エンゼルランプの天籟   作:星の海1961

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一等星は、静かに揺れる

 さて今年も入学式が終わってから数週間後に始まるこの授業である。言わずとも分かる箒の授業。しかし相も変わらずノラの箒は上がらず、ミサイルの如く射出され、マーサの腰を直撃した事でマダム・フーチはノラにこう指示をした。

 

「採取」

 

 と、いうのも箒に死ぬほど拒否されてしまうノラは手入れ用の薬草を取りに行くことで乗る事を免除してもらったのである。──というより免除せざるを得なかったのだ。授業を受けている三分の二の生徒がノラの箒により打倒されたことを考えると当然の結論とも言える。

 シワシワのパフスケインよろしくの顔でトボトボと歩いて温室まで歩いて向かう。

 モリーに教えて貰った秘密の木の、一番奥の若々しい木の下にその薬草は沢山ある。一つ一つ丁寧に摘んでその上から水をかけていく。

 そんな作業をしているとカツ、カツ、カツ。と正確で一周回って小気味よい足音がだんだんと近づいてきて、そのローブが目に入りノラは顔を上げる。

 

「──」

 

 ノラの言葉を失ったことが視覚で理解させられ、見惚れる、などという言葉じゃ表せない程に押しつぶされる。瞳があった一瞬の視線でノラは魂ごと吸い込まれるような錯覚に陥る。

 彼の髪は漆黒の絹糸の様に艶やかで、完璧なまでに綺麗に切りそろえられ、眉間に落ちるように流れている。温室の中のわずかな光を受けて輝きを放ちながら。その下に現われる眉はまるで墨を一筆で書いたように細く鋭く、それでいて優美な弧を描いている。

 灰色の瞳は、霧に包まれた神秘の森のように美しく、深く引き込まれる程の魅力を湛える。まつげは長く、上向きに反り返り、瞬きする度に瞳の周りに陰の羽を広げる。

 鼻筋は高く、細く。完璧な曲線を描いては唇に降りていく。肌は純白の雪の様に滑らかで、頬と唇にだけ淡い桜色が優しく染まっている。唇は薄く、形があまりにも整っている為、まるで誰かが緋色の絵の具を一滴だけ落としたように見えた。それらは完璧な調和を成し、まるで神話の彫像が息を吹き返したようだ。

 

 骨格は少年らしい細やかさを残し、全体的に小柄ながらも筋肉はしなやかに張り詰め、触れれば壊れそうな儚さを感じるのに静かな力強さを秘めていた。彼の存在は夜の静寂に咲き月明かりが照らす一輪の花のように、息をのむ程の美しさを放っていた。

 端的に言うと、美少年がそこに立っていた。少年は少しその灰色の瞳を細めて怒ったようにも見える表情で口を開く。

 

「そこ、使います」

「あ、うん。ごめんなさい」

 

 重心がわずかにずれた。後ろへ倒れそうになった瞬間、

 

「あ」

 

 その声と同時に、少年の手が伸びた。──次の瞬間、二人は水槽へと落ちていた。

 バシャンと派手な音を響かせながら沈みこむ。小さいとはいえ足の着かない水の中で水泳など習っていないノラはただばたばたと沈んでいく。運動神経の良さも水中に初めて潜ってみたら意味がない。

 飲んでしまった水の痛みは普段飲む水とは大違い。喉に針を刺されたような痛みすら感じる。もうだめ、と思って視界の端に窓を見ながら意識を手放しかけた時、誰かに手を掴まれた。

 二人して打ち上げられた魚の様に転がって咳き込みと酸素の補給を肩を上下にしながら繰り返す。

 

「ごめんなさい。助かったわ」

 

 少年は聞こえているのか聞こえていないのか、返事をせずに立ち上がる。灰色の瞳が確かにノラの瞳を捉えた。この時、気のせいだろうが、錯覚だろうが、懐かしい感覚だろうか。なんにせよ、音が止まり、視界が止まり、世界が止まった瞬間だった。しかし少年はパチリと一度瞬きをしてから立ち上がる。

 

「大丈夫ですか?」

「──えぇ、ありがとう」

 

