エンゼルランプの天籟   作:星の海1961

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少女の目覚め

 少女は目を開けた。けれど、それが「目覚め」だとは思えなかった。白で統一された天井をしばらく見上げている。──いや、正確にはベッドの天蓋だった。

 ゆっくりと伸びをした。硬直していた体が本格的に動き出すのを感じ、周囲を見回した。白と淡い水色で飾られたロココ調の豪華な部屋。三メートルはありそうな天井の高い部屋に劣らぬ豪奢なロングテーブルにロングソファ、一人用のソファが一つ。そして暖炉……。

 

「──ここは」

 

 ポロリと疑問が落ちる。白い手、白いワンピース、金髪。それ以外に少女は自分の情報を手に入れる事はできなかった。本当にそれだけである。家族、友人、そして自分自身の名前すら思い出せない。まるで生まれたての純真無垢な赤子である。シミ一つない大理石の冷たい床に足をつけた。一度その冷たさに驚いて足を上げるも、その近くにスリッパがおいてある事に気づく。

 

 スリッパを履いてベッドから歩いて十歩ほどの場所にあった扉を開けると、その中はウォークインクローゼットになっており、自分の背丈に合いそうな服が多くあり、その可愛らしさから持ち主が少女であることを語っている。

  扉の向こうが“外”でなかったことに、安堵したのも束の間──今度は、部屋の白いカーテンの向こうが気になった。おそらく外に出られる扉だろう。少し重いカーテンを押しのけ、窓を開ける。その中で気になったのはそれなりに厚さがある白いカーテン。おそらく外が見えるのだろう窓。

 

 どちらを先に出るかを考えて、外を見たらここがどこなのか分かるだろうと思いながら、潔癖なまでに白い少し重いカーテンを押しのけながら外を見る。

 すると、部屋の中に太陽の光が混じって入ってきて思わず息を呑んだ。

 

「──」

 

 無意識に窓の枠を開き、ベランダに出る。

 何処までも澄んだ青色の空。その下には丁寧に整えられた庭、荘厳な壁を越えた先に見えるのは様々なレンガ色で構成された街。少女はまるで絵画の中に居るような錯覚を覚えた。

 しかし、柔らかな心地の良い風が少女を包み込み、金色の髪を持ち上げる。空から降り注ぐ太陽の光は少女の肌に熱を持たせた。人々の生活する音や小鳥の囀り、木々の葉が当たって揺れる音。それらが少女にとっての現実であるという事を示していた。

 まさに小説の主人公の如く──そんな本を読んだ記憶はないけれど──見知らぬ場所に居るという状況にようやく幻想的な感覚から現実味のある感覚に引き戻される。

 

「ここ、どこ」

 

 自分の意識をはっきりさせるようにその言葉を呟いて両頬を叩く。感情を感傷的なものから現実的なものに切り替える。先ほどのウォークインクローゼットの中身を思い出す。全て少女のもの。少女の体にぴったりと合うように、すべては整えられていた。

 ──この服は自分のもの。スリッパもぴったり。ということは……。

 

「……誘拐?」

 

 その単語が自然と頭をよぎった。

 けれど、この整った部屋に、揃いすぎた状況……誘拐というより、まるで“迎え入れられた”ようにさえ感じる。

 でも、自分の名前すら思い出せない人間を、いったい誰が、なんのために誘拐するというのか──。

 しばらく顎に手を当てて考えた結果を少女は呟く。

 

「外に出ないと分からない。大丈夫、状況は変わる」

 

 意識を切り替えてスリッパから足を抜いた。パタパタと足音をさせてしまえばこの家に居る“誰か”に自分の居場所を知らせてしまうようなものだ。

 結果を言葉にして口に出すことには意味がある。人間の思考は言語によって制御されている部分がある。そのため、恐怖という感情に襲われ始めている自分を制御することに期待した。大きく深呼吸をして扉の前に立つ。

 その無謀とも勇敢ともいえる行動は記憶がないからなのか、少女の性格なのか。

 ノブに手を当てる。ドアの外からは──音はしない。静かにドアのノブを開ける。美術館じみた廊下は五十メートルにも及ぶ長さの廊下で、どちらに向かったらいいのかすら分からない。そもそも──何処に向かえばいいのだろうか。ひとまず外に出てみるのが先決だろう。違和はその他で考えたらいい。

