「宇都宮トレセン廃止を辞めて頂きたいということですか」
「はい。お願いします」
ここは、宇都宮市市役所。トレーナーはここまで出向いて、市長に廃止を辞めてもらうよう嘆願しに来た。
「私としても、廃止はやりすぎだと思っているのです。ただ、どうしても赤字が続いていますからね」
「でしょうね……赤字が黒字に転ずるまで、待ってもらう事も出来ないでしょうか」
「難しいですね…財政は逼迫しておりますので。北関東からトレセンが消えてしまうのは悲しいですが……」
バツが悪そうに喋る市長。やはり廃止ともなると、色々と後始末が悪いのだろう。
「仮に廃止になるとして、所属しているウマ娘やスタッフはどうなるんです?まさか放置という訳では無いでしょう」
「それは……適切な場所にそれぞれ移動して貰うことになりますね」
「そうですか……適切な場所ですか。あるんですか?数百人に登る生徒達の行き着く先が!」
地方所属のウマ娘なのだから、同じ地方のトレセンに拾ってもらうのが定石だろう。ただし、数百人が一気になだれ込む事になり、受け入れる側も簡単に承諾は出来ない。受け入れ先が決まらず、走る事を辞める子も出てくるだろう。
「それはわかりませんが……」
「だったら!尚更廃止になんて出来ないはずでしょう!」
「うっ……しかし……ですね……」
「お願いします。彼女達の未来を守ってやって下さい」
そう言って、深く頭を下げる。こうすることしか出来ない。なにか力を持っていて、介入する事が出来ればどんなに嬉しい事か。その力が無いからこそ、頭を下げるしか無い。
「……分かりました。廃止にならぬよう、かけ合ってみます」
「ありがとうございます…!」
たとえそれが、叶わぬ希望だとしても。話し合いの場を持ちかけてくれる市長に、大幸は精一杯の感謝を伝えた。
それから大幸は、再びイリコチの元へと向かった。話し合いの結果、廃止を辞めてくれるようかけあってくれることを報告した。
「本当!?凄いじゃないトレーナー!」
「話の分かる人で良かったよ」
「ホントね……宇都宮トレセンもこれで存続出来るかもしれないわね」
「かもしれないな。やれることはやったし……俺達は変わらず、無敗記録で客を呼ぼうか」
「ええ!」
イリコチの顔がパッと明るくなる。廃止は中止になるかもしれない。その希望が、彼女の脚を更に強く後押しした。
しかし。
『宇都宮トレセン廃止、正式決定』
現実は非情なものであった。イリコチブームの力も虚しく、宇都宮トレセンは赤字の影響で廃止が決定された事が、新聞に載っていた。
「そんな……」
「いよいよだね……」
学園内は半ばパニック状態になっていた。将来を不安視する者、現実を受けいれられない者、学園を憂う者。三者三葉の反応があったが、そのどれもがマイナスイメージのつくものであった。
「廃止……嘘でしょ……」
イリコチは19連勝目を飾ったタイミングで、この事を知らされた。驚きと絶望が入り交じったような感覚に襲われ、思わずその場に崩れ落ちた。
これでは、連勝記録を打ち立てた意味が無い。宇都宮に人を集めるために連勝を行っていたのだから。
「頑張ったのに……」
ポツポツと雫がこぼれる。今まで押さえてきた感情が溢れ出るかのように、イリコチは泣いてしまっていた。大好きな宇都宮トレセンの廃止。彼女の心をへし折るには、十分すぎる一撃であった。
「イリコチちゃん……」
その場にいた同期のフジノミリオンも、彼女を励ます事は出来なかった。彼女は、誰よりも宇都宮トレセンの為に尽力していたはずなのに。そう思うと、励ます言葉も出てこない状態だった。
…
宇都宮トレセン廃止が決定してから数日後。生徒達は、他の地方トレセンに移る為の準備に追われていた。主な移籍先は、高知トレセンや佐賀トレセン。地方でも実力が不足しているトレセンが主となっていた。
そんな中で、イリコチの元にはある移籍の誘いが来ていた。それこそ、中央ウマ娘トレセン学園。トゥインクルシリーズを開催する日本屈指の強豪校であり、入学するだけでも一流と言われる学園である。
「中央からの勧誘か。受けた方が良いんじゃないか?」
「………ええ…」
彼女の声はか細いものだった。自分の好きな場所であった宇都宮を守れなかった失望感に染まっていた。
「……俺達はやれることはやったさ」
「……そうよね……」
またもか細い声。誰よりも宇都宮のために動き、支えてきたつもりだった。それが打ち破られてしまい、彼女はどうしたら良いのか分からなくなっていた。
「……これからは、君自身の為にレースをしよう」
「私自身のため……」
「ああ。宇都宮の廃止を止めるためじゃなく、君自身が栄光を掴めるように走ろう」
「それは………」
そう簡単に割り切れるわけが無い。元々、宇都宮が存続する事が、イリコチにとっての一大目標だったのだ。宇都宮の為に走ることこそ、彼女自身の為にもなっていたのだ。それが無くなってしまったから、どうすれば良いか分からなくなっている。
「………今の私には、何も無いわ…」
「そうか……これからを走っていく上で、なりたい自分を見つけて欲しい」
「なりたい私……」
それからイリコチは、これからの自分について悩む事になった。廃止される宇都宮トレセンに依存しない、新しい自分。しかし、答えは簡単には出てこなかった。それだけ、彼女の走る理由の比重は大きかったのだ。自分だけのためと言われると、どうしたら良いか分からなくなる。
「私、どうなりたいんだっけ…」
虚ろな瞳を抱えながら、ウロウロと街中を歩く。どこへ行ったら良いかも分からないまま、彼女はレース場へとやってきていた。
『タイガーロール先頭!後ろは追いつけるかー!?』
ぼんやりとレースを眺める。レースが大好きなのは変わらないようで、見ているだけでワクワクしてくる。これが3月には廃止されてしまうとなると、いたたまれない気持ちになる。
「おんやイリコチちゃん。今日は見学かい?」
彼女に声をかけたのは、常連のおじいさん。
「あ……はい。見学です」
「そうかいそうかい!見ているだけでも楽しいもんねぇ」
「ですね……」
「うむうむ。しかし、残念じゃのお……まさか宇都宮レース場が廃止になってしまうとは」
「はい…………とても残念です」
「うむ…イリコチちゃんも大変じゃのう。廃止後は、どの地方に移るんじゃ?」
「私は……中央に移籍します」
「なんと!中央トレセンに移るのか!これは楽しみじゃのう!宇都宮代表として頑張ってくんな!」
「……はい。頑張ります」
ふと、イリコチの中に小さな閃きが生まれた。宇都宮代表。その言葉が、彼女のなりたい自分を作り出してくれた。
「……お爺さん、ありがとう。私、分かったかもしれない」
「?……おう!なんだか知らんが良かったな!」
それから彼女は、熱々のウイニングライブを堪能してから、自分の部屋に戻った。それから日記を取り出すと、真剣な眼差しで書き綴った。
「宇都宮代表として、活躍する」