殺人鬼達に救われる道はあるのか? 作:コミカド
「本当によろしいんですか?」
都内某所の喫茶店。そこで珠樹と剣持は合流していた。
目的は無論、『女子高生死体遺棄事件』に関して独自の再捜査をするためだった。
しかし捜査1課はこの件について再捜査をしない方針でいる。
にも拘らず剣持は独自で捜査を、しかも毒島の弁護人である珠樹と合同で捜査をしようとしているのだから、明確に上の判断に逆らったと言われても仕方がない。
しかし剣持は心配する珠樹の声に、自嘲気味な笑みを見せると小さく首を振った。
「まあ、良くは無いですよ。それでも、この件について私はもう一度見直そうと決めたんです。無論、責任は取るつもりですよ。」
自分の行為が警察組織、そして被害者遺族に対する不義理である事は重々に承知している。
それでも剣持は、この事件を中途半端に終わらせたら自分は一生後悔する予感があった。
そうなるくらいなら、刑事を辞める覚悟をもってトコトンこの件を深掘りする方がマシだった。
「ところで、現在裁判の方はどうなっているんですか?起訴されたとは聞いてますが、詳細の方はまだ。」
「…現在、毒島君は死体遺棄、及び監禁、暴行等の罪に問われています。本来であれば既に裁判が始まっている筈でしたが、弁護人の変更に伴い裁判の開始が延期されています。」
当初毒島の弁護を担当していた湖森は『利益相反』を理由に毒島の弁護人を辞退。
そして湖森の要請を受けた豊彦を介して珠樹が毒島の弁護をする事になったのである。
「急ぐ必要がありますね。何とか裁判の開始までに毒島の供述を裏付ける証拠が見つかれば良いのですが…」
「それでしたら1つ考えがあります。」
珠樹はピンと人差し指を挙げた。
「十神まりなさんが監禁されていた場所、それは毒島君が父親から受験勉強用として与えられていたアパートの一室で間違いないですよね?」
「ええ。現場となった場所からは被害者の毛髪をはじめとした体組織が確認されています。」
「一方で毒島君には受験勉強をしていた形跡がある。しかし、いくらなんでも女の子を監禁している部屋で受験勉強をしていたというのは些か不自然な状況ですよね?」
その疑念が毒島の告発文の信憑性を強めたと言っても良い。
「つまり、毒島は別の場所で勉強していたという事ですか?」
「はい。そこさえ特定できれば十神さんが監禁されている間、毒島君は別の場所にいたとしてアリバイを主張できると思うんです。」
「宛はあるんですか?」
「…実はもう1つ、気になっている事があるんです。」
珠樹は真剣な面持ちになると、ストラップの写真を取り出した。
「それは、被害者が握りしめていたストラップですよね?」
「はい。実物と同じものは品切で手に入れられませんでしたけど。毒島君と接見した時、『どうして自分の犯行を自供したのか?』って尋ねたんですけど『刑事から十神が俺があげたストラップを見せられ、まりなが死んだ時に俺を告発するためにストラップを握りしめていたと知らされて心が折れた』という風に教えてくれました。」
「待ってくれ!毒島が被害者にストラップをあげていただと!?」
「ええ。毒島君はそう証言しています。」
捜査本部の見解では、まりなは虐待を受けている時に密かに毒島が最近購入したストラップを奪い、犯人を示すために握りしめていたと考えられていた。
毒島も否認する事をしなかった為、ストラップは毒島を犯人とする重要な証拠として処理された。
しかし毒島の証言は再び事件の前提を覆しかねないモノであった。
「しかし重要なのはそれだけではありません。毒島君の証言が事実ならば、毒島君と十神さんは親しい関係だった可能性がある。このストラップを毒島君が購入したのも夏休みに入ってから。その後、十神さんにストラップを渡したのだとすれば、毒島君は受験勉強をしていた近辺で十神さんと会っていた可能性が高いと思います。」
「っ!!彼女のバイト先かっ!」
十神まりなは事件当時、家の近くのファミレスでアルバイトをしていた。
彼女が拉致監禁されたのも、バイトの帰り道だったとされている。
