殺人鬼達に救われる道はあるのか? 作:コミカド
「それって一体どういうことですか!?」
佐伯航一郎をアメリカに連行する。
そう告げたパトリシアに恭一郎が食って掛かるが、パトリシアは鋭い視線を投げかけ二の句を継がせない。
すると言葉に詰まってしまった恭一郎に代わり、珠樹がパトリシアの視線に入る。
アメリカ人女性としても長身なパトリシアと、日本人女性としては小柄な部類になる珠樹が対面すると珠樹の視線は自然と上向きになる。
だが珠樹は臆することなく上からの視線を見つめ返した。
「それは私も大変気になる所です。出来れば簡潔にではなく、詳しく丁寧に教えて頂けない事でしょうか?」
「……そうデスね。確かに少し説明が雑だったかもしれマセん。分かりました。順を追って説明しまショウ。」
珠樹と恭一郎はパトリシアら3人と対面する形で席に着く。
パトリシアは卓上に置かれたコーヒーカップを手に取ると、それを一口飲んでから口を開いた。
「事の始まりは福岡の総領事館に対し、宮崎県警から米国人の少年を殺人の容疑で逮捕したと連絡が入った事デス。総領事館が大使館を通し少年の身元を照会したところ、少年が数年前から所在不明となっているコウタロウ・サエキだという事が分かりました。彼が本国を出国したという記録はどこにもなく、不法に日本へ入国していた事も合わせて分かりました。」
実際航一郎はアメリカから日本に来る際、自殺した美作碧に変装し、彼女のパスポートを使って日本に入国している。
この時点で航一郎は不法入国者という事になる。
「さらに詳しく調べていくと、コウイチロウの養育者だった叔父は4年前に火事で死んでいて、コウイチロウ自身は孤児院に引き取られて間も無く脱走し、以来行方が分からなくなっていることが分りマシた。」
「つまり、航一郎君は不法入国者だから早急に強制送還させるべき、という話ですか?」
「No.それだけならワザワザ私が日本に来る必要はありまセン。大使館を通してのやりとりで十分デス。」
「じゃあ何で?」
「重要なのはここからデス。コウイチロウの叔父が死亡した火事、これが地元当局ではコールドケースになっていたんデス。」
「コールドケース…未解決事件扱いですか。」
「Yes.一見すると火災原因は寝煙草によるものデシた。しかし、遺体を司法解剖した所、体内から睡眠薬を摂取していた痕跡が見つかり地元当局は寝煙草による火災を装った殺人の可能性が高いと睨んでいました。その際、最重要容疑者として挙がったのがコウイチロウ・サエキです。」
「ま、待って下さい!それって4年前の出来事ですよね?その時ってまだ航一郎君は9歳じゃないですか!」
あまりにも予想外の展開に恭一郎が声を上げる。
「コウイチロウは地域ではとても賢く大人びた少年と評判だったそうデス。一方で彼を引き取った叔父はかなり問題のある人物でした。幼いコウイチロウを自身が所有する牧場で働かせ、虐待の疑いで児童相談所の調査を受けた事も有りマス。更に若い頃には、10代の少年に対して性的暴行を加えた容疑で逮捕されていマス。」
「そ、それじゃあまさか、航一郎君は…」
「地元当局はコウイチロウもまた性的虐待を受けていた可能性があると考え、それから逃れるために火事に見せかけ叔父を殺したのではないかと疑ってマシた。とはいえ、相手は10歳にもなっていない子供です。捜査員は彼のメンタルを考慮し、慎重に捜査を進めてました。But,その間に彼は孤児院から姿を消し、捜査は続行困難に。事件はコールドケースになってしまったんデス。」
けれど今回、航一郎が日本で逮捕されたことにより事件が動き出したのだとパトリシアは語る。
「4年前の未解決事件の容疑者となった少年が、日本で大量殺人を犯したとして逮捕された。この事はアメリカでも話題になり、4年前の事件についても注目が集まっていマス。そこで改めて事件を検証するために、コウイチロウ・サエキの身柄をアメリカに移送し、取り調べを行いたいのです。」
