殺人鬼達に救われる道はあるのか? 作:コミカド
この人は本当に生きているのだろうか?。
浅野遥子を初めて目にした時、恭一郎は思わずそんな感想を抱いてしまった。
場所は遥子が留置されている警察署。
珠樹と冬部と恭一郎は剣持警部の計らいにより、検察に送致されるまでの僅かな時間を割いて遥子と接見する事が出来た。
「はじめまして、浅野遥子さん。私は弁護士の野々宮珠樹です。本日はお時間を作っていただき本当にありがとうございます。」
珠樹がいつもの調子で話しかけるが、遥子がそれに反応する事は無い。
瞬きをするのさえ億劫そうに、ただ光の無い眼で虚空を眺めていた。
その肌に生気は無く、ただ生きているだけ。浅野遥子は完全に正気を失っていた。
いや、彼女が失ってしまったのは正気では無く、生きる気力なのだろう。
恭一郎はそう思い、この接見が彼女に生きる活力を切っ掛けになれば、と願った。
しかしながら、アクリル硝子越しの浅野の様子を見る限り決して容易では無いことが窺えた。
「……これは思っていたよりも重体ね。そうね…何から話そうかしら…」
さしもの珠樹も、これ程までに遥子の精神が荒廃しているとは予想していなかったのか表情を強張らせる。
そうして暫く考えた末に思い切って本題から入る事にした。
「浅野さん、深町充君って子に聞き覚えはあるわよね?」
その言葉に遥子は初めて反応を示した。目蓋をピクリと震わせるような、ほんの僅かな反応だが。
「昨年、四ノ倉学園の構内で亡くなった深町君は、貴女の受け持ちの生徒だった。実は私たち数日前から彼の死に疑問を感じて色々と調べてたの。その過程で深町君には親しい異性がいる事が分かったわ。これを見てくれる。」
そう言って珠樹が恭一郎を示すと、彼は布が被せられた絵を遥子の前に出し布を取る。
現れた絵に遥子の目が僅かに見開く。
「これは深町君が生前に製作し、彼の御両親が学園に寄贈した『子守唄』という絵。貴女も知っているわよね?」
遥子は珠樹の言葉に反応しない。それどころでは無かった。
『子守唄』に描かれていた聖母の顔。それは紛れもなく...
「そう、貴女よ。浅野遥子さん。深町君はこの絵のモデルに貴女を使い、そしてわざわざ水溶性の絵具を使って顔を隠した。それはおそらく、今はまだ公にする事が出来ない貴女への想いを込めていたから。深町君は、貴女に対して並々ならぬ想いを抱いていた。私はこの絵を見てそれを確信したわ。」
深町充の両親の許可を得て、業者に頼んで表面の水彩絵具を剥がして貰い『子守唄』の真の姿を拝んだ際の衝撃を珠樹達は忘れないであろう。
この絵に込められているのは感謝と愛。例え製作の背景を知らなくても心がそれを理解出来る程の熱量が、この絵には込められていた。
「大変恐縮だけど、警察に頼んで貴女の家の周辺に聞き込みをして貰ったわ。その結果、約1年前程を前後して、貴女が夜間に自宅の周辺で若い男性と一緒にいるのを見たという証言を得られたわ。深町君の写真を確認して貰ったところ、深町君と極似しているそうよ。あと、これは非常に申し上げ難いのだけど、貴女の部屋の隣人が同じ時期に貴女の部屋から男女の声を聞こえていた、と証言してくれたわ。」
その言葉に遥子の顔にサッと朱が差す。間違いなく、彼女の心に人間的な感情が戻りつつあった。
「以上の事から、私は貴女と深町充君が男女の関係であったと推測するわ。では何故貴女は室井矢一君を殺害しようとしたのか?深町君が室井君をはじめとした3人組に学園内でイジメられていたという証言を得られているわ。受験ノイローゼで自殺したとされている深町君だけど、本当はイジメを苦にして自殺した。その復讐に貴女は室井君達の殺害を決意した。」
「という風に考える人もいるかもしれないけれど、私はそうじゃないと思うわ。真実はもっと残酷よ。」
「………え?」
風が抜けたような掠れた困惑の声。しかしそれは、逮捕以来初めて声を発した浅野の声である。
その瞳には絶望とは違った色の光が僅かに宿っていた。
