「雑用などノラ様がされることではありません。さぁ、そのシーツをお渡しください」
「だってステヴ、部屋で勉強するのもいいけれど運動しないと健康に悪いじゃない」
「そう仰りながら毎日ジョギングに出かけているじゃないですか」
言外に運動は十分だろうと言うステヴにノラは首を横に振る。
「それだけじゃダメよ。使う筋肉が違うんだから。ジョギングは全身運動だけど主に足腰、このシーツを持って行くのはそうね……腕の運動になるじゃない」
「……そうですか」
ステヴが諦めたように言うと満足げな顔をしたノラはよいしょという掛け声と共にシーツの入った桶を抱え直し、洗濯物を干す庭に歩いて行く。
名前の分からない少年と出会ってから一年。1970年だ。目覚めた日を誕生日とするならばもうすぐ十一歳になろうとしている。
あの日から自分も誰かに優しくしようと日々努力を重ねた。平日には変わらず読書を中心に勉強を続け、休日には街に出て、行きつけのカフェの気さくなオーナーや常連客と話しながら時間を過ごし、道に迷っている観光客が居たら観光案内をし、誰かの飼い犬が逃げたとなると捕まえるために街を縦横無尽に駆け回る。
あと一つすることが増えた。魔法の練習である。ノラはあの日、魔力に目覚めた。すなわち、魔女の誕生だ。
しかし、魔法とはフィーリングではない。適当に『ちちんぷいぷい』と唱えてそれっぽく杖を振ればいいわけではないのだ。大雑把に言えば魔法には大抵、魔力、魔法回路、詠唱の三つが欠かせない。分かりやすく言えば、魔力は電池、魔力回路は電力回路、理論は機械本体だ。
とどのつまり、理論を知っていなければ魔法は使えない。そして、その〝理論〟を学ぶ学校が世界各地にある。英国魔法界には名門『ホグワーツ魔法魔術学校』を筆頭にいくつか魔法学校がある。ホグワーツは現在世界最強と謳われるアルバス・ダンブルドア校長を筆頭に優秀な教師陣が集まっている素晴らしい学校だという。
ホグワーツの生徒はホグワーツ郊外では呪文が使えない。それはまだ法律を理解していない子供がマグルの面前で魔法を使って魔法界という秘密をバラさないようにする為だ。もしロンドンのど真ん中で子供が魔法を使ってしまったら、一度目は魔法省の魔法不適切使用取締局から通知、二度目は退学が決まってしまう。
だが、それはホグワーツに通っている子供たちのみ。逆に言えばそれ以前の魔法は許可されているのだ。それは十一歳以下の子供たちはまだ精神が確立されておらず、悲しみや怒りによって魔法暴走、またはマグル生まれで魔法の存在を知らぬ者が魔法を魔法と思わず使ってしまう、などという事がある為だ。
もし、それによって毎回呼び出されるようになってしまったら魔法事故惨事部などの業務は更に激務化、労働基準法等あってないようなものになってしまうだろう。
とどのつまり、ホグワーツ入学前であればいくらでも魔法の練習はできるのだ。親が魔法使いの場合である場合は大抵外で使ってしまっては困る為、魔法を教えたりしないのだが、純血──魔法使いと魔女の子──である場合には当てはまらない事がある。そして、ノラのように自主的に勉強をする子供もいる。
ノラはその事実を知り、自ら勉強を始める事に決めた。魔法に関することは図書館に詰め込まれている本に、マグルに関することはライの街を歩き回り近所の人と仲良くする事で手に入れた。
シーツの入った桶を丁寧に手入れされた芝生の上に置くと、杖を上着の杖ホルダーから取り出した。手のひらに木の感触を感じながら手の中に握る。バーリウッド色の39センチ程度の長さで、全体に蔦のような文様が彫られている。家にあった物。つまり中古品だ。
「──そういえば、この杖誰の作品なのか、誰のものなのか分かってないのよねぇ」
使い心地は良いのでそのまま使っているが、現在の英国魔法界の杖づくりはオリバンダーらしい。ロンドンにある魔法使いの街、ダイアゴン横丁にて店を構えている。いつか行ってみたいと思いつつ、特に英国魔法界に関わることなく生きている。魔法界の法律も魔法省に関する事も全て本で知った。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサー」
ノラの身長では見えない部分があるので少し高めにシーツを浮かばせてちょいちょいと調整しながら洗濯物干しに掛けた。
