虚ろの器は青の箱舟に 作:はんぐりーないと
アビドス自治区。
砂漠と廃墟ばかりが広がったこの土地にアビドス高等学校は存在していた。
もっとも、生徒数は五人。廃校まっしぐらの実状であり、この実状をどうにかせんと足掻くのがアビドス廃校対策委員会の面々だった。
「…………」
そんな彼女らだが、今はまた別の問題で頭を抱える事になっていた。
灰色の外套に、その下に纏っているのは黒のライダースーツのような衣装。真っ白な髪に、顔に付けた二本角の真っ白な仮面。
何より、掃除用具のロッカーに立て掛けられた大きな得物。
不審者の身長が、凡そ150前後であるのに対して、縦に長い二等辺三角形に持ち手を付けた様な武器は同程度の大きさを誇るのだ。
何より厄介なのがこの不審者、喋らない。
「ええっと、それじゃあ改めてお話を聞かせてもらえるかな」
「…………」
「名前……は、無いんだよね?何て呼んでほしいとか、あるかな?」
「…………あの」
「…………」
返ってくる沈黙に、先生はがっくりと項垂れた。
一応、椅子に座って長テーブルに着いてくれている事から言葉が通じているのは確か。だが、それでも不安を覚える程度には相手は口を開く様子が無い。
大人不信の生徒たちの信頼を勝ち取ってきた実績のある先生にも、これには困ってしまう。
如何にコミュニケーション能力に優れていても、その取っ掛かりが無ければそもそもコミュニケーションが取れないのだから。鏡面のような壁を道具も無しに人間が登攀出来ないのと同じ事だ。
「どう、しよっか……?」
「どうって…………どうすんのよ」
先生に問われ、セリカが答える。もっとも、彼女にだって正答が何なのか。そもそも答えがあるのかすらも分からない。
ここで助け舟を出したのは、十六夜ノノミであった。
「う~ん……恐らく、敵意とか害意なんかは無いと思いますよ?大人しく付いてきてくれましたし、武器を手放す事も抵抗しませんでしたから」
「ん、確かに。敵地で武器を手放すような事は、普通しない」
「なら、目的は何なんでしょう?デカグラマトンと敵対している……という事でしょうか?」
「いや、そもそもの話こいつはどこから来たのよ」
「方角的に、砂しかない方角だったんだよねぇ」
セリカの指摘に、答えたのは一番最初に出会ったホシノ。
彼女が思い出すのは、ビナーの斜め後方の方角から現れた姿。そして、異常な戦闘能力。
ホシノも出来なくは無いだろう。しかしそれは、裏を返せば自身と同程度の戦闘能力を持つ所属不明の何某かが居るという事になる。
警戒は解けない。眠たそうに蕩けたオッドアイは、しかし巧みにその最奥に守る覚悟と警戒を保っていた。
そんなホシノの内心を知る由も無く、旅人は何処ともない空中を眺めていた。
気まずい空間。だが、
ぐぅぅぅぅ~~~~~~
気の抜ける腹の虫の音。
音の出所は――――黒のボディスーツの下。
「……ッ、ははっ。何か食べに行こうか」
「ん、先生の奢り?」
「勿論。代わりといっては何だけど、どこが良いか案を出してもらえるかな?」
やんやと騒がしくなる。
そんな彼女らを、虚ろな瞳が見つめていた。
*
てぼが振るわれ、湯が切られる。
醬油ベースのスープに麵が投入され、煮卵、チャーシュー、ネギ、もやし、焼きのりがトッピング。
「へい、柴関ラーメンお待ち!」
「…………」
出された丼を、虚空の目が見降ろした。
衰退したアビドス自治区に置いて、飲食可能な場所はそう多くない。精々が、キヴォトスの中心地に近い区画や品数は多いが値段や味は2流以下のカイザー系列のコンビニ位のもの。
そんな散々な有様の中で、ほぼ唯一良心的な値段で且つキヴォトス屈指のラーメン店がある。