ファミレスならば学生が勉強をしていても不自然ではなく、毒島とまりなが接触していた可能性も高い。
「私はこれから十神さんのバイト先に話を聞きに行くつもりです。剣持さんは…」
「同行させて下さい。もう後戻りは出来ません。絶対にこの事件の真相を明らかにしてみせます。」
・・・・・・・・・
2人は十神まりなのバイト先であるファミレスに行くと、店長を呼んで毒島の写真を見せ、「この少年が以前この店に来たことはあるか?」と尋ねた。
「ああ、この子ですか。ええ、存じ上げています。毒島くんでしょ?十神さんの同級生の。」
「っ!!来たことがあるんですか!?」
あまりにもあっさりと毒島を知っているという店長の言葉に剣持は前のめりになる。
店長はその剣幕に驚きながらも首を縦に振った。
「え、ええ。ちょうど7月の下旬、夏休みが始まった頃くらいから毎日のように午前中に来店して夜まで窓際の席に陣取ってました。いつも凄く真面目に勉強してましてね。聞けば十神さんの同級生で彼女も気に掛けていて、たまにアイスを奢っていたりもしてましたよ。」
少年犯罪という特質上、毒島の氏名や顔写真は公開されていない。
一部の週刊紙やネットニュース等では『凶悪犯罪に対する社会的意義』を名目にだったり、単なる興味本位を煽る目的で晒されているが、どうやらこの店長はその類いの記事を読んでおらず、毒島の事を『まりなの同級生』としてしか認識していないようだ。
「…あの、店内に防犯カメラってありますよね?その映像を見せて貰えませんか?」
「あー……まあ、警察の方もいますし大丈夫でしょう。少し待って下さい。」
店長は剣持の方をチラリと見てからバックルームに戻りノートパソコンを持ってくると、マウスを操作して防犯カメラ映像の保存フォルダを開く。
「うちの系列だと防犯カメラ映像は半年を過ぎたモノから自動的に削除されるようにされています。」
「なら、7月の下旬頃の映像を見せて貰えますか?」
「ええと、ちょっと待って下さい…」
店長は7月24日のフォルダをクリックすると、画面内ではお昼過ぎの落ち着いた店内の様子が映し出される。
お目当てのモノはすぐに見つかった。
「いた。これ、毒島君ですよね?」
店長の証言通り、毒島らしき少年は道路に面した窓際のテーブルに着き、テーブル上に問題集を広げ黙々とノートに計算式を書き込んでいく姿があった。
すると店の制服を着た若い女性スタッフが毒島のテーブルに近づき、親しげに声を掛ける様子が映し出される。
間違いなく、十神まりなだった。
まりなに対し、毒島もリラックスした様子で談笑している。
「本当に、親しい間柄だったんだな…」
「あの、8月1日の映像を見せて貰えますか!?」
茫然自失という様子で呟く剣持を尻目に、珠樹は更なる要求を行う。
8月1日。
それはまりなが行方を眩ました日である。
店長は再びマウスを操作して今度は8月1日のフォルダを開き、朝からの映像を流す。
8月1日
午前8時過ぎ、毒島が来店し、いつもの席に着く。
店員にモーニングセットを頼み朝食を取ると、すぐに勉強を開始した。
午前9時、まりなが出勤。
フロアに出てすぐに毒島の元へ行き、メニューを広げて何やら話している。
どうやら本日のおすすめを教えているようだ。
その後、まりなは業務に入り、毒島も勉強を再開する。
正午、毒島は昼食を頼むとまりなが配膳を行う。
どうやら、まりながおすすめしたメニューを頼んだらしく、まりなも嬉しそうにしている。
午後5時、まりな退勤。
帰り際に毒島に声を掛け、毒島も手を上げてそれに応じる。
午後9時過ぎ、漸く毒島が退店した。
「アリバイだわ…」
毒島が店を出る様子とその時間を確認すると珠樹はハッキリと口にした。
十神まりなの家族が、まりなが帰宅しない事を不審に思い最初に携帯に連絡を入れたのが午後7時。
その後何度も連絡を取ろうとするが返信はなく、午後9時前に最寄りの警察署に捜索願を提出した。
以上の事から、警察はまりなはバイト終わりの帰宅中に拉致されたモノとしている。
しかし犯人とされる毒島には、まりなが行方不明になったとされる時間に『ファミレスで勉強していた』とする強固なアリバイが存在した。
