殺人鬼達に救われる道はあるのか?   作:コミカド

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なぜ母は獣になったのか?

 巽家当主、巽蔵之介が死去した1週間後、巽家本邸の大広間にて蔵之介の遺書が公開される事になり、屋敷には巽家の親類縁者が多く集まっていた。

 蔵之介より遺言書を預かった弁護士が、関係者が全員集まった事を確認すると咳払いをする。

 

「それではこれより先代当主巽蔵之助様の遺言状を開封いたします。」

 

「ちょっと待って下さい岩田先生。この女性は誰なんですか?」

 

 巽家の顧問弁護士を長く務める岩田和己に対し、龍之介が岩田の隣に座るスーツの女性を指して尋ねる。

 

「ええと、こちらの方は東京の弁護士事務所に所属される方で野々宮珠樹先生という方です。」

 

「はじめまして。野々宮珠樹です。本日は生前の巽蔵之介様の御依頼に基づき、遺言状の開封に同席させてもらう事になりました。」

 

「親父の依頼で?なんで東京の弁護士に親父がそんな。まさか、変な関係じゃないでしょうね?」

 

 部外者である珠樹が一族の未来を決める場に同席する事が不快なのか、龍之介は強い警戒心を滲ませながら珠樹を問い詰める。

 しかし、珠樹は澄ました顔でそれを受け流す。

 

「ご安心ください。蔵之介様とはあくまでも仕事上の関係です。龍之介様が危惧するようなことは御座いません。」

 

「お兄さま、そもそもそのような事を衆人のいる前で尋ねるのはお止めください。巽家の品格が疑われますわ。」

 

 妹のもえぎからも諭され、龍之介も流石にバツが悪くなったのか「ふん!」と鼻を鳴らすと押し黙る。

 岩田はホッと息を吐くともう一度咳払いをして本題に入る。

 

「ゴホンっ!まず最初にお断りしておきますが、当巽家では家督の相続は男子に限られており、当主は自分の息子の中から才覚ありと認めた者を次期当主と指名するしきたりになっております。当家では龍之介様、隼人様、そして征丸様にその資格があり…」

 

「おいおい征丸は関係ないだろ!」

 

 岩田の言葉を遮り龍之介が嘲りの言葉を口にする。

 

「奴は紫乃の連れ子で巽家とは血の繋がりが何もない。赤の他人なんだからな!」

 

「ああ、いや、この指名について異議申し立ては…」

 

「前置きはいい!早く本題に入ってくれ!」

 

「…分かりました。」

 

 長年の付き合いからこれ以上長引かせると龍之介が癇癪を起すと知っている岩田は、説明を切り上げ遺言状を読み上げる事にした。

 

「それでは遺書を読み上げます。『巽家の財産と家督は全て、征丸に相続するものとする』」

 

 そう読み上げられた瞬間、一瞬の静寂の後に混乱を伴ったざわめきが起こる。

 集められた巽家の縁者は皆騒然としていた。

 中でも龍之介は顔面蒼白となりワナワナと体を震わせていた。

 

「バカな!血の繋がっていない養子に遺産を全部…実の息子の俺を差し置いて…」

 

「…どうやら立場が逆転したようだね?龍之介兄さん!」

 

 勝ち誇った声に龍之介が顔を跳ね上げると、これまでの鬱憤を晴らすかのように歪んだ笑みを浮かべる征丸がいた。

 

「この屋敷を出ていくのは僕たちじゃない!アンタらの方だよ!」

 

「っ!!糞っ!誰がこんな遺書認める物か!なんでこんなやつに!殺してやる!俺がこの手でお前を!」

 

 半狂乱になった龍之介は征丸に掴み掛ると、周囲が止めるのを振り払い拳を上げた。

 

「それ以上はお止めになった方がよろしいかと。完全に相続権を欠落していまいますよ。」

 

