ローズベルトの闇の魔術に対する防衛術の授業は、ある日を境に露骨に方向を変えた。闇の魔法生物で弄るよりも、より実践的な方法で行う事に決めたらしい。
もちろん、それでノラへの執着が消えたわけではない。むしろ、その矛先はより露骨に彼女へ向けられた。
「こうしてインセンディオを使う事によって敵に永続的なダメージを受けさせることが出来ます。日常で使う魔法も攻撃に使う事が出来ます。ではミス・エディソン。インセンディオのみを使用した模擬戦を行おうと思います。前に出るように」
「……はい、ローズベルト教授」
出ろと言われたら出るしかない。が、ノラの安心材料としてはローズベルトの方が連戦連敗である、ということだ。実際に格上の魔法生物や大人と戦ったことのあるノラとでは圧倒的に経験値が違う。二年生でありながら身体強化という戦闘特化の魔法を使いこなす時点で、覚悟の質が違っていた。
しかし、ローズベルトはもはや意地だけでノラとの模擬戦闘を行っていた。これを失えば、ノラに手を出す口実が完全に消える。しかし、基礎呪文ですらノラの杖先に捻り取られてしまうのだから、どうしようもない。
癪に障る事だがローズベルトはどのような状況下であればノラに勝てるかを考えた。これ以上の生徒の前での失態は許されない。ちなみに、ノラを痛めつけようとする事を止めることは彼女の頭の中には存在していない。
自分の不幸は全てノラという存在から産まれているとローズベルトは確信していた。
そしてその結論は使用できる魔法はインセンディオのみという状況。基礎呪文を使わないインセンディオであれば二年生の他の生徒に教える価値はあるし、加え、この闇の魔術に対する防衛術は闇の魔法使いとの戦闘も頭に入れて動かせる。たとえそれでノラが傷ついたとしてもフリットウィックは問題に出来ない。
これなら十分に勝機があるとローズベルトは確信している。インセンディオしか使えない制限があれば負けるはずがない。インセンディオの有効距離はおよそ二メートル。大人である自分には、子供にはないリーチがある。今度こそ、今度こそ勝てる。
決闘用の台に登り、向き合って一礼。満月の前まで離れて──
「一、二、三」
ローズベルトは大股でノラに迫り杖を振る、その歩みは大きく二歩。この狭い闇の魔術に対する防衛術の教室であれば十分にノラに近づける。事実、ノラは距離を詰めようとしたのだろう一歩ローズベルトに近寄った。
ローズベルトの計画通りである。大気を割るは杖から吐き出される焔。小さな人影は間違いなくローズベルトの視界の中にあった。
確実にノラを仕留めた筈だ。だが──不自然な程、手応えがなかった。
気が付くとインセンディオの範囲内に居た筈の小さな少女は、自分の後ろに居て、自分の背中に杖を突きつけていた。振り向いて視界でも確認する。目の前に居たはずの少女は動揺一つ無く、平然とした様子で杖を
「インセンディオは使いたくありません。先生」
周囲からしてみると流石ノラだと言わんばかりの動きに歓声を上げた。ジェームズなど、どこから取り出したのかクラッカーを鳴らしている。
理屈は単純だった。大きな相手ほど、小さな影を見誤る。車に乗っている時のバイクなどの錯覚と同じ事。近くに居るのに遠くいるように見える。大人である自分には、子供にはない間合いがある。そう思っていたローズベルトが大股で二歩進んだ間、ノラ自身も力強く一歩前に出た。その距離はローズベルトが抱いているよりも近い。そして近ければ近い程杖の動きはハッキリと見える。
突き出されていた
これが
理論ではなく、実戦で積み重ねた経験と胆力。それこそが、ローズベルトの想定になかったものだった。
変わらず教室は生徒たちの歓声に包まれている。ヒューと口笛が吹かれ頭の上で両手を叩いている。
それでもノラはピクリとも動かない。ローズベルトは杖を握ったままだ。ノラは先日の頬を叩かれた出来事が脳裏をよぎる。杖を構えたままの彼女を背にするには、あまりにも不安が大きかった。
赤いコートに白色のベルト。その背中から杖を離せない。ノラの不安は