 ノラが少年に差し伸べられた手を掴もうと手を伸ばす。

 確かに手が触れたその瞬間、少年は飛び退るように二歩、下がった。

 

「痛っ」

「え、あっ」

 

 その一言だけで何が起こったのかを理解したノラは顔からサッと血の気が引いたのを感じる。まず確認すべきは怪我の程度。治癒はマダム・ポンフリーに任せるべきだ。二年生の自分が軽率に治癒呪文(エピスキー)を使うわけにはいかない。次に濡れた服。これなら何とかなる。服を乾かさなければ。少年に杖を一振り、自分に二振り。少年は驚いたような顔つきでノラを見つめる。女子はこういう呪文の習得は早いのだ。

 

「医務室に行きましょう。どこが悪くなってるのか正確に私には分からないから」

 

 そういうとノラはサッと少年を抱きかかえて、走り出そう、と一歩踏み込んだ時だった。

 

「ちょっと待ってください。恥ずかしいです」

 

 抱きかかえられて走る様子を見られたら恥ずかしいです、と再度少年は呟いた。その言葉に納得しながらノラは少年を足から下ろす。

 

「じゃあせめて医務室まで付き合わせてちょうだい」

「えぇ、それぐらいは付き合ってもらいたいです」

「分かったわ。じゃあ、同行者の名前をお伝えしておくわね。私はノラ。ノラ・エディソン。気軽にノラって呼んでくれるとうれしいわ、よろしくね!」

「僕はあなたの事を知っています。無駄な工程では?」

「それでも自己紹介は自分でしないとね。だって自己の紹介だもの。──だから君の名前も教えて欲しいわ」

 

 少年の言葉を歌うように言葉を返すノラに少年は口を数度困ったように動かしてから桃色の口を開く。そして、静かに彼の名を告げる。

 

「レギュラス」

 

 たった五つの音が、胸の奥へ静かに落ちてくる。まるで、長く忘れられていた祈りのように。

 

「レギュラス・アークタルス・ブラックです」

 

 なるほど。と思ってしまった。彼の美しさにはこの名しかあり得ない。

 銀の灰の瞳に宿るべき名、雪と桜を同時に宿した頬に相応しい名、それはどうしても惹かれてしまう、ただ一つの名。

 

「よければレギュラスと呼んでください」

「……えぇ、レギュラス!これからよろしく」

 

 と自己紹介を終えて二人は道を進んでいく。

 

 

 

 迷子にならないように、と少し先に歩きだす。出会いは運命的なものではなく、ちょっと変なシチュエーションで始まった。

 この少年は本当にしっかりとしている。少し会話しているだけでもそれは伝わってきた。

 何気ない動作に、まるで無駄というものが存在しない。足が地面を捉える瞬間、踵からつま先へと重心が滑るように移り、静かだ。すっと伸びた背中から伸びた背筋は水平を保ち、腕は身体の横を離れる事なく、スッと前にでてピタリと次の位置で止まる。その軌跡は誰かが見えない糸で操っているかのように正確で、優雅で、美しい。

 足音はまるで時計の秒針が刻むが如く、きっかり等間隔で響く。カツ、カツ、カツ。決して大きくないのに澄みきった余韻を残して廊下に届く。

 それは規則正しいだけでなく、まるで楽譜に記された音符そのものの様に完璧な拍を刻んでいる。

 

「学校はどう? 授業に入ってまだ数週間だけど学校には慣れた?」

「えぇ、まぁ。それなりには慣れました」

「入学してから楽しみにしていた授業はあったの?」

「そうですね、家である程度の教育は受けてますので。基本的に期待通りでした」

「基本的って事はどれか楽しい授業があったってことかしら?」

「逆です。期待はずれが幾つか」

「……うん。そういう事もあるわよね。私も幾つか苦手な授業があるわ」

「へぇ、エディソン先輩が苦手な科目とかあるんですね」

「そうね、例えば……箒の授業とか! 私、箒の授業本当にダメなのよ」

「当たり前です。箒が最悪の品質ですから。まさか学校の箒がここまで劣悪なものとは思いませんでした。三十年前のモデルだというのに信じられない。けれど既に倒産しているから修理も頼めない。最も安い量産型とはいえ、これならオークシャフト79の方がずっとマシで……」