 その言葉に龍之介の拳が止まる。声のした方を見ると、岩田の隣で珠樹が正座し咎めるかのような視線で龍之介を見ていた。

 

「どういうことだよ?相続権を欠落するって?」

 

「ではご説明いたします。今回のケースだと、法律上巽蔵之介様の遺産の相続権を持つのは配偶者である紫乃様、実子である龍之介様、隼人様、もえぎ様、そして養子である征丸様の計5名です。民法において、遺産の分け方は遺書によって指定できるとされています。なので蔵之介様が残した遺言状は有効です。ただし…」

 

 環は立ち上がると龍之介たちの方へと近づいてくる。

 

「配偶者や子には最低限保証される取り分、いわゆる『遺留分』があります。本来の法定相続においては、配偶者が遺産の半分、残りを子息の方々で均等に分けると規定されています。それが今回、遺言状によって征丸様に全額相続させるとされた訳ですが、他の相続権者の方々は『遺留分侵害額請求』というものを行うことが出来ます。これを行う事により、遺言状で遺産の分与をされなかった相続権者は『本来相続できた金額の2分の1を請求する事』が出来ます。つまり紫乃様は遺産全体の4分の1。龍之介様、隼人様、もえぎ様の御三方はそれぞれ征丸様が相続する遺産の16分の1を請求する事が出来ます。ですが…」

 

 珠樹は振り上げられた龍之介の右手を掴むと、そっと下ろさせる。

 

「相続権者が他の相続権者を殺害・殺害未遂、あるいは強い暴力や脅迫により相続を操作しようとした場合、民法の規定により当該権者は相続権を欠落する事になります。つまり、いま龍之介様は最低限得られるはずの遺産さえも失いかねない状況にあるんです。」

 

「うっ…」

 

 冷静に瞳を見詰められ相続の欠落事由について説明された龍之介は言葉を詰まらせ征丸の胸倉を掴む力を緩める。

 すると征丸は龍之介を突き放し胸元を整えた。

 

「分かったなら大人しく自分の運命を受け入れるんだな!そうしたら引っ越し費用くらいは出してやるよ。」

 

「畜生っ!このままで済むと思うなよ!」

 

 龍之介は悔し気に歯噛みしながら広間を出ていく。

 その後姿を愉悦に満ちた顔で見送る征丸に対し、殺意を含んだ視線で見る者がいる事に珠樹は気づいていた。

 

 それから2週間後、岩田の紹介で新しい女中として「蓮見花子」が巽家の屋敷で雇われる事になった。

 これらが一達がくちなし村を訪れる数か月前に起きた事である。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 日が沈み切った夜の10時過ぎ、巽征丸は『合わせ扉の間』のどんでん返しを押して鉄の扉の前に立っていた。

 不気味な鋼鉄の扉を前に、征丸の足が止まる。

 

「ねえ母さん、赤沼さんが待ってるって言うけど、いったいどんな用があるんだろう?」

 

「…あなたが巽家の当主に成るにあたって、どうしても伝えておきたいことがあるそうよ。旦那様の友人として、巽家の次期後継者が知っておかねばならない事を。」

 

「ふーん、いったいなんだろう?」

 

 征丸は後ろから付いて来ている母親の紫乃の返答に納得した様子で鉄の扉の前に進むと、そのドアノブに手を伸ばす。

 その背後で、部屋の片隅に前もって準備していた日本刀を紫乃が手にした事に征丸は気が付かない。

 征丸はそのままドアノブを引き扉を開ける。

 だが部屋の中で待っている筈の赤沼の姿はどこにもない。

 

「あれ?母さん、部屋には誰も…」

 

 そう言って振り返ろうとする征丸の背中に向かい、紫乃は日本刀の切っ先を突き立てようとする。

 

 その時だった

 

 征丸の体が突如として床に引きずり倒され紫乃の視界から消える。

 日本刀の切っ先は空振り、目標を失った紫乃は予想外の事態に体を前につんのめる。

 次の瞬間、横から左手首を掴まれると関節を捻り上げられる。

 