「……杖を降ろしなさい。ミス・エディソン」
「……」
視界の隅でリリーが杖を降ろすようにジェスチャーをしているのが見えた。代わりに彼女が杖を握っている。
のであれば、何かあれば対処してくれるのだろう。杖を降ろしてそのまま前を向いたまま決闘台の上から降りる。
そうしてようやくローズベルトは杖を降ろして俯きながら授業の解散を告げる。ノラとリリーは相変わらず警戒を怠りず杖をローブの中で握ったまま最後尾に着く。そうした慎重さこそが、ローズベルトの神経を逆なでしているとも知らずに。
扉を閉めてやっとホッとする。リリーの動きに感謝を述べるべきだ。
「インセンディオが当たったらどうしようかって私ずっと考えていたの。あの火力だと火傷で済まないでしょう? もう、ローブの下でウィゲンウェルド薬ずっと握ってたの。ほら、触ってみて」
「本当ね。ウィゲンウェルド薬が温かくなっちゃってるわ」
リリーとそんな会話をしながら大広間に向かって歩いて行く。お昼の時間だ。授業が早く終わったので少しゆっくりした時間を過ごせそうだ。
「ウィゲンウェルド薬常備しようかしら」
「少なくとも
「でも私、魔法薬の作り方は頭に入っているのだけれど、まだウィッグウェルド薬の調合に自信がなくて……」
「あら、目の前に魔法薬の天才が居るじゃない」
「もしかして、手伝ってくれるの⁉」
ノラはリリーの言葉に目を輝かせながら喜ぶ。
「勿論よ。友達が困っていたら助けるわ」
「リリー! ありがとう!」
そうしてノラの一日は何事もなく続いていき、ローズベルトの怒りだけが、そこから取り残された。
ようやくクリスマスを迎えたというのに、ジュディはこの屋敷をあまり好きになれないと感じていた。
お呼ばれしておいて文句を言うわけではないが、全体的に寒々しい。ジャージに着替える。顔を洗おうと洗面台の前に来たが、冬の冷たい水が否応なくジュディの意識を現実へ引き戻す。
「うっわ、寒」
廊下に出てジュディは呟いた。屋敷が広いだけあって暖房というものが行き届かない。冬に来る場所としては、正直なところ最悪の部類だった。加えて屋敷の中の家具は驚くほど丁寧に手入れされているがその分だけ、生活感というものが無い。アンティークバザーに出せば相当な値が付きそうだが、流石に他人の家の家具を売り払うわけにはいかない。
豪奢であることが、必ずしも快適さに繋がるわけではない──ジュディは身をもって思い知った。
しかもこの屋敷はノラとそのメイド、ステフの二人きりで過ごしている。今はジュディが遊びに来ているものの、それでも三名。どうしても寂しさの方が前に出てくる。
同級生百五十人ほどが集まって、ようやく釣り合うのではないか。そんな広さと静けさだった。ホグワーツの内部が如何に生徒たちによって暖かいものにしているのかを、痛い程理解させてくる。
そんな極寒の寒さと寂しさの中、談話室の扉を開く。流石に談話室は温かく、中で太陽の様に笑顔を振りまく少女が居た。今年も相変わらずプレゼントに囲まれている。ホグワーツの生徒や卒業生だけではなく、ホグワーツに入学している生徒の親や親戚からも届いている。きっと、あのヌンドゥの事件の影響なのだろうと、ジュディはぼんやり考える。
「おはよう、ジュディ!」
「あぁ、おはよう」
ノラの挨拶に返事をしながら地面に座り込んでいる隣に胡坐を掻いて座る。
「んで、これが
ジュディはノラが持っているノートを指さす。黒い皮で出来ており、装飾はほとんど無くシンプルだ。ぱっと見普通のノートだが、ノラの喜びようはまた別物だ。
「そうなの! ノートなのだけれど、他の人が開けると白紙になって、破れや自損は勝手に修復するし、書き損じた文字は一定時間で勝手に消えるらしいわ」
「誰にも覗かれず、壊れず、けれど束縛はしない、ねぇ……。それ自分が欲しいプレゼントなんじゃないか」
「それを私に渡してくれるの、凄くありがたいわ。まるでレギュラスみたいなノートって大事にするわ」
「どうでもいい」
ノートを大切そうに抱え込むノラを見て呆れたように、いや、事実呆れながら一人呟く。