これは、毒島がまりなを拉致監禁したという警察の見解と決定的に『矛盾』していた。
・・・・・・・・・
「私は刑事失格です…」
ファミレスから程近い公園のベンチ。
そこで剣持は深く頭を垂れていた。
「犯罪捜査において基礎中の基礎である裏付け捜査を疎かにし、冤罪を発生させてしまった。」
「剣持さん…」
失望の色が濃い剣持に対し、珠樹は何とも言えない。
容疑者のアリバイを示す重要な証拠、それが被害者の勤務先という実に身近な所にあったにも関わらず見逃していた。
警察官としてあり得ないミスである。
毒島が嘘の自白をしたとはいえ、自白自体も剣持が『不良少年である毒島がまりなを襲った』という先入観をもって迫ったものである。
剣持の責任は非常に重い。
「…これから、本庁に戻ります。」
それでも剣持は顔を上げ、ふらつく脚に渇を入れ立ち上がる。
「すぐにでも、捜査本部にこの事を伝え、捜査をやり直さなければ…」
真実を知ってしまった以上、このままでいられる訳がない。
毒島の犯行を否定し、彼の名誉を回復させなければならない。
「剣持さん、私はあくまでも毒島君の弁護人です。毒島君の無罪は主張できても、十神まりなさんに危害を加えた真犯人を告発することは出来ません。」
犯罪捜査において真の意味でそれが出来るのは、あなた方警察です。
その言葉を受け、剣持の瞳に光が戻る。
「ええ、分かってます。毒島の無実を証明する。そして事件の真相を解明し、まりなちゃんの無念を晴らして見せます。警察の誇りにかけて…」
・・・・・・・・・
剣持は警視庁に戻るとすぐに報告書をまとめ、捜査一課長に提出した。
報告書を一読した課長は、「ギロり」と音がするような目付きで剣持を見据える。
「………つまり、てめえは捜査ミスをして、無実の少年を誤認逮捕したって言いたいのか、剣持?」
捜査一課のフロアに課長のドスの効いた声が響く。
数々の犯罪捜査で辣腕を振るい、多くの凶悪犯を震え上がらせてきた迫力に、事のなりゆきを見守っていた歴戦の捜査官ですら冷や汗を流す。
だが課長の圧を真正面から受ける剣持は、課長の怒気を孕む視線から目を反らさず即答する。
「はい、その通りです。私は間違った判断で冤罪を発生させました。」
「………剣持よぅ、てめえ自分が口にした言葉の意味、分かってんのか?」
「重々承知しています。全ては私のミス、私の責任です。いかなる処分も甘んじて受けます。ですがもう一度捜査をやり直し、改めて真相解明に尽力したい所存です。お願いします!」
剣持は腰を90度曲げ頭を下げる。
それをじっと眺める課長。
一課の捜査員達は、皆固唾を飲んで2人を見守っていた。
「…剣持、てめえ偉くなったなぁ。」
息が詰まるような時間を割いたのは、そんな課長の言葉だった。
「てめえの責任だ?令状取るように命じたのは誰だ?送検するように命じたのは誰だ?全部俺がやった事だろうが。頭下げんのも責任とるのも全部俺の仕事なんだよ馬鹿野郎!」
頭を下げたままの剣持に怒声をぶつけると、課長は立ち上がりフロア全体に響くような声を張り上げた。
「捜査をやり直す!今回の件は見込み捜査をしてしまった『警察』の失態だ!自分達が汚したケツは、自分達で拭く事でしか警察の誇りを取り戻せねぇ!何より被害者が浮かばれねぇ!捜査員一同、1から証拠を洗い出せ!良いな!」
「「「「「はいっ!」」」」」
課長の号令に一課の捜査員達は一斉に動き出す。
その様子を呆然と見つめる剣持に、課長は優しく声を掛ける。
「お前だけじゃない。誰一人として毒島が犯人ということに疑問を持たなかった。皆責任を感じ、後悔してるんだ。」
「課長…」
「それじゃ、俺はこれから上に頭を下げてくる。お前はどうする?」
課長はそう言いながら顎をしゃくる。
剣持が振り向くと、捜査員達が飛び出して行った扉が開け放たれていた。
「っ!御迷惑お掛けしますっ!」
もう一度深々と頭を下げ謝罪すると、剣持は目元を袖で拭い、仲間達の跡を追って走り出した。
それから文字通り、捜査一課は血眼になって証拠を精査しなおした。
