エンゼルランプの天籟   作:星の海1961

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裁きとして

 やはり、リーマスと話したように負けてばかりだ──そう考えながら、ノラは逆さまの視界で世界を眺めていた。逆さになった視界の先で、勝ち誇った表情のまま赤い紅茶を口にするローズベルト教授が目に入った。

 ローズベルトは捲れたスカートを気にも留めず、ノラは逆さ吊りのまま、ズボンの裾から細い足を晒していた。

 

「どう、エディソンさん。もう一回、する?」

「しません」

 

 ノラは「よいしょ」と体を振り上げ、ローズベルトが放った基礎呪文をかわした。宙ぶらりんになっても体を動かすことは出来るのだ。足を起点にするなら尚更。

 その様子が癪に障ったのだろう、次の瞬間ノラは床へと叩き落とされた。リリーが即座に浮遊呪文を使っていなければ、ノラは確実に床へ顔から落ちていただろう。

 

「このように……油断していると、こういうことになりますからね」

 

 ここまで露骨な授業が続けば、さすがにノラも異常だと考え始めていた。言いたくはないが、ローズベルトの基礎呪文は通常の威力を超えている。これでは本当に魔力が増加したかのようで──。

 

「先輩……エディソン先輩。どうかしましたか?」

「あ、うん。大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけ」

「考えたのですが、やはりラビットにローズベルトに近づかないように言うしかないのではないかと思います」

「けれども彼女は命令に忠実な屋敷しもべ妖精よ。そんなことができる訳が……」

「だからこそ、です。例えばそう──大好きな生徒に「ローズベルトに関わるな」と命令されたとしたら?」

 

 単純な話だったが、そこへ辿り着くのが少し遅れた。というより考えから少し逃げていた部分がある。命令、それならばローズベルト教授に関わる事を止めるだろう。実際にノラは一度『命令』を使っている。その強制力は絶対だ。

 とはいえ、ノラの中に迷いが残っていないわけではなかった。命令で関わるな、と言ってしまったら仮にラビットがローズベルトの命の危機に立ち会ったとしてもラビットにローズベルト教授を見捨てさせる事になる。だが、今はその逆、ローズベルトから近づいてラビットに危害を与えている。それ故にこうして勉強会の後に話し合っているのだ。

 

「最初は『お願い』から始めましょう。命令は最後の手段に。ただ──」

「ただ?」

「そうすると他の屋敷しもべ妖精に当たり始めるんじゃないかって不安があるの」

「その時はまた考えましょう。一人一人命令、いえ、お願いして回るわけにはいきません」

「そうね、ラビットにはその事を報告してもらえばいいのかもしれない。それでも上手くいかなかったら……」

「上手くいかなかったら?」

「校長室に乗り込むわ」

「発想が飛びましたね」

 

 まず合言葉を知るところから始めなきゃいけないですね、と次はレギュラスが肩を竦ませながら考えこみ始める。

 

「……僕の祖先にフィニアスというおじいさまが居て、元校長なので校長室に絵画が飾られています。もしかすると絵画から直談判してもらえるかもしれません」

「それは、とても助かるわね」

 

 それから取り留めのない話をしながら厨房に歩き始めた。もう既に日が暮れ始めていて温室には人が居なくなっていた。

 

「やっぱりここに居た」

 

 ひょっこりと現れたのはジュディだ。

 

「フリットウィック教授からお前に伝言だと、今日の夕食が終わった後に職員室に来るように、だとさ」

「あら、なにかしら」

 

 三人で歩き始めた頃だった。三人以外に誰も居ない温室にヒステリックな声が響き渡る。判断するより先に、それがローズベルトの声だと気づいたのはいったい誰だったのか。レギュラスは、揺れる黄金の髪を確かに視界に捉えていた。

 

「ご主人様、落ち着いてください!」

「落ち着く⁉ 命令の一つも聞けないあなたが口答えするなんて許されると思っているの‼」

「遅かった……ッ!」

 