そう説明するパトリシアに続き、今度は外務省の役人である鴨井が口を開く。
「日本はアメリカとの間で『犯罪人引き渡し条約』を結んでいる。原則として、アメリカの犯罪人が日本で確保された場合、アメリカから引き渡しの要求があったならば応じる義務がある。これは相互条約上必要な事だ。」
日米間の犯罪人引き渡し条約では、犯人が日本国籍の場合や政治犯の場合などの例外を除き、原則としてアメリカから引き渡しの要求があったならば応じる事とされている。
航一郎は日本とアメリカのハーフであり、幼い頃は日本に住んでいたので日本とアメリカの二重国籍を有していた。
しかし、日本政府は二重国籍者も「日本に居住資格がない場合は退去強制可能」としており、これを考慮すると日本政府がアメリカの引き渡し請求を拒否するのは極めて難しいだろう。
すると今度は法務省の宇川が口を開く。
「法務省としてはだ、佐伯航一郎は日本の警察によって保護され、日本の司法により強制的な処置を認めた上での自立支援施設への入所を決定している。他国の干渉があれど、この決定が覆る事は無い。国際条約上の『子供の権利保障』との兼ね合いからも、少なくとも保護処置期間が終了するまで、佐伯航一郎の身柄を米国に引き渡すことは出来ない。」
「じゃあ、保護処置が終了したらどうなるんですか?」
珠樹の質問に、宇川は眼鏡の位置を直しながら答える。
「……18才以上になり保護処置が解除されれば、滞在資格の無い者は本国に強制送還される。」
「そして強制送還された先で、航一郎君は逮捕起訴されるという訳ですか。」
珠樹は奥歯をギリッと嚙む。
航一郎は確かに許されざる罪を犯した。
だがその過ちを心から悔やみ、贖罪の道を歩みだそうとしている。
加えて航一郎は13歳の子供だ。
いくつもの辛い経験が彼の心を歪め殺戮の道に走らせてしまったが、今ならまだやり直すことが出来る。
その前提があったからこそ、日本の司法は彼に罰を与えるのではなく、保護する事を決定したのだ。
しかし、アメリカの司法が必ずしも同じ判断をするとは限らない。
「オブライエン捜査官、一つ貴方の意見をお聞かせください。もし5年後、航一郎君がアメリカに強制送還された場合、アメリカの司法はどの様に動きますか?」
「…先程の話の通り、地元当局はコウイチロウ・サエキを放火殺人の重要参考人、よりはっきり言えば犯人だと睨んでいマス。もし取り調べの結果容疑が固まれば、間違いなく起訴するでショウ。日本と違い、アメリカでは殺人などの重大犯罪では子供であっても大人と同様に裁かれマス。年齢は関係ありまセン。」
アメリカにも州によっては未成年者に対して寛大な処分を科す法律はある。
しかし故意による犯行、特に殺人などの重大犯罪の場合は大人と同様に処される。
「もちろん、まったく年齢が考慮されないという訳ではアリマセン。特にコウイチロウの場合は、養父に性的虐待を受けていた疑いが持たれています。But、彼は孤児院脱走後にストリートで窃盗やカツアゲ等の犯罪を繰り返しており、この国では5人もの人間を殺害し遺体をバラバラに解体していマス。陪審員の心証は確実に悪くなるでショウ。」
航一郎が日本で犯した犯罪についてアメリカで裁かれる事はない。
だが航一郎がどういった人間性なのか判断する上で、その犯罪歴は間違いなく不利になるだろう。
「おそらくコウイチロウは故意による殺人、『第1級殺人罪』で起訴されマス。状況証拠的にも有罪になる可能性が極めて高く、仮釈放無しの『終身刑』が下されると思われマス。」
仮釈放無しの終身刑。
それは、日本の司法では未成年者に対してまず下されない重い罰である。
「いったいどうすりゃ良いんだ…」
パトリシア達が去った後、所長室に残った珠樹と恭一郎であったが、目の前に突如として降って湧いた難問に思わず頭を抱えてしまう。
