エンゼルランプの天籟   作:星の海1961

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揺らいだ治癒の灯

 三日が経っても、ジュディは目を覚ます気配を見せなかった。

 ノラはいつも通りノートを広げ、淡々と手を動かしていたが──ひとつだけ、日課が変わっていた。

 

「早く治ってくれないと、私を拒否することもできないわよ」

 

 そう呟く場所が、医務室になったことだ。

 そろそろ温くなってきた頃だろうか。ノラは立ち上がり、ジュディの額のタオルを氷水に沈めた。指先がきゅっと縮こまるほどの冷たさ。硬く絞って額に戻すが、ジュディはぴくりとも動かない。

 高熱は相変わらずで、元気爆発薬を飲ませても効果はなく──今はミス・ファースがかけたルーンの永続治癒魔法《ヴィタリス・フルクスス》だけが彼女の体を支えていた。ミス・ファースが杖で胸に小さなルーンを描き、そのルーンが「生命の流れ」を作り、一時的に自動的に体力を回復し続ける。そんな魔法だ。

 ルーン魔法って便利だなぁ、と思いながらジュディの胸に浮いた淡く光るルーン文字を見る。

 

 授業が始まるまでに変身術のノートを済ませてしまおう。あまりにも静かすぎる時間が過ぎて、時の流れを告げる予鈴が鳴る。今日の初めの授業は闇の魔術に対する防衛術だ。ノラはノートを閉じて、椅子を静かに引いて立ち上がる。再びジュディの額に乗せられたタオルを変える。

 

「……また、お昼に来るわ」

 

 ホグワーツに来てから最初は迷った授業。けれども今はもう、この医務室からどう動けば闇の魔術の防衛術の教室に行けるのか理解が出来ている。廊下を走るなと怒られない程度に急いで教室に入り、隣の席になる男子生徒に声を掛けて座る。ジュディの事についてやり取りをしているとエリオットが教室の中に入ってきた。

 

「はい、皆さんおはようございます。それでは、今日もまた闇の魔法動物について授業をしていきましょう」

 

 教科書を開いて、とエリオットが言うと教室中で紙が捲る音がする。

 

「さて、今日授業をするのはヌンドゥについてです。魔法界の中でも最強の獣と謳われる事もある闇の魔法生物です。では、誰かに質問しようかな。ヌンドゥが最強と言われる理由は何にあると思いますか?……じゃあ、うん。ペティグリューくん」

「えっ……えっと、その、カッコいい、から?」

 

ピーターの返事にドッと教室が笑いに包まれる。エリオットも微笑んで頷く。

 

「確かにそうだね。ヌンドゥはとてもカッコいい。例えば、どんなところがカッコいいかな?」

「トゲトゲした(たてがみ)、とか?」

「その通り。グリフィンドールに一点を与えよう」

 

 エリオットは気前よくグリフィンドールに点数を与えた後に杖を筆ペンの様に構えて宙に書き出す。煙がエリオットの周りに現れ、煙が晴れた頃には大きな獣が一匹居た。一見豹の様に見えるが、皮膚はむき出しで毛皮が無い。その代わりに喉元に鋭い棘が生えているのが特徴的でピーターがカッコいいと評するのにも納得が出来る。

写真のように綺麗に書きだされたヌンドゥは威嚇しながらエリオットから離れて鬣を膨らませていく。豹のようなシルエットからライオンのような貌になっていく。

 

「このようにヌンドゥの容姿は非常にカッコいいと言わざるを得ない。男の子であれば心躍る危険生物だ。しかし、ヌンドゥの魅力はそれだけではない。もっと本質的なところでヌンドゥの危険な部分が分かる人はいるかな? ……じゃあ、エディソン」

 

 当てられたノラは教科書を見る。この教科書では特に身体的能力の高さについて挙げられているが、確か他にも特徴があったはずだ。幻の生物とその生息地を思い出してから口を開いた。

 

「まず一つは、ヌンドゥ自身の身体能力です」

 

 ノラは教科書の余白に書いた自分のメモを思い出しながら続けた。

 

「肉食獣に近い骨格を持ち、その巨体にも関わらず音を立てずに走ります。そして──」

「そして?」

「もう一つは、ヌンドゥの“息”です。村一つを壊滅させるほど強力な病を運びます。神経毒ではなく、もっと広範で、もっと深刻な“病”。近づけば肉体で負け、中距離では吐息に侵され、遠距離から攻撃しようにも、成体の皮膚はドラゴンに匹敵する対魔力防御の皮膚……。対処は非常に難しいと思います」

「自身の考察も踏まえた発表にレイブンクローに三点。そう、エディソンの発表してくれた通り、ヌンドゥの対処は非常に難しく、国際魔法使い連盟の発表によれば、西暦が成立して以降、一度も百人以下の魔法使いで沈められた試しがない。これはドラゴン一匹がドラゴン学者たちが十名によって落ち着かせている事から考慮するととんでもない力を持った魔法生物であるという事が理解できる」

 

 ノラの説明に合わせてエリオットの描いたヌンドゥが鬣をより膨らませた後、毒々しい紫色の息を吐き出す。それを見た男子生徒たちはガッツポーズをして前のめりで見つめている。どうにも男の子にはかっこいい怪獣のように見えているようだ。

その語り口にジェームズが手を上げて質問する。

 

「でも、防御呪文(プロテゴ)だったら毒の息も攻撃も効かないんじゃないんですか?」

「良い質問だね、ポッター。でも、防御呪文も完璧じゃない。例えばそう、毒の息が効かないという事は空気の循環が無い、という事なんだ。新鮮な空気を吸わずに人間は生きていけない。それに防御呪文を使えるのは優秀な魔法使いしかいないし、確かこのホグワーツも優秀な魔法学校だけど防御呪文を覚えて卒業するのは三割程、だったかな? 更に気にしなくてはいけないのは毒の吐息だけじゃない。ヌンドゥの攻撃も受けなくてはいけないし、迎撃の事を考えると防御呪文は無限に使えるわけじゃない。だからこそ百人もの魔法使いが必要。疲れたら後退。攻撃を当てたら後退。何かをして、後退。それがヌンドゥに対する対処法だと言われている。いや、そういう風な戦い方をしなくてはならない。Hit and Away。有効射程と索敵能力が許す限り、遠くから攻撃を仕掛け、当たったら即座に撤退する戦術だね。それじゃあ少し寄り道をしてこの戦い方をして戦った闇の魔法使いについて解説していこう──」

 

 そうして授業は進んで課題が配られる。今回の課題は対魔力・魔法を所持する闇の魔法生物について調べる事だ。男子生徒などはカッコいいドラゴンを調べるようでテンションが上がっている。女子生徒はバイコーンという生物を調べたい、などと言う話が聞こえてきた。