 ノラが階段を走って登る。その先には倒れ伏したラビット。突如行われようとしている恐怖で気絶しているようだ。いつかの焼き回しである。問題は、危害を加えようとしているローズベルト教授の手の中には斧が握られている事だ。何をしようとしているのか、見ただけで理解できる。

 

エクスペリアームス(やめて)‼」

 

 パシンと音がしてローズベルトの手から斧が離れる。

 

「アクシオ」

 

 その様子を見たレギュラスがアクシオで斧を呼び出し、その勢いのまま後方に投げ飛ばした。三人の生徒から敵意を向けられた様子を見てローズベルトは更にその機嫌を悪くしていく。

 

 

 

 

 

 

──私は、間違っていない。

 それだけは確かだ。何度考え直しても、結論は変わらない。間違っているのは、いつだって周囲の方だ。

 私は努力してきた。それなのに、それなのに──どうして、たった十二歳の少女が、当然のように私の前に立つのだ。

 

 最初は気のせい、続けて思ったのは偶然だ、と言うこと。運が良かっただけ。ヌンドゥを倒した? そんなもの、条件が噛み合っただけの話だ。周囲が騒ぎ立てるから、まるで彼女が「特別」であるかのように見えるだけで、本質的には何も違わない。

 違わないはずなのに。

 なのに、授業で視線が集まるのは、いつも彼女だった。私が話すたび、生徒たちの意識は彼女の反応を探る。私が問いを投げれば、彼女の答えが基準になる。それはおかしい。教師は私だ。評価する側は私だ。上下は、最初から決まっている。そのはずだった。

 しかし、彼女は、私を見上げない。恐れもしない。媚びもしない。ただ、正しいと思ったことを、正しいと信じて疑わない目でこちらを見る。

 

 あの目だ。

 

 空色の、澄み切った、何も疑っていない目。

 あれが、私を裁いている。

 私は間違っていないのに。私は正しいことしかしていないのに。奴隷に命令することの何が悪い?屋敷しもべ妖精は、そういう存在だ。従うために作られ、使われるためにいる。

 

 それが秩序だ。それが世界の常識だ。それが正しい認識だ。

 それを「可哀想」などという感情論で壊そうとする方が、よほど傲慢ではないか。私は、秩序を守っているだけだ。魔法界を、正しい形に保っているだけだ。それなのに彼女は、私を止めた。当然のように、まるで私の行いが「間違い」であるかのように。許せるはずがない。私が否定される理由など、どこにもない。

 

 私は優秀だ。私は選ばれている。だからこそ、私の判断は正しい。正しい者の行動は、結果によって裁かれるべきではない。結果が伴わなかったとしたら、それは世界の側が間違っているのだ。ええ、そう。世界が、私に追いついていないだけ。むしろあの少女が注目されるのは、歪みだ。是正されるべき異常だ。私がそれを正すことに罪などあるはずがない。

 

 むしろ正さなければならない。私がやらなければ、誰がやる?私は正しい。正しいから、止まらない。止まれない。

 ……ああ、腹が立つ。腹が立って仕方がない。どうして、どうして私がこんな感情を抱かねばならない? 全ては、あの少女のせいだ。あの、何も疑わない目で、私を見返す──ノラ・エディソンの。

 

 ノラ・エディソンは、ただそこに立っていた。怯えも、怒りも、嫌悪すら浮かべていない顔で。彼女の引き込まれそうな空色の瞳は、ただ状況を正確に測るようにこちらを捉えている。敵を見る目ではない。それは、ひとつの事実を確認するための目だった。ローズベルトはそれだけで喉の奥がひりつくのを感じた。叱責されるよりも、罵られるよりも、よほど耐えがたい。ノラは何も言わない。怒鳴らない。正義を振りかざさない。

 その目には、敗者への哀れみすら、ない。あるのは、冷静な判断と逃げ道を探す思考だけだった。ローズベルトはそこで気づいてしまう。この少女は、自分を「敵」としてすら認識していないのだと。

