イリコチがデビューしてから数ヶ月が経過した。イリコチはその間にも何度も勝利を上げており、5連勝という記録を打ち立てていた。そんな彼女が目標としているレースは、北関東皐月賞。北関東三冠を担っているレースで、宇都宮トレセンに通う者なら誰もが一度は夢見るレースだ。
「はっ……はっ……」
「ゴール!よし!タイムも上々だ!」
「そう。それなら良かったわ」
息を整えつつ、次のトレーニングメニューを確認する。彼女は地方所属のウマ娘としては珍しく、めいっぱいトレーニングをこなしていた。
「トレーナー、次のレースだけど」
「ああ。北関東皐月賞だな。何か気になる事でもあるのか?」
「ええ。少し、気になる方が居るの」
「ライバルか。誰が気になるんだ?」
「ロマンスブライアさんよ。貴方も知ってるでしょ?」
「ああ……栃木の怪物だな」
ロマンスブライア。ここまで6戦6勝を上げている強者で、そのレースはどれをとっても大差勝ちという超有望株の選手であった。その強さから「栃木の怪物」と呼ばれている。そんな彼女の目標レースも北関東三冠であり、無敗同士でぶつかり合う事になった。
「彼女の末脚は凄い。半端なレースをしたら、それだけで負けてしまいそうなのよね」
「そうだな……レース終盤、後ろから伸びてくる豪脚。あれは君さえも追い抜いてしまいそうだ」
「でしょう?だから、何か対策を考えようと思っているわ」
「それなら俺も同意だ。一緒に対策を考えよう」
そんな訳で、トレーナーと話し込むイリコチ。強敵、ロマンスブライアの豪脚。その牙城をどのようにして崩すかが二人の課題となった。
「それじゃ、今日はこの辺で」
「ええ。お疲れ様」
ある日のこと。大幸トレーナーが今日の分のトレーニングを済ませて歩いていると、一人のウマ娘がトレーニングしているのが見つかった。
「あれは……」
「はあああああっ!」
脚が大地を蹴り上げ、砂埃が巻き上がる。この力強い走りを見せてくれるウマ娘こそ、宿敵と名高いロマンスブライアだ。
「凄い走りだ…」
興味津々に見つめていると、ロマンスブライアもこちらに興味を示したのか、トレーニングを中断して近寄ってくる。
「こんばんは。イリコチのトレーナーさん」
「ああ、こんばんは。トレーニング中断しちゃって良いのか?」
「自主トレですから。少しくらいなら時間に余裕を持ってますので」
「そっか。なら良いんだけど……そうだ。ひとつ聞いても良いかな?」
「はい。答えられる事ならなんでも」
「ありがとう。君は、イリコチの事をどう思ってる?」
「そうですね……同期で強敵、ライバルだと思ってます」
「ライバルか……ありがとう。イリコチも君をライバル視していてさ。かなり気合いを入れてるんだ」
「そうですか……!私も負けないって伝えておいて貰えますか?」
「分かった。伝えておくよ」
「ありがとうございます。じゃあ、そろそろトレーニングに戻りますね」
「ああ、行ってらっしゃい」
そんな訳で、ロマンスブライアは再びコースを駆け抜け始める。大幸トレーナーにはこの時分からなかったが、ロマンスブライアは既に体力の限界まで鍛錬を行っている。まさに努力の鬼であった。
…
それから数週間後。北関東皐月賞がついに開催される事になった。イリコチ達は控え室で準備を進めていた。
「いよいよロマンスブライアとの対決だな。準備は良いか?」
「もちろん。準備万端よ。必ず逃げ切ってみせるわ」
今日のイリコチは、二番人気。一番人気は6連勝を決めているロマンスブライアだ。無敗の二人が対決する事もあって、二人の人気にはそれほど差が無い状態だ。
「それでこそ。序盤から君のペースで逃げて、最後まで粘る。いつも通りだが、大切な作戦だ」
「ええ。その通りね。逃げる途中でロマンスブライアさんをマーク出来れば良いのだけれど」
「前を走る以上は難しいだろうな。後ろを意識するより、前に出ることだけを考えた方が良さそうだ」
「そうね……まずは自分のレースをする事に専念するわ」
「それで良い。もし、余裕が出来れば、後ろを確認する事も忘れずにな」
「ええ。……そろそろ時間ね。行ってきます、トレーナー」
「行ってらっしゃい」
北関東皐月賞。宇都宮レース場、ダート1900m。天候は晴れ、バ場状態は良バ場。絶好のレース日和となった宇都宮レース場は、それなりの賑わいを見せていた。
「イリコチちゃん!」
「ロマンスブライアさん」
「久しぶり!今日は負けないよ!」
「私こそ負けないわ。お互い、全力でぶつかり合いましょう」
「うん!」
ライバルと軽い握手。それから、二人は揃ってパドックへと向かった。一番人気達の登場に、観客もそれなりに盛り上がりを見せていた。
「今日勝つのはどっちかのお」
「イリコチちゃんに決まっとるがな!おーい!頑張れよー!」
「まあ!ロマンスブライアだって負けてないわよ!頑張ってー!」
観客の歓声に応えながら、二人は準備を進めていく。ライバルに勝つために。やがて、パドックでのウマ娘紹介が終わり、ついにレース本番を迎える事になった。
「(ここを勝って、三冠を手にしてみせる!)」
イリコチは気合十分のまま、ゲート内に収まっていく。ウマ娘達が収まっていくにつれて、場内もしんと静まり返っていく。
『ゲートイン完了!北関東皐月賞が今────』
────ガコン!