 次の授業は空きコマの自由学習の為、早めに課題に使えそうな本を取りに行きたいところである。しかし、先程の会話を聞く限りではドラゴンやバイコーンは競争率が髙そうだ。どうしようか、と考えながら歩いてきた生徒を避けて壁側に移る。

 角を曲がった瞬間、ノラの視界が白く跳ねた。

 

「きゃっ」

「うおっ!」

 

 カバンが宙を舞い、床に散らばる。黒髪の影が前屈みになって「……すまない」と呟いた。

 顔を上げた男子生徒の肌は白と黒がまだらで、長い前髪が目のほとんどを隠している。上級生であるにも関わらず、猫背で小さく見える。明らかに気まずそうに眉を寄せたあと──

 

「……うわ」

 

 と、嫌そうな声を漏らした。

 ノラの驚いた表情を見た後、彼はしまった、という顔をしてバツが悪そうにレイブンクローのエンブレムを触り始めた。

 

「すみません。前を見てなくて。ビオラ先輩、気を悪くされちゃいましたよね」

「……はぁ、俺の事、知ってるのか」

「はい、アリスから少しだけ」

「あぁ、アリスか……お喋りめ。それじゃあ、これで」

「あっ、ちょっと待ってください。痛いところとかないですか?」

「無い」

 

 そういうと彼は背を向けて歩き出してしまった。そんなに嫌われることをしてしまったのだろうか。猫背ぎみな彼の背を見送りながら自分のカバンを拾いあげて気が付いた。カバンの下に白い封筒がある事に。少し歪な文字だが丁寧に書こうという思いが伝わるようなDear. が掛かれている。

 

「こんなの落ちてたかしら?」

 

 首を傾げながらノラは封筒を拾いあげる。しかし封筒の頭に書かれたDear.以外宛先も裏書もなく、誰が描いたものなのか理解が出来ない。このまま誰宛てか分からない封筒を捨てる気にもなれないが、生徒同士のやりとりだったら先生に見せるのも気が引けてしまう。

 どうしたものか、と眉間にシワを寄せ悩んだ後、近くの空き教室を探して転がり込む。他の教室から少し離れた場所にあるその教室の近くには殆ど誰も通らず、コッソリ手紙を開けるには最適だと思ったのだ。

 

「勝手にごめんなさい……」

 

 謝罪をして洗った手に水滴が付いていないことを念入りに確認した後、丁寧な手つきで便箋を取り出す。と、同時にふわりと花の香りらしき甘い香りがする。薄目にして出来るだけ内容を見ないようにしながら開いていく。サッと右上だけを見て、差出人を見る。

 

「えっと、リラ──ビオラって」

 

 先程の男子生徒である先程の対応を思い出して少しノラは呻く。自身に対して何か良くない噂が出回ったという話は聞いていないが明らかにノラを遠ざけたがっている印象だった。そんな相手から自分の書いた手紙を拾った、と渡されたら怒鳴られてもおかしくはない。

 しかし、拾ってしまった以上渡さなくてはならない。ここで手紙を捨てる選択肢はノラの中に存在しなかった。かといってフクロウで送るわけにもいかない。他の人に間違ってわたってしまう可能性があるし、誰が拾って中を見たのかが分からない状態だとそっちの方がモヤモヤする可能性がある。

ため息を吐いて軽く両頬を叩いて気合を入れる。ビオラじゃないにせよ、怒られる可能性はあったのだ。勝手に人の手紙を覗く最低な女としての烙印を押される可能性も勿論頭の片隅にあった。

 

「よし、届けに行こう」

 

 アリスの時間割を見た時の事を思い出す。確かこの時間は魔法薬学の授業だったはずだ。スラグホーン教授は昼前の授業を少し早めに終える癖がある。早めに昼食を食べようという思いがあるのだろう。嬉しい反面、蒸らす時間が足りなくなった、という愚痴を聞いたことがある。しばらく時間を潰してから会いに行こう。そう腹を括った。

 魔法薬学の教室の前に立っていると想像通り少し早めに教室から生徒たちが飛び出してきた。よ、と男子の上級生たちはノラに軽く挨拶をしてから駆け出していく。その背中には「早くご飯が食べたいです」と書かれているように見えて思わず微笑んでしまう。それよりも遅れて出てきた女子の上級生たちはノラを見つけると周りに寄ってきてキャッキャと騒ぐ。普段であれば話に乗るのだが、今日は目的があるのでそれを告げると、そっかーっと昼食に向かって行った。少し遅れて出てきたアリスとビオラを見つけて駆けよる。

 

「あら、ノラ! どうしたの?」

 

 アリスが嬉しそうに声を上げる反面、隣に居るビオラは嫌そうな顔をしている。ノラも内心でうわーと思いながらビオラに声を掛ける。

 

「あの、ビオラ……。少しご相談が!」

「アリスじゃなくて俺ェッ⁉」

 

 裏返った声で返事をされながらノラはコクコクと縦に頷くとビオラはそれを見て顔面蒼白になりながらブンブンと首を横に振りながら目を泳がせて断る口実を探して口をパクパクとしている。

 

「や、俺は、その」

「あら、ノラとリラいつお友達になったの? 相談だったら私邪魔よね? それじゃあ、私先に行くから。またね!」

 

 気を利かせて歩き去るアリスにノラは拝み、ビオラは見捨てられた子犬のような目を向けて見送る。

 

「おれ、俺になんの用? 怪我したから慰謝料??」

「ちょっとご相談が、火急の相談! ちょっと付いてきて」

「相談なら俺よりアリスの方が、って全然聞いてねぇ嘘だろコイツ……あっ、女の子の手柔らか、いや違う全体的にもう少し説明があってもいいと思うんだけどそこんところどう考えてる?レイブンクローなのに自分の考え聞かせねぇじゃねぇかよいやレイブンクローってだいたいそういうもんか?」

 

 失礼な独り言を聞き流しながらビオラの手を引いて人気のない廊下に連れて行く。あともう二歩で二階の女子トイレ(マートル)の曲がり角になる。

 この時間帯であればマートルは女子トイレではなく、グリフィンドールのクィディッチビーター、フランクの風呂を覗きに行く為に居ない為、コソコソ話をするなら絶好の機会だ。

 

「……おい、ちょっと止まれ」

 

 今まで文句は言いつつノラの行動を止めることはなかったビオラが小声で言って急に立ち止まり、ノラがつんのめりそうになる。もう少しだというのに、と呟こうとしたノラの口にビオラの手が伸びる。逆に文句を言おうとして、片手で廊下の壁に押し付けられる。そんなビオラのもう片方の手は杖ポケットに向かっており、血の気が引くのを感じた。

 せめて概要を話すべきだったか? しかし人前で手紙を見たと喧嘩になっても困る。だが今は人気のないところで喧嘩になりそうである。命の危機はないだろう、と思いたいが相手はレイブンクローの上級生、まだ防御呪文も使えないノラには対抗手段は殆どない。

