殺人鬼達に救われる道はあるのか? 作:コミカド
首都東京の繁栄を象徴するような高層ビル群、その一つの中層フロアに珠樹はいた。
フロアの片隅にある仕切り付きの応接間の椅子に座り横に視線を向ければ、スーツ姿の社員達が忙しげにキーボードを操作したり取引先と通話しているのが見えた。
「お待たせ致しました。」
しばらくすると、そう声を掛け切れ目の中年男性が珠樹の前に現れる。
細い銀フレームの眼鏡を掛け、ピシャリという擬音が似合うスーツの着こなしは、いかにもやり手の営業マンといった風である。
「はじめまして。水沢莉緒様の担当をしておりました、等々力と申します。」
「はじめまして。古舘法律事務所で弁護士をしています、野々宮珠樹です。」
珠樹は立ち上がり、頭を下げて挨拶し等々力と名刺を交換する。
再び椅子に座ると、等々力の部下とおぼしき若い社員が見計らったように2人の前に湯飲みを出す。
湯飲みを口に運び、軽く舌と唇を湿らせると等々力が口を開いた。
「それで、本日はいったいどの様な御用件でしょうか?取り次ぎの者からは水沢様の事でお話がある、と伺ってますが。」
「…はい。実は水沢莉緒さんの死因について、少し不可解な事があると分かりまして。」
「…具体的には?」
「水沢莉緒さんの死因は、持病の心疾患によるものとされました。しかし色々調べた結果、作為的な行為によって引き起こされた可能性があると判明しました。」
「それは……何というか…穏やかでは無いですね。」
等々力の表情に大きな変化はない。
しかし声色からは明らかに困惑した様子が感じられる。
「何か根拠があるんですか?いえ、そもそも何故弁護士である貴方がそのような事を…」
「それについては此方をご覧ください。我々が何故水沢莉緒さんの死に疑念を抱いたのかも書かれています。」
そう言って珠樹が差し出したのは、一や千家達と共に集めた情報を纏めた資料だ。
表題に『萬屋総合病院における女性入院患者の不審死について』と書かれた書類に、等々力の視線が険しくなる。
「…拝見させて頂きます。」
「どうぞ。」
等々力は書類を手元に置き、ページを捲り始めた。
1ページ1ページ、時間を掛けてじっくり読み込み、その中身を検めていく。
珠樹はただジッと、等々力が読み終わるのを待った。
果たしてどれ程の時間が経っただろうか。
漸く最後のページを読み終わると、等々力は眼鏡を外して眼を揉んだ。
「…拝見させて頂きました。にわかには信じがたい話ですね。緩和ケアをしている患者に対し、医大生が自作の薬物を処方するなど。人命軽視と言わざるを得ませんね。」
「ええ。同意します。」
「…かなり具体的な話も少なくないとお見受けします。ただし、この資料に書かれている事は全て証言を元にしてあります。カルテのような水沢様の病状について数値で示された物はありませんね。」
「…はい。それらの資料については全て萬屋総合病院が管理しています。転院前の病院での記録は残ってますが、それはあくまでも転院するまでの分です。」
「つまり、萬屋総合病院で人体実験まがいの行為が行われたとする決定的な証拠は無いと?」
「…ええ。そう認めざるを得ません。」
等々力の指摘を素直に認め、珠樹は真っ直ぐな瞳で等々力の眼を見つめた。
等々力も視線を動かさず、ジッと見つめ返す。
が、程なく等々力から視線を外すと、少し疲れた様子で溜め息を漏らした。
「野々宮さん、貴方は私に何を望んでこの資料を見せたんですか?」
「…萬屋総合病院への調査を願います。今回の一件が事実なら、萬屋総合病院は水沢さんの死亡診断書を偽装した疑いがあります。そうなると、水沢さんと保険契約をしていた御社、『東都生命』は本来水沢さんの御遺族に支払った保険金に差額が生まれている可能性があります。そうでなくとも、保険額算定に必須となる公的文書の偽造が疑われる現状は東都生命さんにとって見逃せないのではないでしょうか?」