「死亡当日の深町君の行動を調べてみました。深町君は午後4時、自宅を出て学園に向かい4時半には学園の門を通ってます。その後、5時からの講義に出て8時まで講義に参加してる。だけど、その後の消息が不明。御両親が携帯に連絡を入れたけど繋がらず、翌日の朝に学園内の木で首を吊って死亡しているのを発見された。携帯のメモ機能には『もう疲れました。ごめんなさい』と残されていた。」
そうした状況から警察は早々に自殺と断定した。司法解剖さえ行われていない。
剱持警部頼んで担当所轄の報告を読ませて貰った珠樹達にとって、失望を禁じ得ない結果だった。
「いちおう臨場した捜査官によると死亡推定時刻は午後9時時頃と予想されて、死因も頸部圧迫による窒息死が濃厚みたい。」
以上の事から警察は講義終了後、深町充は構内に残り人が居なくなったのを見計らって用意したロープを木に結び、現場にあった丸椅子を足場にして首を吊ったのだと判断した。
「だけど自殺だとすると明らかに不自然な点があるの。まずは自殺に使ったロープの入手先。深町君は自宅を出てから最寄りのバス停でバスに乗って学園の近くまで通学してたのだけど、その間にロープを売っている店は皆無よ。」
ならば前もって用意していたのか?というとそれも違うと珠樹は首を横に振る。
「現場に残されていた深町君の鞄には当日の講義の教科に関する教材が入っていた。ロープを入れる隙間は無かったわ。それが不自然な点の2つ目。当日深町君はどうやってロープを持ち運んだのか?」
珠樹はさらに、現場の状況について説明する。
深町充が首を括ったロープは直径1m程の木の幹を4周に渡って巻き付けるように結ばれ、太い枝の上を通しその先端に輪っかを作った状態であった。
そのためロープの長さは約6m弱にも及ぶが、問題はその持ち運びである。
現場には深町本人の鞄と踏み台となった丸椅子が見つかっているが、他に袋や鞄の類いは見つかっていない。
つまり深町本人が1人で自殺の準備をしたとするなら、彼は参考書で一杯の鞄と6mにも及ぶロープ、そして丸椅子を手に持って現場まで来た事になる。
普通に考えて不自然過ぎる。
「そもそも首を吊って自殺するつもりなら、わざわざ木の幹にロープを結んで枝に掛けるなんてやり方よりも、直接枝にロープを結ぶ方が手間は無いわ。これらの事を踏まえ、私は現場には深町君とは別の人間がいて、ロープや丸椅子の類いを現場に持ち込んだと思うの。そして当時の関係者の証言から深町君は自殺をしようなんて考えていなかったと思われる。とするなら、深町君は自殺ではなく...」
殺されたんじゃないか?
珠樹の言葉が冷たい取調室に響く。
同席している恭一郎や冬部も、固い表情で遥子の様子を窺った。
「………どうして……どうしてもっと早く……貴方達…弁護士なんでしょ?なんで弁護士に分かる事が…警察に分からないの?」
初めて明確に浅野遥子が発した言葉は酷く震えていた。
震えて、掠れた涙声だった。その両目からはポタポタと雫が零れ落ちている。
珠樹は思わず取調室の壁のマジックミラーに目をやる。
恐らくその向こうでは、剣持が沈痛な面持ちでいることが容易に想像できた。
「…浅野さん、貴方は深町君の死の真相について何か知っているのよね?出来れば教えて欲しいの。彼がどうして命を落としたのか。彼の無念を訴える為にも。」
遥子の顔が苦しげに歪む。
その心の内に激しい葛藤が渦巻いていた。
「私…ずっと苦しんできたんです。たとえ深町君がイジメに耐えかねて自殺したとしても、それは私が彼の本当の心の支えになれていなかったからなんじゃないかって。でも私が聞いた『真実』は!悲しみの底にいた私を更なる地獄の底に叩き落としたのっ!」
そして浅野は、深町充の身に何があったのか語り始めた。
「『首吊りごっこ』だなんて…しかも死なせた相手を『負け犬』呼ばわりなんて酷すぎるわっ!」
珠樹達から深町充の死の真相を聞かされた美雪は瞳から涙を溢し憤る。