謝罪を、と思っても口を塞がれている。万事休すだ。口の中からナメクジを吐き出す覚悟をして、目を閉じた。

 

「ジョーキンズだ」

「ジョ……?」

 

 舌打ち交じりにポツリと問題の多い先輩の名前がしてノラは小さく疑問の音を呟き目を開ける、塞がれている口のせいで言葉にならない音が口から飛び出た。ノラを片手で廊下の角に押し込んで、自分も廊下の角を曲がった後、もう一度廊下に身を乗り出す。

 

マフリアート(盗み聞きは趣味が悪いぞ)。──良し、早く行くぞ」

「え、あ、あの」

 

 逆にノラの手は引っ張られて物陰の方へと連れていかれる。願ってもないことだが、急な代わ身に少し困惑する。

 

「なんだ。相談じゃないのか?……腹いせの悪戯?」

「違います! あの……先に謝らせてください。その、すみません。勝手に中を少し覗きました」

 

 中……? と理解していない様子のビオラにカバンの中から白い封筒を取り出す。その封筒を見たビオラは、あ、と軽い悲鳴を上げて震え始めた。

 

「み、見たのか……?」

「誰宛てか分からなくて、先生に見せるのも気が引けたので覗かせてもらいました」

「うおぉぉぉぉぉぉぉっ」

 

 パシッとノラの手から封筒をぶん取ると心の声(叫び声)を隠しもせずに耳を真っ赤にしながら頭を抱えてしゃがみこんで悶え始めている。心無しかぼさぼさの頭からキノコが生えているようにも見える。

 

「あわわわごめんなさい……! 嫌いな人に手紙を見られるのって嫌ですよね⁉ でも他の人に見せる訳にもいかないなと考えてしまって‼」

 

 ノラも思わず一緒になって動揺しながら状況を再度説明する。最悪でも殴られるとは思っていたがまさかこんな風になってしまうとは考えていなかった。こうなったらひたすら謝るしかない。だが、此処でカーテシーを繰り出すのは少し違う気がする。なんというか場面的に。片方は頭からキノコを生やしてもんどり返っている男子生徒とその横で申し訳なさそうにカーテシーをする女子生徒。ノラがその場面を目撃したなら今まで歩いてきた道を戻る事にする。

 と、なれば必殺技、読書で培った知識をフル活用してJAPANESE DOGEZAを繰り出すしかないのではないだろうか。あのコンパクトな見た目。そうであれば二人ともコンパクトな見た目になれる事は間違いない。

うん。十中八九これしかない。

心の中の結論に、意を決して膝を折ろうとした時だった。

 

「謝らないでくれ。別に俺は、君の事が嫌いなわけじゃないんだ」

「ふぁ」

 

 驚きから再び言葉にならない音が飛び出す。しかし、ノラの事が嫌いじゃないとなるとどうしてあのような態度なのだろう。思わず口から疑問が飛び出す。

 

「えっと、でも、じゃあなんで?」

「は? いや、だって君キラキラしすぎてて怖いし」

「きらきらしすぎててこわい」

 

 とんでもない理由が端的な言葉で帰ってきた。思わず言葉をリピートしながら次の言葉を待つ。

 

「君のそのなんというか、特に気にせず友達を作りますよ~って感じが嫌だ。いや、嫌じゃないんだが。俺にはできない芸当だから若干の恐怖がある。あぁ、そんなことはないとか、そういう慰めはいらない。単純に体が硬い奴が体の柔らかい奴の体前屈を見て気持ち悪、って思うのとかそういうのと同じ印象」

「そうは言っているけどビオラ先輩も結構お喋りなのね」

「ぐぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ。そういう所だよそういう所。アリスに似てる。いや、でもアリスの方が百倍は可愛いからって俺は何を言ってるんだ……」

「ビオラ先輩はアリスが好きなのね」

「俺のラブレターしっかり読んでるじゃねぇか⁉ あーもう!こういうギラギラした奴の話を信じた俺が馬鹿だった。結局のところ俺みたいな根暗で地味な奴に嘘ついたところで自分の方が立場が上だもんね分かるよ」

「……あー、その……単純に、likeの方だと思ってたのだけれど」

 

 ラブレターって言葉が聞こえた、と言うととうとうビオラはその場でしゃがみ込んでしまった。尋常ではないほどの呻きようだ。耳どころか手も真っ赤で出ている肌は全て赤く染まっているように見える。

 呻き声が叫び声になってきたような気がするあたりで再び声を掛ける。

 

「あの、私、絶対に誰にも言わないから」

「見知らぬ人のいう事を信じてはいけませんって母に習ってるから」

「ぐぅ、立派で素敵な教育方針を持ってらっしゃるお母様ですね‼」

 その立派で素敵な教育方針がノラのいう事を聞いて貰えないのだから善意とはやはり勝手なものである。と頭を抱えて、思いつく。

「私、ノラ。ノラ・エディソンって言います」

「名前を名乗れば不審者ってわけじゃないだろ。というか不審者の常套手段じゃん。『あ!オレ? オレはね、ノラちゃんの叔父さんだよ。リラ・エディソンだよ』──ほら」

 

 超真剣かつ純粋な瞳で長い黒髪の間から見つめてビオラは語る。理論的には怪しい。だが、しかし、例えば知らない人であったとしてもノラに叔父さんが居る、と言われたらそれが嘘でも──幸せな事だろうな、と思う。

 

「叔父さん……」

「アレッ⁉ この嬉しそうだけどどこか憂いを帯びたこの目をしてらっしゃる⁉ ……その、もしかして、地雷?」

「そんなことないわ。──私に叔父は居ないから」

 

 ビオラが心配そうにノラの顔を覗き込むので慌ててノラは首を横に振る。自分で言って少し傷ついた。叔父が居ない人等沢山いるだろうがノラのソレは前提から違う。

 ノラの返答に安心したらしいビオラはワザとらしいほどの大きなため息を吐く。

 

「良かったぁぁぁ。可愛い後輩をいじめたなんて噂が立ったらもう俺後四年は城八、いや、九分くらいは味わってたと思う。というか魔法界狭すぎて就職とかにも響きやすいからマジで良かった。ほら、だから君とは関わりたくなかったの。別に嫌いとか好きとかそうじゃなくて、喧嘩した時とか人気者で可愛いキミと日陰者のまだらな俺どう考えたって釣り合わないわけなのよ。価値観の違いが大きければ大きい程意志のぶつかり合いが起こりやすい。だったら最初から距離を置いた方が良いって考え方だったんだ」