元々の店舗は、とある事情で吹っ飛んでしまい、今は屋台として再出発したここ紫関ラーメンである。
「はいこれ、お箸」
「…………」
先生から差し出された割り箸を受け取って、旅人は徐に右手を仮面に掛けた。
静寂。アビドスの面々や先生、更に柴大将も横目にその瞬間を待った。
果たして、露になるのは白い顔。
少年とも少女ともとれる、あどけなさを感じさせながら同時に人形めいた端正な顔立ち。
そして、その優れた容姿全てを台無しにするような、真っ黒の瞳。
一切の光が無く、その瞳は白と黒の二色しか宿してはいなかった。
息を呑む周囲。ソレを気にする事無く、旅人は徐に割り箸を左手で鷲掴みにするとそのまま何の躊躇も無くラーメンの丼へと振り下ろした。
カツリ、と丼の底に割りばしの先端が当たる音が響き、スープが散る。
仮面を外した時とはまた別の驚きに周囲の音が消えるが、
「……?」
箸を持ち上げて首を傾げた旅人は気付かない。
スープが数滴滴る割り箸をそのままに、旅人は何も持っていない右手をラーメンへと伸ばし、
「待ちなさいよ!箸が使えないなら、先に言いなさい!」
横から説教と一緒に伸びてきた手が、その蛮行を押しとどめた。
猫耳を怒らせて、セリカは箸を奪い取ると旅人の前に置かれた丼を自分の傍へと寄せる。
そして、
「ほら、口開けて!」
「…………あ」
一口分程度を取って突き出し、開かれた小さな口へとその一口分をねじ込んだ。
大胆な行為だったが、そこに甘酸っぱい感情などある筈もない。
少なくとも、セリカの中にあったのは怒りと世話焼き根性である。
言われるがまま、されるがままに、旅人は口を開けそこにラーメンをねじ込まれる。この繰り返し。
「あっ、セリカちゃんちょっと待ってください!」
そこに待ったをかけるのは、ノノミ。
彼女は、されるがままにラーメンを咀嚼する旅人の汚れた口の周りを持っていたティッシュで拭う。
「汚れたままだと被れたりする人もいますからね~。はい、
「…………」
「め、メンちゃん?な、何ですか、ノノミ先輩」
「白いお面のメンちゃんです!呼び方が無いのは不便ですし……愛称でも良いから、呼び名はあった方が良いと思って?」
どうですか?とノノミは旅人の顔を窺った。
メンちゃんと呼ばれても、その表情は変わらない。代わりに、その真っ黒な瞳が少女へと向けられる。
「良いんじゃないかな?呼び方が無いのは、不便だしね」
先生が頷き、再び視線が向く。
視線を集める旅人はというと、セリカや周りの手元を確認して割り箸を割ろうと指に力を込めていた。
瞬間、
「…………」
「いや、そうはならないでしょ!?」
パァンッ、という乾いた音と共に割り箸が爆散。セリカの虚しいツッコミが飛ぶ。
力加減を間違った。思ったよりも割り箸が強固であった為に、瞬間的な圧力が増した結果である。
変わらぬ無表情だが、その雰囲気は呆然という言葉がよく似合う。少なくとも旅人はこの状況に少なからず驚いていた。
(何というか、
その様子を見ていた先生は、新しく割り箸を一本手に取って二つに割り、旅人へと差し出しながらそんな感想を抱いた。
強い事は分かる。ドローンのカメラ越しだが、ビナーをフルボッコにする姿を見たから。
だが、それ以外の部分が幼過ぎる。
まるで、戦闘に関する事柄以外の全てを削ぎ落して来たかのよう。
とはいえ、先生としてはいまいち脅威度を測りかねている。
先の通り、戦闘能力の高さと目的の不明瞭さが警戒度を跳ね上げるが、その一方で今に至るまでの日常的な部分は無害も無害。ともすれば、介護すら必要なのではないかと思わせるほど。
分からないことだらけだが、まずは目の前の丼を空にする事から始めるのだった。