「なにぬねヌンドゥ~」
空き部屋に移動しながら先日「幻の動物とその生息地」で読んだ魔法の生物を思い出す。
ヌンドゥ M.O.M分類 XXXXX
東部アフリカに生息するこの動物は、世界でももっとも危険な生物だという説もある。巨大な豹で、大型であるにも拘わらず、音も立てずに動く。吐く息は村一つを絶滅させるほどの激烈な病をもたらす。熟練した魔法使いが束になってかかっても、一度に百人以下ではこれを静められた例がない。
「魔法界って本当に恐ろしい所よね。命の価値が値崩れしているわ」
さて、これからは。
「|Désormais, nous pratiquerons le win-diam leviosa pour soulever des objets lourds.《これからは重たい物を持ち上げる為のウィンガーディアム・レヴィオーサを練習します》」
ステヴによってフランス語で行われる魔法の授業だ。空き部屋には様々なクッションが置いてあり、訓練用人形もある。ホグワーツ入学前であるノラがどうしてここまで実戦的な呪文にこだわるのかというと、誰かを守りたいという気持ちが表れた結果だった。
命の価値が値崩れしている理由の一つに“魔法では何でもできる”という事が挙げられている。この“何でも”という部分には本当に何でも含まれる。ある程度の制限はあるものの魔法でできることは無限大だ。魔法という無限は魔法という名の理不尽にも生まれ変わる。当然、それを縛る法もある。しかし誰もが法を守っていればこの世には警察などという物はいらないのである。
この授業を提案してきたのはステヴだった。魔法を使えるようになったなら理不尽から自分を守る為に魔法の練習をするべきだと。
二年間で魔法の知識はたたき込んできた。後は使うだけだ。元々才能はあったのだろう。ちょっとした呪文ならすぐに使えるようになったし、それを見たステヴは違う言語で授業をし始めた。最初は混乱していたが、段々とその授業形態にも慣れ、多言語で行う魔法の授業は読書から得られる物とはまた違った知識で、ノラからすると非常に楽しい時間となった。
魔法の練習をしているとコンコンと窓が突かれる音がした。ノラとステヴは窓を見る。そこには白いフクロウが一羽。
窓を開けて手を差し出すとフクロウはその爪でしっかりと握ってきた手紙をノラに渡し、ノラは手紙を受け取った。現代ではほとんど見ない時代遅れの羊皮紙の封筒。紋で蜜蝋が印璽されていた。紋の様の上に書かれている文字を読む。
「──ホグワーツ」
ドクリ、と心臓が高鳴るのを感じた。耳の横に心臓があるのではないかと言うほどの音を感じながらノラは宛先を確認する。名前、住所共にあっている。固まったノラにステヴがエプロンのポケットから銀色のペーパーナイフを差し出す。
「ありがとう」
上の空でお礼を言いながらノラは蜜蝋を外した。震える手で、封筒と同じ色の中の羊皮紙を取り出す。少しザラザラした革の手触りがやけに印象に残った。
『ホグワーツ魔法魔術学校
校長 アルバス・ダンブルドア
マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員
親愛なるエディソン殿
拝啓
このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてお返事をお待ちしております
敬具
副校長ミネルバ・マクゴナガル』
一度読み返す。もう一度読み返す。何度見直したか分からない時、ノラの口からは言葉にならない声が、目には涙があふれていた。
認められた。ホグワーツへの入学が認められた。それはすなわち、マグル界にも魔法界にも所属していなかったノラが、正式に魔法界に招待されたということでもあった。
あの日以降、ノラは人と関わり、人に優しくし、多くの知り合いや友人ができた。けれども、彼らは魔法使いや魔女ではない。ノラと同じ地点には立っていないのだ。
しかし、魔女ではあるが魔法学校からの入学許可が下りないと魔法界の一員としては認められない。
内心ノラは心配していた。このままマグルとしても魔女としても半端なままでどちらの世界にも属さない存在でいるのではないかと。
だから、泣くほどにまでホグワーツからの入学許可証が嬉しかったのだ。
「ステヴ。便箋を用意して。返事を書くわ」
「畏まりました」