殺人鬼達に救われる道はあるのか? 作:コミカド
法廷に出る日は、朝起きたら真っ先に温めのシャワーを浴びる。
汗をしっかりと洗い流し、髪のクセを完全に直す。
朝食は白米を炊き、豆腐とワカメの味噌汁と軽いオカズで腹八分目の食事をする。
歯を磨き、髪型を整えたら化粧をする。
この時、出来る限りナチュラルなメイクになるように気を付ける。
おろしたてのスーツを着たら、汚れやシワが無いか鏡で良く確認。
そして忘れ物が無いか荷物を確認し、前日に自分の顔が映る位にピカピカに磨き上げた靴を履く。
最後に玄関前の姿鏡で最終チェック。神経質なまでに身嗜みに気を払う。
問題なければ胸元に弁護士バッチを着け、「いってきます」と呟いて家を出る。
これが珠樹が初めて法廷に出た日から今日まで続けるルーティン。
人の人生さえ左右する神聖な場に立ち向かう為の、決して疎かに出来ない儀式であった。
○○裁判所第一法廷前、珠樹は事務所長である古舘豊彦と共に、依頼人であるタンカー船の所有会社の社長と挨拶を交わしていた。
「本日はよろしくお願いします。」
「ハイ。こちらこそ何卒、何卒よろしくお願いします!」
社長は豊彦の手を両手で握ると、必死の形相で懇願する。
日に焼けた筋肉質な社長であるが、その目の下には濃い隈が出来ている。
鹿島船長ほどでは無いにせよ、社長も管理責任を問われ世間から中傷混じりのバッシングを受け続けていた。
大口の契約は軒並み見直され、沈没したタンカー船の保険金も保険会社から調査中として支払いを保留され、オリエンタル号の乗客遺族からは莫大な賠償金を請求されている。
ただでさえ多くの社員を失い会社の継続さえ不透明な状況にあって、今回の裁判次第では文字通り社長は首を括る必要さえ出てくる。
「社長、あんまり思い詰めないで下さい。貴方方に悪い所は何もない。私らはそう信じてますから。きっと大丈夫です。」
豊彦は思い詰めた様子の社長に手を重ね、安心させるように優しい言葉を掛ける。
すると、3人の背後から一団が近づいてくる足音がする。
振り向くと、オリエンタル号沈没事故賠償訴訟の原告団がいた。
先頭に立つのは原告代理人。
珠樹達とも見知った顔の弁護士だが、自分の依頼人に配慮し軽く会釈だけして法廷へと入っていく。
その後ろに続く原告である遺族達は、社長に向かって敵意と憎しみの籠った視線を送り弁護人の後に続く。
社長はそれを、大きな体を縮こませ耐えるしかなかった。
「……さて、我々もそろそろ行こうか。」
原告団が法廷に入るのを見計らい豊彦が促す。
中に入ると傍聴席の最前列を陣取る原告団の姿が目に入った。
彼らの膝の上には、手のひらサイズの家族の遺影が握られている。
一方で最後列の隅っこの席に制服姿の洋子が小さく座っているのを珠樹は見つけた。
珠樹が目配せすると洋子は軽く頭を下げる。
被告側代理人の席に座り、珠樹は資料を広げる。
今回の裁判では事故を起こした主原因が竜王丸側にあったのかを検証するために、竜王丸の唯一の生存者が証言する事になっていた。
生存者は警察の調べに対し『事故当時船長が酒に酔っていた』と証言し、警察もこの証言を証拠採用して被疑者死亡のまま書類送検し捜査を終了していた。
一般的に民事裁判は刑事裁判よりも有罪のハードルが低いとされている。
検察側が確実に犯罪に当たる行為をしていると立証しなければならない刑事裁判と違い、民事は状況証拠だけでも原告側に有利な判決が出やすい傾向にある。
特に今回の場合では捜査機関により『鹿島船長が飲酒していた』という証言が証拠採用されている点が非常に大きく、珠樹が見つけてきた『鹿島船長の航海日誌』をもってしても警察判断を逆転するには難しいと考えられる。
つまり、この裁判で鹿島船長の無罪を勝ち取るには『生存者の証言』という絶対的な証拠を覆す必要があるのだ。
「…準備は万端のようだね。」
「ええ、勿論。今日は絶対に真実を明らかにしましょう。」
「うん。サポート頼むよ。」
豊彦と珠樹が小さな声で話していると、程なく裁判官が入廷する。
「原告代理人、被告代理人、準備はよろしいですか?」
「原告代理人、準備完了してます。」
「被告代理人も同様です。」
「わかりました。それでは本法廷を開廷します。」