これまでの毒島が主犯格とする見立てを改め、もう一度一つ一つ捜査資料を確認していく。
「何処かにある筈だ。多間木と魚崎が犯行を主導していた証拠が...」
剣持は関係者の供述内容と鑑識の鑑定結果を見比べ、そこに多間木達の供述を崩す証拠を探した。
「決定的な証拠を見つけ、アイツらの犯行を裏付けるんだ。証拠さえあれば、毒島の告発を証明できる!」
ファミレスの防犯カメラ映像により、毒島がまりなを拉致する事は難しい事は判明した。
しかしそれは多間木達の犯行を立証するモノではなく、多間木達が「毒島に命じられて犯行を行った」と供述をする余地が残っている。
「そうなると裁判じゃ警察の調べで犯行を自供した毒島の方が分が悪い。チクショウ!何で俺はあんな証言を信じてしまったんだ!」
毒島が不良であったという噂、そして最初に「毒島が主犯」だとする多間木達の供述を信じてしまった事が全ての間違いの始まりだった。
それに加えてまりなが握っていたストラップが『毒島犯人説』を剣持の中で確固たるモノとしてしまったのだ。
後悔してもしきれない判断ミスである。
「……………いや待て。毒島が犯人で無いなら、どうしてまりなちゃんはアイツから貰ったストラップを握りしめていたんだ?」
ふと脳裏に疑問が起こり、剣持は捜査資料から顔を上げる。
まりなは多間木達が毒島に命じられて自分をいたぶっていると思い、毒島の関わりを示すためにストラップを握りしめたのか?
いや、毒島が犯行に加わっていないなら、憶測で毒島を告発するようなマネをまりながするとは思えない。
ならばあのストラップは…
「まりなちゃんの、本当のメッセージが残されている…」
その推測に行き着くと剣持は捜査資料を閉じると、鑑識の証拠品保管室に向かった。
担当の職員に事情を話し、証拠品として保管されている『ストラップ』を出して貰った。
三角帽子を被り、ハートマークの付いた服を着た小人のストラップ。
一見すると何の変哲も無いただのストラップに見える。
剣持は手袋をはめビニールパウチからストラップを取り出し、様々な角度からストラップを観察した。
「…これが毒島から貰ったものだとしたら、衣服さえ奪われた状態でまりなちゃんはこのストラップだけは隠し持ち続けた事になる。そして転落した際もこうして……ん?」
まりながしたように掌でストラップを握り込んでみた剣持だが、プニプニとしたゴムの感触の奥に何か固い感触があるのに気が付いた。
改めて指で触ってみると、人形の胴体部分に何か機械が埋め込まれているのが分かる。
剣持はハッとして携帯でストラップの製造元である玩具メーカーのサイトを開き、製品情報の画面を探した。
ほどなく、メーカーが発売している『小人ストラップシリーズ』の情報が映し出される。
その商品説明の欄を追っていた剣持の目がだんだんと見開かれていった。
「人形のお腹を押す事で…録音をする事が出来る…だと…」
まさか…という事は…
息を呑み、机の上のストラップに視線を落とした剣持は、恐る恐るゆっくりと製品情報に書かれている通りにストラップの腹部を指で押した。
『……………あたしがこのまま殺されちゃったときのために、このメッセージを残しています。』
『ここは毒島君の部屋ですけど、彼は一度も来ていません。』
「理由はわからないけど、彼の2人の友達がこの部屋をのっとって…あたしに……ひどいことを…」
『でも毒島君は関係ありません』
まぎれもなく、十神まりなの声だった…
それから数日後、警視庁捜査1課は新たに発見された証拠品と共に『女子高生死体遺棄事件』に関する新たな報告書を提出した。
東京地検はこの報告書を受け協議を開き、事件の容疑者である3人の少年に対する起訴内容を改める決定を下した。
多間木匠、魚崎葉の2名に関しては死体遺棄に加え拉致監禁、暴行の容疑を起訴内容に追加。
そして毒島陸に関しては、死体遺棄のみでの起訴となった。
・・・・・・・・・
「くそっ!毒島のヤツ、裏切りやがったな!」
担当弁護士である湖森から警察が真相を暴いたと告げられた多間木匠が真っ先に叫んだ言葉はそれだった。