「痛いっ!?」

 

 痛みのあまり紫乃が声を上げ日本刀を取り落とすと、今度は膝裏を蹴られると同時に背中から押し潰され、紫乃は左手を極められたまま床に這いつくばらされる。

 

 混乱する頭で紫乃は必死に状況を確認しようと周囲に目線を走らせる。

 すると、目を大きく見開いた征丸が剣持に抱き抱えられ此方を見ていた。

 

「えっ、あれ?母さん?蓮見さんに剣持さんも...えっ!?何ですか、これ…」

 

「…大丈夫だ、征丸くん。大丈夫だから。」

 

 混乱する征丸に剣持は優しい声を掛けて体を離す。

 そして立ち上がると床に落ちた日本刀を回収し、未だ「蓮見」こと北見蓮子に拘束された紫乃と視線を合わせる。

 その瞳には、深い憂いの色があった。

 

「剣持…さん…」

 

「…紫乃さん、こんなことになって非常に残念だ。」

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 それから数時間後、巽家の屋敷は騒然としていた。

 朝方近くに屋敷の者達は全員起こされ、大広間へと集められた。

 その異様な雰囲気に小さなざわめきが起きている。

 

「いったい何があったんだ!?」

 

 最後に連れてこられた龍之介が、集められた人々の前で声を張り上げる。

 その声色にはまだ空が白みだした時間に起こされた頃に起床させられた事に対する不快感が込められる一方で、表情には事態を把握しきれていない混乱と焦燥の色が見てとれた。

 

 他の面々も同様だ。

 もえぎは一見いつも通りに見えるが手は膝の上で固く握りしめられ、隼人は普段しているようなビー玉遊びはせずに黙って姿勢を正している。

 

 そんな中で、紫乃は両脇を剣持と冬木に固められ深く項垂れている。

 力無く俯く母の姿を、征丸は離れた場所で心配そうに見ていた。

 

「あの、仙田さんの姿が見えないみたいですけど…」

 

 すると広間に集まった一同を見渡した一が口を開く。

 それに対し、広間の出入り口前に立ち塞がるように腕を組んでいた北見が答える。

 

「騒ぎが起きてから姿が見えないわね。たぶん逃げたわ。」

 

「…そうですか。なら、始めましょう。」

 

 そう言うと一は集まった人々の前に立ち、軽く咳払いをすると語り始めた。

 

「つい先ほどの事です。征丸さんが紫乃さんに襲われ、殺されそうになりました。だけど事前に征丸さんが狙われる事を予想していたので、間一髪で助けることが出来たました。」

 

「はあっ!?その女が征丸を殺そうとしただって!?何でそんなっ!?」

 

 一の言葉があまりにも予想外だったのか、龍之介は声を上げて驚愕する。

 だが、この場で何よりもそれを信じられないのは他ならぬ征丸だった。

 

「き、金田一くん、さっきのは…そう!何かの間違いだ!母さんが僕を殺そうとするわけ無いじゃないか!ねっ!母さん。」

 

 征丸は動揺する心を押さえ付けるように努めて明るく振る舞い紫乃に声を掛けるが、紫乃は俯いたまま応える事はない。

 一はそれを悲しい目で見ながら言葉を続ける。

 

「信じられないのは無理も無いと思います。ですが紫乃さんには征丸さんを殺さないといけない理由があったんです。」

 

「母さんが僕を殺す理由?そんなのある訳…」

 

「…征丸さんは『犬神家の一族』と『八つ墓村』という作品を知っていますか?」

 

「えっ?確か昔あった殺人事件の話だろ?それと何の関係が…」

 

「そう。2つとも俺のジッチャンが解決した事件です。そしてその2つの事件には『ある共通点』があるんです。」

 

「共通点だって?」

 

「それは事件直前に旧家の遺産相続の必要性が発生し、それに起因する犯人の動機が『自分が希望する人物に遺産を相続して貰うため』という事だ。」

 