裁判官の号令により『オリエンタル号沈没事故』の真実を明らかにする裁判が始まった。
「今回被告代理人が発見した証拠品、鹿島船長の航海日誌によりますと、事故発生前から沈没直前までの詳細な様子が記録されています。筆跡、また遺族の証言により、此方の証拠品が鹿島船長の物であった事は間違いありません。」
豊彦が裁判官に向かって話すのに合わせ、珠樹はパソコンを操作しプロジェクターで拡大した航海日誌の中身を映す。
「これによりますと、竜王丸は航海法に定められた回避行動を行っていたにも関わらず、オリエンタル号が一切の回避行動をしなかったのが事故原因である事が伺えます。更には日誌に記された内容からも、鹿島船長が泥酔していたと伺える記述も無く、極めて理知的に船員へ指示を出していたのが分かります。これらの事から、被告代理人は原告が賠償請求の根拠としている生存者の証言について『重大な誤り』があると主張します。」
豊彦の主張に傍聴席からざわつきが生まれるが、裁判官が静粛を求めると直ぐに収まる。
それを確認すると裁判官は原告代理人に視線を向ける。
「原告代理人、反証はありますか?」
「はい。被告代理人の主張はあくまでも鹿島船長の手記によるもの。内容的にはオリエンタル号、竜王丸双方の生存者の証言と矛盾しており、被告側に都合の良い内容で信用に足るに至らないと主張します。」
原告代理人の主張に裁判官は「ふむ。」と頷く。
ここからがこの裁判の最重要地点である。
船長の手記と乗組員の主張。
オリエンタル号側に過失があったとする証拠品と、竜王丸の船長に過失があったという証言。
まったく相反する主張のうち、どちらか一方が正しく、もう一方が間違っている。
いずれにせよ裁判官がどちらを正当性のある証拠と認めるかによって、この裁判の結果は大きく変わる。
それを改めて認識し、珠樹は手のひらにじんわりと汗を掻いた。
「それでは証人尋問を行いましょう。原告代理人、証人の準備はよろしいですか?」
「はい。では原告側証人、加納達也さんに入廷して頂きます。」
原告代理人の言葉により、証言台に日に焼けた体格の良い男が登る。
如何にも船乗りといった風体であるが、緊張した様子で視線を彷徨わせる様子からは神経質な印象を受ける。
「証人、お名前とご職業は?」
「あー、えーと。加納達也です。職業は今は無職です。」
「おや?事故当時は船乗りをしていたという風に聞いていましたが?」
「ああ、事故の後に退職しています。流石にあんな事になったら居辛くって。」
被告人席には目もくれず、加納は裁判官の質問に苦笑いで答える。
その様子を被告人席の社長は恨めしげな目で見ていた。
「なるほど、そういう事でしたか。それでは証人、事故に対する質疑に入る前に、今法廷において嘘偽りを証言しない旨を宣誓して下さい。」
「あっ、はい。えーと、私は今法廷において、嘘偽りを証言しない事を誓います。これで良いですか?」
「ありがとうございます。それでは原告代理人、証人に対する質疑を行って下さい。」
「はい。ではまず最初に、加納さん、事故が起きた時の状況についてお話下さい。」
「はい。えーと、事故があったのは夜の事でした。その日俺は夜のシフトから外れていたんで居室に戻って休んでました。そしたら突然、夜勤務に当たってた後輩が血相を変えて入ってきて『ヤバいです先輩!船がぶつかりそうになってます!』って言ったんです。慌てて操舵室に行くと、前方から大型の客船が向かって来るのが見えました。船長はどうしたのか?って聞くと『酒に酔って使い物になりません。』って言われました。良く見たら操舵室の椅子に座ってベロンベロンになってる船長が居ました。その間も船同士は接近していって相手の船が回避行動をしているのが見えました。直ぐに操舵が出来る船員が舵を取りましたけど、間に合わずにぶつかってしまったんです。はい。」
「加納さん、その後鹿島船長はどのような行動を?」
「しばらくの間は状況が分からなかったのかボーとしてましたけど、流石にヤバいと気が付いたのか船内に発生した火災を消火するように命令しましたね。だけどその後は自室に引きこもっちゃいました。」
「部屋に引きこもって鹿島船長は何をしていたんですか?」