接見場のアクリル板越しに、湖森は感情を出さないままに言葉を続ける。
「警察は既に毒島君に対して君が罪を肩代わりさせようとした事も知っている。メディアに対しての記者会見も行われた。」
「ウソだろ…親父にもバレちまったって事じゃないっすか…うわマジ最悪。毒島の野郎、許さねぇ!親父に頼んで実家の仕事回してやるって約束したのに!」
多間木が自分勝手な憎しみをぶつける様子を湖森は冷めた目で見ていた。
少なくとも湖森が知る限り、多間木が自分の父親に毒島の実家に対して配慮を頼むといった行動は起こしていない。
そもそも毒島の実家である医療機器の工場は、毒島が逮捕されて以降稼働を停止しており近々破産手続きを行う予定である。
どうあっても多間木が毒島との約束を守ることは出来ないし、最初から約束を守るつもりが無かったのは多間木の方としか湖森には思えなかった。
そんな湖森の心境を露知らず、多間木は自身の境遇を嘆き続ける。
「ああ、マジで終わりだよ。少年院なんか行きたくねえよ。ねえ湖森先生、何とか半年くらいで出て来れるように成らねえかな?」
「……匠君、君が少年院に行くことは無いよ。」
「へ?」
湖森の言葉に呆けた様子を見せる多間木。
しかし次第に表情を歪めると、ニタニタと下卑た笑みを浮かべた。
「へへへ、そういう事か。流石、湖森先生!なんか法の抜け道ってヤツがあるんっすね!?もしかして、『少年法』ってヤツですか!?ウッハー最高ぅ!」
醜悪な笑みを浮かべ、多間木はケラケラと笑い声を上げる。
そこには一切の悔悛の情も、後悔の欠片もなかった。
「いーよねー、『少年法』ってヤツは!やっぱ日本で犯罪するなら二十歳前ってか!?」
「…君が裁かれるのは少年法じゃないよ。」
少年院に行かなくて良いという言葉に浮かれる多間木に、湖森は努めて冷静に告げた。
「家庭裁判所は君を検察に逆送致すると決定した。」
「ギャクソウチ?なに、それ…」
「未成年者の犯罪の場合、検察に送検された後に一律で家庭裁判所に送致される事が法律によって決まっている。しかし家裁の調査により犯行の形態が『刑事罰相当』だと判断されると、家裁は検察に被告を逆送致し少年審判ではなく刑事裁判を受けさせるとしているんだ。」
「は、はぁ!?なんだよそれ!どうして俺が大人と同じように裁かれるんだよっ!?俺は未成年だぞ!」
「君の行った犯罪は『子供の悪ふざけ』の範疇に収まらないと判断されたんだ。少年法による更生よりも、刑法による罰が適当であるとされた。」
少年法は未成年者を法律で守るモノである為に、少年犯罪が発生すると何かと批判されがちである。
では何故、世間から批判の声が有りながらも少年法はあるのか?
それは子供が社会的にも、人間的にも未熟だからである。
人には誰しも大人になって振り返った時に深く後悔するような過ちの1つや2つはあるものだ。
それは社会常識の無理解、人間関係の構築における無遠慮、行動の結果を予想する思考力の未成熟等によって起こるものであり、人生経験を積み見識を深める事で自己反省をして改善していくものである。
また、非行に走る少年の多くは養育環境に本人ではどうにも出来ない問題を抱えている場合があり、周囲の影響から犯罪に手を染めてしまう傾向は成人よりも遥かに強い。
そうした子供は環境を整える事でまともな人生に復帰しやすいとされている。
さらには子供と大人では時間感覚に差があり、同じ3年でも10代と成人後ではその後の人生への影響の差が非常に大きい。
以上の事から、更生し社会復帰させる事を念頭に置いた場合に未成年者を成人と同じ司法の枠組みで裁くのは適切ではなく、少年法は社会秩序と法の下の平等と照らし合わせた際にも必要である、と判断されている。
だが何事にも限度がある。
「匠くん、君は客観的に見た場合比較的恵まれた養育環境にあり、保護者から何かしらの虐待を受けていたという事情もない。普通こういう人間は『人を監禁し弄ぼう』という考えには至らない。だから家庭裁判所は『環境の影響ではなく本人の資質の問題により犯行に至った』としたんだ。」
「じゃ、じゃあ俺は…」
「君は大人と同じ法で裁かれ、実刑が確定すると刑務所に収監される。」