その横で一や千家も腕組みした手を強く握りしめ、怒りの形相を浮かべていた。
場所は警察署の小会議室。そこで珠樹は浅野から聞いた一達に深町充の命を奪った真実を語った。
「なあ、珠樹先生、これって事故じゃねえよな?立派な殺人事件だろ?」
「…正直微妙なところね。確かに浅野さんの話を聞く限りでは室井君達は深町君が『死んでも構わない』という意思を持って首吊り状態にしたと思えるわ。けれど証拠が無い。何より浅野さんが計画的な連続殺人を行おうとした事実が、彼女の証言の信憑性に一定の疑いを抱かせる一因になり得るわ。」
「そんな…」
珠樹の言葉に美雪は失望の声を漏らす。
そんな幼馴染みの気を紛らわそうとしてか、一が殊更陽気に振る舞う。
「そんな顔するなって!要は室井や古谷が深町を殺したっていう証拠を見つけてくれば良いんだろ?だったら俺に任せとけって!必ず証拠を見つけてやるさ!」
「はじめちゃん…」
「無茶はするなよ、金田一。野々宮先生、私の方でも再捜査を提言してみます。殺人未遂の動機の裏付けとでも言えば、上も文句は言えん、いや、言わせません。」
「大丈夫なんですか、剣持警部?結果的に警察の初動捜査のミスを公にする事になるかもしれませんけど。」
「構いません。我々は警察を守る為に警察をしてるんじゃありません。市民を守る為に警察をしてるんです。」
剣持は胸を叩き断言する。
その瞳には刑事としての使命感と、犯罪被害者の無念を晴らそうとする気概に満ちていた。
「野々宮先生、俺達も調べましょう!これは見過ごして良い犯罪じゃ無い。」
「だな。問題は半年以上前の事件の客観的証拠が残っているかだが…」
冬部の不安は的中する。
その後、学園周辺の防犯カメラを確認して回った珠樹達だったが、半年も経てば大抵の映像は上書きされてしまう。
自殺で処理された深町充の遺体は司法解剖もされておらず、検視調書からは他殺の明確な証拠は見受けられない。
再捜査は早々に暗礁に乗り上げてしまった。
「どうもお時間を頂きありがとうございました。失礼します。」
四ノ倉学園にほど近い民家の住人にインターホン越しに頭を下げ、珠樹は小さく溜息を吐いた。
そして手元のメモ帳に×を書き加える。
浅野遥子との面会から1週間、珠樹達は学園周辺の防犯カメラを手当たり次第に確認したり、事件当日に現場近くで室井たちを目撃した住民がいないか聞き込みをした。
しかし、その結果は悉く空振りだった。
「今のでこの区画の民家は全滅ですね。クソっ!分かってはいたけど厳しいな。」
「いったん事務所に戻りましょ。それでもう一度、聞き込みの範囲を広げる事を検討した方が良いかもしれないわ。」
「だけどこれ以上広げるとなる、流石に俺たちの手では…」
冬部の口からも弱気な声が漏れる。
浅野遥子が起こした事件に関しては既に検察への送検が完了している。
警察では剣持が深町充の事件について上に再捜査を進言しているが、すでに半年以上前に自殺で片付いた事件を掘り起こす事に上層部は乗り気ではないらしい。
一達も学園で生徒たちを中心に聞き込みをしているようだが、芳しい結果は得られていない。
「まだまだこれからよ。諦めなければ必ずどこかに事件を紐解くカギがある筈よ。」
珠樹は己を鼓舞するようにそう言ったが、現状打開策の糸口は見つけられていない。
とにかく一度捜査範囲の見直しをする必要がある。
そう判断した三人が事務所に戻ると、事務員のハルから客人がいる事を伝えられる。
案内された部屋に行くと、そこには一、美雪、そして千家の三人がいた。
「ああ、来てたのね、はじめ君…って千家君どうしたのその顔!?」
千家の顔には真新しい青痣が出来ていた。
本人はバツが悪そうに下を向き、その横で一がからかいとほんの少しの呆れが混じったような笑みで説明する。
「千家、今日古谷と喧嘩したんすよ。いきなり胸倉掴んで殴り合いしてさ。」
「殴り合いって穏やかじゃないわね。いったい何があったの?」
決して気性が激しいわけでは無い千家が何の理由もなしに人を殴る訳が無い。そう思って珠樹が尋ねると美雪が答えた。