「さぁ、何をしてたんですかね?もしかしたら自分に都合が良いように慌てて日誌を書いていたのかもしれませんね。」
「…なるほど。では最後に、鹿島船長はどんな人物でしたか?」
「死人を悪く言うのも気が引けるんですけど、あんまり良い人ではありませんでしたね。なんつうかパワハラ気質というか部下への配慮も足りてなかったし、勤務中に泥酔するとかありえないですもん。」
喋るうちに余裕が出てきたのか、鹿島船長の悪し様を語る加納の顔にはヘラヘラとした笑みも見える。
傍聴席の洋子が凄まじい表情で加納を睨み付けているのが珠樹には見えた。
加納の証言は竜王丸、並びに鹿島船長の過失を認めるものだ。
竜王丸の船員であり鹿島船長の指揮下にあった加納が自身の上司の非を認めるメリットは無く、その点も加納の証言に信憑性があるとされた理由である。
この証言を崩さない限り、鹿島船長の汚名を灌ぐ事は出来ないだろう。
「では続いて、被告代理人による質疑応答を行います。よろしいですか?」
「問題ありません。それでは加納さん、質問をします。」
裁判官の呼び掛けに豊彦が立ち上がり、恰幅の良い体をユサユサと揺らしながら証言台の横に歩く。
「…加納さん、貴方と鹿島船長の関係ですが、あまり良いものではなかったようですね?」
「…まぁ、そうですね。お互いに良い印象は無かったと思います。」
「ええ。会社の方にお聞きしたところ、貴方が鹿島船長に叱責されているのをよく見掛けたという話を聞きました。なんでも、貴方は遅刻や寝坊の常習犯。危うく船に乗り遅れたり、シフトに穴を開ける事も度々あったとか。勤務評定もあまり良く無かったようですね。」
「それはっ!………私には睡眠障碍があるんです。ナルコレプシーといって、過眠や突発的な眠気が現れます。それで遅刻する事もありますけど、会社にはキチンと説明してますし、それを承知で雇われてました!なのに船長はいちいちグチグチと…」
「鹿島船長が問題視していたのは、貴方のコミュニケーション面です。貴方の障碍に配慮した勤務体制を取り、貴方が已む無く遅刻した際には他の船員がフォローに入るように指導していました。しかし他の船員からは、フォローしたにも関わらず貴方から謝罪や礼がなく、むしろ当然の事のように振る舞う様子に不満が上がっており、鹿島船長へ加納さんに対して改善指導を行うよう要望がされていたそうですね。それをパワハラと言うには…」
「異議あり!裁判長、被告代理人の質問は本件の事故とは関係無く、いたずらに証人の心証を悪くするものです。質問の変更を求めます。」
「…異議を認めます。被告代理人は質問を変えてください。」
「…分かりました。では加納さん、鹿島船長は普段から船内で飲酒をしていましたか?」
豊彦の質問に、加納はその真意を探るかのように沈黙するが程なく頷く。
「普段はどんなお酒をどの程度嗜んでましたか?」
「ええと。基本はビールだったかな。500ml缶を毎日2~3本位飲んでました。」
「500mlを2~3本ですか。なかなかの量ですね。それは毎日?事故があった日も同じ量を?」
「ああ、基本的に日中の仕事が終わったら船長室で飲んでたよ。事故のあった日はいつもより多かったかな?たぶん帰国間近で気が緩んでたんだろうな。」
ニヤケ笑いを隠さずに加納は嘯く。
しかし、それを見る豊彦の眼が鋭く光る。
彼は加納の証言の不審点を見逃さなかった。
「ふーむ、なるほど。しかし、少し変ではありませんか?」
「はぁ?何が変だって言うんだよ?」
「加納さん、貴方が乗船した竜王丸は原油の輸送のために日本を出発。途中寄港すること無く中東の『アブラバ王国』に向かい34日間の航海を経て現地に到着。それから給油と休養を兼ねて7日間停泊。その後原油を満載した状態で日本へ出発し、アブラバ王国の港を出て39日目にオリエンタル号と衝突事故を起こしました。」
珠樹が差し出した資料を読みながら豊彦は説明するが、その意図が分からず加納は混乱した様子である。
「仮に貴方の言うように、鹿島船長が毎日最低でも2缶ビールを飲んでいたとしましょう。80日間の航海で消費された缶ビールは160本、重量は約80㎏。24本入りのケースでも6ケース以上です。これだけの物をいったい船内の何処に持ち込んだというのですか?」
