口に広がる濃厚な生クリーム。ただ単に甘いだけじゃない。そこに重なるチョコレートの風味が、甘さをさらに強めている。チョコスポンジの間に挟まる同じ生クリームにイチゴやバナナ等のフルーツたち。仕上げに乗せられたブルーベリーが、味をきゅっと引き締めていた。それに対して紅茶のパッション・アイランドは甘酸っぱい爽やかな風味で口の中に残った甘ったるさを流し込んでくれる。
まさに幸せの一時である。
スッとナイフを滑らせフォークで掬い口の中に納めていく様は小さな一口でお上品な食べ方ではあるものの、その食べている量は尋常ではない。皿はもう五枚を超えようとしている。その光景を見てレギュラスは呆気にとられる。自分が口を半開きにしていることにも、気づいていなかった
「……ん、どうしたの?」
ケーキを飲み込んでからノラがそんな様子のレギュラスに問い掛けた。
「……いえ、別に」
「別に、という顔はしていなかったけれど。お腹でも痛い?」
「痛くありません」
ノラの言葉にレギュラスははっきりと否定で返す。なにか違和感があるかな? と部屋の中をキョロキョロして自身の皿に目が行く。ケーキをほおばって五つ目の皿だ。
「もしかして、食べ過ぎって思った?」
レギュラスはノラの疑問に黙り込むことで返事をした。
「これは立派な糖分補給よ。勉強した後は糖分補給が大事だもの」
「それにしても食べ過ぎでは?」
「今日は実技の魔法が多かったからいつでも魔法が使えるようにしておかなくっちゃ。これも立派な魔法の練習よ。……本当だから!」
レギュラスの疑う目から逃れる為かノラはぷいと顔を背けた。
「私はいつも運動してるから太らないの」
「太る太らないの話ではありません。健康に悪いという話です」
「う、ぐうの音も出ない。……このお皿が食べ終わったらやめる事にするわ」
ノラは少し行儀の悪い手つきでケーキを突きながら答えた。ぷんすこ、と効果音が聞こえてきそうな程に一気にへそを曲げるノラにレギュラスはふっと微笑んだ。
それから、口を押える。自分が何故微笑んだのかが理解できない。今のは面白いことなど何もないのに。
ホグワーツに来て、この数か月間面白いことなど特になかった。授業は
授業の範囲外はノラに教えてもらい同学年より更に同級生から知識量はかけ離れていく。純血の一族も落ちたものだと自室で一人頭を抱えて寝る生活。クリーチャーも居ないのに、楽しいことなど一つもなかった。
それなのにそんな自分が微笑んだ? レギュラスの脳内に疑問符が飛び交う。なぜ? どうして?
レギュラスにはそんな自分の気持ちが分からなかった。かつて、確かに持っていた気もするが最近はもう、どこかに行ってしまった感情。
そんな疑問に気が付いていないのかレギュラスを見た後に、壁に掛けてあった時計を見てノラはカバンを掴んで立ち上がる。
「そろそろ夕食の時間よね、大広間に行きましょう」
まだ食べるんですか。という疑問を飲み込んでレギュラスはそうですねと同意を示す。そうはいっても少し早いので闇の魔術に対する防衛術の塔を通って中庭を歩く。中庭の景色自体は雪が積もって綺麗なものでノラがふと噴水の方に足を向ける。
「寒いわ。そういえばレギュラスってどこの出身なの?」
「僕はロンドンの出身です」
「私はライ、二人して寒いのは苦手ね」
そんなとりとめのない談話をしながら二人で歩いているとゴンゴンと変な音がしている事に気が付いた。
「何の音かしら」
ノラはそう言いながら音の元に行こうと歩き出す。余計なトラブルに巻き込まれなければいいのだが。そう思いながらレギュラスはノラの後を追いかける。
その音は中庭の、冷たい水が飛び散る噴水に頭を打ち付ける音だった。
「ラビット! やめて。やめて!」
音の正体を見たノラが悲鳴のような声を聴いて駆け出す。レギュラスもその様子を見て少し黙り込んだ。
一人の屋敷しもべ妖精が、噴水の端から跳ねた水のように、血が飛び散る程頭を打ち付けて尚飽き足らず一人で噴水に地面を打ち付けている。彼女の体には雪が積もっており、どれほどこの場所に居たのかを物語っていた。
「わたくしは、わたくし、を罰さな、ければいけない、のですと現、状をお嬢……様に伝えラ、ピ」
「もう良い! もう良いわ‼ 命令よ! やなさい!」
その言葉に立ち上がろうとした屋敷しもべ妖精はクラリと倒れる。ノラは雪の中ローブを流れるように脱いでラビットに被せた。
「レギュラス、ごめん。カバンお願い」
その場にカバンを投げ捨てローブで抱きかかえて大広間の方に駆けていってしまった。待ってください、という暇もなく階段をそれこそウサギの様に飛び跳ねて行く姿を見て素直にカバンを持ち上げる。
「……」
先程の屋敷しもべ妖精に誰かの姿を重ねて眉を顰める。命令でも、義務でもない。ノラはただ「助ける」という選択を、躊躇なく選んだ。
その事実が、レギュラスの胸を小さく締めつけた。
「どいて、ごめんなさい。どいてちょうだい」
暖炉の前で身を寄せ合っていた生徒たちを押し分け、ノラは迷いなく前へ進んだ。
