「失礼、ノラ・エディソンですか?」
「──えぇ。そういうあなたは?」
その日、ノラは朝食を終え、ステヴからドイツ語を習い終えたばかり。気分転換に外へ出ようとしたその時だった。声を掛けてきたのは奇妙な服装をした女性。エメラルドグリーンのローブをまとい、黒髪をシニヨンにまとめた、二十代後半から三十代前半ほどの美しい女性だった。若くしてすでに厳格そうな雰囲気を纏っている。
どこからどう見ても不審者なのに不審者に見えないのは彼女の持つカリスマ性だろうか。彼女はノラの顔を見て少し黙り込んだ後に何もなかったかのように口を開いた。
「……ホグワーツ魔法魔術学校から参りました。ミネルバ・マクゴナガルと申します」
「マクゴナガル、先生?」
「その通り。私は先生です。ダンブルドア校長に言われ、やってきました」
「話は中で伺います。どうぞお入りください」
ノラは門を開けてマクゴナガルを引き入れる。
「そうですね。ではお邪魔しましょう」
英国式庭園を二人で歩く。ステフが丁寧に手入れした薔薇が咲き誇っており、マクゴナガルがほぅと感嘆のため息を吐く。階段のある玄関ホールをそのまま真っ直ぐ通り過ぎてしまえば応接室だ。応接室のソファにミネルバを案内する。
「どうぞこちらに」とノラが促すとミネルバは軽く頭を下げて「ありがとうございます」と答えた。
先生だというのに生徒に厳格で丁寧な態度をし続けるミネルバにノラは好感触を抱く。紅茶は温かいのと冷たいのとどちらが良いのかを聞き、現れたステヴにホットの紅茶を頼んだ後にノラは口を開く。
初めてです、とその言葉にミネルバは分からないと言わんばかりに首を傾げる。
「このソファに、私以外の人が座るのは初めてです」
ノラの言葉に怪訝そうにミネルバが目を細める。それは、とミネルバは少し口ごもりながら声を上げる。
「どういった意味でしょうか?」
「手紙に書かせていただいたのでご存じかとは思いますが。私には、親権者が居ません。謎に包まれているのです。マグルの政府に問い合わせても私以外の記載は無し、魔法省に問い合わせても答えは同じでした。家の維持費は周囲の土地の貸し出しで賄えているため、ホグワーツへの入学も問題ありません。ただ、親権者が居ないという事をお伝えしておかなくてはならないと思いまして、お手紙に書かせていただきました」
「ふむ……」
マクゴナガルが考えこむ中で紅茶を持ってステフが現れたので、マクゴナガルの相手をステヴに任せてノラは自室まで急ぎ走る。本棚から目的の物を探り出す。英国政府魔法省から取り寄せた戸籍の書類を引き抜いて再び広間まで戻った。
「──こちらが書類になります」
書類をマクゴナガルの方に向けて渡すと「触っても?」と訊かれたので頷く。ミネルバはジッと書類を見つめた後に呟いた。
「なるほど、どうやら本物の様ですね。では、あなたはどのように生活をしているのですか?」
「メイドのステヴと二人暮らしです。料理などは彼女が。ただ、彼女はあくまで一介のメイドだと言って譲らないのです。なので私は書類上も事実上も保護者が居ません」
「特殊な状況である、というのは理解しました。あなたが嘘をついている様子もありませんし。ですが、保護者が居ない、という事はいくつかの事象で学校からの制限を受ける可能性がある、という事はお伝えしておきましょう」
ミネルバは事実を淡々と述べ、ノラの様子を図るようにジッと見つめる。
「──分かりました。それで名門、ホグワーツに通えるのであれば私から文句を言う事などありません」
「では、その方向で書類を作成させていただきます。また後日追って連絡することがあるかもしれませんので、その時は返事をしてください。良いですね?」
「はい。マクゴナガル先生。……あの、あまり驚かれないのですね」
マクゴナガルの淡々とした様子が気になったノラがマクゴナガルに問いかける。親が居ない子供など珍しいのではないか、そういった眼をしているノラにマクゴナガルは少し下がっていた眼鏡を上げて返答する。
「そうですね。あまり言いたくはないのですが、あなた方が産まれた時期、マグル界は荒れていました。俗にいう英国病。失業者が溢れたマグル界には悲しいことに沢山の孤児が居たのです。不幸中の幸い、などと言う気はありませんが、豪華な家、暖かいお布団にご飯、洋服、それに面倒を見てくれる方も居ます。あなたは親のいない孤児に比べて恵まれています。──勘違いしないで欲しいのは、だからあなたが寂しがってはいけない、と言ってるわけではありません。それは人として当然の感情です。誇りなさい。寂しいと思う自分を。人間として当然の感情を訴えかける自分を」
「……ありがとうございます。マクゴナガル先生」