 『犬神家の一族』の犯人は、自分の息子に犬神家の家督と遺産を相続させるために他の相続人候補を殺害した。

 『八つ墓村』の犯人も、自身が好意を抱く人物に多治見家の家督を相続させるために何人もの人間を手に掛けた。

 

「そして紫乃さんが征丸さんを手に掛けようとした理由も同じ。巽家の財産と家督を、征丸さんじゃなく龍之介さんに相続させるためだったんだ!」

 

「な、なんだとっ!?」

 

 龍之介が再び驚きの声をあげ首を横に振る。

 

「ありえないっ!どうしてその女が征丸を殺して俺に家督を相続させようとするんだっ!?逆ならまだしも...」

 

「それを説明するために、まずはこれを見て欲しい。」

 

 そう言うと一は、皆の前に写真を並べ始める。

 

「これは…」

 

「親父か?こっちは爺さんに叔父さん達の若い頃の写真だよな?」

 

 出されたのは巽家の血を継ぐ人々、その若き頃の写真であった。

 

「みんな、これらの写真と征丸さんを見比べてみてくれ。何かに気付かないか?」

 

「…あっ。」

 

 それに最初に気が付いたのはもえぎだった。彼女は征丸の顔を凝視し口元に手を当てる。

 そして征丸も一が言わんとする事に気付き顔面を蒼白させる。

 

「そ、そんな…嘘だ…」

 

「お、おい、どういう事だ!?この写真が何だって言うんだ!」

 

 1人写真の意味を察せず焦る龍之介。

 そんな彼に、一は哀れみの籠った声色で教える。

 

「そっくりなんですよ。征丸さんと巽家の人々が。」

 

「………は?」

 

「よく見て下さい。巽家の人達はみんな明るく細い髪質で、色白で線が細い人ばかり。逆に龍之介さんみたいに、色黒で癖のある髪質の人は写真を見る限り1人もいません。」

 

「な、何を言って…そんな、肌や髪の色くらいで...」

 

 一が示した巽家の身体的特徴。

 それは隼人やもえぎといった巽家の人間は勿論、征丸にも見られる物。

 ただ1人、龍之介だけが誰とも似ていない。

 その意味に勘づいてしまった龍之介は震える声で否定しようとするが、1度頭を過ってしまった最悪の予感は彼を激しく動揺させる。

 

「18年前、龍之介さんは市内の病院で産まれました。その時、同じ病院でもう1人男の子が産まれています。」

 

「ま、まさか…」

 

「その男の子の名前は征丸。そう、龍之介さん達の母親である綾子さんと同じ頃に、紫乃さんも同じ病院で男の子を出産しているんです。そして、当時その病院に務めていた研修医が証言してくれました。」

 

 情報提供者の保護の為、匿名とさせて貰うと告げた上で一は元研修医の証言を口にした。

 

「紫乃さんが、自分の子供と巽家の子供を入れ替えていた、と。」

 

 嬰児交換

 その現場を見ていたという証言に、紫乃は体を震わせるも否定はしない。

 

「う、嘘だ…嘘だ嘘だ嘘だ!俺は巽家の長男なんだ!こんな女の子供の訳が!」

 

「そ、そうだよ金田一君!そんな証言、絶対的な証拠とは言えないよ!」

 

 龍之介と征丸が揃って一の推理を否定する。

 互いにいがみ合い、常に対立してきた2人がこういう時に限って団結する様子は言い様の無い無情さがあった。

 

「確かにこれまで俺が上げたのは状況証拠でしかありません。けれど、DNA 鑑定さえすればハッキリとします。だけどその前に、紫乃さん自身に聞きたいんです。」

 

 そう言うと一はずっと下を見つめ続ける紫乃の方へ視線を向けた。

 