湖森が淡々と告げた事実に多間木は顔を青くさせると頭を抱えて歯軋りをする。
「う、嘘だろ…俺が刑務所なんて……湖森先生っ、なんとかしてくれよ!毒島に罪を着せるとかしてさぁ!」
「………本気で言っているのか、匠くん?」
「ああっ!そういう時の為にアイツと付き合ってやってたんだからさぁ!何とか毒島に指示されてやってた、って感じにしてくれよ!」
必死になるあまり、多間木は湖森がどんな眼をして自分を見ているか気が付かない。
程なく、湖森は小さく溜め息を漏らすと頷いた。
「分かった。裁判では『毒島くんに指示され犯行を行った』という風に主張してみるよ。それが君の希望なんだろう?」
「ああっ!それで頼むぜ、先生!」
パッと顔を輝かせ安堵する多間木。
まるで自分が望む通りに事が進むと信じて疑わない様子だ。
それを見て、湖森は完全に軽蔑した表情を一瞬だけ見せる。
検察逆送が決定したという事は、警察と検察は多間木匠が主犯であるという確実な証拠を手に入れたと考えて良い。
ここで犯行を否認するだけならまだしも、他の人間に犯行を擦り付けようとする証言は裁判官の心証を著しく悪化させる危険性が高い。
それでも依頼者の希望を第一に優先するのは弁護士の義務だ。
実際のところ、多間木医院長は息子の犯行を深く恥じ、湖森に対しても「まともな弁護はしなくて良い。出来る限りの長く服役した方がアレの為にもなるだろう。」と言ってくれたが、湖森は弁護士の責務を果たす事にした。
多間木医院長は息子が本当の姿を知ると病院の職を辞し、被害者遺族と毒島の父親の元に行き土下座して詫びた。
また湖森の娘の手術が出来なくなった事を湖森に謝罪し、自身のコネでアメリカの病院で手術を行えるように手配してくれた。
更には向こうでの手術費用まで出すと申し出てくれたが、それについては丁重に断った。
多間木医院長自身これから何かと物入りになるところに、アメリカの高額な医療費を肩代わりしてもらうわけにはいかない。
何より娘の手術費用くらい借金をしてでも出すのが親としての務めだと湖森は考えていた。
「最後にもう一度確認するよ。裁判においては死体遺棄以外の犯行への関与を否定し、全て毒島くんの指示であると主張する。それで良いんだね?」
「何度も言わなくても良いよ。だいたい毒島がアパートの下から呼び掛けたから女が逃げ出そうとして勝手に落ちたんだぜ。だったら女が死んだ原因は俺たちじゃなくて毒島にあるだろ?それで刑務所行きなんてバカらしいぜ!」
「………分かった。君の望む通りにしよう。」
弁護士はどんな極悪人な依頼者であっても見捨ててはならない。
依頼者の声に耳を傾け、その望みを受け入れ、裁判では依頼者に代わって声を上げる。
湖森はそれを忠実に守ろうとしている。
その結果、裁判官にどう受け取られようと、依頼者の主張を代弁するのが弁護士の使命なのだから。
・多間木医院長
原作でも屈指の胸糞被害者の父親だが、萬谷の父と違い彼自身は息子が事件の主犯とは知らず、犯行を隠ぺいしたという事実はない。
むしろ多間木匠は「バレたら親父に殺される!」と作中で述べており、それなりに息子には厳しく接している一方で、息子の更生に出来る限り尽力していた様子が見受けられる。
多忙な身の上のためか、息子の世話については湖森に投げている部分もあるが、電話で頻繁に息子の様子を湖森に確認するなど一般的な親と同じように我が子の事を心配しているのが窺えた。
だがそんな親心も、当人には何一つ届いていなかったようである。ある意味この事件のもう一人の被害者。
本作においては息子が犯行の主犯格だと判明すると病院を辞職し、被害者と毒島の家族にすぐに謝罪すると共に賠償を申し出て、湖森の仲介もあり賠償が成立した。
その後は医療過疎地の病院に赴任し、地域医療に従事している。
・湖森涼介
本作においては多間木医院長の尽力もあり娘をアメリカの病院で手術する事になり手術は無事に成功。結果多額の医療費により借金を背負う事になったが、父親として、弁護士としてカッコイイ背中を娘に見せるために職務に従事している。