図書館で借りる本を悩んでいると一人の生徒に話しかけられた。
「やぁ、ミス・エディソン」
この声は知っている。少し高慢ちきな声。
「ルシウス。こんにちは」
「何を悩んでいるんだい?」
「何を読むか自体に悩んでいるの。特に困っている課題もないのだけれど何か本を読みたくて」
そう言うとルシウスは愉快そうに笑う。
「まったく君は本当にレイブンクローだな」
勉強を見てあげようかと声を掛けたのだがね、とルシウスは肩を竦める。ノラはそれに対して微笑みながらありがとう、と答える。
「そうだな、私のオススメの本はあちらの棚の──」
「君のオススメなんて聞かなくて結構だ、ルシウス・マルフォイ」
「……あなたが決めることでもない。アーサー・ウィーズリー」
ノラを庇うように現われたのはアーサーだった。ホグワーツの中でトップクラスに仲の悪い二人がノラという存在を起点として出会ってしまった。衝突は避けられない。
「えっと……」
「今日も今日とて美しい姿をしておりますな」
「親の金で着飾った君よりかはね」
「あの……」
「親の資産というのは子供には決められないものだ。持つ者はいつも妬まれるのもこの世の必然」
「おや、君はいつもより眩しくみえるね。おっとこれは七光りかな」
「あー、二人とも?」
「君は輝く事もできないようだがね。たまには輝いてみたらどうだ?」
「私が輝く時は今でなくて構わない。私は自分自身で輝いて見せるさ」
「聞いてる?」
「ふぬぬぬぬ」
「ぐぎぎぎぎ」
ノラが口を挟もうとするも二人とも、もう既にノラのことは目に見えていないらしい。私のために争わないでのターンは早々に終わってしまったようだ。そもそも在ったのかすら怪しいが、それはまぁ、仕方が無い。
睨み合って唸り声を上げる二人の間に入って喧嘩をしないようにしているが、もう既に互いの胸ぐらを掴みあっている。こんな時に限ってマダム・ピンスはどこかに行ってしまっている。どうしたものかとノラは考えるも上手く対処法が思い至らない。
そんな時だった。
「ルシウス。何をしているの」
サラリとそれを手慣れたと言わんばかりに一人の上級生が現われる。彼女は背が高く、ほっそりとしたシルエットがまるで柳の枝の様に優雅に伸びている。見栄えのするその肌は雪のように色白で。青い瞳は氷の湖を思わせる深いサファイアの輝き。長いブロンドの髪は優雅にまとめられていた。
そして彼女が発するその声、鮮やかで冷たい、まるで冬の風がガラスの鈴を鳴らすような響きが、二人の喧嘩を止めた。
「……シシー」
「それで、何をしているの。ここは図書館よ」
咎めるように、いや実際に咎めているのだろう。シシー──ナルシッサ・ブラックは不愉快だと言わんばかりにルシウスを見つめる。
「そもそもウィーズリーが絡んできたのが問題で」
「言い訳は聞きたくないわ。ルシウス。もう一度聞くわ。それで、何をしていたの」
「その……」
「また喧嘩をしていたのね。ここは図書館よ。
「お言葉だけど、ミス・ブラック。この喧嘩を始めたのは彼でね」
「優雅とはほど遠い行動は控えて頂きたいわ。婚約者が暴力沙汰で退学、なんていう恥はかきたくないものね。そうなると、婚約がどうなるかは分からないけれど」
「シシー。それは、そうだ。私の考えが足りなかった」
アーサーの言葉を一通り聞いた上で無視をした。そこには誰も居ないかのように立ち振る舞う。
「そう、分かってくれたのならそれで──」
「ナルシッサ。ちょっと待って、あなた」
ノラがルシウスを咎めるナルシッサを止めると同時にバサバサバサと音がした。それが何かを指し示しているのかを考えるよりも先にノラが素早く脇の下に入り込みナルシッサの体を支える。
「熱い……!」
ナルシッサの体は熱がこもっており、こんな体でよく図書室まで来たものだと感嘆する。それに、ノラが気づくまで時間がかかった。弱みを見せまいとするその胆力は賞賛に値する。しかし、今はそれどころではない。