「紫乃さん、貴方は昨日の朝、猟銃を持ち出して征丸さんに銃口を向けようとした龍之介さんから猟銃を奪いましたね?」

 

「そ、そうだ!その女は征丸を守ろうと俺から銃を…」

 

「違う!あの猟銃は3年前に泥棒に盗まれそうになったから銃口に詰め物がされていたんだ!」

 

「詰め物だと…じゃあまさか…」

 

「そう、あの時本当に危険だったのは征丸さんじゃなくて龍之介さん!紫乃さんの行動は龍之介さんを守る為のものだったんだ!」

 

 巽家の人間で猟銃に詰め物がされていた事を知らないのは3年前から留学していた龍之介のみ。

 もしあの時本気で龍之介が猟銃に実弾を籠め引き金を引いていたら、猟銃は暴発し最悪の場合龍之介は死んでいた可能性もある。

 

「そしてもう一つ、一昨日に現れた赤沼と言う男、北見さんが赤沼の歩く姿を動画にとって解析したところ、紫乃さんと仙田がそれぞれ赤沼に成りすましていることが分りました。この鑑定結果は警察でも採用されている科学鑑定で行われて判明した物だ。恐らくだが、紫乃さん達は赤沼という架空の人間を作り出した上で征丸さんを殺害し、捜査を攪乱しようと企てたんだ。」

 

 具体的にどのようなトリックを考えていたかは流石に分からない。

 しかしながら、わざわざ征丸を赤沼が滞在している事になっている合わせ扉の間に連れて行った上で殺害しようとした事から、間違いなく赤沼と言う架空の存在をトリックに利用していた事は間違いない。

 

「赤沼が存在しない人間であること、それを紫乃さんと仙田が協力して作り出した事、そして征丸さんと龍之介さんが赤ん坊の時に嬰児交換をされた事を知った時、今回の脅迫事件の裏側に隠された企みに気が付いたんだ。それは、征丸さんを殺害し龍之介さんを巽家の当主にしようとする恐ろしい計画だ。」

 

 それに気が付いた一達は、先んじて紫乃の計画に気が付いた北見と共に紫乃を監視した。

 そして数時間前、紫乃が人目を避けるように征丸を合わせ扉の間まで連れ出そうとしているのを発見した一は剣持と北見に連絡し、先回りして征丸を救出したのであった。

 

「以上が俺の推理です。何か反論はありますか、紫乃さん?」

 

 一から問い詰められ、紫乃は膝の上でハンカチを強く握る。

 その表情には諦めと後悔の色が強く見えた。

 

「か、母さん…嘘だよね?僕は母さんの息子だよね?」

 

「………いいえ、違うの…私の本当の子供は龍之介。征丸、貴方の本当の母親はあの女、あの綾子よ…」

 

「母さんっ!?」

 

 征丸の悲痛な声が響く。龍之介に至っては衝撃のあまり言葉を失ってしまった。

 

「私が15の時、父が多額の借金を残し亡くなったわ。以来私は病弱な母と惨めで苦しい生活を余儀なくされた。それでもそんな境遇から抜け出したい一心で、勉学に励み県内一の県立高校に入学できた。だけどそこにあの女が、綾子がいたの…」

 

「先妻の綾子と貴方は同じ高校だったのか…」

 

 一の問いに紫乃は頷く。

 

「綾子は資産家の令嬢で何事も自分中心でなければ気が済まない性格。貧乏人のクセに何かと目立つ私が気に食わなかったのか、私をイビり抜いたわ!私がそれを訴え出ても、『貧乏人の被害妄想だ!』と私を笑い者にして。悔しくて悔しくて眠れない日々を過ごしたわ!」

 

 当時の事を思い出したのか、紫乃の顔に濃い憎しみが現れる。

 

「そして高2の時、母が倒れ亡くなり、私は生きていくために学校を辞めて働かなくてはいけなくなった。高校を中退した女にろくな働き口なんて無かったわ。私は誰かにすがり付きたいあまりに、たまたまナンパしてきた男に身を預けたけど子供が出来たと分かった途端に男は私の元から離れていった…」