「えっと、距離、置きます?」

「もう遅い。こうして話してしまった時点で普通なら情が湧く。話した事のない人物とそうでない人物ではどう頑張っても前者の方に心が持っていかれる。人間としての種が持つ自衛本能なのか、それとも動物たちも集団(コロニー)を作るから動物たちにもそういう気持ちがあるのかは不明だが。ともかく、既に俺とキミは話してしまった。もう少なくとも顔見知りにはなっただろ。それに俺の手紙の中身まで見てしまったからには……アッ──ソウダ、テガミ」

「言わないです! 言わないですから!」

 

 レイブンクローらしく、自分の話したいことをペラペラと語った後にビオラは壊れたロボットみたいな話し方をし始めた。心無しか立ち方すらもロボットのように見えてくる。

 

「ウン、ヨシ、ヨし、うン、よし。分かった。取引としよう。俺がキミの課題を一つ手伝う。キミは俺の手紙を黙る。良いね?」

「そんなことしなくても私、「話さないわ。って? 分かってる分かってるこれはあくまでキミの心の枷を作るための交換条件。キミは面倒臭がってみんなの前で渡すこともフクロウで送りつける事もしなかった。噂好きジョーキンズが同じ授業に居た事を忘れていた事を除けば完璧な対応だっただろ。お陰様で俺は誰にもこの手紙を知られていない。だからこそ、見返りのない一方的な借りを作るのが怖いんだ。分かるかな。投資してもらった分には何かを返さなくちゃ割に合わないだろ」

 

 そう言われてみればそうかもしれない。きっと、ビオラは一方的な善意を受け入れないタイプなのだろう。ノラはそう納得しながら頷いた。

 

「それじゃ、何のレポートを手伝えばいいんだ?」

「えっと、そうだ。さっき授業で出た魔法生物の──」

 

 

 

 

 

 ドンドンドン、と音が付きそうな程積み重ねられたのはヌンドゥに関する本である。出来ればもう少し可愛らしい奴がいい、と控えめに文句を言った所「こういう生物の方が色々と資料がある」とビオラの一言と実際に持って来られた資料の数でノラは押し黙った。

 課題を手伝うと言い切ったわりにはノラの手の中に資料を積み重ねた挙句、ビオラはどこかへと行ってしまった。

 

「どこかへと、って授業、なんだけど……」

 

そういうノラは所謂サボりである。サボりたくてサボったわけではないのだが意気揚々と「資料探しは早い方が良い」と本棚を次へ次へ駆けていくのだから追いついて本を持っているだけでも褒めて頂きたい。そうこうしていたら昼終わりのチャイムが鳴って、ビオラは図書館の主(マダム・ピンス)に睨まれながら走って行ってしまったのだ。既に予習は済ませているし、魔法史(ビンズ教授)の授業なので出席確認が取られていない。

 明らかに「この本は読書用ではなく撲殺用の本です」と注意書きがあってもおかしくなさそうな重さの本がある為、フラフラしながら本を借りる。マダム・ピンスの眼が「本を落としたらその本で撲殺するからな」と語っていたので出来る限りゆっくりと歩いて読書席まで向かう。本を乱暴に扱ったことはないが、何が彼女の癪に障るか分からないので睨まれている間は、壊れやすい蝶よりも花よりも丁重に扱え、というのがホグワーツ内でまことしやかに囁かれている。

 えっちらおっちら、十一歳の少女はようやく鬼婆から死角の読書席に本を置き、椅子に尻を付ける。

 

「やぁ、ノラ。君がサボりとは珍しいね」

 

 思わず叫び声をあげそうになった。さっき見た時は誰も居なかったはずの空間にジェームズが立っている。どれだけ自分は本を運ぶことに集中していたんだろうと内心思いながら口を必死に閉じる。悲鳴なんて上げようものなら怒られるのは確実だ。

 

「ジェームズ、いつからそこに居たの? 全然気が付かなかったわ」

「……ん。今さっきだね。僕、姿くらましが使えるから」

「十一歳で?」

「後五十六日で僕は十二歳になるからね」

「十二歳って……そんなに変わらないわ」

「十一歳と十二歳がそんなに変わらなかったら十一歳と十六歳もそう変わらないさ。たったの五年だろう? このジェームズ・ポッターには年齢なんて関係ない事だよ」

 

 そう言いながらジェームズは手の中にある本を置いて、隣の席にドカリと座り込む。なんの課題だい? なんて聞くものだから呆れて「闇の魔術に対する防衛術のレポートよ。あなたもさっき出されたでしょ」と答える。

「ふぅん。ヌンドゥ? 随分可愛げのない動物だね。赤毛のおチビちゃんなんて可愛らしく『ムーンカーフ』にするって言ってたよ」

「リリーが? ムーンカーフなら丁度良いじゃない。マグルの歴史とも搦めてレポートが書けるし、とっても良い案だと思うわ。ビオラ……うちの寮の先輩が調べるならコレだって。他の生徒との差が付くし内容も盛りだくさんだから評価が高くなる可能性がある、って」

「レイブンクローの天才様は点数取りに必死だねぇ」

「そうね。他の子と被らない事で他の子からどんなことを調べたのか聞く事だって出来るし、凄く有益だと思うわ」

「うわ。嫌味が通じてないよ」

「通じてないんじゃなくて気にしてないのよ」

 

 じゃあ、私はレポートをするわね。そう声を掛けてノラは本を開こうとする。それと同時にぐぅ、とお腹が鳴った。思わず顔を手に埋める。嫌味が通じてないとか言った直後にお腹が鳴るなんて恥ずかしすぎる。今嫌味を言われたらノラは顔を真っ赤にして机に突っ伏す自信がある。間違いなく昼食を抜いたのが不味かった。そもそも子供は成長盛りで──。

 

「もしかしてキミも何か食べてないのかい?」

 

 だが、ジェームズはそんな事気にする様子もなく首を傾げている。ノラは少し控えめにコクコクと頷くとジェームズはポケットの中からシンプルな包みの飴玉を取り出した。

 

「はいこれ」

「……これは?」

「ただの悪戯グッズさ。一つの飴を舐めるだけで満腹感が得られるっていうパパの素晴らしい試作品でね。まぁ、摂取カロリーはただの飴と同じものだから連続摂取はお勧めしない。パパは下手な(食べない)ダイエットとかで手を出されるのが嫌だって言ってたからまだ試作段階ってワケ。ただ、こういう時にとっても役に立つ。近くに鬼のような司書が居る時とかね。えっと確か、イチゴ味とレモン味、これが……ハッカだったかな」

「お父様からのモノ、良いの?」

「ジョークグッズとして友達と食べなさいって渡してくれたものだからね。あっと、これは違う。煙幕式とりもちだ」

 

 そう言って黒色の包み袋を取ったジェームズはノラに飴玉の乗った手のひらを差し出してくる。それを手に取ろうとしたノラだがその動きが止まり、ジロリと疑う目つきでジェームズを見た。ジェームズは純粋な目で首を傾げる。

 