 

 静寂の廊下。数十メートルにも渡る白の回廊には、見目麗しい花が等間隔に飾られていた。しかし、この自分しかいない状況であればどこか虚しさを感じざるを得ない。

 それは少女にとって家族かもしれないし、それは友人かもしれない。だが誘拐犯やそれ以外の存在であるかもしれない。

 廊下を曲がった先。一人の女性が歩いている。後ろ姿しか見えないが、ロングスカートのクラシックなメイド服を着ているように見える。

 

「あ」

 

 の、とは声が出なかった。なんだか触れてはいけない生き物のように感じ黙り込んだ。しかし、彼女はその言葉だけで後ろを振り返り、少女は咄嗟に物陰に隠れる。

 次の瞬間、パチン、と派手な音がした。何事だろうと覗き込むが先ほどの女性の姿が見当たらない。疑問が口から出るよりも先に後ろから声をかけられる。

 

「お目覚めですか?」

 

 背筋が思わず仰け反る。後ろを見てみるとそこに居たのは栗色の髪を一つにまとめ帽子に詰め込み、クラシカルなメイド服を着ている女性。年齢は二十代後半ぐらいだろうか。つまり──先ほどまで自分が見ていた女性だ。悲鳴を上げようとするも驚きすぎて口からは空気しか出てこない。

 

「おはようございます。正確に言うのであればグリニッジ標準時、西暦一九五七年四月二十八日、十三時三分を回った頃ですので、こんにちは。が正解の時間ですが」

 

 平坦なその声には感情の起伏を感じられず、ただ文章を読み上げた用にも感じる。 淡々とした声。紫の瞳には、感情というものがまるで宿っていない。

 

「あ、こ、こんに、こんにちは」

 

 なんてことないついて出てきた言葉はこの一言だ。先ほどまで前を歩いていたはずの女性が急に後ろに現れた。それだけでも十分怪異なのだ。挨拶をされたら挨拶を返す。当然のことながら当然ではない返事をする。

 

「……記憶の混乱を確認。魔力調整による記憶障害の可能性。言語・運動機能に問題なし──意味記憶と手続き記憶は保持。エピソード記憶は喪失」

 

「え?」

 

「ようこそお目覚めくださいました。ノラ・エディソン様」

 

「……ノラ・エディソン?」

 

 その名を聞いたとき、どこか遠くの誰かの名前のように感じた。けれど、違う。しかし──自分が、“ノラ・エディソン”なのだと、彼女は断言した。

 

 

 

 

 

 

 「こちらの服にお着替えを」

 

 そう告げられて、少女──ノラは戸惑う。寝起きで、髪も梳かず、顔も洗っていない。着替える以前の問題だった。その様子に気づいたメイドは「失礼します」とだけ言い、一本の杖を取り出した。

 ノラの頭に杖が触れた瞬間、温かな魔力が体を包む。肌のざらつきは消え、髪は自然に整い、さらりとひとつに結ばれていく。

 

「……魔法?」

 

「ええ。私も魔女ですので」

 

 あたかもノラもそうであるかのような響きだった。

 ひとまず外に出かけられるほどの服装に着替え、メイドに案内されるままで大きな部屋にたどり着いた。その中には人が一人や二人は寝転ぶ事ができそうな長机に雲のように白いクロスが掛けられており、その上には豪奢な装飾を施された純銀のクロッシュがポツンと寂しく置かれていた。

 

「どうぞ、お召し上がりください」

 

 メイドは一番奥の誕生日席の椅子を引き、少女を座らせた。まるで自分が主人であるかのような扱いに少女は困るもメイドは気にした様子もなくどこかに行ってしまった。魔女相手に無事逃げられるのかは分からないが、逃げてみるのも可能性の一つではないかと考え立ち上がった時、メイドはティートローリーを引いて現れた。

