ノラは少し早めに図書館の前に来ていた。約束の時間に合わせて動いたのもあるが、約束の時間の前に図書館に寄りたかった事もある。数冊の本を借り、そのまま待ち合わせ場所の秘密の部屋へ向かった。
フィクションのホラー小説。最近ホラー小説をメアリーにオススメされたからだ。小説でここまで恐怖を描けるものなのかと感心しながら、時間を潰す。魔法界で生きていても、未知はやはり恐ろしいものらしい。
「すみません」
唐突に声を掛けられ顔を上げる。待ち人来たり。目の前にはレギュラスが居た。物語に没頭しすぎて足音に気づかなかったことを少し反省しつつ、栞を挟んで本を閉じた。
「お待たせしました」
「──もうそんな時間なの?」
そう言いながらノラは時計を振り返る。待ち合わせの十時だ。時間ぴったりに現れるあたりがレギュラスらしい、と微笑んで視線を戻した。
「静かな時間が好きだから本を読む時間に充てたかったの。気にしないで」
「……ホラー小説ですか?」
「えぇ、そうよ。主人公の行動がとても慎重で、勉強になるの。まずこんな状況に陥らない事が大切だけれど。自分が助かる為にヒロインをまず逃がす所がかっこよくて……分かるって事はレギュラスも読んだことあるの?」
「はい。一ヶ月前ぐらいに読みました。たまたま見かけてタイトルで気になっただけですけど。……全部読みましたか?」
「いいえ、まだ。四分の一は残っているわ。まだ一周目だから」
ノラはそう言いながら本のページを残り見せる。
「そうですか」
「読み終わったら感想を言い合わない?」
「構いませんよ」
レギュラスの言葉に軽くガッツポーズをしながら本を閉じて教科書とノートを広げる。
「それじゃあ、分からないところがあったら聞いてちょうだい」
それからは沈黙の時間が流れた。時折の会話とページを捲る音、羽根ペンで文字を書く音。この場にあるのはそれだけだった。
レギュラスはノラが一年生の時に制作したノートを見つめている。教科書ではなくノートなのは目の前に制作者本人が居れば理解しがたい所も理解できると思ったからだ。
ノラの知らぬところで、彼女の作ったノートは一年生の間で高値で取引されていた。レギュラスがどこから手に入れたのかというとマルシベールからのお下がりだ。何も言っていないのに渡してきた辺り
しかしレギュラスとしては受け取らぬ理由はなかったし、素直に受け取りお礼を言った。何気ないやりとりだが、純血一族というのはこういうやりとりが多い。レギュラスが黙っていたとしても役に立ってくれるのだ。
「……」
ただ、目の前に例外が居た。フとその事を考えつき、ノラをジッと見つめる。金色の髪がランプの光を浴びて、溶けた蜜のように柔らかく輝いていた。空色の瞳は澄んだ夏の空をそのまま閉じ込めたようで集中している時も、遠くを見つめているような透明感がある。時折髪を耳にかける仕草が無意識に可愛らしい。見ていて飽きない美人というのは居るものだ。
ノラという存在は『ブラック家だから』という理由ではなく、個人のやりとりで尊重してくれる。純血主義者ではないことは惜しい。だが、マグルの差別さえ口にしなければ頭ごなしに説教すること無く純血主義の意見を聞いてくれる。マグル生まれと接触したくない時は状況を察してくれる事も多い。
逆に言えば、マグル生まれの話も聞いているのだろうし、レギュラス以外の人物を助けているのだろう。それでも、レギュラスにとってノラ・エディソンは手放せない存在だった。
こうして一対一で勉強を教えてくれるのは、自分がレギュラスに怪我を負わせたという負い目からだろうか。しかし、ノラからは負い目から来る気遣いは受けるものの、そういったものを感じたのは最初の一、二回目。レギュラスが腕に包帯を巻いていた時だ。
怪我をさせたという意識が低いわけではないが、レギュラスがその事を気にしていない以上、事実を背負いすぎるとそれはそれで失礼だという事に気づいているのかもしれない。気がつけばレギュラスは彼女が共に居る事が当たり前のように感じていた。
「どうしたの? 分からない所があった?」
レギュラスがノラを見つめている事に気がついてノラは声を掛ける。
「いえ、別に」