「ルシウス、シシーを抱えられる?」
「あ、あぁ」
「アーサー。あなたの方が足が速いわ。医務室に、ミス・ファースに連絡を」
「症状は」
「高熱。後は分からないわ」
「分かった」
アーサーは状況を判断したのか階段を駆け下りていく。彼は嫌いだからと言って命に問題があれというような人間ではない。
ルシウスがナルシッサの体を持ち上げるのを確認して支えを解く。
「先導するわ。着いてきて」
「助かる」
「うーん。単なる風邪ねぇ」
「風邪、ですか」
ルシウスがファースの言葉にホッとした様に呟く。
「少し熱が出た程度なら寝ていればすぐに治るわ」
「そんな元気爆発薬を飲ませれば一発で」
「見てちょうだい。ここに居る全員が風邪で来ているの」
ファースに言われて周囲を見渡してみれば医務室のベッドは埋まりきり、その他にも風邪の患者が訪れていた。
「元気爆発薬なんてもう既に無くなっているの。今はホラスが頑張って作ってくれているけれど……まだ時間はかかるわねぇ」
「そんな……」
「こんな爆発的に風邪が流行るだなんて思いもしなかったわ。ホグワーツって、意外と弱いのね」
「弱い?」
その言葉に少し引っかかりを抱く。一体どういう意味なのだろう。しかしそんなノラの呟きは聞こえなかったようでファースは続ける。
「ほら、こんな所に居たら風邪に罹ってしまうわよぉ。帰ってちょうだい」
そう言われて三人とも医務室から追い出されてしまった。
「……」
気まずい沈黙が騒がしい医務室の外で行われる。
「ノラ、助かった。君がシシーの不調に気づいてくれたから的確な対処を行えた」
「いいえ、気にしないで。もっと早く気づいていれば良かったのかもしれないけれど」
「……ミス・ブラックの早い回復を祈ってるよ。それじゃあ」
アーサーはそう言うと先に歩いて行く。
「ルシウス。アーサーにもお礼を……」
言いながらルシウスを見るも苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのを見て黙り込む。どうにも、お礼を言うことはできなさそうだ。
「行きましょう、ルシウス。アンドロメダにもこのことを伝えないと。心配するわ」
「あ、あぁ、それもそうだ。それじゃあ、私もお先に失礼するよ。今日は本当に助かった。では」
ポツリ、残されたノラはどうしようかと悩み、図書館に戻ることも考えたがあの落としっぱなしの本を考えるとマダム・ピンスの怒りようは並大抵ではないだろう。犯人が分かるわけにはいかない。申し訳ないが、今日はもう図書館に行くのはやめておこう。
「もう、大広間の中も凄く人が少ないね」
「えぇ。風邪が大流行しているもの」
「せっかくのハロウィーン・パーティーを楽しみにしていたんだけどなぁ」
レオはそう言いながら肩を落とす。風邪予防にマスクをしている人間もちらほらいる。レオの同室も風邪を引いて今日は部屋でダウンしているそうだ。風邪の大本を探っていたバーサも風邪を引いて倒れたと聞いた。無遠慮に風邪を引いている人に近づいたからなのか、それともただ単に風邪に罹ってしまったのかは今のところ不明である。
そして今日はハロウィーン当日。蝋燭の代わりにジャック・オー・ランタンが空を飛び、新学期と同じ時の様に黄金の皿にご馳走が乗っている。
今回の風邪は異様だと言わざるを得なかった。治ったかと思えば更に症状が酷くなって現われるのだ。ナルシッサの様に倒れている、なんてことも良くあり得る事となってしまった。なので生徒達は必然と一人で歩くのではなく集団で歩くようになっていた。それがまた風邪を広げているのかもしれない。しかし、誰も居ない廊下で一人倒れてしまうよりマシ、と思ったのだろう。ホグワーツの中も広い。活気があるところと人が全く訪れないところがある。もしも居ないところで倒れてしまったら、と考えるだけでゾッとする。そのまま遺体になってしまう可能性もある。
「ノラ」