 そして銀色のクロッシュを持ち上げた瞬間、少女は鼻孔に入り込んできた香りだけで思わず声を上げていた。

 食パンには贅沢にも溶けかけたバターが。新鮮だと自ら主張する青々としたサラダ。ベーコンはこんがりと焼き上がり、その上には半熟のスクランブルエッグ。スープは様々な野菜が入っている。飲み物には真っ白い牛乳。些かこの豪華なテーブルには不釣り合いな普通の食事。だが、その普通さが少女にはありがたかった。コース料理を食べるには腹は減っておらず、かといって何かを食べずに居るのも微妙な腹具合だ。

 が、少女の動きが止まる。このメイドは魔女だと名乗っていた。このまま食事を続けると何らか自分にとって恐ろしい事が起こるのではないかと思ったのだ。その様子を見ていたメイドは失礼します。と口を開き。

 

「失礼致します。毒味がまだでした、申し訳ございません」

 

 そう言うと自らのポケットの中から銀の簡易的なカトラリーを取り出すと少女の食事に近づいていく。

 

「だ、大丈夫ですから」

 

 少女はその様子を見て安心したのかメイドの動きを制止して食べ始めた。

 口の中に広がる味はこの世の中でも逸品であることは少女にも理解できた。牛乳一つとっても濃厚で口触りがまろやかでほっと一息つける味だ。サラダのレタスの甘みに少ししょっぱいドレッシングが食欲をそそらせる。少女が黙って食事を終えるのをメイドはただ微動だにせず、背筋を伸ばし立って居る。少女は腹が減っていなかった筈の自分が目の前にあった料理を全て食べ終えてしまった事に若干の困惑を見せながらメイドに向き直る。

 

「私は、一体、何者?」

 

 少女は一番問いかけたかった事をメイドに問うた。するとメイドは当然のことと言わんばかりに少女の名を口にする。

 

「ノラ様です。ノラ・エディソン様。現エディソン家の唯一の存在。私が仕えるべき存在です」

 

「ノラ……。私の名前はノラ・エディソン……」

 

 少女──否、ノラ・エディソンは己の口の中で自分の名前を反芻させる。いまいち実感が湧かないが、そうだと言われるのであればそうなのだろう。正直なところ、真偽を確かめる術は今のところ無い。

 

「あなたは、誰?」

 

 ノラが問いかけるとメイドは胸に手を当てて口を開く。

 

「私の名前はステファニー。お気軽にステヴとお呼びください。ご主人様」

「ご主人様、って。そうだ、私はこの家で唯一の存在って……」

「ノラ様はエディソン家の現当主。私は、屋敷の管理と、ノラ様のお世話を任されております」

 

 

 結局のところ、ステヴから聞き出せた情報はほとんど無かったに等しく、ノラに関してもノラという個人情報という個人情報は一切知らず、把握していなかった。

 

「以下、分かった情報をまとめると……」

 

 ・この屋敷の主人は私、ノラ・エディソン。私以外の住民はステヴしか居らず、しかもステヴはメイド・オブ・オール・ワーク(たった一人のメイド)

 ・ノラの家族の情報はステヴは知らない。

 ・この屋敷のある場所はイギリスのイングランド南部、ライ。小高い丘の上に建っていて壁の奥に街が見えたのもそれが理由。

 

 ちなみにこの話の後には全て「らしい」がつく。なぜなら全てこのメイド、ステヴから聞いた事になるからだ。

 ステヴの言うことを今は信じるしかないが、嘘の可能性も考えておくに越した事は無い。

 

 「えっと……なるほど」

 

 口から出た言葉は理解したという意味の言葉ではあるが、きちんと理解できたかといわれればそれは否。だが、今のノラがすべきことと言えば現状をできるだけ早く飲み込み、理解する事である。不安でいっぱいの状況を飲み込むべく、食後の紅茶をぐいと飲み込んでみたが口の中に爽やかなフルーツの香りが漂うだけであった。

 

「それで、私はここで暮らしていい?」

「暮らして頂かなければ困ります。それに今のノラ様はここを出たところで何も成す事はできません。成すべき事を成す為に」

「……それも、そうか。だね、ステヴの言うとおり」

 

 ステヴの言うことに同意を示し、この屋敷から逃げる意思が無いことを言外に告げながらどうにでもなれと紅茶を飲み干した。

 

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