これは、輝かしい栄光に溢れる舞台の陰で、とても寂しい地方レース場から始まる物語。
ウマ娘。それは別世界に存在する名馬の名前と魂を受け継ぐ少女達。彼女達には耳があり、尾があり、超人的な脚がある。時に数奇で、時に輝かしい運命を辿る神秘的な存在。この世界に生きる彼女達の運命は、まだ誰にも分からない。
栃木県宇都宮市。北関東に位置するここには、ウマ娘達が通う事が出来るトレセン学園が存在する。その名も宇都宮トレセン学園。地方で開催されるウマ娘によるエンターテインメント「ローカルシリーズ」のひとつであり、主に平日にレースを行う。
「よし……準備完了」
今日は、大事な模擬レース。このレースの結果でスカウトに来たトレーナーに認めてもらい、チームに所属するのがウマ娘達の目標だ。
────ガコン!
ゲートが開き、ウマ娘達が一斉に飛び出す。初めてのゲートにもたつくウマ娘もいる中、一際目立ったスタートを切ったウマ娘がいた。
「ふっ!」
綺麗なスタートでハナを切り、そのまま先頭で集団を引っ張る形で走っていくウマ娘。
彼女の名はイリコチ。彼女は先頭をキープしたまま、ゴール板を駆け抜けた。その強さに、多くのトレーナーが彼女を担当しようとスカウトに向かう。
「すみません。じっくり考えたいので」
彼女はそう言うなり、スカウトをすべて断ってしまった。トレーナー達としては残念だが、イリコチ自身の都合もある。トレーナー達は仕方ないかと諦めて、他のウマ娘達に声をかけ始める。
そんな彼女に、釘付けになっているトレーナーがいた。彼の名は大幸。若き新人トレーナーだ。
「(凄いレースだった……!)」
断られても良いから、この感動を彼女に伝えたい。他のトレーナーのスカウトが終わるのを待ってから、大幸はイリコチに近付いた。
「あの、君!」
「……はい。貴方もスカウトですか?」
「そう!君の走り、見事だった!」
「ありがとうございます。それで、貴方はどんなスカウトを?」
品定めするかのように見てくる。大幸トレーナーは興奮冷めやらぬままに答えた。
「君の走りは凄かった!北関東ダービーも夢じゃないはずだ!俺と一緒に頂点を目指さないか!?」
「北関東ダービー……なるほど、分かりました。考えておきます」
彼女はそう言うと、他のトレーナーと同じように大幸をあしらった。やはり、スカウトは一筋縄ではいかない。とはいえ、あんなに凄い走りが出来る子を放っておくなんて出来ない。
「(どうにかして、興味を持って貰わないと!)」
大幸トレーナーは、彼女の気を引く為になにか出来ないかと考え始めた。その結果、彼女に連日近付いてみることにした。
「(居た!トレーニング中かな?)」
ギシギシと軋むトレーニング設備。パワーを鍛えているようだ。そのパワーは並ではなく、強めの負荷をかけているのに、気軽そうに動かしているようだ。
「(やっぱり凄い……見学して行こう)」
まだデビュー前なのに恐るべきパワーである。彼女のことをメモに取りながら、大幸トレーナーは何日か続けて彼女の見学に勤しんだ。
そんなある日のこと。
「あの、すみません」
彼女から大幸トレーナーに声をかけてきた。連日の見学がバレていたのか、眉を八の字に曲げながら話しかけてきた。
「毎日見てきてますよね。私の事」
「それは……そうだ。君の事が気になっちゃって」
はぁ、と小さくため息をついてから続ける。
「そんなに気になるのでしたら、組んでみます?私と」
「本当か!?……嬉しいけど、君はそれで良いのか?」
「はい。トレーナーはじっくり決めたいですから、仮の担当ですけど」
「仮か……わかった!それでも構わないよ!」
「はい。ではよろしくお願いします」
「ああ、よろしく!」
こうして、仮のトレーナーとしてイリコチの担当をする事になった大幸トレーナー。果たして、彼女の才能を咲かせることは出来るのだろうか。