 

 そうして大きくなるお腹を抱え病院で途方にくれていたところ、紫乃は再会してしまった。

 高校卒業後、家同士の政略結婚で飛騨の名家である巽家に嫁入りし、跡継ぎを授かった綾子と。

 

「その時の私は思ったわ。『何だこの差は!』と。あんな最悪の性格の女が良い縁談の末に幸福な生活を手にし、産まれてくる子供達も皆幸福な未来が保証されている。それに比べて私の子供の一生は!」

 

 思い詰めた紫乃は、せめて自分の子供には幸せな生活を送らせてやりたい気持ちが募り、自分の子供と綾子が産んだ子供を入れ換える凶行に走ったのだと言う。

 

「…これはあの女への復讐でもあったんです。だってあの女は知らぬ内に私の子供を育てる事になるんですもの。さんざん貧乏を嘲けた私の子供をね…」

 

 そう言って口元を吊り上げた紫乃の顔は、一がこれまでに見たあらゆる人の顔の中でも、特に醜く、おぞましい顔をしていた。

 

「俺の幸せの為に征丸と俺を入れ替えただと?デタラメだ!だったらなんで今頃になって俺の前に現れた!」

 

 紫乃の告白を受けてもその残酷な真実を否定したい龍之介が叫ぶ。

 

「あんたが征丸を連れて現れたりしなければ、俺は何の苦労もなくこの家を継ぐ事が出来たんだぞ!本当にあんたが俺の幸せを願っていたのならそんな事をするわけ…」

 

「ええ、わかってます!だけど貴方は私の生き甲斐だった!」

 

 紫乃は龍之介の言葉に顔を覆い懺悔する。

 

「大きくなった貴方を一目見たくて、私は使用人としてこの家に入った。あの女はここぞとばかりにイビり抜いたけど私は幸せだった。巽家の後継者として立派に育っていく貴方を見ていられるなら…」

 

 綾子が死んだ後、当主から後妻にならないか打診された時には龍之介と正式に親子になれると喜んで受け入れた。

 

 あとは龍之介が正式に巽家の後継者と認められ、征丸が弟として龍之介を支え共に巽家を盛り立ててくれればこれ以上の幸せは無かった。

 

 だが綾子が紫乃をイビる所を側で見ていた龍之介は、母に倣うように紫乃や征丸に辛辣に当たった。

 征丸も敬愛する紫乃を粗雑に扱う龍之介を恨み、2人の間には瞬く間に取り返しのつかない深い溝が出来てしまった。

 なんとか2人の間を取り持ちたい紫乃だったが、龍之介は程なくイギリス留学に行ってしまった為にそれも出来なくなった。

 

「そしてあの『遺書』が…征丸に全ての財産と家督を譲るという旦那様の『遺書』が全てを台無しにしてしまった…」

 

 遺書が公開された瞬間、征丸はこれまでの鬱憤を晴らすかのように勝ち誇った顔で言った。

 『この家を出ていくのはお前達だ!』と。

 

「その時の龍之介を見下す表情が、かつて私を蔑んだおぞましい綾子の顔そのものだった!!」

 

 この時、紫乃は綾子の高笑いを幻聴した。

 

『あんたの子供は幸せにはなれない!』

 

『運命には逆らえない!』

 

 という声を…

 

「あの女はっ!死んでも私の邪魔をする!私の幸せを…龍之介の幸せをっ!征丸は私の子供なんかじゃない!龍之介の幸せを奪おうとする穢らわしいあの女の子供なんだ!!だからっ!」

 

 紫乃は顔をあげると、壮絶なまでの狂った笑みを浮かべた。

 

「征丸は…死ななくちゃいけないんです…私の…龍之介の幸せの為に……」

 