まさかアメリカの司法関係者が現れ国家間条約の履行を求められるなど、完全に予想の範疇を越えていた。
「とにかくまずは、航一郎君に事情を聞きに行く必要があるわね。」
「放火殺人を実際にやったかどうかについてですか?」
「そうよ。航一郎君が養父の死にどの様な関わりがあったのか、それを確かめない事には始まらないわ。」
「でもそれを確かめたとしてどうするんですか?オブライエンさんの話しぶりだと、航一郎君がアメリカに送還されるのは確定みたいでしたけど。僕達が出来ることってあるんですか?」
「………所長、国際弁護士として考えを聞かせてもらえませんか?」
恭一郎の質問に窮した珠樹は豊彦を頼る。
豊彦はアメリカでも弁護士資格を取得しており、アメリカの法律や国際法規の取り扱いに一日の長があった。
「…まず外務省が言ったように、日本は米国との間に犯罪者の引き渡し条約を結んでいる。そして法務省の主張通り、日本で逮捕され保護処置が決定された以上、保護期間が終了するまでは日本の司法判断が優先される。この点はアメリカ司法も了承しているだろう。」
問題は保護期間終了後である。
日本政府は過去に犯罪人の引き渡しに関し、当該人物が未成年である事を理由に引き渡しを拒否した事例がある。
ただその時も、当該人物が成人すると条約に基づき引き渡しに応じており、今回の場合もそうなる公算が高い。
そうでなくても他人のパスポートを使い不法入国をした航一郎は、入管法によりいつ強制送還されてもおかしくない立場にある。
航一郎をアメリカ側に引き渡さないというのは、現時点では極めて難しいと言わざるを得ない。
「要するにアメリカ側の言い分は『日本国内の犯罪に対する司法判断は尊重する。だからアメリカでの犯罪はこちらに任せて日米間の条約を遵守せよ。』って事だろうね。」
「至極真っ当ですね。わざわざ当局の捜査員を派遣してきたのも誠意と受け取れる。日本政府としては、受け入れない理由が無いわ。」
「そ、それじゃあ、航一郎君は…」
「………こんな正攻法でやられちゃ、守りきるのは不可能よ。」
珠樹は苦渋に満ちた表情で項垂れる。
アメリカは別に日米間の力関係を盾に無茶な要求を突きつけた訳では無い。
日米が対等な立場に立った条約の履行を求めたに過ぎないのだ。
問題があるとすれば、それは両国間の少年犯罪に対する刑罰格差だろう。
「こんな事を言うのは間違っているかも知れませんけど、日本で5人を殺害して保護処置になった航一郎君が、アメリカでは1人を殺した罪で終身刑となるのは、なんというか…」
「…法律と言うのは、その国の歴史、風土、文化、社会制度によって形作られているわ。だから他国の人間からしたら悪法に見えても、その国の社会秩序を保つ為には必要だって事は往々にしてある。それに日本人の中にも、航一郎君が犯した罪の罰としては『日本よりもアメリカの方が正しい』と思う人も少なくない筈よ。」
実際ネット上には大量殺戮を犯したにも関わらず18歳になれば社会復帰出来るとした家庭裁判の判断に対し、「いくら未成年者といっても処分が甘すぎる!」といった声が多く上がっていた。
中には「こんなやつ大人になったらまた同じような事をする。死刑にしてしまえ!」という過激な意見もある。
「それは……分かります。彼の犯行は、彼が18才以上ならほぼ確実に死刑が下されていたくらい悪辣です。でも、彼は13歳です。頼れる人もなく、唯一心を許していた恋人も死んでしまって、心を憎しみで支配されていた。だけど!」
恭一郎は必死の形相で珠樹と豊彦に訴え掛ける。
「今は自らの行いを後悔し、心から反省しています!どん底の人生から生まれ変わろうと努力しています!そんな彼がこれから一切更正する機会を得られぬまま、一生を監獄で過ごさなければいけないという事に、釈然としないんです。」