そう言われてレギュラスはフイと目を逸らした。再びただ流れる時間が訪れる。あっという間に二時間が経ち、柱時計がボーンと十二時を告げる音で静けさを一瞬で引き裂いた。十二回、正確に。ゆったりと。まるで終わりを告げるように最後の音が尾を引いて流れていった。
「もう十二時なのね」
ノラのそんな言葉が静かな部屋に溶けていく。そっとノートを閉じて立ち上がった。
「お昼、行きましょうか」
正直レギュラスはお腹が空いていなかった。何も要求しない時間というのはあっという間だ。
ノラが立ち上がる。その動き一つで、空気が変わった。しかしレギュラスは何も言わない。引き留める言葉も、意味のない冗談も。そして同意の言葉を口にだす。
「はい、そうしましょう」
「今日一日、レギュラスとゆっくり居られるのは嬉しいわ」
「……」
ノラは楽しそうに話している。レギュラスは相槌を打ちながら、その声の調子、言葉の選び方、間の取り方を無意識に数えている自分に気づいた。
──癖だ。
人を“理解する”ための癖。けれど、彼女に対してそれを向けるたび、なぜか胸の奥がざらつく。
誰も居ないことを確認してから温室に出る。お昼時だ、みんな大広間に行っているのだろう。かくいうノラ達も一緒に大広間に行くのだから特別変わった出来事ではない。しかし、ノラ達が秘密の部屋を出てから驚く事になる。確かにレベリオで周囲を確認したのにそこには一人の屋敷しもべ妖精が居た。
「魔法にかからなかったわ……。どうして……」
ノラが驚いたように言うがその容姿を見て声を上げる。そのウサギの様に垂れ下がった耳にはガーゼが張っており、頭は怪我をしているらしく大きな包帯が巻かれていた。
「ラビット!」
ノラが呼んだ声に屋敷しもべ妖精が振り向く。
「……! お嬢様! 私はお嬢様に出会えて嬉しいラピ!」
「あなた、大丈夫だったの?」
「えぇ! お嬢様のお陰で今も元気に働けておりまピ!」
「良かった。本当に良かったわ。どこに行けばあなたに会えるのかが分からなくて困っていたのよ」
「私は普段キッチンに居まピ!」
キッチン、そういえばホグワーツのキッチンはどこにあるのだろう。ノラが聞いてもレギュラスも首を傾げるだけ。
「そうだ、ラビットが案内させて頂きましょうか?」
「キッチンまで?」
「わたくしはお嬢様たちに来て頂きたいラピ!」
「それじゃあ、お願いしましょう。レギュラスも良い?」
「えぇ、まぁ」
情報は知っておいて損はありません、と続けるレギュラスにノラはクスリと笑った。
「ところでその語尾なにか聞いてもいい?」
「何の事ラピ?」
「その、ラピ、っていうの」
「ラピ……産まれた時からこの語尾だったので分かりません」
「ませんが来ちゃった……」
「ラビット、君はエディソン先輩の事が好き?」
「はい! 私はお嬢様の事が大好きラピ!」
「です、がラピ、になっている事は理解しました」
「理解させる方法が些か恥ずかしいと思うのは私だけかしら」
「それよりもラビットなのに語尾がラピの方が気になります」
やんのやんの言いながら高架橋の中庭から大広間まで歩いたかと思うと突如右に曲がる。このままだと大階段についてしまう。どこの階にあるのだろう、と考えるも、次は脇の螺旋階段に入って行く。
「こっちにはハッフルパフの寮があるだけじゃないの……?」
このまま行くと酢を掛けられてしまうわ。と心配そうにするノラをラビットはお任せくださいというように胸を張る。階段を降りた先には人が入れそうな程大きな樽と大きな絵画が飾ってあった。
「このボウルの果実の静物画にある梨を笑わせて下さい」
「笑わせる⁉」
これは、想像していた以上の難関だ。笑わせる? 絵画の梨を? それこそ冗談ではない、が笑わせられないと入る事は出来ない。
「……トランプでもしましょうか!」
「……」
「ゴブストーンはどうだ! 今なら接待プレイも惜しまないわ!」
「……」
「この前本当にあったお話です。クリスマスでカフェに座ったら隣の女の子が「可愛い鞄」って褒めてくれたのだけれど、嬉しくてありがとう、って返したらそのクマ可愛いと言われてね。でもクマのキーホルダーなんて着けてないなって気づいてよく見てみたらコートに着いてた埃がクマみたいに見えたみたいで、少し気まずい思いをしたわ」
「……」
「ダメー‼ 笑わせられないわ‼」