病院で管理されている個人情報という弁護士であっても容易には手を出せない聖域。
そこにメスを入れる切り札として珠樹が目を付けたのが、水沢莉緒の家族が契約していた保険会社であった。
幼少期に難病の心疾患を患っていると判明した莉緒は、東都生命が販売している保険商品の『こども難病保険』に加入し、治療費の支援等を受けていた。
莉緒が死亡した際、萬屋総合病院が作成した死亡診断書を基に、持病の心疾患の発作による『病死』として保険額を算定し保険金を支払っている。
しかし、この死亡診断書が『心疾患による病死』と偽装された物となると不正確な保険金を支払っていたことになり、東都生命は実態解明のための調査を行う必要がある。
「…確かにわが社でも他の保険会社と同様、不正な保険金の支払いに対し保険調査官を派遣し調査を行うものとしています。この件について、水沢様の御遺族には?」
「既に伝えてあります。御両親共に『是非とも徹底的に調べて欲しい』と。」
「……左様ですか。」
等々力は再び手元の資料に目を落とすと、ペラペラとページを捲り出す。
そしてとあるページを開くと、そこの一文に指を走らせる。
「件の大学生達は『たかが半年しか生きられない患者の為に捕まったら馬鹿を見る』と言うような発言をしてるとありますが…」
「…はい。大学の構内でその様な話をしているのを複数の学生が耳にしています。こうした発言から、学生内でも4名が萬屋総合病院で死亡事故を起こしたのではないかと噂になっているそうです。」
「………なるほど。」
そう呟くと等々力は目蓋を閉じ黙り込む。
程なく目を開くと湯飲みのお茶を一気に飲み干した。
「少しだけ、個人的な話をさせて下さい。私は水沢様の御一家と十年来のお付き合いをさせて貰ってます。莉緒様の病気が判明し、わが社の保険商品を契約していただいてから、ずっと私が担当を務めさせて頂きました。」
「……ええ。存じ上げています。莉緒さんの御両親から、等々力さんは信頼できる人だと。」
「…全くもってありがたい。だけどどうやら、私は水沢様達の信頼を裏切ってしまったようです。」
等々力は膝の上で指を組むと、深く頭を垂れた。
「萬屋総合病院を勧めたのは私なんです。」
「………」
「莉緒様が亡くなる前、御一家とお話をする機会がありました。そこで残りの半年を後悔せずに生きる為のプランを一緒に考えて欲しいとお願いされました。その時の莉緒さまの表情は、吹っ切れたとはまた違う『生きる希望』というのを見つけた、そういう顔をしていました。何か良い変化があったのだろう。そう思わせるイキイキとした雰囲気があったんです。」
死の運命を受け入れ、それでも自暴自棄に成らずに残りの生を全うしようとする人間の表情がそこにあった。
だから等々力はその想いに応えるべく、可能な限り莉緒の遣りたいことをやれる緩和ケアプランを作成に協力した。
その一つが、萬屋総合病院への転院だった。
「萬屋総合病院は規模も大きく、児童医療や緩和ケアのノウハウもあり水沢様の御自宅からもアクセスが比較的にしやすく、優秀な医療スタッフも多いので莉緒さまがケアを受けながら日々を過ごすには最適だ。そう思っていたんです。」
「………その判断事態は間違っていなかったかと。」
実際、萬屋総合病院は地域でも優良な病院だと評判である。
本当なら、この様な事件を起こす病院では無いのだ。
「…本来こういった案件では『1度持ち帰って検討いたします』とお答えするのがセオリーです。ですが、敢えてこうお答えします。」
等々力は1度眼鏡を外すと目元をぬぐう。
そして鋭い眼光で珠樹を見た。
「この件、総力を上げて徹底的に調査させて頂きます。それが保険外交官として私が出来る水沢様への最大の誠意です。」
「…よろしくお願い致します。」
珠樹は手を差し出し等々力と握手する。
そしてこの日から、事態は水面下で大きく動き出して行くことになる。