「どうしたんだい?」

「……あなたの悪戯ケーキを食べた三年生の女子生徒が膨らんで風船みたいに飛んで行った、って話を聞いたことがあるんだけど」

 

ついでに罰則であなたとシリウスが廊下の掃除をさせられているところを見たわよ、と付け足す。

わぁ、日頃の行い。ジェームズはそう言いながら顎に手を当てて悩んだ後、

 

「それじゃあ、キミが適当に選んでみてよ。その片方を僕が食べてもう一つをキミが食べればいい」

と言った。

ノラは「私、あなたの事疑ってますよ」とマダム・ピンスの真似をしてみたがジェームズは表情を崩さずに飴玉をこちらに差し出している。しかし、ここで延々と悩んでいても腹は減るし、そもそもマダム・ピンスに見つかる可能性もある。そもそも、ここまでしてくれているのだ。多少は信用しないと、と意を決してイチゴ味を手に取って、包み紙をひねって口の中に放り込んだ。口の中に普通の飴玉と変わらない風味が広がっていく。

 

「アレ、僕の分は?」

「──くれるって──言ってるのに、そこまで疑えないわ」

 

 ノラの一言にジェームズはぽかんと口を開けた後、ふーんと呟くと自分も飴玉を口の中

に放り込んだ。

 ジェームズが言っていた事は本当の様で程よい満腹感を得ながら、本を読み進める。ジェームズも何かを真剣に読み上げているようであれからは一切話しかけてこない。

 ヌンドゥの寿命や生息地、食べる物などを詳しくメモしていく。基本的には三十年近くの寿命に、森の中に生息している。食べる物は肉食の為、森の動物を狩って食べるらしい。

 調べて行くうちにやはりというか疫病に辿り着く。

 

『近くでヌンドゥの息を嗅いだものは即座に死に至る程の毒性を持ち、また、持続力もありヌンドゥの吐息に侵された事を見逃した近隣の村が壊滅した事があるほどである』

 

と書かれている。毒性とはどのようなモノなのだろう、近隣の村の詳細は、などを別の本を調べて行く。

 

『至近距離(強毒)の場合、人間の場合十分程で症状が発生し主な症状は強烈な吐き気や頭痛、高熱、倦怠感など動けなくなる症状を中心とし三十分もすれば動けなくなり捕食されることが殆どである。遠距離(弱毒)の場合、一見風邪のような症状が流行り、咳などの表面的に出てくる症状は少ないが高熱が出る。弱毒性の内は抗体が体内で形成されこの症状が治り、回復したように見えるが再び症状を繰り返し、段々と体内で作られる抗体よりも強毒になっていきやがては意識を取り戻せない程の高熱や倦怠感を出して死亡する。後者の場合、動く者が居なくなってからヌンドゥが再び訪れ、その肉を捕食し強毒化したものを体内に取り込むことで更に強い疫病を産み出そうとする』

 

 とのことだ。静かにメモを重ねていく。

 そして、重ねていくうちにフと手が止まる。あまりにも似ている。症状を繰り返す(・・・・・・・)意識を取り戻せない程の高熱(・・・・・・・・・・・・・)。これは、今ホグワーツで起きている事と類似しているのではないか(・・・・・・・・・・・・)

 しかし、しかしだ。ソレは明らかに間違っている。ソレが事実なのであればこの付近にヌンドゥが生息している事になる。ホグワーツ内にそんな凶暴な生物が居たのであれば被害はそれだけでは済んでいないだろう。ホグズミード村に住んでいる? それとも禁じられた森に潜んでいる? どちらも違う。前者ではホグワーツの様に風邪が流行っているという話を聞いたことはないし、後者もピーターと森に入ったがフィレンツェはそんなことを言っていなかった。そもそもヌンドゥという生物が禁じられた森に存在しているのであればあまりにも森が静かすぎる。

 

 ホグワーツの付近にヌンドゥは居ない。状況が結論付けている。でも、これであればジュディが元気爆発薬を飲んでも症状が良くならない事にも説明が付く。元々付近にヌンドゥが居なかった。けれど、ホグワーツに誰かがヌンドゥと接近した人物が現れた。その人物が菌を保有していて周囲に広まった。最初は弱毒だったが今まで元気爆発薬で免疫力を底上げしてきた分、それだけ強毒になったのではないか。

 ノラは癒者ではない。勿論医学を学んだわけでもない。細かく言えば違うのかもしれない。誰かが病原体を持っているなんて言い張れるのか? よしんば検査を受けたとしてソレで何も出なかったとしたら? 嘘つきだと石を投げられるかもしれない。被害妄想の激しい子供だと見放されるかもしれない。

 

 でも、でも。仮にそうだとしたら?

 

「どうしたんだい?」

 

 ノラの様子を不審に思ったらしくジェームズが不思議そうな顔でこちらを見詰めてくる。ノラは一瞬話すか戸惑ったが、ヌンドゥの病状とホグワーツで起きている風邪が一致しているように感じた事を口にした。いっそ笑い飛ばしてくれ、と思いながら。たまたま一致していただけでそんな風に焦るだなんてキミもまだまだだね。なぁんて。

 

「……ありかもしれない」

「えっ」

「さて、状況を整理してみよう。誰かがヌンドゥの菌をホグワーツに無自覚で持ち込んだ。最初は弱くて風邪のような症状だったけど元気爆発薬で皆が強い抗体を作り上げたからその分強い菌が作られてしまった。ノラの推理はそういう事なんだろう? 学生はまだコドモで、菌を保有している状態で無自覚で居られる可能性は少ない。それは実際生徒たちを中心に風邪が蔓延している事から理解できる。つまり、保有者はオトナだ」

「……」

「ボクはキミの推理を聞いて一人怪しい人物が思い当っている。──エリオット教授の再現魔法があっただろ? やけにリアルだなって思っていたんだ。あれはあくまで自分の記憶の中にある物を見せる魔法。例えば地理とかだったら写真を見たことがあれば強い想像力があれば動いているように見せる事が出来るだろう。だが、あれだけ鬣が膨れたり吠えたり、色々と細かい描写を見せてくれたのが気になっていたんだ。初回の授業で世界各国を飛び回っていたって言ってたからもしかするとその時に近づきすぎて、本人は無自覚の媒介者(健康保菌者)になっていたのかもしれない」

「でも、やっぱり、それって確実じゃないわよね……」

 

「なに、腸チフスのメアリー(無症候キャリア)が差別される時代は終わった。エリオット教授は適切な処置を受けてまたホグワーツに戻ってこれるさ。それに違う可能性もあるしね。キミが一人で行けないっていうならボクも一緒にいくさ。じゃ、教室の前で待ってみよう」