「ど、どこって、船の物資庫に…」
「出航前の記録によると、竜王丸の物資庫は長期間の航海に向けて食料や日用品で満杯だったようです。どうあっても160本以上のビール缶を入れるスペースはありません。」
「だったら船長室だ!一般の船員は相部屋だけど船長は個室を持ってた。そこにビールを置いてたんだ!」
「個室といっても船長室の広さは6畳ほど。そこにベッドと机、衣装棚、小型冷蔵庫等が置かれていました。そして一般的な500ml缶ビール24本入りケースのサイズは、縦40cm、横27cm、高さ17cm、重量が12.8kg。それが最低でも7箱です。いかに個室とはいえ、これを置くには手狭過ぎます。鹿島船長は160本以上もの缶ビールを、いったい何処に保管していたというのでしょう?」
豊彦の質問に加納は汗をダラリと流す。
その視線は虚空を彷徨い、必死に言葉を探しているのを窺わせた。
そんな不審な様子に裁判官だけでなく原告側の弁護士も眉を寄せる。
それを察してか更に焦りの色を濃くする加納だったが、ハッと何かを思い付いた様子で顔を明るくさせる。
「そ、そうだ!船長は酒を買い足したんだ!」
「買い足した…それは寄港地でですか?」
「ああ、そうだよ!思い出した思い出した。なんか町に買い物に出掛けて、夜に沢山の缶ビールを買って帰って来たのを覚えてるよ。多分だけど、最初日本を出る時はそこまで持っていって無かったんじゃないかな?それで酒が無くなったから、現地で買い足したんだよ。」
「…ほう?鹿島船長が寄港地で酒類を買うのを見たと。加納さん、貴方はそう主張するのですね?」
「ああ!」
「それは間違いなく?」
「もちろんだ!」
「見間違いでは無いですか?一見酒類に見えて、本当はただのソフトドリンクだったという可能性も…」
「しつこいなアンタ!あれは間違いなくビールだった!」
何度も念押しする豊彦に、加納は立腹した様子で断言する。
彼はまだ、自分が決定的な矛盾を口にしてしまった事に気付いていない。
豊彦はそれを確認するとスッと眼を据わらせた。
「…加納さん、やはり貴方の証言には間違いが、いや、明確な虚言があります。」
「は、はあ?何が虚言だって言うんだよ!」
「先ほどの貴方の証言で確信出来ました。加納さん、貴方は確かにこう言いましたよね?『寄港地で缶ビールを買って帰ってくる鹿島船長を見た』と。」
恐らくそれは、船内で大量の私物の缶ビールを保管するのは不可能だった、という事実との整合性を取るための咄嗟の嘘だったのであろう。
「だけどそれは不可能です。鹿島船長は酒を買う事は絶対に出来なかった。何故なら貴方達が寄港したのは『アブラバ王国』だったんですから。」
説明を受けても加納はピンときてない様子である。
しかし、原告側弁護士、裁判官、そして傍聴人の何人かは豊彦の説明の意図に気付き「あっ!」と声を上げそうになっていた。
「被告代理人、一つ確認したいのですが?」
「なんでしょうか、裁判長?」
「アブラバ王国はイスラム圏国家ですよね?」
「はい。国内には『シャリーア』、俗に言う『イスラム法』が施行されており、酒類の飲酒、所持、購入は禁止されています。」
「なっ!?」
豊彦の説明で加納は自身の失言に気付き顔を真っ青にさせる。
イスラム圏の国には、国法とは別にイスラム教の経典に基づく法律が施行されている国や地域がある。
イスラム教において飲酒は禁止されている。
そのためイスラム圏の国々では法律により飲酒が固く禁じられ、酒類の販売する店など表向きには存在しない。
「ですが加納さん、貴方はハッキリと言いましたね。自分は鹿島船長が缶ビールを買ってきたのを見た、と。酒類の販売が禁止されている国で鹿島船長はどうやってビールを購入出来たと言うんですかっ!?」
「うぐぅ………」
「…加納さん、貴方は鹿島船長との人間関係が決して良くなかった。それは貴方自身も認めている。だからこう思ってしまったんじゃないですか?事故の原因を鹿島船長に被せ、鹿島船長の名誉を汚してやろう、と。」
「ち、違う!そんな事は考えてなかった!」
「ではどうして鹿島船長が飲酒していたなどと証言したのですかっ!?それも明らかに矛盾のある証言を!」