もし恭一郎が完全な部外者であれば、ここまでの事は言って無かったであろう。
だけど彼は、佐伯航一郎という人間を知ってしまった。
航一郎の境遇を、人間性を、その想いを知り、彼が再び日の光の下を歩ける手助けをしたい。
そう思ってしまっていた。
「………珠樹ちゃん、恭一郎、2人の気持ちは良くわかる。だが現実問題として、これはうちの事務所じゃ手に余る問題だ。」
豊彦は机の上で手を組み重々しく告げる。
「これは『法律』の問題ではなく、『外交』の問題だ。我々に出来る事は限られている。」
「……ええ、分かってます。」
「…珠樹ちゃん、もし辛いようなら担当を代わっても良いんだよ?」
「それだけは出来ません。これから本当に苦しい思いをするのは航一郎君です。それなのに担当弁護士が逃げ出すなんて出来ませんよ。」
「…分かった。引き続き佐伯君の事は君に任せる。あとは、ルイスに連絡をしておこう。」
「えっ!母さんに?」
「ああ。向こうの法律に関する事ならルイスが専門だ。それに少なくとも佐伯君がアメリカに送還されるまでには5年の猶予がある。それまでにルイスに頼んでアメリカの司法関係者にロビー活動をしてもらえれば、多少は裁判の結果に影響があるだろう。」
ルイスとは、恭一郎の母親で豊彦のパートナーであるルイス・キングパークの事である。
アメリカで弁護士としている彼女は日本とアメリカを行き来する生活を送っており、日米双方の法曹関係者との繋がりがある。
「確かに向こうの事についてはルイスさんに任せるのが良さそうね。私達が対処すべきは、航一郎君への対応よ。」
「…航一郎君に伝えるんですか。」
「うん。遅かれ早かれ必要な事よ。それに航一郎君は敏いから、下手に隠してもいずれ知る事になると思うの。だったらせめて私達の口から…」
「…分かりました。僕も一緒に行きます。」
「うん。ありがと、恭一郎先生。」
そう礼を言う珠樹の顔には、普段の彼女からはおよそ想像できないような苦し気な笑みが浮かんでいた。
パトリシアとの邂逅から3日後、珠樹と恭一郎は航一郎が暮らす自立支援施設に来ていた。
面会室に通されソファに座っていると、程なく職員に伴われ航一郎が現れた。
「やあ!珠樹先生、恭一郎先生、久しぶり。」
「お久しぶり、航一郎君。また背が伸びたんじゃない?」
「分かる?前計った時から3センチ伸びたんだぜ。」
成長期を迎えたからか、航一郎の体格は中性的な華奢さから男性的な肉付きに変わりつつあった。
もしかしたら、施設での規則正しい生活と栄養バランスの整った食事も影響しているのかもしれない。
「今日はどうしたの?なんか俺に聞きたいことが有るって聞いたけど。」
「うん、ちょっとね。航一郎君がアメリカにいた時の話を少し。」
「アメリカの?」
「そう。航一郎君を預かっていたおじさん、その人って火事で亡くなったんですってね。」
その言葉を聞いた瞬間、航一郎の顔に一気に緊張が走った。
すぐには言葉を返さず、心を落ち着かせるように数回深呼吸を繰り返した後に珠樹の目を見詰め口を開いた。
「ああ、家で火事が起きて、その時に死んだよ。」
「…その火事について、向こうの警察が放火を疑っている事を知ってた?」
「……いや。とっくにタバコの火の不始末で片付いていると思ってた。」
「…そう。航一郎君、単刀直入に聞くわね。貴方はその火事について、何か知ってる?」
「………」
「話したくないならそれでも良いわ。無理に話せとは言わないから。」
「………いや、大丈夫。大丈夫だよ、珠樹先生。」
航一郎は、もう一度だけ大きく息を吐いた。
「俺が、火を点けたんだ。睡眠薬を飲ませて、寝煙草をしたようにみせかけて。」
「……そう、なのね。」
「……向こうの警察が来たんだろ?それで、俺をアメリカに連れてって捕まえようとしてるんだろ?」
そう語る航一郎に恭一郎の目が見開く。
どうして君がそれを?
