何をしている!早くその鞭で俺を打つんだ!!   作:ナカザキ

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第1話 どうすればこの想いを伝えられるんだ!

 俺の名前はスレイン・ハイランダー。

 ハイランダー公爵家の嫡男であり、この国で最も忌み嫌われた男だった。

 

 傲慢で、非道で、傍若無人。それが俺の全てだった。

 俺は権力を笠に着て、気に入らない人間を徹底的に痛めつけた。

 

 使用人への折檻は日常茶飯事。特に俺付きのメイドだったリリィは、些細なミスでも鞭で打ち据えた。彼女の怯えた顔を見るのが、俺の何よりの楽しみだった。

 

 婚約者のセシリアには、公衆の面前で罵詈雑言を浴びせ、恥をかかせた。彼女の気高いプライドを砕くことに、俺は異常なまでの快感を覚えていた。

 

 騎士団長だったレオナードは、俺の横暴に異を唱えた数少ない男だった。俺は彼を、公爵家の権力を使って左遷させ、その名誉を傷つけた。

 

 学園に気に入らない貴族の子弟がいれば、その家ごと潰してやった。絶望に歪む顔を見ると酒が美味くなった。

 

 領地の平民たちのことは、奴隷としか思っていない。彼らがいくら飢えようが死のうが、俺の知ったことではなかった。民には重税を課し、酒池肉林に溺れた。

 

 他にも数えきれない罪を犯した。

 

 俺は自分が世界の中心だと思っていた。

 この世の全てが俺のために存在し、俺の思い通りになるものだと信じて疑わなかった。

 

 ――しかし、その全ては幻想だった。

 

 ある日、俺の悪行はついに限界を迎える。

 セシリアをかばったレオナードが、騎士団の仲間や『勇者』とかいうヤツと共に反旗を翻したのだ。

 

「スレイン・ハイランダー! 貴様の悪行はもはや見過ごせない!」

 

 俺の悪行を王に直談判し、俺は王都を追われる身になった。誰も俺についてこなかった。

 

 逃亡生活の果てに俺は捕まり、牢屋で裁きの時を待つ身となった。

 天蓋つきの豪奢なベッドから一転、カビ臭いじめじめとしたベッドに俺の寝床は変わった。

 

 俺は憤怒した。

 どうして俺がこんな目に合わなければいけないのか。

 

 毎日のように地下の牢屋から世界に呪詛を吐き散らした。しかし、俺を顧みる者はいなかった。

 

 不衛生な地下牢で俺の心と身体は徐々に弱っていった。

 今まで感じることのなかった「恐怖」や「恐れ」といった感情が俺を苛み始める。

 

 そして、ようやく気付いた。 

 俺が虐げていた人々もこんな気持ちだったのだ、と。俺は初めて自分の行いを後悔した。

 

 やがて、処刑の日がやってきた。

 

 あぁ、もし――。

 

 もし、『次』があるのなら――。

 

 次こそは謙虚・誠実に生きよう。

 自らの行いを反省し、今生とは違う生き方をしよう。

 

 そう誓う俺の首に断頭台の刃を落ち、そして俺の意識は闇に消えた。

 

 ◆

 

 

 窓から差し込む朝の光が、豪華な天蓋付きベッドを照らし出す。

 その中で、俺は飛び起きた。

 

「はっ……!?」

 

 俺は……俺は死んだはずでは?

 

 俺の名前はスレイン・ハイランダー。

 悪役令息として破滅した、そのはずだった。

 

 なのに、なぜ生きている。

 部屋に備え付けられた巨大な鏡の前に立った。

 

 カラスの濡れ羽のような漆黒の髪に、ルビーのごとく真っ赤な瞳。間違いなく俺だ。

 

 しかし――。

 

 どういう訳か、若返っていた。これは、数年前の俺、か? 学園に入学する少し前くらい。13歳か、14歳だろう。

 

「まさか……本当に、時間が巻き戻ったのか?」

 

 確かに俺は今わの際で『次』を願ったが――。

 

 夢ではない。触れるもの、聞こえる音、肌に感じる空気、全てが現実だ。

 

 俺は震える手で自らの顔を覆った。

(俺は、また、同じ過ちを繰り返すのか? 再び破滅の道を歩み、死を迎えるのか?)

 

 いや、違う。絶対に違う。

 俺は心の中で強く誓った。今生では、破滅を回避する。

 

 謙虚に、誠実に、そして何よりも真面目に生きる。

 前世で迷惑をかけた人々に、謝罪し、償うのだ。

 

「……まずは、リリィだ」

 

 リリィ。

 

 公爵家に仕えるメイドであり、前世で俺が最も酷い折檻を繰り返した相手。彼女の献身的な働きを嘲笑い、些細なことで鞭を振るった。

 

 俺はベッドから飛び降りると、クローゼットから、前世の記憶にある、あの鞭を探し出した。

 

「これだ……」

 

 細くしなやかな革で作られた、リリィを打つためだけに作らせた特注の鞭。それを手に、向かう先は、リリィがいるであろう使用人部屋だ。

 

 使用人部屋の扉を勢いよく開け放つ。

 そこには、今まさに掃除を始めようとしている一人の少女がいた。黒髪を一つにまとめ、質素ながらも清潔なメイド服を身につけた、控えめな印象の少女。

 

「……リリィ!」

 

 彼女は俺の突然の来訪に、掃除の手を止め、怯えたように肩を震わせた。

 

 当然だ。

 前世の記憶では、俺が部屋にやってくるのは、彼女を折檻するためだったから。

 

「スレイン様……何か、ご用でしょうか?」

 

 リリィの声は震えていた。彼女の瞳には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。

その表情を見た俺の胸は、深くえぐられるような痛みに襲われた。

 

(俺が、前世でどれだけ酷いことをしたか……!)