世間にそれが知れ渡ったのは、それから2ヶ月後。
厚生労働省は萬屋総合病院で医療事故の偽装工作がされた疑いがあるという報告があったとして、萬屋総合病院への立ち入り監査を行った。
それとほぼ同時に、週刊誌にて萬屋総合病院の医院長が自身の息子を含めた医師免許を持たない医大生4人に入院患者に対する医療行為をさせた事、さらに医大生達が担当した入院患者の死亡診断書を偽装した疑いが報じられ、世間の疑いの目が病院へ注がれる事になった。
病院側は会見にて『詳細は調査中』として明確な発言を控えたが、会見を経て東都生命をはじめとする大手保険会社から『病院が提出した死亡診断書やカルテに偽装があった場合、保険会社は間違った保険料を支払っていた可能性が高い』という声明を出し、病院側を告訴する構えを匂わせると世間では大いに話題になった。
「萬屋総合病院、かなり叩かれてますね。」
立ち入り監査から数日後、事務所の休憩室にてスマホでネットニュースを見ていた恭一郎がそう呟くと、ソファに座ってコーヒーを飲んでいた珠樹がカップを置く。
「当然の事よ。ここまで騒ぎになった以上、警察も腰をあげざるを得ないわ。はじめ君の話だと剣持警部が今か今かと上のGOサインを待ってるそうよ。」
このまま行けば遠からず萬屋総合病院が隠した真実は明かになり、関係者には相応の報いが与えられる。
想定どおりに事が進んでいるのに上機嫌で鼻唄を鳴らす珠樹であるが、鞄に入れてあるスマホから着信を報せる音楽が鳴った。
相手は話に出たばかりの剣持からのものであった。
「はい、もしもし野々宮です……ええ…ハイ………え?なんですって!?」
剣持からもたらされた報せに珠樹は思わず声をあげる。
その報せは、事態が珠樹の想定した通りに進まなかった事を示すものであった。
・・・・・・・・
三城大学医学部キャンパスから程近いマンション。
一般の学生が借りるには少々お高いタイプのマンションであり、入居するのは大抵良いところの産まれのボンボンと噂されているが、そのロビーに3人の男女が入ってきた。
3人とも血相を変えた若者であり、自動ドアが開くと真っ直ぐに呼び出しボタンの前に立ち目的の部屋の番号を入れた。
しかし、返事は一切ない。
「糞っ!ふざけんじゃねぇぞ萬屋!おい、居るんだろ!?出ろよ!」
「ダメ、携帯にも出ないわ!」
ボタンの前で悪態を吐く男の後ろで、派手な見た目の女が悲鳴じみた声を上げる。
3人は三城大学に通う渡辺鐘、参道麻衣、百田梅男という医学生である。
彼らは数ヵ月前、仲間である萬屋透の父が医院長を務める病院でバイト中、余命半年の患者に渡辺が自作した薬を投与し経過を見るという実験をした末に死亡させるという事件を起こしていた。
幸い萬屋の父親が手を廻してくれたお陰で患者の死は病死として処理され、3人は萬屋共々大学に戻り以前と変わらぬ学生ライフを過ごしていた。
それが急変したのは一週間前。
ニュースで萬屋総合病院に厚生労働省の立ち入り監査が行われた事が報じられた。
当初は萬屋の病院が何かやらかしたのか、と他人事だった4人だが、程なく監査の目的が数ヵ月に死亡した心疾患の患者の死に疑念があると報道されると彼らを取り巻く環境は一変した。
以前から学内では4人がバイト先の病院で患者を死亡させた、という噂が立っていたが、ここに来て具体的な事例が報道された事で周囲は完全に4人を腫れ物を見る目になった。
そんな中で萬屋は『自分の父親は厚労省の役人とも顔馴染みだからなんとかなる』と楽観的に言っていたが、今日になって学校側から4人に対して近く聞き取り調査を行うと通知を出した。
それと同時に萬屋とは連絡が着かなくなった。
一夜明けても萬屋の消息は掴めず、痺れを切らした3人は萬屋のマンションに押し掛けたのである。
「どうするんですか!?もしあの件がバレたら学校から何か処分されるんじゃ…」