「でも、まだ、そうだという確証を得られたわけじゃないわ……」

「あーもう、歯切れが悪いな⁉ このボク相手に堂々と『陣営なんてどうでもいい』と言い切ったキミはどこに行ったんだい⁉ 『純血主義を否定する』という確かな未来がある道じゃなくて人に優しくする苦難の道を歩むんだろう⁉ キミの優しさって泥臭くて一直線だったはずじゃないか! それなのに──それなのに、人が苦しんだ後に『そうかと思ってたけど確証が無くて言えませんでした』とか後出しじゃんけんをするつもりか⁉ それともこのジェームズ・ポッターにコソ泥みたいな真似をさせるつもりか⁉ 悪いけどボクは他人の発見をボクの手柄の一つにするつもりはない! キミが調べてキミが書いて、キミが見つけた事だ(・・・・・・・・・)! 例え間違ってた時に怒られるならボクが一緒に怒られてやる! 罵られるなら罵られてやる! 辛い時にこそ隣に居る、その為の友達だろう⁉ そんな友達が隣に居るんだ──もっと堂々としろ!!」

 

 ジェームズの叱咤にノラはハッとする。違うかもしれない。けれどもその違い(経費)によって産まれる犠牲を良しとしたくないのだ。そういう話をしたはずだ。だとするなら出来ることがある。まずはそう、エリオット教授の所に向かわなくては。

 ノラが立ち上がり、ジェームズはそれを見て満足そうに笑った時だった。

 

「誰ェで、すかァッッッ‼‼このッ神聖な図書館でェ騒いでる人間HAァッ‼‼」

 

 と、なんなら誰よりもデカい怒声で女性が一人こちらに近づいてくる。

 

「マダム・ピンス!」

 

 捕まったら間違いなく話を聞いて貰えない。それどころか罰則で誰にも会えなくなるとか、そういう話もあり得るだろう。実際に図書館で騒いでいた生徒がそのままプリングルに引き渡され一週間監禁されていた事態もあったという。

 しかもこの図書館は彼女のテリトリー。逃げる生徒を捕まえる事に関して彼女はとんでもない技術を持っている。本への愛で人間性を捨てているのだ。ちょっとやそっと隠れた程度ではバレてしまうだろう。

 

「──ノラ、静かに」

 

 右手の人差し指を口元に当てながらジェームズは左手を素早くローブのポケットに入れた。そのポケットから出てきたのは布。いや、違うただの布ではない。水を一本一本丁寧に糸にして編み上げたような、そんな布。

 ジェームズの片手が、片足が、布が被ったところが見えずに背景だけが写る。その布が『透明マント』だと気づくより先に、ノラはその布を被せられていた。

 透明マントだという事を理解するには数秒の時間がかかった。まず本来なら十一歳の子供が所持しているにはあまりにも高価すぎる代物だという事。そして、流石のジェームズにとってもこのレベルの魔法道具は最後の切り札といっても過言ではないだろう。彼の普段の行い(悪戯)の何割がバレていない理由がきっとこの秘密(透明マント)である。それをあっさりとノラを護る為に使用したものだ。

 驚いて布の中でジェームズの顔を見ると少し気恥ずかしそうにしたジェームズがはにかみながら親指で図書館の出口を指す。ノラは分かったとコクコク頷きながらジェームズの歩幅に合わせて歩いて行く。裾から足だけ見えました、なんてことになると全ておじゃんになりかねない。

コソコソとヒステリックにぎょろぎょろと周囲を見回す魔女の隣を抜けて図書室の入り口に行く。幸運な事に丁度生徒が出入りしていたのでその後ろから抜け出す。

 

「痛っ! 誰だ。この私の足を踏んだの──おや?」

 

 ジェームズが足を踏んだらしい、不機嫌そうな顔でルシウス・マルフォイが後ろを振り返るも見えておらず黙り込む。わざとらしく咳をして歩き出してしまった。

 

「ヘヘへッ。痛⁉」

 

 どうやらわざとだったらしいのでノラも笑っているジェームズの足を軽く踏んでおく。さっきまでのカッコよさが台無しである。ごめんごめん、とジェームズが謝った後に物陰で透明マントを脱いでポケットにしまい込む。それじゃあ行こう、と闇の魔術に対する防衛術の教室に向かって走る。ちなみにまだマダム・ピンスの叫び声が聞こえていた。

しばらく走った頃だった。突然ホールの向こう側から声が響いてきた。

 

「そこの二人、何をそんなに急いでいるのですか?」

 

 先程のノラの様に山ほどの本を抱えたミネルバが立っている。

 

「……あっ!」

「……げっ!」

 

 二者二様の態度を取りながらノラが勇敢にも──ジェームズはそう思った──そう言った。

 

「マクゴナガル先生! 話があります!」

「話ですか? では今は少し資料の整理があるので放課後にでも時間を取りましょう」

「出来るだけ早く、いや、今が良いです!」

「理由は?」

 

 普段であれば素直にマクゴナガルのいう事を聞くノラが食い下がるのでマクゴナガルは不思議そうに問いかける。

 ジェームズはゴクリと唾を飲む。まだ確証があるわけでもないことをマクゴナガルに伝えると怒られ度ではマダム・ピンスどどっこいかもしれない、という感覚だ。理性があるか無いかの話ではまた変わってくるが。

 

「……ちょっとここでは言えないです」

 

 ジロリ、とマクゴナガルはノラを見詰めて、その後ジェームズを見る。珍しい組み合わせだと言わんばかりに二人の顔を見た後に口を開いた。

 

「分かりました。二人とも、ついていらっしゃい」

 

 クルリと背を向けた驚いたようにジェームズが目を見開いてノラを見る。これが優等生の特権よ、そう返答しながら変身術の教室に入っていく。変身術の教室の横にある書斎に入っていって、マクゴナガルは自分の椅子に座った。

 

「それで、何を急いでいたのです」

「風邪の原因が分かったかもしれないのです」

「……詳しく聞かせてもらいましょう」

 

 再びノラが口を開いて推察を説明する。時折横からジェームズが補足を挟みながら。ミネルバは少し考えこみながらもノラとジェームズの話を相槌を入れながら聞いていく。

 ただの推察、そんなに長い間話すことは無かった。ミネルバは考え込んだ後に頷いた。

 

「これは……此処だけの話ですが。確かに現状ホグワーツにはヌンドゥと関わる環境にある生徒は居ません。仮にヌンドゥの疫病だとすると確かに菌保有者として濃厚なのはアルバートでしょう」

 

ノラとジェームズが『考えが当たっていた』という単純な嬉しさに眼を輝かせているのを一瞥して、口を開く。

 

「この話は一度アルバスに持っていきます」

「えっ。ミス・ファースではなく……?」

「彼の渡航歴を所持しているのはアルバスですから。そちらを確認してからソフィアの方に話が向かうでしょう」

「でもそれだとジュディへの対処が遅れてしまうわ」

「後一日もすれば専門職が揃った聖マンゴに移送する手続きをしています。今ソフィアはそれで手一杯なのです。仮に即座にアルバートだけを検査したとして菌が発見できなかった場合、ヌンドゥの疫病ではないと判断されてしまう可能性があります。検査するのであれば移送したボードマンを筆頭として検査をしていく方が早いのです」