 

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 その認識が、ローズベルトの胸を強く締めつけた。怒られているわけではない。裁かれているわけでもない。──それが、何よりも屈辱だった。

 その視線が、ほんの一瞬だけ揺れる。屋敷しもべ妖精を見ている。そこに浮かんだのは、敵意ではない。「助けなくては」という感情に、限りなく近いもの。

 その瞬間、ローズベルトは確信する。この少女は、これからも自分を倒す。何度でも。怒りも、喜びも交えず、淡々と。そして、それを「当然の結果」として受け入れるのだ。

 許してはならない。それだけは、許してはならない。

 

 

 

 

 

 

 ローズベルトは検知不可能拡大呪文のかかった真っ赤なコートのポケットから何かを取り出した。何らかの粉を地面にぶちまけている。

 

Per trasmettere la giustezza della situazione(あなたと私はいまここに).Dov'è il crudo e dove il crudo(空気は重く、地面は深く)──」

 

 その言葉を聞いた時ノラの背筋がゾッと凍る。結界だ。

 人が居なくなった温室でローズベルトと取り残されるのは良くない状況であるのは理解できる。地面に転がったラビットを抱きかかえ──立ち上がれない。ローズベルトが屈んだノラの頭を思いっきり踏みつぶしたのだ。

 

「は、──あ」

 

 その衝撃に耐えきれず地面に倒れ込みながらもう一度踏みつぶそうとする足を強引に転がって避ける。何度もヒールを顔面に食らうわけにはいかない。痛みはある。意識もある。問題ない。

 立ち上がろうとして、世界がグラリと揺れた。衝撃だろうか、眩暈のような物を感じる。

 

「レギュラス、ラビットを」

 

 近寄ってきたレギュラスに強引にラビットを渡す。

 

「近寄らないように命令、して。満たされる(結界が完成する)前に早く!」

 

 グラグラと揺れる世界の中バランスの取れない体でレギュラスとジュディの体を押す。

 

「分かった。おい、ブラック。職員室に行け、誰か先生に伝えろ。ノラの面倒は私が見る」

 

 マグル生まれに指図されるつもりはない。が、正しい対処法なのは理解できる。返事はせずラビットを抱きかかえレギュラスは走り出した。

 

「ジュディも早く」

「立派な雇い主を放置できるか」

 

Finestre piccole come un domino.(逃がすな)Non permettete loro di aprire la porta.(逃がすな。この空間は私の物だ)

 

 結界が満たされた、というのはすぐに理解できた。薄っすらと見える赤色の光がそれを物語っている。幸運はレギュラスが温室から出た事だろうか。ローズベルトが使用した結界は一つの部屋を閉じる呪いでレギュラスがこの温室から飛び出て行ったのは扉の音で理解した。

 

「早く飲め」

 

 強引にジュディがウィゲンウェルド薬を口に運ぶ。多少器官に入りそうになるも強引にそれを飲み下すことで眩暈から回復する。

 

「……で、なんのつもりだよ。生徒と二人きり、いや、三人きりになろうとするなんて。しかも結界まで張って念入りな事だ。アタシたちを殺すつもりか?」

 

 警戒の色を隠さずジュディが問いかける。その疑問にローズベルトは特に考えもせずに頷いた。

 

「えぇ、魔法の授業で人が死ぬなんて当たり前の事でしょう? はっきりと、今、ここで殺してあげる」

 

 意識が回復してきたノラは絶句した。殺す? 殺す? 一瞬何を言っているのか理解できなかった。自分には関わりのない話のように感じる。

 

「まぁ、ミス・ボードマンは特に関係のない話だから後で記憶を消してあげるわ。えぇ、エディソン。貴方は私の邪魔ばかりする。このままだと、私、苛立ちで壊れてしまいそう。ここで課外授業をしてあげましょう」