そう疑問に思う恭一郎を見透かしてか、航一郎は力なく笑う。
「アメリカのスラムで生活してたんだぜ、俺。警察に捕まった奴らがどうなるかくらい知ってるよ。それにここに来てからいろんな本を読んだからさ、日本とアメリカが犯罪者を引き渡す条約を結んでいる事も知ったんだ。」
「………航一郎君、もし貴方がアメリカに連れていかれたら、どんな判決が下されるか貴方は知ってるの?」
「…うん。たぶん、一生刑務所から出られないだろうって事は。」
「…そうね。恐らく、そうなる可能性が高いわ。」
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
それを破ったのは航一郎だった。
「ここに来てからさ、色んな奴に会ったよ。親に捨てられた奴、親の再婚相手に暴力を振るわれた奴、生きるために強盗や恐喝をしてた奴。俺だけが特別不幸でどん底だと思ってたことが、ここでは特別じゃなかった。みんな似たような境遇で、それぞれ同じような傷を持ってた。だけど…」
その日初めて航一郎の顔が苦し気に歪む。
「人を殺した事があるのは、俺だけだった…」
「航一郎君…」
「みんなちゃんと分ってるんだ。自分が死ぬほど苦しい目を見たからって、それが人を殺していい理由にはならない。人の命って、そんなに軽い物なんかじゃないんだ。どんな人間にも家族がいて、優しい一面があって。俺だけが、分かってなかった。」
分からないままに、6人も殺してしまった。
そう言う航一郎の目は、悟りを開いたかのように澄んでいた。
「だからちょっと悩んでたんだ。俺がアイツらと同じ様にここを出て良いのかって。自罰とは少し違うかもしれないけど、俺自身がこのまま自由の身になるのが納得いかないんだ。」
「……良く、考えた上での結論ね?」
「うん。俺は正しく罰を受けたい。日本とか、アメリカとか関係なく。」
航一郎の決心は固かった。
それを認めた珠樹はガックリと項垂れる。
このような考えに至る罪人は珍しくない。
自分の仕出かした罪の重さや、残された遺族の悲しみを知って罪悪感に苦しみ、贖罪の道を模索する。
それは、罪を犯した人間が更生へ向かうために絶対に必要なものである。
そう信じているからこそ、僅か13歳で自ら贖罪の為に生涯を捧げようとする航一郎の事が悲しくて堪らなかった。
「航一郎君、貴方がアメリカに強制送還されるまで5年間の猶予があるわ。私達はこの5年間を、全力でサポートする。」
「…うん、ありがとう。」
「…もし何か、不安な事があれば何でも言ってね。して欲しい事でもいいから。」
「………それじゃあ1つ、いや、2つお願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」
「うん、もちろん。」
「だったら…」
航一郎は珠樹達に自身の願いを口にする。
それを聞いた珠樹は黙って頷く。
「うん、任せて。貴方の依頼、お受けします。」
それから瞬く間に5年の歳月が過ぎた。
佐伯航一郎は18歳になり、家庭裁判所の決定に従い保護期間を終了し自立支援施設から退所。
それに伴い不法入国による強制送還が行われ、彼の身柄は入国管理局に引き渡された。
航一郎は管理局員によって成田空港に連行されると、通常の利用客とは別口の入場ゲートを使い国際線の発着口に入る。
そこで待ち構えていたカリフォルニア州警察の捜査官に引き渡されると、アメリカロサンゼルス空港行の便の最後尾へと乗り込んだ。
3人掛けの席の真ん中に座り、両隣を捜査官に固められた航一郎は肩に下げていたウエストポーチを膝の上に置き、中から一冊の本を取り出した。
本のタイトルは『少年の過ち なぜ13歳の少年は殺人鬼になったのか?』であった。
「それが、君が書いた本か?」
通路側に座った捜査官が英語で航一郎に尋ねる。
サングラスを掛けているので表情は読み取れないが、声の調子から単純な好奇心から尋ねてきたのが窺えた。
「ああ。施設にいた時に俺が書いた手記を、弁護士の先生が知り合いのライターに渡して編集して貰ったんだ。」
「そいつの売り上げが遺族に届くようにしてるんだってな。」
「うん。こんな事、償いになるかは分からないけど。」
「…君が反省し、ある程度まとまった金を受け取れるなら、それが誰かの救いになる事も有るだろうさ。」
「………優しいな、あんた。」
「ああそうさ。だから警察になったんだ。」
そう言って笑いかける捜査官に軽く笑みを返しながら、航一郎はそっと本の表紙を撫でた。
この本を出版するというのが、航一郎が珠樹に依頼した事の一つだった。
そうしたい思ったのは、本の印税が少しでも被害者遺族へ還元してくれればと考えたから。
個人の財産をほとんど持っていない航一郎にとって、被害者遺族への慰謝料を捻出する方法はこれしか無かった。