 

 ミネルバの話を聞いたノラは少し胸を撫で下ろす。どちらにしろ、明日にはジュディはしっかりとした医療機関に連れて行ってもらえるのだ。ノラが気づかなくとも立派な癒者がヌンドゥの可能性に気が付いてくれていたのかもしれない。

 

「この話はここだけの話にしてください。同室の子にも親友にも、ベッドの下のネズミにも話してはなりません。ただの風邪ではなく疫病だ、という噂が流れたらホグワーツは休学しなくてはいけません。対応が出来てからの発表と、生徒から無責任に流した噂では混乱度が違う事はあなた達二人なら理解してくれるでしょう」

 

 マクゴナガルは特にジェームズをジッと見ながら話す。そんな様子にジェームズは真っ直ぐにミネルバの眼を見て頷いた。

 

「ここだけの秘密にします」

「私もです」

 

 そんな二人の様子を見て満足そうに微笑んだマクゴナガルはこっそりグリフィンドールとレイブンクローに五点ずつ加点した。

 

 

 

 

「さて、これからどうしようか」

「私はジュディの所に寄っていくわ。あれから三十分経ったもの。本はもう既にマダム・ピンスによって片付けられているだろうし、メモは……燃やされてるわ」

「図書室特別禁則事項第百四十九条『読書席に三十分以上私物を放置していたものは何であろうとその場で処分する』か。乱暴だよなぁ」

「そういえばジェームズは何の本を読んでたの?」

「……あーいや? ボクもレポートに必要な本さ。それじゃあボクもボードマンのお見舞いについて行かせてもらおうかな。どうやらキミとシリウスは癒務室で仲良くなったみたいだしね」

「ビックリしたわ。シリウスが廊下で転がっている時を見た時は──」

 

 他愛もない話をしながらやけに静かな癒務室の扉を開ける。ジュディのような昏睡状態の生徒は居ないが他にも昼間は風邪気味の生徒たちが顔を覗かせているはずなのにこんなに静かなんだな、とか思いながら。

 神聖な静寂の中、白いベットの上に見慣れた茶色のコートが見えた。眠りにきたのかな、でも、そこにジュディが寝ているし、どうしてエリオット教授はジュディの頸に手をかけているんだろう。なんて疑問に思ったのも一瞬。ジェームズが飛び出していた。

 

「──ッ‼」

 

 魔法なんて使わない子供の体当たり。普段だったら揺らぐこともないであろう力の筈が茶色のコートを靡かせながら枯れ草の様に地面に転がる。その衝撃で強く頸を掴まれていたジュディもベッドから転がり落ちる。

 肩で息をしながらジェームズは転がるエリオット教授を睨みつけ、ようやく状況が理解できたノラもジュディを庇いながらエリオット教授に杖を向ける。

 

「何を、していたんだ!」

「……首を絞めていた」

「違う! 僕たちが聞きたいのはそういう事じゃない! 何故ボードマンを殺そうとしていた‼」

「人が人を殺そうとする理由なんて一つだと思う。──幸せの(せい)さ」

 

 今までのジェームズの激情すらも計算に入れた理知的な受け答えをしてきたエリオット教授の像と決定的に何かがズレる。身近な人が殺人をするという衝撃は今頃になってジェームズの体を固まらせる。特に、教師(オトナ)とは生徒(コドモ)にとって何よりも信頼できる先達だから。

 けれどもその信頼は眼前に突き付けられた杖によって打ち砕かれ、エリオットの乾いた唇は容赦なく呪文を謳う。

 

インぺ(服従せ)フリペンド(撃ち落とせ)

 

 ジェームズの斜め後ろから一直線に放たれた呪文がエリオットを数メートル吹き飛ばす。

 

「『目の前から棒を振りかぶってきた方が対処しやすい』最初の授業でそういったのはあなたよ。アルバート・エリオット」

 

 そう言いながらノラは杖を再び振り上げ、その視界の先には吹き飛ばされてピクリとも

せず蹲っているエリオットが居た。怒りのあまり必要以上の追撃をしているのではないだろうか、という疑問がジェームズの頭に浮かぶが、静止する間もなくノラが再度呪文を放つ。

 

インセンディオ(燃やせ)

 

 杖先から炎が無防備なエリオットの胴体に向かって噴出する。

 それを見て、例え殺人未遂犯だろうとも人が目の前で火だるまになるのだけはごめんだ、と自分も杖を取り出し、水を掛けようと口に呪文を載せていたジェームズの体に突如衝撃が響き、くの字に曲がって後方に吹き飛ばされる。

 

「が──ッ⁉」

「ジェームズ! ……っ!」

 

 ノラは一瞬吹き飛ばされたジェームズの方を見ようとするも即座に視線をエリオットに移す。ジェームズの動きはあまりに無防備過ぎた。一見大人しくしているように見えるがその逆。相手はまだ杖を持っている(・・・・・・・・・・・・)。まだ杖十字会でしか戦ったことのないノラの本能が叫んでいる。杖とは武器なり、と。

事実、先程ノラが放った炎は無言防御呪文に阻まれエリオットの髪の毛一本を焦がす事すらも出来ていない。その実力差に歯噛みするとようやくエリオットが口を開く。

 

「……でもさ、君たちって防御呪文すら学んだことはないよね。子供なのにどうやって対処するつもりなんだい?」

「そんな子供相手に大人しくやられたふりをして服従呪文(インペリオ)とは食虫植物みたいな戦法ね。決闘の流儀の欠けらもない」

「ミス・エディソン。そんな厭味も言えたんですね」

「厭味じゃなくて事実じゃない。イモビラス(動くな)!」

「おっと防御呪文(パリィ)っと」

 

 そう言いながらエリオットは丁寧に杖で呪文を拭い取った(・・・・・)。ギデオンが決闘の時にやって十回中六回成功するかしないかをこの局面で行う。つまり、そんな事なんて簡単に行えるのだと目の前で見せつけられた。日頃から気をつけた事はなかったが授業中の様子からしても無言呪文を使えると判断した方がいい。エリオットの表情ではなく、頭が痛くなる程に杖を凝視する。

 緊張で手足の温度を感じられない。しかし思考だけが煮えたぎったように熱い。

 

「ふぅん、何をすればいいのかの察知は早いんだね。生まれながらの決闘者なのかもしれないね」

フィニート(終われ)! ……フィニート(終われ)!」

 