「バカっ!処分で済むかよ!最悪警察に…ああクソっ!国家試験も控えてるってのに!」
狼狽え嘆く後輩の百田に渡辺が怒鳴る。
「大きな声出さないでよ!何で?何でよ…どうしてメッセージにも返信してくれないのよ透ぅ…もし医者になれなくなったらどうすんのよ…奨学金だってあるのよ…」
参道も苛立たしげに何度も恋人に連絡を取ろうとしている。
三者三様、彼らは自分の現状に焦り、医師としての今後のキャリアを憂いていた。
「萬屋さんなら居ませんよ。」
そんな3人の耳に、冷たくも凛とした声が届く。
声のした方を向くと、髪を後ろで束ねた小柄なスーツ姿の女性と、欧米の血筋を感じさせる屈強な体格の男がいた。
「何だ、あんたら?もしかして、アイツの居場所を知っているのか!?」
「いいえ、残念ながら。ただ私たちが知る限りでは、萬屋透さんは昨夜国際線から出立したそうです。」
「は?国際線?」
「はい。どうやら東南アジア方面に飛んだみたいです。現在、向こうの税関に連絡を着けているところですけど。」
その言葉に一瞬呆けた様子を見せた渡辺だったが、すぐに顔をカッと紅潮させた。
「畜生!あの野郎1人で逃げやがった!」
「そ、そんな。僕たちを置いて…」
「嘘でしょ。私たちを見捨てたの透ぅ…」
3人は萬屋の裏切りに嘆き、激怒し、絶望する。
まるで自分達が被害者であるように。
その様子に軽く溜め息を吐きながら、珠樹は自己紹介をする。
「申し遅れました。私たちは古舘法律事務所の弁護士です。今回我々はあなた方が担当した患者さんのご家族の代理人として、萬屋総合病院で何があったのか明らかにし、場合によっては法的責任を求めるように依頼されています。」
「ほ、法的責任…」
珠樹の言葉に3人の顔は途端に青ざめる。
彼ら自身、自分達の行為が倫理的にも法的にも問題があるとは自覚できていたが、当事者としての意識が曖昧だった。
何となく、どうにかなるだろうと楽観的に考えていた。
しかしここに来て、最早他人事ではいられないのを漸く理解した。
するとそこに、エントランスの自動ドアが開きスーツ姿の男達が入ってくる。
その先頭に立つのは警視庁捜査一課の剣持だ。
剣持は珠樹達がいることに少し驚きながらも軽く会釈をする。
「どうも野々宮先生。彼らですな?」
「ええ、そうです。」
珠樹に確認を取ると、剣持は3人に向かって警察手帳を開いた。
「警視庁捜査一課の者です。萬屋総合病院で亡くなった患者さんについてお聞きしたい事があります。署までご同行願えますか?」
「け、警察…」
警察が現れた事に参道と百田は絶望的な顔色になる。
そんな中、渡辺は必死に弁明を試みた。
「ま、待ってくれ!俺たちは別に患者に危害を加えようとしたわけじゃねぇ!わざと殺したわけじゃ無いんだ!」
「…自作の薬を投与したと聞いてますけど?」
「そ、それは…でも、それは患者を治そうとしてだな!」
「治そうとした?」
渡辺の言葉に引っ掛かりを覚えたのか剣持が聞き返すと、渡辺は語気を強める。
「ああそうだよ!あの患者の心臓はどうせあのままじゃ半年も持たなかった!けれど俺たちの見立てだと俺の薬を使えば多少は持ち直す可能性があったんだ!ちゃんと患者本人にも確認して使用の許可も得ている!俺たちはあの患者を救おうとしたんだよ!なあ!?」
「え?い、いや…」
「ええ!そうです!私たちも患者さんを助けたい一心だったんです。」
百田は躊躇う様子を見せるが、参道は渡辺の意図を解しすぐに彼の弁明に乗った。
薬の危険性を認識しながら面白半分で意図的に投与したならそれは過失致死になる。
しかし医学的な知見から治療目的での投与なら、不幸な事故としても扱う事が出来る。
それを知っている2人は咄嗟に話を合わせたのであった。
するとそれまで黙って話の推移を見守っていた恭一郎が無言で渡辺の前に進み出た。
「…救おうとした。そう言いましたね?君達は自分の患者を病気から救おうとしたんだと。」