「いや、それは…」
「加納さん、貴方は悪意を持って鹿島船長を貶める証言をした。違いますかっ!?」
「違うっ!俺は頼まれて……あっ。」
豊彦からの追及を必死に躱そうとした加納だったが、遂に決定的な一言をこぼしてしまった。
それを見逃す豊彦では無い。
「頼まれた?それはつまり、貴方は法廷の証言台で鹿島船長が飲酒をしていたと証言するように依頼されたという事ですか?いったい誰に?」
「ええと、それは…」
「加納さん、貴方自分が何をしたのか分かってますか?貴方は証言台に立った際、この場で嘘偽りを言わないと宣誓したんですよ。これを反するなら『偽証罪』を犯した事になりますよ。」
「偽証罪?」
「ええ。法廷において事実でない証言をする事。刑罰は3ヶ月以上10年以下の懲役になる重罪です。」
偽証罪は加害者が自分の意思によって犯す『故意犯』に当たる。
故に誤って人を殺めてしまった罪よりも重い刑罰が下される傾向にある。
「つまりですね、今回の事故の場合だと誤って船を沈め多くの人を死なせてしまった人よりも、この法廷で偽りの証言をした貴方の方が重い罰を下されるんですよ。」
「じょ、冗談じゃねぇ!なんで頼まれて証言した俺の方が船をぶつけて来やがった奴らより割りを食わなきゃいけないんだ!」
「船をぶつけて来やがった奴ら、ですって?」
「ああ、そうだよ!オリエンタル号の船長と副船長が言ったんだ!『警察にはそっちの船長が酒を飲んでいたと証言してくれ』って。アイツらこっちの無線や警告を無視しやがったクセによぉ。」
加納の告白に法廷は騒然となる。
それは、これまでの事故原因の前提が根底から覆される発言だった。
加納は自分が逮捕される可能性がある事を示され動揺し、オリエンタル号の船長と副船長を売ったのだ。
或いは自分だけ割りを食うのが我慢ならず、『共犯者』を道連れにしようとしているのかもしれない。
豊彦も流石にここまでの発言をするとは予想しておらず驚いた様子を見せるが、気を取り直すと質問を続ける。
「つまり、竜王丸はオリエンタル号が接近して来た際に回避行動を取っていたという訳ですか?」
「あ、ああ。船長が必死に無線や信号で相手にも回避行動を取るように促してたけど、まったく反応が無かった。衝突は不可避だって船長が判断して、俺は脱出用のボートを準備するように指示されたんだ。準備が完了したのと同時に船がぶつかって、その後火災も発生したから仕方なく俺だけがボートで脱出したんだ。」
「では、鹿島船長は酒によってましたか?」
「…いや、酔ってなかった。救助されて病院を退院した時、東亜オリエント海運の役員とかいう奴がオリエンタル号の船長と副船長と訪ねてきて『金を出すから竜王丸の船長が酒に酔ってたと証言してくれ』って言ってきたんだ。」
「…貴方はそれを受けたんですね。」
「仕方ねぇだろ!船が沈んじまって会社もどうなるか分からねぇ!俺にだって生活があるんだよ。」
加納は必死になって自己弁護をするが、そのあまりにも自己都合な言い分に豊彦は嫌悪感を顔に出さないよう努めながら軽く頷くのみであった。
すると原告代理人が挙手し立ち上がる。
「よろしいでしょうか裁判長。本日の法廷については、いったん閉廷するべきだと提案します。どうやら原告が被告を訴えた根拠となる証言に事実誤認、少なくともその信用性には疑問があると思われます。なので今後の方針を明確にする為に、今日のところは解散するべきだと考えます。」
「…分かりました。被告代理人は如何ですか?」
「問題ありません。此方としても原告側と話し合う場を設ける必要があり、それは今法廷外で行うべきだと考えます。」
「よろしい。それでは本日は閉廷といたします。なお原告、被告の双方代理人、並びに証人の加納達也は後程別室に来て下さい。」
裁判長が閉廷を宣言すると、傍聴席にいた記者達が一斉に外に出る。
原告である遺族達が混乱した様子で囁き合いながら法廷を去るのを横目に見る珠樹は、その視線を傍聴席の隅に向ける。
そこには眼を真っ赤にし、父親の遺影を膝に抱く洋子がいた。
洋子は珠樹の視線に気が付くと立ち上がり、深々と頭を下げる。
それを見た珠樹は穏やかに微笑むと、周囲から悟られないように小さくVサインを洋子に送った。