 

 急にピタリと黙り足を止めるレギュラスの顔を覗き込む。

 

「どうしたの?」

 

 問いかけるものの先ほどまでそれなりに話してくれていたレギュラスは話さない。開くつもりはありませんよと見るだけで伝わるような真一文字に閉じられた口をジッとノラは見つめる。なにが気になったのだろう、と思いつつノラが会話の主導権を得る事になったのでとりあえず話を箒に戻してみる

 

「箒の話をしてくれてありがとう。私箒の授業が下手だから箒の話を聞けるのは楽しいわ。あまりにも下手だから手入れ用の葉っぱを……あっ、忘れてたわ……罰則にならなければいいのだけれど」

 

 しまった、思わず箒の話に没頭していた。とレギュラスが感じたのはだいぶ後だった。会話のキャッチボールに失敗したので嫌がられていないかと考えるも、特にその様子はないようだ。

 別に彼女を気遣ってというわけではない。単純な話だ。彼女に取り入ろうとしている。ブラック家である自分が取り入る、という事はとても腹立たしい事だが目の前の少女は近づいて損のない存在だ。問題は純血主義を否定はしないものの肯定もしない、という事だ。しかし、それも仲良くなれば話を合わせる為に純血主義に転ぶ可能性もある。加え成績が良い為そちらの面でも役に立つ。

 

「レギュラス。ねぇ! レギュラス!」

 

 彼女の問いかけで顔を上げる。気が付けば医務室の前だ。

 しまった特別な存在になるどころの話ではない。

 思考の中に閉じこもってしまった。と思ったがノラは気にしていない様子でレギュラスの事を見つめている。その空色の瞳に囚われてしまいそうで思わず目を逸らす。

 

「ありがとうございます。エディソン先輩」

「いいえ、原因は私だもの」

 

 そう言いながらノラは医務室の中にレギュラスの手を取って連れていく。もうここまで来たからいいのに、と思いながらレギュラスは医務室の中に入っていった。

 

「ミス・エディソン。あなたまたきたの?」

「マダム・ポンフリー。それだと私が医務室の常連みたいに聞こえるような」

「実質的に常連です。この前顔から腕を何十本も生えた生徒を連れて来たじゃないですか」

「私もあの時は心臓が止まりかけましたよ。なんでしたっけ、仏教でしたっけ? 千手観音? みたいになっていたので」

 

 それより、とノラはレギュラスを手で指しながら言葉を続ける。

 

「一年生のレギュラスです。彼、腕をひねってしまったみたいで」

「捻っただけですか? 骨がゴムになってたり、花になっていたり……はしないようですね。よかった。それぐらいなら魔法薬を飲めば十秒で治ります。そこに座って待ってなさい」

 

 マダム・ポンフリーの言葉にレギュラスとノラは従ってこの間にこの後に訪れるレギュラスの口内の事を考えて紅茶を淹れる。紫色にゴボゴボと音を立ててやってきた魔法薬をすごくイヤそうな顔をしながらレギュラスは飲み干した後、紅茶を受け取りその味を誤魔化すように飲み干した。

 

「どうですか?」

「痛みは消えましたが──なんだか違和感が残ってます」

「これで完治したと思うのですが……。まぁ、個人差がありますからね。一応包帯を巻いておきましょう」

 

 包帯を巻き終えると同時に膝の下がなくなった生徒が担ぎ込まれたおかげで治療を終えたと言わんばかりに二人とも首根っこを掴んで医務室の外にポイと放り投げられる。

 

「ちょっと乱暴なのよね」

「治療第一とは聞いていますから」

 

 二人で顔を見合わせてマダム・ポンフリーの感想を言い合う。

 

「そういえば腕のほう、違和感があるの?」

「えぇ、しばらく文字の書き取りは控えた方がいいかと」

「入学したばかりでそれは良くないわね」

「……そうだ。エディソン先輩」

 

 今日一番の笑顔を見せてレギュラスは口を開く。

 

「僕に勉強を教えてください」

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