「……」

 

 返答をしない。琴線に触れるのは良い事ではない。ここで怯えの一つや二つでも見せたら良いのだろうか。しかし。

 

「あぁ、命乞いなんて無駄な事はしないでね。言うなら遺言だけにしてちょうだい。私への恨み言だったりしたら最高ね。ほら、聞かせてごらんなさいよ。ローズベルト先生(・・)に対する恨み言。それだけで胸がスッとするでしょうね」

 

 どちらにせよ、殺す予定のようだ。冷静になってもらおうと口を開くが上手く言葉が出てこない。

 よくよく考えてみるに、フレイラニア・ローズベルトはノラ・エディソンを相手にして冷静になったことなど一度もないのだから。

 

「私は負けないわ。人を殺そうとする人に」

「……話で時間を先延ばしにした方が良いとは思わないの?愚かね」

「その余裕が無いのは私ではなくあなたの方でしょう。レギュラスがすぐに先生たちを呼んでくれる。その短い時間の中でどうやって私を殺すつもり?」

「そうね、こうやって、かしら」

 

 ポケットから透明な魔法瓶が現れる。いつも飲んでいる真っ赤な紅茶が中に入っているようだ。

 その魔法瓶を見てノラとジュディは首を傾げる。紅茶を飲んだ所で何かが変わるわけがない。せいぜい気持ちが落ち着くぐらいだろう。

 カポン、とガラス瓶の蓋が開けられる。匂いが周囲に広がる。本当に、何も変わらない紅茶の匂いが。その紅茶をごくごくと飲み干すローズベルトの様子にノラの顔色は青く変わっていく。

 

「……魔法薬!」

 

 普段透明のガラス瓶は検知不可能拡大呪文のかけられたポケットに入っていた。普段は周囲に生徒たちが居て気づかなかったが、この至近距離、そして人が居ない空間で落ち着いて見れば濃密な魔力が漂っているのが伝わる。

 

「正解、これは魔法薬の特注品、この飲み物さえ飲めばあなたの魔力にも勝てるって聞いたのよ。あの白髪の女はそういった。実際授業でもそうだったわ。あの人、顔が不気味な程腫れていなければ天使様だった可能性もあるけれど。まぁ、私の顔には到底及ばないわ。ふふ、あはは」

 

 白髪の女性、ノラは嫌な予感が背筋を駆け抜ける。ミス・ファース。彼女も確か白髪で──。

 瞬間、確かに空気が震えた。魔力の増加による変化など聞いたこともない。魔力の波は桜の木すら揺らす。

 そして、人間の時間は終わりを告げた。

 

「は、」

 

 ローズベルトが驚くより先に変化は躰に訪れた。腕がローズベルト教授の胴体に仕舞われる。胴体はボコボコと耳を覆いたくなるような音を立てながら膨らみ、一本一本が太い、樹皮のような、革のような不思議な質感を持った硬い毛で包み込まれていく。人間だったものの顔も歪な形になって体の中央に寄せられる。

 大きな円形をした人の、人だった頃の顔つきをして、身体には五本の手、その腕一本だけでもノラの身長を優に超えている。口など大きすぎてノラの胴体に齧り付くどころか一口で咀嚼し終えてしまうだろう。

 

「待って、ローズベルト先生! それは──」

 

 当然ながらノラの静止など耳に入らない。耳に入れる訳もない。その荒い息遣いを返答の代わりに吐き出すだけだった。

 

「そ、んな」

 

 悪夢の様だった。一人の女性が魔法生物に変貌するなど誰が思おうか、三メートル近い大きさに変わった先生だったモノを見上げる。もう理解の外だ。正常な理性を保っている方が間違っていると言えるだろう。

 呼び起されるは原初の感情。その名は、恐怖。

 

「嘘……」

 

 ようやく動揺した視線を向けた獲物(ノラ)の一言にローズベルト=クィンタペッドは満足気に口を歪ませた。

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