後ろから声を掛けられて後ろを振り向く。
「モリー」
「この前はギデオンを介抱してくれてありがとう。あなたにも風邪がうつる可能性もあったのに」
「いいえ、私は元気だもの。それに私に呪文を教えてくれている最中だったから」
「あの子、熱があっても熱があるって気がつかないのよ。幼い頃から。元気だけはいっぱいでね」
「早く治ると良いわね」
「そうね。早く、治るといいのだけれど」
それ以降、ギデオンは風邪を引いて治してを繰り返している。今、ホグワーツは混乱状態にあると言っても過言ではない。
「それじゃあ、本当にありがとう。あなたには助けられてばっかりね」
そういうとモリーはグリフィンドールの席に座っていった。
「僕もハッフルパフの席に戻るよ。早く食べて同室に食べられそうな美味しいご飯を持っていってあげるんだ」
「それは良い考えね。私もいくつか果物を持って帰ろうかしら」
そうしてレオと分かれて席につく。
「本当にこの風邪には困りものね。家に連れ戻そうとする家族も居るそうじゃない」
「四年生と六年生は特に多いらしいわね。O.W.LやN.E.W.Tが控えている中で風邪で勉強が進まない、となると困ったものだもの。仕方ないわ」
そう言いながらノラはご馳走を食べ進める。心配ではあるがそれはそれ、これはこれ。ホグワーツの最初のハロウィーンのご馳走を楽しまないのは逆に失礼だ。
ご馳走を食べ終わった後に、美味しそうなリンゴをいくつか見繕って、持ってきた籠の中にリンゴと何枚かボウルのように深めの器を入れていくつか持って帰る。レイブンクローの塔に入って風邪を引いて外に出られない人間のところに向かう。咳が酷い人間は本来なら監督生が使う部屋で固まって眠っている。談話室から階段を登って監督生の部屋にノックをしてから入る。同級生のビリーの隣に行ってみるとビリーは目を覚ましていて、苦しそうに咳をしていた。
「ゴホッゴホッ。ノ、ラ」
「大丈夫。無理に話さなくて。リンゴを持ってきたの。食べれそう?」
「う、ん」
「それじゃあ、椅子を借りるわね」
シャリシャリと音を立てながらリンゴの皮を剥く。一つが終わったら皿に盛り付けて、魔法で作った氷と水の中に塩を入れる。これで長持ちするはずだ。他の生徒達は眠っているのだろう。すーすーと寝息が聞こえる。カバーを被せて他の生徒達のベッドの横に置いていく。『早く元気になってね ノラ』とカードを置き、不審な人物からの贈り物ではないことを示す。
「ハロ、ウィーン、パーティーは?」
「ご馳走は食べてきたわ。その時に美味しいリンゴを見つけてあなたに食べて欲しくて持ってきたのよ」
「楽しんでくれば、良かったのに」
「あなたが居ないと寂しいもの。パーティーに友人は欠かせないわ」
「気を、使わせた、ね」
「いいえ。リンゴだって『これを食べて元気だして』って言いたかっただけだし、それに私の方がビリーの側に居たかったの。あなたの話、いつも面白いから」
ノラ、と名前を呼んで泣き出してしまった。風邪で弱っているのだろう。ポケットからハンカチを取り出して渡す。ビリーはそのハンカチで涙を拭いて、笑う。
「あなた、いつも優し、いわね」
「そんな事はないわ。私、本当にあなたの側に居たかったの。あなたっていつも勉強を頑張っているから尊敬してるの。だから早く元気になって、私に勉強を教えてちょうだい」
「……うん」
とりとめのない話をいくつかして額に当てていたタオルを変えてからお暇することにした。しかしビリーはノラのローブを引っ張る。
「ねぇ、もう少し、居てくれない?」
「勿論。良いわよ」
ただし静かにね。と付け加えてノラは再び椅子に座る。ローブを引っ張っていた手を握る。その手はやはり普通の体温ではない。直接触っていても体温として伝えられるにしては不快に感じてしまう。しかし、ノラはその手をビリーが眠るまで離す事はなかった。