「へ?あ、ああ!そうだよ!俺達は出来る限りを尽くして患者を救おうとしたんだ!」
「…それじゃあ患者さんが亡くなった時はさぞや無念だったんじゃないか?」
「そ、それはまあ。とても残念だし、可哀想には…」
「……なら、名前くらい覚えているだろう?」
「…は?」
「名前だよ。君達が必死に救おうとして、力及ばず救えず、無念に思っている患者の名前。当然覚えているだろう?」
恭一郎の問い掛けに渡辺は顔をひきつらせると後ろの2人に視線を向ける。
参道も百田も苦しげに顔を歪めながら首を振っていた。
「……い、いや~、もう何ヵ月も前の事だから。」
誤魔化すような愛想笑いを浮かべながらそう言う渡辺。
次の瞬間、その身体が宙に浮いた。
「ぐへぇ!?」
「ちょっ!?恭一郎先生!?」
「古舘先生!落ち着いてください!」
胸ぐらを掴んで渡辺を持ち上げた恭一郎を珠樹と剣持が止めようとする。
しかし彼らの言葉に耳を貸さず、恭一郎は宙吊りになった渡辺の顔を血走った目で睨んでいた。
「亡くなったのは、水沢莉緒さん、17歳。物心がつく前に先天性の心疾患があると判明し、入退院を繰り返す生活をしていた。小学生の時と中学生の時の2回大きな手術を経験するが状態は良化せず、中学卒業前に余命宣告をされる。その為進学を予定していた高校を諦め、自身の夢であったドッグトレーナーになるために近所のドッグセンターに就職。センターの人達も彼女の状態を理解した上で雇い入れていた。余命半年となった頃、残りの時間に悔いを残さない為に最先端の緩和ケアを受ける為に萬屋総合病院に転院した!」
恭一郎は渡辺の胸元をなおも締め付けながら言葉を続ける。
「残りの半年、莉緒さんがどう過ごそうとしていたかも知らないだろう?昔家族で旅行した場所に最後にもう一度両親と行く予定があった。初めて好きになった男の子とデートに行く予定があった。中学の友人達の学園祭に遊びに行き、1日だけその学校の生徒として過ごす予定があった。トレーニングした犬と最初で最後の大会に出る予定があった。保護した犬達の里親を最後の時まで探すつもりだった。まだまだいっぱい計画は建てていた!多くの人が莉緒さんに沢山の想い出を作って、生きた証しを残して欲しいと彼女を支えていたんだ!」
水沢莉緒は自分がしたい事、やり残した事を家族や友人に打ち明け、思い残す事が無いように出来る限りを尽くそうとしていた。
そしてそれを叶えてあげようと、彼女を大切に思う人達は皆協力していた。
そんな多くの人達の想いは、好奇心と呼ぶにもおぞましい浅はかで身勝手な悪ふざけによって台無しにされてしまったのである。
恭一郎は突き放すように渡辺を放した恭一郎は、尻餅を着く渡辺を憤怒の表情で見下ろす。
「お前達が『たかが半年』と言った時間の、お前達が奪った時間の意味を少しでも考えろ。いいか、もう一度言うぞ。水沢莉緒。お前達が一生忘れる事を許されない名前だ。分かったな!」
エントランスに重い叫びが木霊する。
渡辺は「だって…そんな…おれは……知らなくて…」と掠れ声を漏らしながら震える。
参道は顔を覆い膝を着いて泣き崩れる。
百田は頭を抱え、ただひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい」と許しを乞う。
3人とも、漸く自分達が犯した罪の重さを理解した。
カルテの中の記録でしか認知していなかった相手が、生きた人間であった事を突きつけられ、自分達が人の命を奪ったのだと初めて実感した。
それは、彼らが初めて贖罪のスタートラインに立った事を意味している。
・・・・・・・・・
「3人は現在、警察で取り調べを受けているわ。水沢さんに対して行ったことについて、詳細に供述しているみたいよ。」
以前にも珠樹達が話したファミレス、そこにその時とおなじメンバーに千家を加えた面々に、珠樹は剣持から聞いた情報を話す。