ノラが絶望に膝を付いた時、レギュラスは思いついたように梨を杖で突く。すると梨は生きているようにケキャッと声を上げて震えた。そのまま杖先で梨を擽ってみる。
ケキャキャキャキャッ。
楽しそうに笑い、梨はドアノブに変化しカチャリ、と扉が開いた。気まずい沈黙が走る。
「入りましょうか」
「……えぇ」
先程までの楽しい会話はどこへやら。静かになった二人はそのまま厨房へ足を踏み入れた。
「わぁ! 凄いわ! 大きい鍋!」
しかし厨房に入った瞬間そんな気まずさはどこかへと消えていた。ノラは感嘆の声をあげ、レギュラスは隣で黙っているもののキッチンの大きさに衝撃を受けている。
「こちらに歓迎のおやつがあるので良ければ食べてください!」
「ラピの法則……」
ノラはそう呟きながらおやつの前に座った。どれから食べようかと吟味しているとレギュラスから「これからご飯ですよ」と指摘が入り、カヌレを一つだけに手に取る。
「お坊ちゃまとお嬢様をお連れ致しました!」
ラビットの言葉に何故か一瞬ピクリと屋敷しもべ妖精たちが震えたが、ノラとレギュラスを見た時に安堵した様子で頭を下げてから作業に戻る。何かあったのだろうか。
「……誰か怖い生徒でも居るの?」
「最近ローズベルト先生がいらっしゃいます。あの方は厳しい方ですから、普段以上にぴしりと動くようにしているのです」
「ジュヌン! あの日以来ね、元気にしてた? ……ここにローズベルト先生が?」
「えぇ、ご主人様。特にラビットを気に入っていらっしゃるようです。それよりも私はご主人様達にお礼を申し上げに来たのです。あともう少し処置が遅ければラビットの命が失われるところだったと。我々のような者の為に尽力してくださりありがとうございます」
「当たり前の事をしただけよ。でも、そう言ってもらえるのは嬉しいわ。ありがとう。──少し聞きたいことがあるんだけど、その、ローズベルト先生が? ラビットを気に入ってる?」
ジュヌンはノラの疑問に少し迷う素振りをしたがハッキリとノラに答えた。
「先日、ラビットの命に関わった罰をお与えになったのはローズベルト先生です。あれ以降ラビットの行儀を良くする為に連れて行ってくださっているのです」
「……もしかしてこの耳の傷は」
「罰ラピ! ローズベルト先生の靴をお守りできなかったわたくしが悪かったのラピ」
「靴をお守りできなかった?」
「先日ローズベルト先生は雪の上を歩かれました! その際に靴が濡れてしまったのでピ。気が利かないラビットをローズベルト先生は罰したのラピ。当然のことラピ」
雪の上を歩いたら靴が濡れたりするのは当たり前だ。そんな事でラビットに罰を与えるだなんて信じられない。ノラは文句を言いたそうに、レギュラスはあからさまに眉をひそめるが、目の前に居るのは罪のない屋敷しもべ妖精達である。彼らに文句を言うのはお門違いだ。
その現場を見ていない以上、ノラたちには何もできない。明らかに雰囲気が悪くなった二人を見て、屋敷しもべ妖精たちはどうしてそのような雰囲気になってしまったのか分からずキョロキョロしている。
「……分かった。ありがとう、ラビット。ジュヌン」
「いえ! お嬢様からありがとうと言って貰えただけでラビットは嬉しいラピ! そうだ、これを渡したかたったのラピ!」
「これ……?」
コロン、と可愛いラッピングで手渡されたのはどこかで見た事のあるジャーキー。赤黒いビーフジャーキーと変わらない。ノラとレギュラスの手の中にそのジャーキーは手渡される。どこかで見たような形と色だ。
「ビーフジャーキー?」
「いえ、これは「ビーフジャーキーよ! 美味しいからオススメ!」
レギュラスの問いに答えようとするラビットの声の上から大きく返答する。世の中、知らなくてもいい事は沢山あるのだ。
「この前のラビットの様に血が足りなくなった時に噛んで飲み込めばいいのラピ。すると驚き、一瞬で血の量が回復致します」
「タイミングがあればこの前のお礼にと渡したくてたまらなかったそうなのです」
長期保存可能ですので! と二人の屋敷しもべ妖精に言われたら受け取らないわけにはいかない。素直に二人ともポケットに入れる。
「さぁ、お二人とも、そろそろお昼ご飯の時間ですよ。大広間にお戻りください」
そのジュヌンの一言で二人はキッチンを出る事になるのだった。