あまりの患者の多さに医務室はてんてこ舞いの様子だ。最後に休んだのはアルバートと一緒にお酒を飲んだ時ぐらいよぉ。ミス・ファースはそう言いながら患者を椅子に座らせる。
授業も寮ごとに分けて授業を行い始めた。教員の手も足りないのだろう、他の学年との兼ね合いで一週間おきに教室に行く為、片方は自習時間となるなどの対策が行われた。各寮もそれぞれに似合った風邪対策を行い始めている。
グリフィンドールは風邪を引かない体作りだと毎朝走る者が増え、スリザリンは他寮の生徒や風邪を引いたものと関わるの避け、ハッフルパフは看病に時間を費やし、レイブンクローはこの風邪の症状が記載された本が無いかと足しげく図書館に通っている。
当然、ノラも忙しくならざるを得なかった。理由は簡単で授業を聞いたら他の生徒の分のノートを用意して、分からないところがあれば教える、という日々を続けていたからだ。アラクネやマーサ、風邪が治ったビリーにも手伝って貰っていたがそれでも手が遅れる。グリフィンドールではリリー・エバンズがノラと似たような事をしていたが、リリーもとうとう病に倒れてしまったらしい。その場に居たジェームズがリリーを医務室まで連れて行った事はもう噂が流れている。
それでも普段よりも噂の流れは遅かった。バーサが風邪に罹ってしまい、その風邪をどこで引いたのかを調査しようとしてベッドに縛り付けられた……らしい。実態は見ることができないので同じ寮のレオからの情報である。
「グリフィンドールの分も本当にするの?」
「……えぇ、これはもう、異様な状況としか言えないもの。勉強に遅れが出たら困るわ。それにまとめるのも勉強になるし。……グリフィンドールの分は私がするから気にしないで」
そう言いながらノラは図書室から借りてきた本を読み始める。情報源であるアリスが倒れていない事が奇跡か、一年生の授業で分かりやすかった本などを渡してくれていたのでまとめるのも楽になった。しかしそれでも授業で出された内容の要点をまとめ、分かりづらい所を探す、という作業は単純ではなかった。
ノラのまとめたノートを見たのか、他寮の生徒も自分が書き写すから、とそのノートを欲しがり、写す分も作る事になった。
その事を知ったフリットウィックは流石レイブンクロー! と点数を与えたが毎日点数をあげるわけにはいかないと言うことに気づき、目の前で『うっかり』これまでの過去問を落とした。そうして他の授業の先生も『うっかり』ノラの前で過去問を落とし始める。
「エディソン。この紙を捨てておくように。間違っても持ち帰ってはいけませんよ」
「マクゴナガル先生。ありがとうございます」
「……手間を掛けます」
「いいえ、先生方も頑張ってください」
その『うっかり』を手に入れたおかげで更に効率よくノートを作成することができるようになった。過去問をあちらこちらでひけらかすワケにはいかないので、寮の自室にこもってノートを作る。教科書とアリスのオススメの本でも分からない所は図書館へ行って詳しく書き出していく。
「疲れないのかい?」
「……」
図書室で書き込んでいるとジェームズが声を掛けてきた。疲れないのか、疲れるのか、で言えば疲れている。しかし、このままだと学年を上がることができない人間が出てもおかしくはない。ノラはみんなで学年を上がりたいのだ。
「少し仮眠しなよ。重要な点はボクが調べておくから。ノートはこれかい?」
「でも……」
「グリフィンドールの天才であるボクを舐めてもらっちゃ困る。本の中で一番大切な所を簡潔にまとめるぐらいはボクにだってできるさ」
その言葉にコクリと頷く。その言葉通りジェームズはグリフィンドールきっての天才だ。グリフィンドールの中で誰が一番賢いかと問われると誰もが揃ってジェームズの名を挙げるだろう。
「それじゃあ、お願いしてもいいかしら?」
あぁ、と頷かれてノラは机に突っ伏した。ジェームズが本のページをめくり、ノートに書き記していく音を聞きながら目を閉じる。気がつけば、意識は落ちていた。