ジュディ的にはそのレギュラスという人物を疑わしく思っていた。だが、屋敷しもべ妖精の──ノラ曰く名前はラビット──の件でノラは完全にレギュラスの事を信用しきっているようだ。
しかしブラックと言えば純血主義者。シリウスが異常なだけで他のブラック家の人間はマグル産まれや出生不明の自分等、会話するに値しない、物の様に考えている人間たちである。──けれども、自分には関係がない。ジュディは黙り込む事にした。
「それじゃあ走りに行きましょうか」
「へいへい」
そんなジュディの思考に一切気づかない様子で、プレゼントに囲まれた少女は笑顔を浮かべる。
「メリークリスマス! ジョバンニおばさん!」
「メリークリスマス。今日も朝から元気ねぇ」
鳥の鳴き声、水の流れる音、どこからか聞こえる食器がぶつかる音。
街の人々との挨拶から始まりジョギングと称した人助けが、次々と舞い込んでくる。。
「猫が逃げちゃった!」
「任せてちょうだい。私が捕まえてくるから」
「彼氏にプレゼントするおすすめの、あの本がまだ見つかってなくて」
「あそこの本屋さんで見かけたわよ」
「きゃー! ひったくり!」
「待ちなさい! ……ヤーッ‼」
クリスマスの朝とは思えぬ騒々しさで右から左へと大騒ぎ。気が付けばもう昼前を迎えていた。運動になっていると言えばなっているのだが。ジョギングという運動では決してない。クリスマスの朝にやることではない、と内心で呆れた。
この「善良」を纏った少女を見ていると、ジュディは心配よりも先に苛立ちを覚えてしまう。世界で一番大好きで、同時に一番大嫌いな人。その面影が、脳裏をかすめた。
「やぁ
「おじさんも元気そうだね! 今日はなんのパンを食べてるの?」
「アンパンってやつだよ。日本のアンコっていう甘味が入ってるんだ。ほら、ジュディちゃんの分」
「わ~! やったー! おじさん、大好き!」
「それはパンをあげる人としてじゃないだろうね」
「それも含めて大好き!」
今日も今日とて謎に良い運動神経を駆使して孤児院の塀を乗り越えたジュディの返答を聞きながらどこにでもいる中折れ帽を被り、コートを着た初老の男性はジュディに渡したパンと同じものを口にする。
その腕には高価そうな時計が付いており、事実、珍しいパンを食べる程には裕福である事が伺える。しかし未だ小さいジュディにはそんなことは理解できない。
「昨日の続きのお話を聞かせて!」
「それじゃあ、イタリアのお話だね。うん、僕が回っていた時はちょうど──」
ジュディはおじさんの話を聞くのが大好きだった。彼は世界を股にかけて多くの国で商談を成功させてきた人。善良で。もう歳だからと旅行はやめたが未だに勉強をしている勉強家。彼の話を聞くのが大好きで。孤児院で過ごしているジュディはどこにも行けないのに遠い世界に行ったような気分にさせてくれたから。
「ジュディは頭が良いんだね。僕の話を聞いて飲み込みが本当に早い。僕と一緒に海外を回ったみたいに話をしてくれる。いつか本当に君と一緒に海外を渡れたら、それはきっと嬉しい事だろう」
「うん! 私もおじさんともっと一緒に居られたら嬉しいな……マダムは怖い時があるから……」
「君は頭が良いから、人の感情の機微にも察知しやすいんだろう。辛い時もあるだろうが勉強を忘れてはいけないよ。それは絶対に君の役に立つからね」
ジュディの言葉に嬉しそうに微笑む彼の意図はジュディはいまいち意味が分からなかった。彼の言葉にどれほどの想いが込められているだなんて、気づけなかった。
世界で一番大好きで、大嫌いな人。
「ジュディ? どうしたの?そんなにフリペンドの威力を上げたらそろそ壁が壊れてしまうわ」
「別に。ただぼーっとしてただけだ」
「ごめんね、付き合わせちゃったわね。そろそろ練習終わりましょう。ステフが美味しいご飯を用意してくれてるもの」
「美味しいご飯は魅力的だな。さっさとダイニングに行こう」
「うん!」
走り出した少女も同じ、善良で勉強家。全然姿も声も違うのに、どこか似ているように感じる。それでも、やっぱり嫌いだと思いながら、ジュディは小さく息を吐いて彼女の背を追った。