「ふう、タイムはどうですか」
「凄いな……また更新しているよ。流石としか言いようが無い」
「それなら良かったです」
むふー、と少々嬉しそうな表情。コンビを組んでから何度目かのテスト走行だが、イリコチは走る度にベストレコードを更新していた。
「これならいつでもデビュー出来そうだ。いつ頃デビューしたいとかある?」
「いえ、特には……早ければ早い程良いとは思いますが」
「それなら、来週にデビューしないか?」
「来週ですか。分かりました」
デビューの話もすんなりOK。聞き分けがよすぎて逆に不気味だが、上手くはいっているみたいでトレーナーも一安心だ。
「そうだ。デビューに向けて困った事とか無いか?」
「困った事ですか。特には無いですね」
「そうか。それなら良いんだ」
なにか彼女が隠していないか気になって聞いてみたのだが、それといった様子も特にないようだ。このまま何事もなくデビューするのだろうと、トレーナーは思っていた。しかし……
「………来ない…」
ある日のトレーニング。いつもの通り彼女と学園内で待ち合わせをしているのだが、いつまで経っても彼女がやって来ない。
「他のトレーナーの所にでも行っちゃったのかな?」
そう心の中で吐露しつつ、ブラブラと学園内を散策する。いない分には仕方ない。用意したトレーニングメニューも全部白紙になってしまう。困ったなぁと思いながら、彼女のいそうな場所を巡る。
「あれ?イリコチのトレーナーさん?」
「ん?そうだけど……君は?」
「私、フジノミリオン!イリコチとは同級生だよ」
「そうか。君は、イリコチとは仲が良いの?」
「まあね!……それにしても、トレーナーさん一人ってどういう事?一緒にトレーニングしないの?」
「それが……」
かくかくしかじか。訳を説明する。
「そっか、イリコチが来ないと」
「そうなんだ。どこに行ってるか分からなくて。何か知らないか?」
「うーん、そうだねぇ。練習をほっぽってやるとすれば、レース観戦とかじゃない?今日開催日だし」
「なるほど!レース観戦か!ありがとうフジノミリオン!」
「どういたしまして!見つかると良いね〜」
彼女に感謝を伝えつつ、レース観戦が可能な最寄りのレース場を目指す。目的地は宇都宮レース場。この学園に所属している生徒達が主に活躍する場所だ。
────
……来てしまった。
今日のトレーニングもあるはずなのに、それを放り投げてこの場所までやってきてしまった。それも仕方ない。私はアレが大好きだから。
『間もなく、第八レースが始まります』
ガラガラの客席に、そっと腰を降ろす。地方特有の淡いファンファーレが心地良い。目の前を走るウマ娘達を見て、そっと呟く。
「絶対、そっち側で活躍してやるから」
砂煙を上げながらかけていくウマ娘達に、その呟きは聞こえない。僅かな歓声に包まれながら、レースは終焉を迎える。相変わらず、熱いレースだ。
「あっ!いたいた!おーい!」
僅かに声が聞こえる。その人物はこちらに気付くなり、大慌てで駆け出しており……誰なのかは明白だった。
「トレーナーさん」
「困るよー、勝手に休まれたりしちゃ。言ってくれれば良いのに」
「申し訳ありません。連絡を入れておくべきでした」
「うんうん……って、勝手にトレーニングサボるのがダメなんだぞ!?」
「それは申し訳ありません。次からサボることにならないよう気をつけます」
「素直だな。それなら良いんだけど……どうしてトレーニングをサボってまでここに?」
「私、ここが好きなんです。宇都宮レース場が。少し寂しいけれど、熱いレースを楽しめるここが……大好きなんです」
「そうか……君にとって大切な場所か。そんなこと言われちゃ怒るに怒れないな」