もちろん批判は大いにあった。
売名、被害者遺族を二重に苦しめているという非難の矛先は航一郎のみならず珠樹達にも及び、一時は出版を危ぶまれる事態にも陥った。
しかし、珠樹達は遺族たちと直接面会し説得を行う事で何とか出版に漕ぎつける事が出来た。
その際、一部の遺族は印税から慰謝料をもらう事を良しとせず、自分たちの分の慰謝料は犯罪被害者を支援する団体へ寄付するように約束した。
犯罪という行為で多くの人を不幸にした航一郎にとって、犯罪で苦しむ人を少しでも少なくしたいというのは切なる願いだった。
航一郎は本を開く。
開かれたページには、一枚の写真が挟まれていた。
それは、航一郎のもう一つの依頼により建てられた『美作碧』の墓だった。
航一郎の手により密かに埋葬されていた碧の遺体を、珠樹達が現地の警察と協力して掘り起こし、正式に教会の墓地に埋葬し直したのであった。
「ごめんな、碧。墓参りに行くのは当分遅くなりそうだ。」
誰にも聞かれないように小さく呟く。
果たして、自分が彼女の墓に行くのは何時になるのか。
長い時間を掛けてしまうのは確定しているが、今はそれが航一郎にとっての目指すべき光となっていた。
佐伯航一郎はアメリカに送還後、すぐさま現地の警察による事情聴取を受け程なく殺人罪で逮捕、起訴された。
裁判に先立ち担当弁護士になったルイス・キングパークは、陪審員に対して、
「今回の裁判はあくまでもアメリカで起きた事件についてのみ審理するものであり、彼が日本で起こした事件とは直接的な関係は無く別件として考える必要がある」と主張。
また犯行の動機として被害者の叔父から性暴力を含む虐待を受けており、当時9歳の被告人は精神的に非常に追い詰められていたと情状酌量の余地を主張した。
対する検察側は、
「犯行は非常に綿密かつ計画的に行われており、精神に異常をきたして起こしたとは考えられない。また孤児院を脱走後、被告人は恐喝や強盗、売春などで生計を立てており、日本では大量殺人を犯していてその社会性は壊滅的であり更生の余地は無し」と主張して厳罰を求めた。
そして長い審理の果てに陪審員が出した判決は、次のようなものであった。
「被告人は被害者に睡眠薬を飲ませ寝煙草に見せかけ殺害するなど、犯行において極めて理知的に行動しており精神的な異常が犯行に与えた影響は極めて軽微だと判断できる。また虐待を受けていたとしても、当時の状況を鑑みるに被害者を殺害する以外に虐待から逃れる手段を考え行動する事は可能であり、逼迫性は無かったと言える。
被告人は犯行後、自らの意志で逃亡し路上生活を行っていたが、その間もいくつもの犯罪行為を繰り返し、日本国に不法入国し5人の命を奪う所業を犯している。
日本国での犯罪は日本国内の法で既に裁かれているとはいえ、アメリカと日本の友好関係に多大な影響を及ぼした事について無視できない。
以上を以て、被告人コウイチロウ・サエキは第1級殺人罪で有罪。終身刑とする。なお仮釈放については収監後45年の間、申請できないものとする。」
航一郎は判決を受け入れ、刑務所に入った。
収監後の彼は刑務所内で執筆活動を行い、その作品は書籍化されアメリカ国内で大いに評価された。
航一郎は「世界で最も売れている監獄内の作家」と呼ばれるようになったが、彼はその印税を犯罪被害者支援団体に寄付し続けている。
・パトリシア・オブライエン
「明智警視の優雅なる事件簿」で語られる明智がロサンゼルス市警で研修を受けていた時のパートナー。原作中では明智と男女の仲であった事が匂わせられている。
原作中ではロサンゼルス市警の殺人課に勤務していたが、本作では出世し州警察本部に勤めているという設定。
本作では役割上敵役のように見えるが、あくまでも彼女は上からの命令に従っただけである。
・アメリカにおける少年犯への終身刑
米国は「世界で唯一公式に未成年者に終身刑を科す国」と言われている。
現在アメリカ国内で終身刑に服役する囚人の数は20万人以上になり、米国全土の収監者の7人に1人が終身刑である事を意味する。
そしてその内、約1500人が未成年犯罪で仮釈放なしの終身刑を言い渡された者である。
近年、少年に対して「更生の余地はない」として仮釈放の無しの終身刑に処すことに関し、アメリカ国内では現法制度の見直す動きがある。
2012年、殺人を犯した者を含むすべての少年に対する「強制的に科される仮釈放の可能性の無い終身刑」を違憲とする「ミラー判決」が下された。
この背景には、終身刑判決を下された未成年の多くが貧困層の黒人であり、判決に人種的差別や経済的に私選弁護士を雇えなかったことが影響し、その是正が求められた事に起因していると言われている。