「オリヴィア、寒い中ごめんなさい。マダム・ポンフリーを呼んできて。頭を打って、出血しているの。お願い」
「アイザック、湯たんぽを貸して。ありがとう」
「ヴィクター、そこのナフキンを。違う、テーブルクロスじゃないわ──そう、その新しいナフキン。ありがとう」
一人ずつ指示を飛ばしながら、寒さを気にする様子もなく自分のカーディガンを血に染まるのも構わず屋敷しもべ妖精の身体に掛けた。その頭をナフキンで押さえる姿に、周囲の生徒たちは言葉を失った。
「カバン、持ってきました」
「ありがとうレギュラス。ラビット、大丈夫、もう少しでマダム・ポンフリーが来るわ」
レギュラスはどうしたものかと横で考える。集まってきた生徒を押しのけて前に来た以上何かをしなくてはノラへの印象が悪い。ここで何もしなければ、きっと後悔する。その後悔がどんな形をしているのか、彼自身にも分からなかったが、
ただ、ノラの視線を受け取ったままでいることだけは、耐えられなかった。
「どきなさい! 何事ですかミス・エディソン──」
周囲の生徒を数人まとめて空中に弾き飛ばしながら、マダム・ポンフリーが現れた。泣きそうなノラの膝に抱えられたラビットを見て、彼女は一瞬で状況を理解する。
「さぁ、大丈夫。大丈夫ですから。セーターは借りたままにしますよ。良い判断です」
「死なないでぇ! 死なないでよぉ! せっかく生きてるのに! せっかく助かったのに!」
「酷いです神様!酷い‼ この子死んだらアタシもう神様に手を合わせません‼」
「ちょっと静かにしろよ! まだ治療してるだろうが‼ 口にパフスケイン詰めてやる‼」
ノラはマダム・ポンフリーの指示を聞いて、頭の下に袖を敷いて枕にしながらマダム・ポンフリーからレギュラスの方に離れる。レギュラスが背中を摩ってやるとノラは自分の方に体を寄せてきた。むしろ取り乱していたのは、周囲の生徒たちだった。
マダム・ポンフリーは小さな屋敷しもべ妖精の頭の上に天使の輪を浮かび上がらせる。ノラの頭を診たときと同じだ。
「ギャァァァッ‼ 何するんですか先生‼」
「いくらなんでも早いです天使の輪は‼」
「まだ死んでないのにもう天使の輪を浮かび上がらせるなんて早すぎやしないか‼」
「やかましいッッッ‼‼」
生徒たちの悲鳴を誰よりもデカい声でマダム・ポンフリーが一喝して黙らせながら光を上から下へと動かしていく。ノラの時は頭部だけだったが今回は全身を診ている。
「出血が酷い、体温の低下、えぇ、これは
そういうと一番近くにあったベンチを呼び寄せて担架に変化させる。ふわりと体を浮かせて担架に乗せると走って癒務室に登って行った。
ようやく緊張の糸が解けたのだろう。ノラがペタリ、と座り込む。その姿は実に酷いものだった。冬にかかわらず血濡れのワイシャツ一枚とスカートだけ。レギュラスも同じく床に捨てられたローブと持っていかれたセーター。
その姿を見た生徒たちは、言葉もなく次々とローブを被せていった。十二単の様になっている後ろでサムズアップしている生徒たちにありがとう、とノラは声を掛けた。その横でレギュラスは小さく頭を下げる。誰が着せたのか、これじゃマグル生まれかどうかも分からない。
重い……! と呻きながらノラが立ち上がろうとするのをよいしょ、と皆で体を起こす。誰のせいでこんなに重たくなったのかは理解していないみたいだ。キャッキャとノラとハイタッチしている。レギュラスも左右から肘で押されているせいで体が揺れている。重い。
誰も命令していない。それでも人は集まり、手を差し出す。そんな光景を、レギュラスは初めて見た。
そうして、しばらく経った後、誰かが呟いた。
「乾かせばいいんじゃないか?」
コーッと音がして濡れたローブが乾かされ、二人の手元に綺麗に乾いたローブが手渡される。生徒たちは各々勝手に自分の寮のローブをレギュラスとノラから剥ぎ取った。レギュラスが今着ているローブが誰のものなのかさっぱり分からない。
あまりにも適当に剥ぎ取って着た為、ブカブカになって地面に裾を付けている生徒やローブがパツパツで今にも引きちぎれそうな──何故か制服ごと引きちぎれるいう大事件の発生である。慌てたようなどこか歓喜したような女子生徒の叫び声が聞こえるも、これを好機と見た男子生徒が
ノラとレギュラスを中心に行われるあんまりな出来事達に思わず絶句しているレギュラスにノラが笑いかけるので硬い笑顔で答える。
「なにをしているの?」
不機嫌そうな顔をしてローズベルトが現れ周囲が一気にシンッと静かになる。彼女がノラを嫌っているのは周知の事実だ。ノラを見つけ親の敵を見る様に睨んでいる。
「またエディソンが──」
「先生、見てください僕の筋肉を」
そっと生徒たちがノラとレギュラスを見せないように立ちふさがる。どうしても
「行くわよ」
手を引っ張られながら再びレギュラスは玄関ホールに連れていかれる。ローブの温もりは、確かにそこにあった。それが善意なのか、無知なのか、あるいはただの優しさなのか、レギュラスにはまだ分からない。
それでも──なぜか手放す気には、なれなかった。