そう言って笑うトレーナーさん。気持ちが伝わってよかった。とはいえ、怒られないのはそれはそれで少々申し訳ない気持ちになってくる。
「私、また今日みたいに暴走するかもしれません。それでも、私を見守ってくれますか?」
「もちろん!これからも、トレーナーとして助力させて貰うよ!」
「……ありがとう。トレーナー」
そう言ってはにかんで見せる。こんなわがままをやっても許してくれる彼は、とても輝いて見えた。
「どういたしまして。……そうだ、君にひとつ聞いておきたい事があるんだった」
「なにかしら?」
「ずっと聞こうと思ってたんだけど…ローカルシリーズを走る上で、君の夢って何かな?」
「私の夢……」
思えば、ずいぶんぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。宇都宮レース場で走る。それだけで十分幸せになれると思っていたから。
「敢えて言うなら……北関東三冠。そこから先は……まだ未定ね」
「北関東三冠!良いじゃないか!素敵な夢だぞ!」
「そう?在り来りじゃないかしら」
「とんでもない。それに、君なら実現できる夢だ」
「実現……」
北関東三冠なんて、夢物語だと思っていた。それをこの人は、実現出来る夢だと語ってくれた。
「……わかったわ。トレーナー。貴方を信じて、夢に向かってみる」
「ああ、その調子だ!」
まずは北関東三冠。そこから先は未来の私が決める。こんなにぼんやりした夢なのに、叶えてくれるなんてトレーナーはすごい人だ。改めてそう思った。
「そうだ。次のレース、一緒に見ても良いか?」
「ええ、もちろん」
それから私は、トレーナーと一緒にレース観戦を楽しんだ。
────
騒動にも一区切りがつき、いよいよイリコチのデビューの日がやってきた。あれから彼女は一度もサボることはなく、真面目にトレーニングに励んでくれた。その結果、トレーナーとしては自信に満ち溢れていた。
「いよいよデビューだな。作戦は言わなくても大丈夫か?」
「作戦も頭に入っているわ。前をキープしつつ逃げ切る、でしょう?」
「その通りだ。難しい作戦だが、君ならできると信じているよ」
「ありがとう、トレーナー。やりきってみせるわ」
そう言って踵を返すと、彼女はレースをしにターフへと降り立った。相変わらず少ない観客。どこまでも殺風景で、綺麗とは言えない建物。宇都宮レース場は、どうにか今日も動いていた。
「まずは一勝……取るわ」
────ガコン!
ゲートが開く。圧倒的な一番人気に押されてか、彼女は力強く駆け出した。最初から飛ばして先端を取ると、そのまま後続を引き連れて最終コーナーを曲がっていく。
「(難しい展開だけど……私ならできる!)」
最終直線。イリコチは二の足を使って加速すると、後続との差を更に広げて行く。その差は3バ身から4バ身。一度もそれを縮められること無く、イリコチは先頭でゴール板を駆け抜けた。
「はぁ……はぁ……ふぅ……」
息を整えつつ、掲示板を確認する。文句無しの快勝。その確かな手応えに、グッとガッツポーズをする。遠目に見ていたトレーナーも、思わずジャンプする程の大楽勝。そして、イリコチの記録はここから始まった。
「勝ったわ。トレーナー」
「ああ。おめでとう、イリコチ!」
「ありがとう。これもトレーナーの指示のおかげね」
「そうかな?君の脚が凄かったからだと思ったけど……」
「……それじゃあ、どっちもね。私も貴方も凄かった。でしょ?」
「……そうだな。二人で勝ち取った勝利だ!」
二人は固い握手を交わす。今まで仮トレーナーとして付き添って来ていたが、この日をもって正式なトレーナーに格上げされたのであった。
こうして、無事にデビューを迎えたイリコチ。しかし、彼女の波乱の運命は始まったばかりである。果たして、彼女はどんな運命を辿るのであろうか。彼女の未来はまだ誰にも分からない。