 語りながらも攻撃呪文を止めないエリオットにノラは呪文を終わらせる事だけに集中する。無言呪文で何を放ってきているのかすら分からないのだ。魔力の塊を感じて、それを第六感で受け取り、呪文で終わらせる。終わらせる事だけに集中し、会話を行うなんていう事はできない。防御呪文(プロテゴ)すら扱えない一年生など、その程度しかできないのだ。大人の本気に勝てるわけがない。

 そう一瞬考えた頭を舌を思いっきり噛む事で切り替え、この後どう動けば良いかをシュミレートする。このまま呪文を終わらせている事にも限界が来る。どんな魔法が飛んできているのか分からない以上、一つ一つの呪文を丁寧に、かつ魔力を潤沢に使いながら切り上げるしかない。

 呪文だけで相手にはできない、かといって目も離せない。

 そう判断したノラは近くにある水色の衝立を蹴り転がす。キャスター付きで助かった。子供の腕力だったら数メートル離れているエリオットにまで絶対に届かない。物を使いちょこまかと動き回って魔法を撃たせつつ魔力切れを狙うしかノラには出来る手段がない。

 

「と、考えているんでしょう。──でも、それって私の目標じゃないんですよ」

 

 エリオットは杖先をふいとノラから外すと倒れ込んだまま目を覚まさぬジュディの方に杖を向ける。意図を察知したノラは慌てて遮蔽物から飛び出してジュディの元に駆け寄ろうとするが、その行動は致命的に遅い。

そもそも、遮蔽物の後ろに居る事自体が一呼吸(魔法)分のアドバンテージであった事に彼女は気づかない。

 

「次からは相手が何を目的にしているかを確認しながら戦いを挑みましょう。次があれば、ですけど」

 

 そういって放たれた魔法はジュディ──ではなく、ノラにぶち当たる。身体の感覚が電源を落としたテレビの様に止まり、石のように固まって動けない。指先一つどころか瞬き一つできずに立ち尽くす。幸いにも呼吸はできているようだが胸の上下が出来ない為酷く呼吸が苦しい。判断を間違った、という事に気が付いたのはバランスを崩して床に倒れた時だった。

 もっと言葉を引き出すべきだった。大人の魔法使いと子供の魔法使いで戦いが成立するわけがない。魔法戦闘において知識とは直結した力になるのだから。会話を引き伸ばしながら大きな音でも立てて誰かが来ることを待つべきだったのだ。石化しながら自身の判断を後悔するも、もう遅い。

 

「……」

 

 エリオットは死んだ蟲の様に床に転がったノラなど興味がないと言わんばかりに一瞥もせずに転がった衝立を踏みつけて歩く。その妙に堂々とした態度と反して虚ろな表情を浮かべてジュディの元に近づいていく。

 やめてと叫ぼうとしたのに口から音の一つすら出てこない。止めたくて止めたくて堪らないのに手の一つも動かせない。悔しくて悔しくて死んでしまいそうなのにそれすらもできない。

 エリオットの手が再びジュディに伸びる。杖をポケットの中にしまいこみ、肩の力を抜いて今度こそは絶対に誰にも邪魔をされないという確信を抱く、そして脳内は再び幸福に満たされ──。

 

「させるかッ‼」

 

 叫んだのは最初に吹き飛ばされたジェームズだった。頭から血を流しながら彼は杖ではなくポケットから取り出したキャンディーを投げつける。どこからどう見ても子供の癇癪だ。

 そう判断したエリオットは特に意識すらせずに、歩を進め──られなかった。

 

「な……に!」

 

 ポンッと可愛らしい爆発音が鳴ったかと思うと同時に白と黄色の混じった粘ついた飴のような液体がエリオットの全身を襲い動きが制限される。その動き辛さは服を着たままで水の中──いや、飴の中に居るような感覚だ。

 杖を取り出すにはその液体を取り除かなくてはならない。だがその液体を取り除くにも杖が必要だ。グルグルと回る解決策の模索にエリオットの体が止まる。

 

エクスペリアームス(武器を手放せ)!」

 

 今度こそ間違いを犯さないようにとジェームズは真っ直ぐエリオットに杖を向けて武装解除呪文を使用する。エリオットの杖ポケットから無理矢理杖が飛び出し、その反動でエリオットは地面に転がり込む。まるで普通の授業の時のように平然とした歩きでジェームズはエリオットに近づき、もう一つ同じキャンディ──煙幕式とりもちを取り出して子供の癇癪の様に投げて見せる。二重に動けなくなったエリオットはじたばたした後諦めたようにカクン、と力を抜いた。

 その一連の流れを瞬き一つせずに見つめていたノラは安堵する。エリオットは少なくともあのベトベトが邪魔をして起き上がれそうにない。ひとまずの危機は過ぎ去ったのだ。呼吸が上等に出来ていれば間違いなく大きなため息をついていただろう。

 

 ジェームズはノラとジュディを見た後、先にジュディに駆け寄る。伝わらないだろうが心の中でジェームズに感謝の気持ちを送る。ノラはただの石化呪文だ。終わら(フィニート)せればなんて言う事もない。だが、ジュディはそもそも体調が悪い上にエリオット教授に殺されかけている。間違いなくジュディの方が重症だし、なんなら頭から血を流しているジェームズの方がノラより具合が悪いだろう。

 

「ボードマン。大丈夫かい?」

 

 ジェームズが声を掛けるも相変わらずジュディは目を覚まさずに昏々と眠り続けている。ジェームズがジュディに息がある事を確認してノラに合図を送る。薬が効いているのかもしれない。

 ジェームズがジュディを戦闘の余波が無いところに運ぶのを見ながらノラは考える。どうにも違和感が残るのだ。

 例えばそう、エリオットがなぜジュディを殺そうとしたのか、と。

 ノラとジェームズの推理が正しかったのだと仮定して、それはあくまでも無意識の感染である。ヌンドゥの疫病は今では治療薬も作られているし、保菌者を差別する風潮は既に過ぎ去っている。強い菌を持っているからと言ってジュディを殺す意味が考えられないのだ。

 最初に突き飛ばされた時のように既に萎れた枯れ木の様に地面に転がるエリオットに眼を向ける。

 

 やりたかった事(殺人)を成し遂げていないにも関わらず、顔だけはニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべている事に強い違和感を抱く。全てを諦めてしまっているのだろうか。えにも言えぬ寒気がノラを襲う。

 ジュディを運んでしまったジェームズがこちらに向かって杖を振る。

 

フィニー(終わ)ステューピファイ(失神してなさい)

 

 ジェームズの呪文が言い終わるよりも先に誰かの呪文がジェームズに当たる。グラリ、と体の制御を失ったジェームズは地面に倒れ込んでしまう。エリオットは相変わらずとりもちに反抗もせずに病的な笑顔で濁っている。では──誰が?

 

「こんばんわぁ、エディソンさん」

 

 この癒務室の主。ソフィア・ファースがそこに立っていた。

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