『スタートしました!イリコチ!これは好スタート!』
「ふっ!」
好スタートを切ってハナを奪うと、そのまま得意の逃げのペースに持ち込んでいく。誰もが彼女の強さを知っているからか、逃げで競りかけて来る者はいない。
『ロマンスブライアは後方から!いつも通りのレースと言った所でしょうか!』
ロマンスブライアは後方集団に収まっている。そのまま澱みなくレースは進み、第一コーナーへと流れ込んでいく。
「(前は私だけ。ひとまず自分のペースに持ち込めそうね)」
逃げのウマ娘が他にいないからか、完全にイリコチのペース。彼女のレースメイクの力は桁違いで、自分のペースに巻き込んで相手を潰してしまう。
「(後ろは……)」
ほんの少しだけ視線を後ろに向ける。僅かに見えたのは、ウマ娘のバ群に潜んでいる怪物。こちらを捕らえんとばかりに、静かに息を潜めている。
『勝負はいよいよ第四コーナーに差し掛かります!先頭は変わらずイリコチ!このまま逃げ切れるか!?』
第4コーナーを曲がって、ウマ娘のバ群はそれぞれ勝負を仕掛けに行く。ここまでにイリコチが後ろと広げた差は6バ身。そう簡単に埋められる距離差では無い。
「(来れるものなら……来てみなさい!)」
────ドンッ!
イリコチは最後のひと押しと言わんばかりに、ラストスパートをかけ始める。他のウマ娘達の最後の猛追にも負けないスパート力で、後ろを置き去りにしていく。
……ただ一人を除いて。
「(行くよ、イリコチちゃん)」
────ドバッ!
砂を蹴り上げ、突き進む1本の矢。他のウマ娘達のバ群を捌いて、一気に二番手へと躍り出る。彼女こそ栃木の怪物。
『一気にロマンスブライア!栃木の怪物が襲いかかる!さあイリコチ!これは逃げ切れるかー!?』
「(やっぱり来た…!…でも、負けられない……!)」
イリコチは最後の力を振り絞って、先頭をキープしにかかる。それでもロマンスブライアとの差はどんどん縮まっていく。
「(まだまだ…!逃げれるっ!)」
「(行かせない!勝つのは私だ!)」
その瞬間、時が止まった。正確には、走っている二人の感覚で、時が止まったように感じたのだ。どこまでも遠いゴールに向かって、必死に脚を動かしている。その必死さに、観ていた観客達も思わず歓声を贈る。届け。粘れ。色々な声が響き渡る中、二人は殆ど並んだ状態でゴール板を駆け抜けた。
「はぁ……はぁ……」
「ぜー……はぁー……」
掲示板には、写真判定の文字。結果を待たされる事になった二人はもちろん、観客も固唾を飲んで結果を待ち続ける。
1着 3番 イリコチ
2着 6番 ロマンスブライア
長い沈黙が打ち破られる。掲示板にはそう表示された。イリコチは見事に、ロマンスブライアの猛追を凌ぎきることが出来たのだ。その事実と嬉しさに、イリコチは思わずその場でジャンプした。
「やった!私の勝ちよ!」
「おめでとう、イリコチちゃん」
「ありがとう。ロマンスブライアさん。貴方も最後までついてきて凄かったわよ」
「えへへ、ありがとう。ともかく、北関東皐月賞制覇おめでとう!ウイニングラン、してきたら?」
「そうね。そうするわ」
こうしてイリコチは、北関東三冠レースのひとつ、北関東皐月賞を制覇した。残るは二冠。果たして、彼女は戴冠する事が出来るのだろうか。