 

「リリィ……その手に持っているのは、雑巾か?」

「はい……」

「違う! それを捨てて、この鞭を持て!」

 

 俺は叫んだ。鞭、という言葉でリリィの顔が、さらに恐怖に歪む。

 

「鞭、でございますか……?」

 

 無理もない。俺が鞭という言葉を使う時、それは彼女を折檻する時だった。

 しかし、今回はいつもと違う。彼女に俺は鞭を『持て』と言っている。

 

「何を怯えている! 早く、早く持て!」

 

 俺は苛立ちながらも、必死に言葉を重ねる。

 

 

 

「そして……その鞭で、俺を打つんだ!!」

 

 

 リリィの瞳が、大きく見開かれた。彼女は、俺の言葉の意味が分からず、ただただ立ち尽くしている。

 俺は、そんな彼女の反応に、さらに焦りを募らせた。

 

「何をしている! 早くその鞭で、俺を打つんだ!!」

 

 リリィは呆然としながらも、俺の真剣な、しかしどこか必死な眼差しから目を離すことができないようだ。

 

(俺はどうすれば……この想いを伝えられるんだ……! 俺のこの謝罪の気持ちよ……伝わってくれ……!)

 

 心の中でそう叫びながら、俺は彼女の反応を待った。

 

「そんなこと……できません!」

 

 リリィが、震える声で叫んだ。

 彼女の顔は、恐怖と、そして困惑に歪んでいる。

 

「スレイン様が、ご自分を鞭で打てとおっしゃる意味が、私には分かりません……!」

 

 無理もない。前世の俺は、彼女を一方的に痛めつけることしかしていなかったのだから。

 

「いいから! これは命令だ!」

 

 俺は必死に声を張り上げた。

(俺の、この罪を……俺自身で贖わなければ、前に進めないんだ……!)

 

 俺の言葉に、リリィの顔に驚きが浮かんだ。彼女の瞳が、僅かに揺れる。

(どうして、スレイン様は、こんなことを……?)

 

 リリィは俺の言葉とその必死な眼差しを理解しようと、必死に頭を巡らせているようだった。

 

「……っ! 分かりましたっ…!」

 

(ありがとう!)

 俺は彼女の手に鞭を握らせた。床に四つばいになって言う。

「さあ、俺を打て!」

 

 リリィは、そこで再度、首を横に振った。

 

「やっぱりできません……!」

「いいから打て! これは俺の命令だと言っているだろう!」

 

 俺は、鞭を振るうことを躊躇う彼女を厳しく叱責した。

 

(俺が前世と今世で与えた苦痛……。それをお前が俺に与えれば、お前の心の痛みも少しは晴れるだろう……)

 

 

 リリィは、震える手で鞭を構えた。

 そして、その鞭の先端が、俺の背中に触れる。

 

「っ……!」

 

 痛みは、ほとんどなかった。

 鞭の先端が、まるで羽のように優しく俺の背中を撫でるだけ。

 

「何を……何をしている! リリィ!」

 

 俺は怒鳴った。

「もっとだ! もっと強く打て!」

 

 俺の言葉に、リリィの瞳から涙が溢れた。

 

「っ……! スレイン様……!」

 

 彼女は、俺の言葉を噛み締めながら、再び鞭を振るった。

 今度は、先程よりも少しだけ強い力で。

 

 パチン!

 

 軽い音と共に、鞭が俺の背中を打つ。

「……っ!」

 僅かに痛みが走った。しかし、俺が彼女に与えた痛みには、遠く及ばない。

 

「違う! まだだ! もっと強く!」

 

 俺は、さらに彼女を叱責する。

(俺が与えた苦痛の、せめて十分の一でも……いや、百分の一でもいい! 痛みを、俺に与えてくれ……!)

 

 リリィは、顔を涙で濡らしながら、鞭を振るう力を強めていった。

 パシッ! パシッ!

 

 鞭が俺の背中を打つたびに、軽いが鋭い痛みが走る。

 そして、俺の背中には、赤く細い線が刻まれていく。

 

 俺は、その痛みを噛み締めながら、前世で彼女に与えた苦痛を思い出していた。

 

(リリィ……これが俺の謝罪だ。俺の身勝手な自己満足だと分かっている。だが……この痛みが少しでも俺の罪とお前の心を軽くしてくれるのなら……)

 

 リリィは徐々に鞭を振るう力を強めていく。

 そして、ついに鞭が、前世で俺が彼女を打った時と同じくらいの威力で、俺の背中を打った。

「……っ!!」

 

 鈍い痛みが、全身に響き渡る。

 それを数えきれない程繰り返して――。

 

「……もう、いい」

 

 俺は、そう言って、鞭を握る彼女の手を掴んだ。

 

「もう、いいんだ。これ以上は、俺が、お前を……」

 

 俺は、言葉を飲み込んだ。

(俺が、お前の心を壊してしまう……!)

 

 リリィは涙を流しながら、俺の身体に刻まれた赤い傷跡を震える指先でなぞった。

 

「スレイン様……どうして……」

 

 彼女は俺の奇行の理由が分からず、ただただ戸惑っているようだった。

 

 俺は鞭を彼女から受け取ると、それを床に投げ捨てた。

 

「俺は、もう……お前を傷つけたりはしない。だから……」

(だから、どうか、俺を……前世の俺と同じだと思わないでくれ……!)

 

 しかし、その言葉も俺の口から出ることはなかった。

 

 リリィは、俺の言葉を信じられないといった表情で、ただ俺を見つめていた。

 その瞳には、もはや恐怖の色はなかった。

 

 しかし、俺の奇行に対する困惑と、そして、かすかな期待のような光が宿っていた。




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