「いえ、人として当然のことを言ったまでですから」
「失礼ですが、先生はマグル界のご出身ですか? やけにマグル界にお詳しいな、と思いまして」
ホグワーツは全寮制の学校だ。そして、当然先生たちも寮に住まう事になる。そんなホグワーツに閉じこもった状態でよくマグル界の情報が入ってくるものだと感心したのだ。
「えぇ、父がマグルです。ですが、マグル生まれだからマグルに詳しいわけではありません。認めたがない人々はいますが、魔法族とマグルは密接な関係にあります。第一次世界大戦が起こった時、アーチャー・エバーモンド魔法大臣の件はご存じで?」
「えぇ。エバーモンド魔法大臣は第一次世界大戦において国際機密保持法に則り、魔法族が第一次世界大戦に参加することを禁じた。けれども、それを守った魔法族は少なく参加した魔法族が多かった、と記憶しています。中には戦争の英雄と称えられた魔法族も居たとか」
「よく勉強していますね。そのようにマグル界で起こった戦争に魔法族が参加する、理由は分かりますか?」
マクゴナガルの問いに対し、ノラは少し考えこむ。思考を続けながらもマクゴナガルを見てみると先ほどまでの淡々とした様子ではなく、どこか楽しそうな表情で、この人は根っからの教育者なんだな、とノラは微笑む。そしてその期待に応えるべく少し考えてから口を開く。
「マグル界の戦争に対し、魔法族が参加する。という事にメリットがあった。もしくは自国が負ける、戦争が長引く事で魔法族に対しても何らかの不利益があった。のではないかと思いました」
「えぇ、私もそう考えています。魔法界の食料自給率を見てみると分かるでしょうね」
「──魔法界の食料自給率、ですか?」
「イギリスの中での食料自給率ではなく、魔法界単体においての食料自給率です。魔法界においての食料自給率は限りなく低いといってもいいでしょう。魔法界では食料だけではなく、魔法薬に必要な植物も沢山必要とされています。故に普通の食料とする植物や牛などの動物だけではなく、薬草や魔法生物の生産率の方が多いのです。はっきりと言ってしまえば、魔法界の食料はマグル界から輸入されている物が多いのです」
そして軽く咳ばらいをしてマクゴナガルは続ける。
「「つまり、魔法界はマグル界に大きく依存しているのです。だからこそ、魔法族もマグル界を理解し、学ばねばならないのですよ。新聞などを取ってみるといいでしょう。これで、魔法族である私がマグル界について詳しい理由は分かりましたか?」
「えぇ、先生。分かりました。マグル界と魔法族の食料自給率等考えた事なかったので、新たな視点を手に入れた気分です」
「歴史は、何かを単体を学べばいい、というわけではありません。その国にはその国の。その地域にはその地域の視点があります。ホグワーツに来れば、あなたも多くの事を学べるでしょう」
「先生のおかげでホグワーツに行くのが楽しみになってきました」
ノラの言葉を聞いてマクゴナガルは嬉しそうに微笑んでからホグワーツに入学することについて話を進め、ノラはその内容を熱心にメモを取りながら聞いた。
「──では、そろそろお暇させていただきます」
「もう行かれるのですか? スイーツなどは結構ですか?」
「えぇ、次に会いに行かなくてはならない生徒が居るのです」
「同級生になる子、ですか?」
「そうです。あなたにとって同級生になる生徒です」
「その子にも新しい世界を見せてあげて下さいね」
「えぇ、もちろんです」マクゴナガルは笑顔を浮かべたまま、頷いた。
マクゴナガルを門の外まで送り出している最中にマクゴナガルがノラの方を向く。
「あぁ、そうだ」
「なんでしょう?」
何かを思い出したマクゴナガルに対し、ノラはミネルバの言葉に首を傾げる。何か言い忘れでもしていただろうか?
「もしよろしければ一緒にダイアゴン横丁に向かいませんか?」
「え?」
「学用品などの購入の際、マグル界の子を教員が引率することが出来るのです。マグルに簡単にバレないような仕組みが施されているので、地方の魔法界とは多少勝手が違うのです」
「お願いしてもいいですか?」
ノラの言葉にマクゴナガルは頷く。
「えぇ。もちろんです。では、また後日手紙を送ります」
「分かりました、よろしくお願いします」
「それでは、また」
パチン、と弾けるような音と共にマクゴナガルは目の前から消え去った。
「──魔法界、か」
ノラは空を仰いだ。
この空の下には、マグルも魔法族も生きている。違いはある。でも、人としての寂しさや温もりは、たしかに同じだった。
彼女はまだ知らない。自分の出生も、運命も、これから出会う人々も。
けれど、それでもいいと思えた。
はじまりは、いつだって小さなきっかけから始まるのだから。