならグリフィンドールだと思ったんだ。──勿論、君の意思は尊重するよ。他の寮に入っても気にしないでくれ。ただ、その私たちの寮は素晴らしいんだということを知って欲しくてね。何にも知らないままで組み分けの儀式、なんてびっくりするだろう?」
「おい、スリザリンってところがハブられてるぞ」
ジュディの言葉にアーサーは苦虫を噛んだような顔をする。
「その……スリザリンはあまりオススメできなくてね」
「えっ、そうなの?」
「君の様な“半純血”も入らない方が良いだろうね。あそこは差別主義者の集まりだから」
「というと?」
「魔法使いと魔女の子供、いわゆる“純血”しか歓迎しないからね。スリザリンに入ったマグル生まれの子がいじめられているのをよく見るよ」
「あー……」
「うーん……」
「……」
ノラ、レオ、ジュディ。それぞれに思い当たる節があるような顔をして黙り込む。
「だから選択肢に入れない方が良い。それにスリザリンは卑怯者が入る寮だ。あの寮には性格がねじ曲がった者しかいない」
ピクリとノラが反応する。
「アーサー」
「どうしたんだい、ノラ」
「その、スリザリンは卑怯者が入る寮、だなんていうのは逆に差別的だと思うの。さっきアーサーとモリーが言ってくれたみたいにスリザリンにも良いところがあるはずよ」
「でも事実なのよ。あの寮のクィディッチのプレイの仕方だって」
「モリー」
「だって」
アーサーの制止にモリーはもごもご言いながら黙り込む。
「君は……そうやって物事を考えることができる子なんだね」
「気分を害したならごめんなさい」
「いいや。……いいや、私の方こそすまなかった。君のような賢い子の前でそんな話をするべきではなかった。君は純粋で物事を感情ではなく理性で考えようとする。もしかすると、グリフィンドールではなく──レイブンクローかもしれないね」
「レイブン、クロー」
「まぁ、私の勘さ。あっ、そろそろ本当に出発するみたいだ。家族に別れを言ってくるよ。少ししつこいんだけどね。まぁ、これぐらいはやっておかなくちゃ。息子孝行として」
「ありがとう、アーサー。寮について教えてくれて嬉しいわ」
「あくまで私が来たのは勧誘、グリフィンドールに来なくたって良い。君の学園生活が幸せなものになるよう、私は祈っているよ」
それじゃあ、とアーサーとモリーは立ち去っていった。
「入学する寮か」
考えてなかったなぁとレオは呟いた。
「私……私、どうしたらいいのかしら。ジュディ、あなたはどうするつもり?」
「知識は金になる。レイブンクロー」
それじゃ、アタシは寝るから。と言ってジュディは膝を抱えて寝始めた。
「僕もレイブンクローかなぁ。新しい魔法道具を作るにはもってこいの寮っぽいし」
「……」
レオの確信めいた言葉を聞きながらノラは頭を動かそうとした。が。
大きく汽笛が鳴らされた。
「出発、するみたいだね」
レオは呟いた。
「そういえばレオはお見送りはないの?」
「お母さんが頑なに魔法界に近づこうとしないんだ。だから、僕も一人で来たんだ」
「そう……」
「ノラはホグワーツは楽しみ?」
「えぇ、勿論。これからの七年間。楽しみにしているわ」
シューッと蒸気の抜ける音、そしてタン、タン、タン、タンとリズムを刻んで汽車が動き出す。タン、タン、タンタンタンタン。段々とそれは早くなり常に音と振動が伝わってくる。無事に出発したようでノラは窓の外を眺める。汽車が街の中を走っていった。