渡辺、参道、百田は全員が水沢莉緒に渡辺が作成した薬を投与した事実を認めた。
発端は渡辺が見様見真似で作成した強心剤を治験したいと呟いたのを萬屋が「なら親父に頼んで適当な心臓病患者の担当をさせて貰って、それで試そうぜ。」と言ったのが切っ掛けだったらしい。
実際に薬を投与したのは萬屋。渡辺は薬を調合し、参道と百田は事実を知りながらも、どういう結果が出るか賭けをしていたという。
本来なら多少心拍数に変化が出る程度の変化を想定していたが、予想に反し薬は莉緒の心臓に相当な負担を掛け発作が発生した。
容態急変後、萬屋は父親である医院長に「投与する薬を間違えた」と報告し、何とか内密に事を収めるように懇願し医院長は息子の頼みを引き受けた。
その後4人はバイトを中断し何食わぬ顔で大学に戻ったのであった。
「参道、百田の2名については何とも言えないけれど、渡辺、そして萬屋総合病院の医院長については刑事罰が与えられる筈よ。ただ、萬屋透については...」
全ての元凶である萬屋透の行方はいまだに掴めない。
東南アジア方面に出国しているのは明らかで、現在警察が現地の当局に要請をしているが、組織犯罪とは言い難い今回の案件では現地警察が能動的に動くことは現実的で無いだろう。
「とはいえ、萬屋は短期ビザしか持っていないからビザが切れた後現地で何かあれば強制的に日本に送還されるわ。だからきっと、いずれその罪を問われる日がくる筈よ。」
「…だってさ、千家!良かったな!」
「あ、ああ。金田一、それに野々宮先生、古舘先生、本当にありがとう御座います。」
一から励ましとも取れる言葉を受け、千家は僅かに強張っていた表情を綻ばせ珠樹達に頭を下げる。
「アイツらがキチンと罪を償わされるなら、それで良い。そうじゃないなら、俺はアイツらを殺していたかもしれない。」
「千家…」
「心配するなよ金田一。今はそんな気は無い。莉緒の無念を晴らすために、沢山の人が協力してくれたんだ。みんな莉緒の死を悲しんで、アイツらに正しい罰が降るのを望んでくれている。なのに俺一人が怒り任せに私刑を与えたら、そうした人達の想いも、莉緒の名誉にも泥を塗ることになる。そうでしょ、先生?」
「……ええ。必ずしも全員とは言わずとも、理不尽にあった人が理不尽な手段で復讐を果たした時、その人が最初に受けた理不尽は理不尽では無いと思う人は少なからずいるわ。」
最初から理不尽な目にあって当然な人だ、そう思われてしまうと。
珠樹の言葉に、千家は苦し気な表情で頷く。
その胸中では表情では現せないような嵐が吹き荒れているのが想像できる。
「………千家、今度莉緒ちゃんに会わせてくれないか?」
「え?金田一、それって…」
「莉緒ちゃんのお墓、案内してくれよ。俺も会いたいんだ。お前が心底惚れ込んだ彼女にさ。なっ!良いだろ!」
親友の言葉に千家は息を呑むと、じんわりと目元に涙を浮かべ大きく頷いた。
「ああ、紹介するよ。俺の親友だって…莉緒にも...…お前の事を……」
鼻を啜り、眼を真っ赤にさせながらも千家は笑顔を浮かべ親友と約束した。
その姿に珠樹はハンカチで目元を拭うと、自分も歳を取ったかしら、と思うのだった。
・・・・・・
日本から南に遠く離れたとある国。
そこの首都のメインストリートの外れに萬屋透はいた。
萬屋は先ほど昼食として買った串焼き肉を頬張ると、舌打ちをしながら自分の携帯を操作していた。
「くそっ!親父もお袋も全然連絡が帰ってこねぇ…いったい何してんだよ!?」
父親の病院に厚労省の監査が入り、その後各メディアが一斉に病院の疑惑について報道を開始してすぐ、萬屋は本能的に自分達が不味い状況という事を察知して海外に逃げ出す準備を整えると即座に国外に脱出した。
後はほとぼりが冷めるまでジッとしているつもりだったが、何分急な出発だったので資金面にはあまり余裕が無い。