「ええと、浅野先生が殺人未遂事件を起こしてから、襲われなかった古谷くんと仁藤くんが浅野先生の嫌な噂をずっと流してたんです。今日なんか浅野先生の事を「キチガイだから仕方がない」とか言ってて。それで宮園君が怒って注意したら…」
「古谷の奴なんて言ったと思います!「お前も首を吊りたいのか?」って脅しやがったんですよ!あいつ、人の命を奪ったくせに何とも思ってないんですよ!」
千家は怒りがぶり返した様子で叫ぶ。一も共感した様子でいつになく神妙な様子で頷く。
「千家がキレるのも無理ねーよ。俺だってはらわたが煮えくり返りそうだったもんな。」
「それで千家君は古谷君達に殴りかかったのかい?」
冬部が尋ねると千家は頷く。
「はい。我慢できなくて。結局すぐに講師が駆け付けて引き離されちまいましたけど、一発顔面を殴ってやりましたよ。そんで、俺は晴れて四ノ倉学園を退塾って事になりました。」
「良いんじゃねえの?俺もこの事件が片付いたらあの予備校は辞めるつもりだしさ。」
「まあ、金田一君はそれで良いけれど、千家君は親御さんとはきちんと話した方が良いかもしれないよ。事情は何であれ、相手に怪我を負わせてしまっていたら厄介な問題になるかもしれないし。」
「はい、実はその事も有って今日は伺わせてもらったんです。なんか古谷の奴、親に頼んで俺を訴えるって事も言ってたみたいで。もしよろしければその時は先生たちに助けて貰えないかなって。」
「お安い御用さ。そういう事なら何時でも力になるよ。ねっ、野々宮先生。」
「そうね。あとついでに宮園君の事も気にしてた方が良いわね。彼も報復の対象になるかもしれないから。」
「そういえば、先生たちって宮園のこと知ってたみたいだけど、なんで?」
「ああ、それはな、初めて学園を訪れた時に…」
そう言って恭一郎は一達に古谷達が宮園に暴行を加えていた件について話す。
話している内に恭一郎は当時の事を思い出しムカムカしてきていた。
「本当に今思い出しても腹が立つよ。あんな胸糞悪い事をただの悪ノリだって言う神経が理解できない!野々宮先生、いっそ宮園君に被害届を出してやるようにアドバイスしましょうか?」
「まあ、それはこの件が落ち着いてからにしましょう。とにかく古谷君達が深町君の死に関与したという証拠を見つけるのが必須よ。」
「そりゃあそうかもしれませんけど…」
言葉にはしないが恭一郎は古谷達が深町を死なせたという証拠が、この世に残っているか段々と不安になっていた。
やはり深町の死から時間が経ちすぎているというのが痛い。
防犯映像は残っておらず、司法解剖もされておらず、遺体は荼毘に付され、有力な証言は浅野が聞いたと言う古谷達の会話のみ。
ハッキリ言って、古谷達を立件するのは不可能に思えた。
だがしかし、この時、恭一郎の話を聞いていた金田一一の脳裏にある可能性が過った。
「もしかしたら…あるかもしれねえ…」
「……金田一君、あるかもしれないって、まさか…」
一のただならぬ様子に恭一郎が緊張と興奮の入り混じった声を掛けると、一は拳を強く握りしめ深く頷いた。
「ああ!古谷達が深町を殺した決定的な証拠だよ!恭一郎先生の話を聞いてピンと来たんだ!アレならもしかしたら残ってるかもしれないって!」
一は興奮気味にまだ残っているかもしれない『決定的な証拠』について話すと、珠樹達の表情が一変する。
「確かにそれなら、あってもおかしく無い物だし、いまも見つける事は可能よ!」
「けれどどうします?探そうにもそう易々と調べられるものでは無いですよ。」
確かに金田一が思いついた証拠品は古谷達の犯行を裏付ける強力な証拠品になるだろう。
しかしそれを珠樹達が手に入れるには、そう簡単ではないハードルが存在した。
だが珠樹の瞳には、これまでにない自信が漲っていた。
「それこそ法のスペシャリストである私達が何とかする問題じゃない!多少汚い手段になるけれど、この証拠だけは絶対に手に入れるわよ!」