 そう言うと、まるで糸の切れた人形のように倒れ伏し啜り泣きをした。

 誰も、何も言えなかった。

 そのあまりにも凶悪な愛情に...そのあまりにも憐れすぎる慈愛に…

 

「………間違ってますよ、紫乃さん。」

 

 そう、呟くように口にしたのは剣持だった。

 剣持は崩れ落ちた紫乃の側に寄ると、膝を着いて紫乃の肩に手を置いた。

 その瞳には深い悲しみを帯びながらも、人々の安寧と生活を守る警察官の強い使命感が宿っていた。

 

「…間違っている。何もかも間違っていますよ、紫乃さん。例えそれが誰かの為であったとしても、犯罪で得られる幸せなんて物は無い。結局誰かを深く傷つける事にしかならない。」

 

「剣持さん…貴方に私の気持ちなんて…」

 

「ええ…貴方が本当に苦しい時に側にいなかった私に、貴方の苦しみや憎しみを本当の意味で理解する事はできません。ですが貴方の愛情が間違っている事と、貴方によって苦しんでいる人がいるのは分かります。」

 

「私のせいで苦しんでいる人?」

 

「征丸君ですよ!今この場で一番苦しんでいるのは彼です!」

 

 剣持の言葉に促され、紫乃は征丸へと視線を向ける。

 征丸は泣いていた。

 顔をクシャクシャに歪め、声を出さず、涙と鼻水が流れるままに膝の上で拳を強く握りながら。

 必死に耐えるように...血を流すように…

 

 北見が不意に感情を圧し殺したような声で告げた。

 

「…貴方と征丸さんの親子関係は偽りの上に成り立っていたものかもしれません。けれど…貴方と征丸さんの18年は決して復讐だけで成り立ってはいなかったと思います。でなければ、征丸さんは貴方のために怒りを覚える事もなかったでしょうね。彼は心から、貴方の事を愛していた。」

 

「…ああ…あああっ!!」

 

 紫乃は漸く気が付いた。

 誰よりも憎しみに囚われていたのが自分であると。

 龍之介への愛を言い訳に、龍之介と征丸の関係に自分の憎しみを重ね合わせていたと。

 

 それに気付いた時に溢れだしたのは、赤ん坊の時から自分の子供として育ててきた男の子との想い出だった。

 

『おかあさん!きょうほいくえんでおはなをつくったんだよ!おかあさんにあげる!』

 

『お母さん、これ母の日のカーネーション。いつも本当にありがとう!』

 

『母さん、あまり無理はしないでね。中学に上がったら俺もバイトするから、あんな所で働かなくても良いよ。』

 

『俺悔しいよ!どうして母さんがあんな風に扱われなくちゃいけないんだ!母さんが何か悪いことでもしたのかよ!』

 

『母さん、母さんのお陰で俺は18歳の誕生日を迎えることが出来ました。母さんみたいな人を親に持てて、俺は本当に幸せです。これからは俺が母さんを幸せに出きるように頑張るから!』

 

 

 

 

 

「ああっ!ごめんなさい!ごめんなさい!征丸、わたしは何てことをっ!」

 

 誰もが心が張り裂けそうになる悲痛な叫びであった。

 

 血が繋がっていなくても親子だったはずなのに…

 たった一人、自分の事を母親として慕ってくれていた筈なのに!

 

 憎しみと嫉妬に狂わされた心が親子の情によって正常に戻った時、そこにいたのは取り返しのつかない後悔に苛まれ、罪悪感と羞恥心に悶え苦しむ母親だった一人の女だった。

 

「失礼します。遅くなりました。」

 

 すると重苦しい空気を切り裂くように新たな人物の声と共に襖が開けられる。

 広間に集まった者達が視線を向けると、そこにはダークスーツを着た小柄な女性がいた。

 

「どうもお久しぶりです。弁護士の野々宮珠樹です。事情についてはお聞きしています。これより、巽蔵之介様の依頼に従い、二つ目の遺言状の公開を行います。」

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