そこで両親に連絡して資金を送ってもらおうと考えたのだが、どういう訳か一向に変身が届かなかった。
…萬屋透は思ってもいなかった。
両親が最早、我が子の要求さえ気にするような余裕さえなくなっている事に。
「だいたいよぅ、渡辺に野郎が変なクスリを作らなければこんな事に成らなかったのによぅ。あの野郎、カルテを処分するのも忘れてやがったし、どうせアイツのせいでアノ事もバレたんじゃねぇの?」
萬屋は日本にいる友人に対して悪態を吐く。
そこに罪悪感の類は一切ない。
変なクスリを作った渡辺が悪い。
見ているだけで止めなかった参道と百田が悪い。
後処理を頼んだのに十分に出来ていなかった父親が悪い。
彼は本気でそう思っていた。
「はぁ…しかし金の事、ほんとどうするかなぁ………ん?」
溜息を吐きつつ串焼き肉を口に運ぼうとした萬屋だったが、不意に横に何かの気配がある事に気が付いた。
見れば痩せた小汚い小さな犬がモノ欲しそうに萬屋の持つ串焼き肉を見ていた。
「なんだ?お前コイツが欲しいのか?」
そう尋ねると、犬は肯定するかのようにブンブンと尻尾を振る。
それを見て萬屋は「ふーん」と鼻を鳴らすと、犬に向かって串の先の差し出す。
犬は萬屋に近づき、串の先に付いた肉に嚙みつこうとした。だが…
「おりゃ!」
「キャンッ!?」
萬屋は突然串を前に突き出し、犬の鼻に串の先を刺した。
犬は鼻先を押さえ痛みに悶えている。
「ははは!ワン公無勢が人間様から食べ物を恵んでもらおうなんて思うんじゃねえよ!」
無様に泣き転がる犬の姿を萬屋は嘲笑う。
先程までの鬱屈した思いの溜飲は、これで多少は下がった。
しかし次の瞬間、犬は歯を剥き出しにするとズボンの裾から覗く萬屋の足首に噛みついた。
「痛って!?何するんだこの野郎!?」
萬屋は犬を離そうと蹴りを放つが、犬はひらりと身を翻し路地裏に走り去ってしまう。
忌々し気にその後を目で追いつつ、萬屋は傷口を確認する。
「あーくそ、血が出てんじゃねぇか。とんだ災難だぜ。これだから発展途上国は嫌なんだよ。あとで薬局いかねえとなぁ。」
悪態を吐きながら適当に血を拭うと、萬屋は少し足を引き摺り気味にしながらその場を去る。
その姿を、路地裏の奥から先程の犬がじっと見ていた。
その口は不自然な形で僅かに開き、その隙間からはダラダラと涎が滴っていた。
現在、世界各地において狂犬病は毎年のように犠牲者を出しており、その数は年間で少なくとも5万人とされる。
発病後の治療法は未だ確立されておらず、発病後の致死率はほぼ100%である。
その後の彼ら
・千家貴司
友人たちと恋人の墓参りに行き、気持ちの整理をつけて立ち直る。また進路先として獣医学部を目指すようになり、恋人が残していった犬たちの里親探しを通じて動物保護活動に興味を示している。
・渡辺鐘
水沢利緒に対する過失致死、及び薬事法違反で起訴される。最終的には医学的知識を有しており、薬の成分から自作薬の投与により患者が体調を悪くする事は予測できたとして懲役2年の実刑判決を受け刑に服する。裁判中、反省の弁と被害者への謝罪を口にしていた。
・参道麻衣
・百田梅男
萬屋と渡辺の行為については知っていたが、直接的にその行為に関与したという事実はなく不起訴処分となる。しかし大学からの調査を受け停学処分となり、その後共に大学を中退。民事訴訟において水沢夫妻から訴えを起こされるが、裁判には至らず和解金を支払い和解する。
・萬屋総合病院の医院長
医師免許のない学生に医療行為をさせた罪、さらにカルテ及び死亡診断書の改竄、医療保険不正請求などの罪で起訴され、最終的には業務上過失致死により執行猶予付きの懲役3年の判決を受ける。
医師免許も剥奪され病院の職も解雇され、病院は名前を新しくして新体制で再スタートする事になる。
・萬屋透
彼の末路については敢えて語らない。読者自身により彼がどのような運命を辿ったのか想像して欲しい。